.師よ、お言葉ですがーダライ・ラマ師の「日中両国は互いに必要としている」発言によせて
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先行幾つかの記事にした通り、私はチベット仏教徒ではないがダライ・ラマ14世師を尊敬している。普通ならば尊敬しない訳には行かないだろう、とさえ思っている。彼は、チベット仏教の最高指導者であるが、そんな宗教的地位が私の尊敬の理由ではない。チベット仏教における最高指導者「ダライ・ラマ」と言う地位は、輪廻転生するものとされ、つまりダライ・ラマ14世師は、先代のダライ・ラマ13世の正真正銘掛け値なし、比喩ではなく本当の「生まれ変わり」とされ、そのため「活仏=生き仏」ともされているが、そんな因果因縁も私の尊敬する理由ではない。私
はチベット仏教徒ではないし、仏教徒としても相当怪しいので、輪廻転生なんてのはお伽噺位にしか思われない(※1)。だが、史実としてわかっている事は、彼は幼少にしてダライ・ラマ14世となり(※2)、若くして中国共産党政権によるチベット併合と言う過酷な運命に直面し、祖国・チベットを追われてチベット亡命政権の最高位にあり、祖国は追われたものの、未だチベット族の精神的指導者であり続けている、と言う事。ために、ダライ・ラマ師のチベット帰還を訴えての抗議の焼身自殺者は、未だ月に一人ほどのペースで続いている事。その故もあって中国共産党政権からは「中国分裂を狙う悪魔」呼ばわりされたが、それを溢れんばかりのユーモアで、美事に返して見せた事。
「私が悪魔に見えますか。角も生えていないでしょう。」
であるならば、他の誰かが「抜かせ」ば鼻先で笑ってやるような発言でも、ダライ・ラマ師の発言となれば、そう仇や疎かには出来ない。ま、それぐらいダライ・ラマ師を尊敬している、という事でもある。
上掲したAFP記事は、正にタイトルにもした通りのそんな例。他の誰か、例えば福島瑞穂社民党党首であるとか、鳩山由紀夫(悍ましくも喜ばしいことに)元首相であれば鼻で笑うか爆笑してしまうところだが、ダライ・ラマ14世師の言葉となると、そうは行かない言葉である。即ち、以下の言葉だ。
1〉 「基本的に、中国は日本を必要としており、日本は中国を必要としていると思う」と述べ、
2〉 「もっと全体論的に考えるべき。小さな意見の食い違いが(衝突を)生み出してはならない。もっと広い視野で考えるべきだ」
論理としては朝日新聞社説あたりにもありそうな「日中友好万歳!」発言にも見える。「ダライ・ラマも遂に人民解放軍の軍門に下ったか!」と言う見方も出来よう。事実、ダライ・ラマ師は亡命チベット政府の最高指導者であるが、チベット独立ではなく「高度な自治」を中国共産党政権に求めており、それさえ容れられずに未だ亡命の身なのだから、中国共産党に対し一定の配慮を欠かさない/欠かせないのも事実だろう。
だが、尖閣諸島の領有権は歴史的経緯からして「小さな意見の食い違い」とは言い難いし、尖閣どころか沖縄まで「琉球解放」などと領土的野心むき出しにしてきた中国共産党政権相手ならばなおさらだ。端的に言って我が国は、大変失礼かとは思うがチベットの様に中国に併合される憂き目になぞ逢いたくないのである。当ブログのタイトルに「日出る処」とあるのは、聖徳太子の大陸・支那に対する堂々たる自立宣言(※3)「日出る処の天子、日没する処の天子に書を致す。」を敷衍しているのは、そんな独立不羈の意思を示したからだ
故に、ダライ・ラマ師のお言葉、上記1〉~2〉に対する私の御答は、以下の様になろう。
師よ、お言葉ではございますが、我が国は中国共産党政権を必要とはしておりません。
また、中国人自身の為にも、中国共産党政権はもはや有害であろうと思慮いたします。
師のご指摘通り、「中国が諸問題を解決するための最良の制度は民主主義である」とは私も同意いたしますが、その民主主義と中国共産党政権とは、根源的には相容れないと考えるからです。
故に我が国は、「衝突しない」事よりも、「尖閣諸島が我が国の領土である事」を優先致します。
<注釈>
(※1) 逆に言えば、お伽噺としての価値は認めている。私の死後「一切何も残らず無と帰する」と考えるよりも、「魂魄此処にとどまりて」何らかの影響力を残せるかもと考えた方が、楽しいだろう。七世報国と言うのも、生まれ変われてこそ果たせるというものだ。(※2) 先述の通り、「ダライ・ラマの魂は生まれ変わっている」のだから、「栴檀は双葉にして芳し」所ではない。(※3) 我が国は、大陸支那の属国になった事はないので、「独立宣言」と言うよりは「自立宣言」と表記した方が相応しかろう。