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 「理屈の上なら、可能です」ってのは、エスパー伊東なる芸人の決め台詞。私が知っているような芸人だから古い芸人で、今もいるのかどうか知らないし興味もない(*1)が、「理論上可能な筈」のトンデモナイ事にあれこれ挑戦し、大概は失敗して笑いを取ると言う芸人だった。どんな事をやったかは全然覚えていないが、この決め台詞だけは覚えている。
 
 そんな古い芸人の決め台詞を思い出したのは、以下転載する記事のため。なんでも、水不足は今後ますます深刻化するのに対し人口はどんどん増えるものだから、2050年には人類は菜食主義者ばかりにならざるを得ないだろう、と言う研究結果。まずはその記事をご照覧あれ。

<注釈>

(*1) 私が興味を持たないジャンルと言うのも数多あるが、芸能ネタはその筆頭だ。 


転載開始=========================================
2050年、人類はみな草食に!?
 http://sankei.jp.msn.com/wired/news/120912/wir12091208440001-n1.htm
2012.9.12 12:05 [食・グルメ] 
ストックホルム国際水研究所の気がかりなレポートだ。いまより20億人も多くの人々が西洋風の食生活をできるだけの資源はない。唯一の持続可能なシナリオがこれだ。



"Happy Thanksgiving" BY faith goble (CC:BY) 

ヴェジタリアンになることを選ぶ。もしくは、ヴェジタリアンにならざるをえなくなる。これが、ストックホルム国際水研究所(Stockholm International Water Institute)が、世界中の2,000人以上の専門家と200以上の機関が参加して毎年行っている会議、世界水週間において発表したリポートで描かれたシナリオだ。

その主張は、2050年には、現在の食事の仕方で世界の人口を養うのに十分な水資源はなくなっているだろうというものだ。特に、BRICSのような発展途上国を脱した新興国の人々は、どんどん豊かな西洋の生活に近づいている。

このスウェーデンの研究(pdfの完全版)による結論は非常に厳しいものだ。未来の食料消費のさまざまな状況が綿密に想定されており、これが水資産の推定(だんだん乏しくなる)や、今後38年間に予測される人口増加と組み合わされている。

判決は、ほとんど控訴の余地がない。「2050年の地球にはいまより20億人多くの人がいるだろうが、これらの人々に必要な食料を生産するために十分な水はないだろう。特に世界が、動物由来のタンパク質で20%のカロリーを得ている西洋型の食生活に近づいていく現在の傾向が維持されるならば」と、リポートでこの問題を集中的に取り上げている章の著者、マリン・ファルケンマルクは書いている。

例えば、1kgの牛肉を精肉店の陳列台の上で目にするのに、それまでの工程で約16,000?の水が使われていることを考えてみればいい。

リポートには、スウェーデンの機関の専門家だけでなく、国際連合食糧農業機関(FAO)や国際水管理研究所の10数人の科学者も名前を連ねている。

「わたしたちはいまでも、総計70億人のうちの10億人に上る飢餓人口に食べ物を供給するという挑戦を行っているところなのに、どうして50年に90億人に達する人口のための食料を保証することができると考えられるだろうか?」

トルキル・ヨーンチ・クラウセンは、この衝撃的なリポートのイントロダクションでこのように自問している。

FAOは、2050年には食料生産を70%増やさなければならないだろうと予測した。しかし、このことは、すでに非常に乏しくなっているわたしたちの水資源にさらなる負荷を加えるだろう。しかも、同じ期間に60%増加するであろう世界のエネルギー需要を満たすためにも、わたしたちは水を必要としている。現在、電気を使えない人は地球上に約15億人もいるのだ。

こう考えると、持続可能と思われるシナリオはただひとつしかない。それは、食生活において、肉をごくわずかの量に控えることだ。肉の消費は、わたしたちのテーブルに出てくるものの5%、より正確に言えば、日々の摂取カロリーの5%を超えるべきではないだろう。

しかし、これは水に余裕のある国々が、旱魃期に大幅に不足する国々を助けることを可能にする(もしくは義務づける?)水の均衡システムを導入することができればの話だ。

他方で、この展望はすでに崖っぷちにあり、50年という期限も甘い見通しであるように思われる。実際、現在世界で利用可能な水資源の88%はわずか11%の人口によって消費されているのだ。

具体的に言うと、アメリカの平均的な市民が家庭消費と食生活で毎日600?の水を使い果たしている。イタリア人は200?なのでもう少し容認できるが、貧困国で生き残るために闘うことを強いられている個人が利用できる水は、たったの20?である。


=================================転載完了

.Nowtime It's War! 今度は戦争だ!


