応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/   

怒涛の最終回、の筈が・・・・


 一日あけて掲載された第三回、上掲記事③は最終回であるから連載の〆であり、集大成であることが期待されたが、材料こそ多いものの、なんともはや。
 
③1〉 4月にモロッコで発生した墜落事故で、これまで安全性の根拠としてきた10万飛行時間あたりの重大事故数は1・93に跳ね上がった。
 
 統計を取っているのだから、「10万飛行時間あたりの重大事故数」が「跳ね上がる」のは当たり前で、跳ね上がった結果の「1.93」でさえ海兵隊航空機の平均を下回っている。だから、その後に書いてある「海兵隊広報官のアルシュ大尉の談話」は強弁でもなんでもなく正論だ。
 
③2〉  米議会が予算を承認した調達数と海兵隊の保有数が大きく乖離(かいり)。
③3〉 米会計監査院は海兵隊に対し、不明となっている43機分のデータの開示を要請した経緯もあり、
③4〉 事故を未報告とするために「不明」としたのではないかとの疑念も招いている。
 
と言うのは確かに「疑念」ではあろう。「43機のオスプレイ事故喪失とそれに伴う死傷者の隠蔽」なんてのは全米を揺るがすような大スキャンダルであるが、それだけに非現実的だ。「木の枝隠すには森の中が良い。森がなければ木を植えて森を作れば良い。だから死体を隠すには、死体の山を築けば良い。」と言うのはチェスタトンのブラウン神父シリーズにある所だが、非対称戦争遂行中のアメリカ軍といえどもそんな数の「死体(*1)」を隠す「死体の山」はないぞ。
 そんな大スキャンダルが暴かれたならば、確かに「オスプレイ安全神話」は崩壊しそうである。が、その時崩壊するのは「オスプレイ安全神話」どころじゃなさそうだ。第一、「予算を承認した調達数と保有数の乖離」は、調達単価の上昇か何かで説明できそうだ。「機体は喪失したが、どうなったかは判らない43名のパイロットと43名のコパイロット(*2)」よりは、現実的な話だろう。
 
 「またかよ」の「オートローテーション機能」は、そりゃヘリコプターには必須とされているが、それはヘリコプターはオートローテーション機能がないと不時着できないから。オスプレイはチルトローター機でヘリコプターではないから、米航空局FAAの基準でもオートローテーション機能は要求されない(*3)。かてて加えてオスプレイの双ローターは機械的にリンクしているから、オートローテーション機能の有無が問題になるのは「オスプレイが回転翼機モードにあり、尚且つ二つのエンジンが共に停止した場合」だけ。それを知ってであろうが、当該記事は「米海兵隊双発ヘリで二つのエンジンが停止した事例がある」としてそれを上掲記事③の副題にもし、新たに国防総省の国防分析研究所(IDA)のレックス・リボロ元主任分析官の言葉として、
 
③5〉 同機能(オートローテーション機能)の欠如は「致命的な欠陥」との認識を示している。
 
とまで書いている。
 
 だが、まあ、酷い副題だね。「二つのエンジン 停止例も」ってやあがる。
 
 エンジンが二つあれば、エンジンが一つよりも安心だ。エンジンが二つとも止まる確率は、単純計算でエンジンが一つ止まる確率の二乗だから、かなり低くなる。例えば「1,000時間に1回止まるエンジン」と言うのがあるとしよう。このエンジン二つ付けた双発機が両エンジンとも停止する確率は「1000時間に1回」の二乗で「百万時間に1回」で済む。「飛行時間114年間に1回の確率」であるから、かなり安心ではあるが「ゼロではない」。だから、「二つのエンジン 停止例もある」と言うのは、配備数・総飛行時間が多ければ当たり前の事だ。
 上掲記事③は、
 
③6〉 二つのエンジンを有する海兵隊ヘリの過去のデータは、3~4年に1回(*4)、燃料の不純化でエンジンの出力が同時に停止している」
 
と、リボロ氏の言を引き、「3~4年に1回」と結構な頻度のように表記している。が、オスプレイが配備開始から5年間。この間に海兵隊型は2回の死亡事故を起こし、上掲記事③にある通り「10万飛行時間当たりの重大事故件数1.93」になって居る。と言う事は、この5年間に、新規配備が始まったオスプレイ海兵型の飛行実績が、大凡10万飛行時間と言う事だ。
 海兵隊全双発ヘリの「3~4年」の飛行実績は「10万飛行時間」とは桁違いである事は、賭けても良い。事実、リボロ氏自身が後の同じ平安名純代記者の記事で「二つのエンジンが停止する可能性は極めて低い」と認めている(*5)。
 であるならば、オスプレイの「オートローテーション機能の欠如」が「致命的欠陥」であるか否かは、「二つのエンジンが共に止まる確率」が「オスプレイの飛行実績による10万飛行時間当たり重大事故1.93件」に対し有意なほどに高いか否かで判断できる筈だ。その確率計算は、リボロ氏には可能なように思われるが、リボロ氏は「オートローテーション機能の欠如は致命的な欠陥」との認識と( 後の記事で )「二つのエンジンが停止する可能性は極めて低い」との認識を表明しながら、「二つのエンジンが共に止まる確率」を示していない。少なくともそんな重要な数値が記事として報じられていない。これは、リボロ氏の怠慢であるか、平安名純代記者の取材不足であるか、あるいはその両方か、何れかと言えよう。
 
