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④【東京社説】閣議決定見送り 脱原発の後退許されぬ
  http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012092002000111.html
2012年9月20日

 政府が「革新的エネルギー・環境戦略」の閣議決定を見送った。二〇三〇年代の原発稼働ゼロという目標すら後退しかねない。脱原発に本気で取り組む意気込みが野田佳彦首相にあるのか、疑わしい。
 首相に原発稼働ゼロを実現する強い決意があるのなら、こんな結末にはならなかったはずだ。
 政府は先週「三〇年代の原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」という戦略を決定した。
 ところが閣議決定したのは、この戦略を「踏まえて、関係自治体や国際社会などと責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」ことだ。この場合「踏まえる」には「参考にする」程度の意味しかない。
 原子力関連施設のある関係自治体や、日本と原子力協定を結んで核燃料を供給する国際社会と議論し、原発推進を望む経済界を含む国民の理解を得つつ、柔軟性を持って見直すのは、原発稼働ゼロを阻止する言い訳にも聞こえる。
 藤村修官房長官は、実際に三〇年代に原発稼働ゼロを実現するかどうかは「総合資源エネルギー調査会が決める」と述べた。この調査会は原発推進の役目を担ってきた経済産業相の諮問機関である。
 そこに最終判断を委ねるのは、原発稼働の継続を端(はな)から容認しているようなものではないか。
 首相は民主党代表選の記者会見で「一時的な感情ではなく、原発に依存しない社会を目指すという強い覚悟が(国民に)出てきている。政府もそれを受け止め、覚悟を決めた対応をしなくてはならない」と述べた。
 そもそも国民の多くが求めていたのは三〇年までの原発稼働ゼロ実現である。それを最大で十年間も猶予する甘い目標を定め、それすら閣議決定できずに「覚悟を決めた対応」とは聞いてあきれる。
 できもせず、やる気もないのに選挙目当てで一時的に国民の歓心を買うことを言い、結局、欺くようなことが許されるはずはない。
 きのう発足した原子力規制委員会の田中俊一委員長ら五人の委員人事でも首相は必要な国会での同意を得ず、規制委設置法の例外規定に基づいて任命した。
 「原子力ムラ出身者」の起用に民主党内でも反発が広がり、党の分裂回避を優先させたのだろう。
 あまりにも姑息(こそく)、党利優先で、国会軽視も甚だしい。こんな内閣には、もはや国民の生命と財産を守る役目を担う資格はない。
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朝日、毎日、東京が騒ぐと言う事は「原発ゼロ」はある程度回避されたと見える

 さて、如何だろうか。
 
 先述の通り「”2030年代に原発ゼロ”閣議決定見送り」を受けて、「そんな手ぬるい事ではなく、
 
読1〉  政府は、日本経済や雇用に多大な打撃を与えかねない「原発ゼロ」を明確に撤回し、
読2〉 現実的なエネルギー戦略を練り直すべきである。
 
と「”原発ゼロ”撤回」を求めるのが読売一紙。残りの三紙は
 
毎1〉 野田佳彦首相には、一連の修正が脱原発政策とどう整合するのかをきちんと説明し、
毎2〉 「原発ゼロ」への覚悟を改めて示すよう求めたい。
 
朝1〉  野田政権は、新戦略を踏まえたエネルギー基本計画を閣議決定するという。
朝2〉 ここで原発ゼロの目標を盛り込めないなら、民主党政権は国民から完全に見限られることを覚悟すべきだ
 
東1〉  できもせず、やる気もないのに選挙目当てで一時的に国民の歓心を買うことを言い、結局、欺くようなことが許されるはずはない。
 
と、毎日が「新たな閣議決定」、朝日が「エネルギー基本計画の閣議決定」として「原発ゼロ」の復活・確定を求めるのに対し、東京が野田政権を見限ると言う「温度差」はあるものの、「”原発ゼロ”死守」は変わらない。まあ、予想通りではあるな。強いて言えば、
 
東2〉 「原子力ムラ出身者」の起用に民主党内でも反発が広がり、党の分裂回避を優先させたのだろう。
東3〉あまりにも姑息(こそく)、党利優先で、国会軽視も甚だしい。
東4〉こんな内閣には、もはや国民の生命と財産を守る役目を担う資格はない。
 
と、野田政権を切って捨てる東京社説に「流石は脱原発原理主義者」と言うべきか。今回危うく閣議決定なりそうになった「2030年代に原発ゼロ」こそ、選挙目当ての党利党略・分裂回避策である、なんて私のような考えは・・・ありゃ、上記東1〉の通り、考えているではないか。
 
 ああそうか。上記東1〉「できもせず、やる気もないのに選挙目当てで一時的に国民の歓心を買うこと」上記1〉「結局、欺くようなこと」になるから東京新聞は許せないんだ。上記東3〉「あまりにも姑息(こそく)、党利優先で、国会軽視も甚だしい。」としても、「”原発ゼロ”を堅持」していれば、上記東1〉や東2〉のような野田政権批判は生じなかった。野田政権は脱原発と言う信心が足りなかった」ために「不信心者」として糾弾されて居る訳だ。流石は脱原発原理主義者の東京新聞。益々信仰に磨きがかかり、逝ってしまっているようだ。
 
 今回比較した四紙の中では、唯一正気を保っている読売の社説がピカイチ・・・・と言うより、ほかの三紙の社説なぞ比較の対象にもならないのだが、それにしても以下引用する読売社説〆の一節は珠玉である。
 
読3〉  一方、民主党代表選の論戦で野田首相は、「(原発ゼロは)国民の覚悟だ。それを踏まえて政府も覚悟を決めた」と述べた。
読4〉  だが、「原発ゼロ」に伴う失業や貧困のリスクを理解し、苦難を受け入れる覚悟を固めている国民がどれほどいるだろうか。
読5〉  国策選択の責任を、国民の「覚悟」に丸投げするのは誤りだ。
 
 如何に、国民。