 さて如何だろうか。
 
 先述のエスパー伊東の決め台詞、「理屈の上なら、可能です。」を私が想起した理由がお分かりだろうか。当該記事は、深刻な水不足と人口増加は食糧不足を招くから、特に多量の水を必要とする肉食を維持することはできず、
 
1>  こう考えると、持続可能と思われるシナリオはただひとつしかない。
2> それは、食生活において、肉をごくわずかの量に控えることだ。
3> 肉の消費は、わたしたちのテーブルに出てくるものの5%、より正確に言えば、日々の摂取カロリーの5%を超えるべきではないだろう。

としている。「動物由来のタンパク質で20%のカロリーを得ている西洋型の食生活」と言う記述もあるから、現在の西洋型食生活の1/4以下の肉食に抑えないと、水不足による食糧不足・飢饉は免れないだろう、としている。それが当該記事のタイトル「2050年、人類はみな草食に!?」につながっている。

 私がエスパー伊東の決め台詞なんて思い出したのは、この「人類草食化計画」とも言うべき構想のためだ。それぞ正しく、「理屈の上では、可能」な計画であり、
 
4>  しかし、これは水に余裕のある国々が、旱魃期に大幅に不足する国々を助けることを可能にする(もしくは義務づける?)水の均衡システムを導入することができればの話だ。
 
と言う当該記事の指摘を待つまでもなく、「現実には不可能」と言って良いぐらいに非現実的な構想・シナリオだ、と私が断じたから、だ。

5> 「わたしたちはいまでも、総計70億人のうちの10億人に上る飢餓人口に食べ物を供給するという挑戦を行っているところなのに、
6> どうして50年に90億人に達する人口のための食料を保証することができると考えられるだろうか?」
 
と言う同研究報告書冒頭にあるトルキル・ヨーンチ・クラウセン氏の自問は、誠に人類愛と人間性に溢れるものではあるが、私はその自問の答えを知っているように思う。即ち、現状で総計70億人のうちの10億人に上る飢餓人口に食べ物を供給するのでさえ挑戦であるならば、50年に90億人に達する人口の食糧を、人類は保証しないだろう。」即ち、現状10億人の飢餓人口は、単純計算で50年には30億人に増加するだろう、と言う事だ。

 だが、現実には、そんな事態に至る前に、「人類草食化計画」や「水の均衡システム導入」なんかよりも遥かに現実的な人口抑制策が実施されるだろう。私が言うのは、産児制限や同性婚・同性愛の奨励、ではない。そういった政策を取る国もあろう(*1)し、ある程度効果も有るのかも知れないが、私が言うのはより古典的で直接的な人口抑制策、即ち「戦争」だ。
 
 「水争い」と言うのは戦争原因としては随分古いものであり、最近はとんと聞かない。が、それは食糧生産に直結しており、食糧と言えば戦争原因としては古典中の古典。尚且つ人口増加で水不足・食糧不足が深刻化している状況にあっては、なおのこと「戦争」は魅力的な解決策だ。
 
 平和的な主張でないことは百も承知だ。人道的でない、とも言えよう。自国の食糧確保もさることながら、人口抑制をも目的とした戦争だから、酷い戦争になるのは間違いないのだから、なおさらだ。だが、日本以外のほとんどの国には「憲法9条」なんてモノすらないのだから、それらの国にとって戦争は国際紛争解決の一手段であり、水争いや食糧不足は昔ながらの戦争圧力だ。ならば、その解決に戦争と言う手段を取る国は、あって当たり前、なければ奇跡その筆頭に挙げられるべきは、人口爆発と水不足をすでに相当激しく露呈している中国であろう。
 
 当該研究報告が意味するところは、今後戦争紛争が頻発するであろうという予告である。これは看過すべきではない。
 
 Parabellum!戦いに備えよ。

<注釈>

(*1) 前者をすでに実施しているのが中国。後者はアメリカ、かな。