 何にしても、「オスプレイ安全神話」を「崩す」には、オスプレイ海兵隊型の配備開始以来5年間の飛行実績、「10万飛行時間当たり重大事故1.93件」に対し、この数値が虚偽であると証明するか、その数値が今後急上昇する可能性を示唆することが必要である。と言うのに上掲記事①~③と来たら・・・あえて言えば、上記③2〉~③4〉「行方不明の43機」が「数値が虚偽である事」を証明するきっかけたり得ようが…・現状はせいぜいが「疑惑」。3回にわたる連載記事は、「オスプレイ安全神話」に指一本触れられていない。 
 
 そのせいだろうか。、上掲記事にURLは掲載したが、当該連載記事は今年8月初旬と比較的新しい記事であるにも関わらず、上記URLへのリンクは既に切られて居る沖縄タイムスとしては、余程恥ずかしい記事であったと見える。
 
 が、そんな身内の恥を隠すような性根で、ジャーナリストが務まるのかね。


<注釈>

(*1) それも相当数がパイロット、コパイロット、即ち操縦資格保持者。 

(*2) と、何名になるか判らない同乗者。 

(*3) オートローテーション機能を、「今までの米軍機には要求されたのに、オスプレイにはない。」と言う主張は、米軍機には固定翼機もあり固定翼機にはオートローテーション機能なんて絶対にない事と、オスプレイはチルトローター機で、ヘリコプターとしての機能と固定翼機としての機能を併せ持っていることを、都合よく忘却している。 

(*4) 後の、やはり平安名純代記者のリボロ氏インタビュー記事で、この数値は「5年に1回」に修正されたようだ。 オスプレイ:IDA元主任分析官に聞く   http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-08-19_37930 

(*5) オスプレイ 欠陥6点 米専門家「構造に起因」  http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-08-19_37929 


引用転載だけで記事が出来るなら、記者なんて商売は要らないな

 
 閑話休題(それはさておき(*1))。
 
 本記事の冒頭で、「ジャーナリズムとは、記者とは、報道とは、何をするモノか/何をすべきものか」を念頭に上掲「崩れる安全神話」をお読み頂きたいとお願いした意味・意義は、お判りだろうか。
 
 報道の対象には、森羅万象この世のありとあらゆることがなりえよう。報道し、記事にする価値のあるものは限られるから「全ての事象を記事とし報道する」訳ではないが、記者の専門外や予備知識の全く無いような分野を記事にし報道しなければならない/報道したい、と言う事は幾らもあろう。
 だから記者の専門以外の「専門家」を頼る、アドバイスや発言を求める、記事や発言を引用する、インタビューする、と言う事も多々あるだろう。実際、上掲連載記事「崩れる安全神話」にも、何人もの「専門家」が登場し、それぞれの主としてオスプレイ批判が記事に引用されている。
 
 だが、記事とは、報道とは、それを作る記者とは、「専門家の発言を引用」するだけの事/するだけの存在、な訳が無い。「どの専門家の発言を引用するか」と言う選択に記者の意思ないし意図が入るのもさることながら、「専門家とて嘘や誤りがないとは限らない」のだから、記事として報道する前に「専門家の発言」を検証し、考察し、少なくとも真偽のほどを評価することが要求される筈だ。「裏を取る」と俗称されるのは、広義にはこの検証・考察・評価であり、それをせずに「専門家の発言」を取捨選択だけして記事にするならば、それは記者が「専門家の広報宣伝係」に堕したと言う事であり、「真実を追求し報道することを使命とする」ジャーナリズムからは程遠い、と言うよりその対極だ。
 
 で、先述の通り連載記事一回目に登場する「専門家」ドン・ハーベル閣下と連載第二回に登場する「専門家」カールトン・マイヤー元大尉殿が同じアフガニスタンでのオスプレイ墜落事故について全く異なる原因を唱えていることを引用し、「異なる原因を唱えている」としか報じないのは、「裏を取って」専門家の引用発言を検証考察していないばかりか、「専門家意見の取捨選択すらまともにしていない」と言う事である(*2)。一体「沖縄タイムスの米国特約記者・平安名純代」は、この連載記事を書くために( 何をしなかったかより、むしろ 何をしたのだろうか。

 些か邪推を巡らすならば、当該連載記事は碌に準備も始めないまま書き始めてしまったのではないかと、推定できる。ひょっとすると連載第一回記事掲載日にカールトン・マイヤー元大尉殿に取材して、急いで連載第二回記事に仕立てたとか、流石に拙いので連載第三回には中一日空けてありったけの材料をぶち込んだとか、考える事が出来る。
 
 左様な邪推の真偽のほどは、大した問題ではない。左様な準備不足は沖縄タイムスと平安名純代記者の問題かもしれないが、新聞社も記者も、その為した報道記事によって評価される。
 
 その点からすると、当該連載記事「崩れる安全神話」は、ただ単に「オスプレイ安全神話を崩し損ねた看板倒れ」と言うだけでなく、沖縄タイムスと平安名純代記者の記者魂・ジャーナリズムの根源的欠落を示しているのである。
 
 如何に、沖縄タイムス。
 如何に、平安名純代記者。

<注釈>


(*1) 長い前置きだが…ここからが本当の本題 

(*2) 最初からカールトン・マイヤー元大尉説を支持する心算ならば、ドン・ハーベル閣下の登場は不要であろう。