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 再三繰り返している処だが、私は根っからの、殆ど生まれつきの右翼だ。

 無論、赤ん坊の頃、オギャーとしか主張できなかったころから右翼(※1)だと言うつもりはない。また、「男の子」と言うものは一般的に多かれ少なかれ「右翼的」と言うか「戦闘的」な部分があり、軍事的なモ
ノ、強いモノ、大きいモノに憧れたり凝ったりするものだ。私の場合それが怪獣や巨大ロボットや恐竜よりも、戦車、戦艦、戦闘機(※2)であり、それが昂じて「右翼」と自他共に認めるようになって久しい。

 そんな「根っから右翼」の私と、脱原発原理主義バリバリのアカ新聞・東京新聞とでは、意見を異にするのが通常・平常であるが、偶には意見が一致する事がある。



<注釈>

(※1) 「産着でさえカーキ色だった」ってのは、確かロバート・デュパル主演のテレビ「将軍アイク」だったが、そんなこともなさそうだし、「軍歌を聞くと泣き止んだ」なんて事もない、らしい。 

(※2) この内「戦闘機」はあまり大きくないが、強くはある。戦車もそれを言うなら、案外小さいが、「陸の王者」ではある。 



転載開始=========================================

【私説・論説室から】 右傾化論議に意味はない
2012年11月26日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2012112602000120.html

オランダの新聞とテレビを兼ねる特派員の取材を受けた。テーマは「日本の右傾化をどう考えるか」。
米国の有力紙、ワシントン・ポストが最近「中国が興隆する一方、日本が右傾化している」と題した記事を配信したため、さっそく取り上げたようだ。
記事はといえば、冒頭から「日本は徐々ではあるが重要な右傾化の変化の真っただ中にある。第二次大戦後のどの時期よりも対決色を強めて活動しているのだ」と指摘している。
たしかに日本維新の会の石原慎太郎代表や橋下徹代表代行、さらには安倍晋三自民党総裁など注目を集める政治家たちは一般に右寄りと思われている。
だが、私は右傾化とか左傾化という議論には、たいして意味があるとは思わない。右から見れば、真ん中でも左に見える。左から見れば、その逆だ。つまり相対的な話である。右とか左にしっかりした定義があるわけでもない。
民主党政権が米国に厳しく中国に融和的だったのは間違いないだろう。少なくとも、東アジア共同体構想を唱えた鳩山由紀夫政権はそうだった。いまの政治潮流はその反動でもある。
大事なのはレッテル貼りではなく、具体的な政策の中身だ。そこをしっかり見ないでメディアが雰囲気で議論してしまうと、かえって危険である。そんな趣旨を特派員氏に話したら、納得していただけた様子だった。 (長谷川幸洋)


=================================転載完了

こういう処では一致できるのに、脱原発などでは原理主義なんだから、偏見ってのは怖いね

 さて、如何だろうか。

 端的に言って、殆ど突っ込み所が無いぐらいに同意できる内容である。殊に、次に挙げる一文は、「俺も何処かにこんなこと書いてなかったっけ」と思わされるぐらいに「我が意を得た」ものだ。

1〉 右から見れば、真ん中でも左に見える。左から見れば、その逆だ。
2〉つまり相対的な話である。右とか左にしっかりした定義があるわけでもない。

 逆に言えば、今まで再三当ブログで取り上げている東京新聞社説や記事の、脱原発などに対する原理主義ぶり・陶酔振り・狂気/狂信とは、えらい違いなのである。とても同じ新聞社とは思えないぐらいに。

 この違いは何処から来るのだろうか?何故だろうか?と考えたとき…思い当たるのは以前記事に取り上げた東京新聞コラムの「義務として言わねばならない事」と言う①脱原発 ②オスプレイ沖縄配備反対 ③消費税増税反対 である。この三点、「義務として言わねばならない事」となると、東京新聞は上掲コラム、別けても上記1〉~2〉に示されている冷静な態度を失って「発狂」してしまうのではなかろうか。

 だとしたら・・・章題にした通りである。偏見とか偏向と言うものは、実に恐ろしいもので、理性と知性さえも吹き飛ばして雲散霧消させてしまう、らしい。

 無論、私とて神ならぬ身の定命の者であるから、偏見や偏向と無縁ではないと覚悟もし、自覚もすべきであるが、なるたけ減らそう、とは思うね。

 「森羅万象皆我が師」と、他人の悪口言いまくりの辛口ブログを主宰しながら公言し、記事にもしている(※1)のは、そのためでもある。


<注釈>