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 何とも奇妙な話である。
 尖閣諸島と言えば沖縄県であり、離島とは言え沖縄本島からは目と鼻の先だ。その沖縄本島から目と鼻の先の離島を、大陸は中国共産党政権が自国領土だと言い出した上に、つい先日「中国民間人」が上陸して気勢を上げたぐらいだから、尖閣諸島はまさしく対中最前線。離島の無人島だからこそタダの自然一杯の島として放置されている(*1)が、これが陸続きならば国境示す有刺鉄線なり地雷原なり監視塔なりが配置されても当たり前の所だ。
 
 その対中最前線たる尖閣諸島を、購入する計画のある都が調査しようとすると、地元沖縄の琉球新報はこんな社説を掲げてしまうのだから、「何とも奇妙」としか評しようがない。

<注釈>

(*1) まあ、その「放置されている」事こそが大問題なのであるが。 



転載開始========================================= 

社説 都知事尖閣調査 平和的な解決を妨げるな
2012年8月26日       
 日中間の不信の連鎖を断ち切るどころか、不毛な対立をエスカレートさせるだけではないか。強い危惧を抱かざるを得ない。
 東京都の石原慎太郎知事が、尖閣諸島の購入のため政府に上陸申請した現地調査の概要を発表するとともに、さらに10月に再調査を実施し、その際には同行する考えを明らかにした。石垣市の中山義隆市長も都の上陸が許可されれば、同行して上陸する考えを示した。
 石原氏は会見で「再調査の時は私も行きます。現場で指示する。逮捕したらそれで結構だけどね」と述べたが、確信犯的な挑発行動は厳に慎むべきだ。仮に上陸ともなれば、中国国民の領土ナショナリズムと反日感情を一層あおるのは間違いなく、尖閣問題の沈静化など望むべくもない。
 今月15日の香港の活動家の魚釣島上陸に対抗し、19日には東京都議ら日本の地方議員ら10人が上陸したが、思慮深く、冷静な対応とは到底言い難い。確認するまでもないが、尖閣諸島は日本の固有の領土であり、実効支配している紛れもない現実がある。こうした中、日本側がことさら領有権を主張する過激な行動に走ることは、中国を刺激し、東アジアの安全保障環境を不安定にする。国際社会の支持が得られるとはとても思えない。
 日中双方には、実力行使を訴える強硬派と、冷静な対応を求める穏健派が存在する。挑発的な行動を互いに繰り返すことは双方の強硬派をより先鋭化させ、問題解決を遠ざけるだけだ。
 国民感情を高揚させる領土問題は、武力紛争につながる可能性が高いことは歴史が証明済みだ。裏返せば、異なる主張がぶつかり合う領土問題はそれだけ解決が難しい。ましてや石原氏が主張する尖閣諸島への自衛隊常駐といった独断的な解決手法では、中国国内の穏健派の反発さえも招きかねない。
 そうなれば、中国も過激な国民の声を背景に、尖閣近辺への軍隊派遣などの対抗措置を取らざるを得なくなる恐れがある。偶発的な衝突の可能性は高まり、一触即発の最悪の事態を招くことは目に見えている。
 対立関係を激化させるだけの不毛な泥仕合に一刻も早く終止符を打つのが先決で、日本政府は当面は都の上陸申請を認めるべきではない。日中政府は両国内の先鋭的な行動を抑え外交交渉による平和的解決に全力を挙げてもらいたい。

=================================転載完了

重要なのは「解決」であり、「平和的解決」ではない


 さて、如何だろうか。
 
 くどいようだが、これは琉球新報の、尖閣諸島の地元である沖縄の地元紙の社説である。言うまでもなかろうが沖縄は日本の一部だ。ああ、「今のところは」と限定詞をつけなければならないかも知れないが。
 そんな余計な限定詞が必要かと思われるのは、上掲琉球新報の社説がその一因だ。一体琉球新報は何を以って「尖閣問題」と言い、どのような状態を「尖閣問題の解決」と言っているのか。
 
 どうも上掲社説からすると、琉球新報は
 
 ①「尖閣問題」=「尖閣諸島の帰属をめぐる日中両国の対立」
 
 ②「尖閣問題の解決」=「中国国民の領土ナショナリズムと反日感情の鎮静化」

と、考えているように思われる。上記①は、まだ抽象的だから、首肯できる人も多いかも知れないが(*1)、上記②は露骨な大陸に対する阿諛追従であろう。少なくとも「解決」の本質がなんであるかを全く誤認している。

 或いは別の言い方をすれば、私と琉球新報とでは「尖閣「問題」解決」に対する考え方が全く異なる、と言う事である。即ち私の考える「尖閣「問題」解決」とは、「尖閣諸島に対する我が国の支配権・領有権が確固たるものである事」であり、「中国国民の領土ナショナリズムと反日感情」がいかに悪化しようが、それが反日暴動や領土領海侵犯として具現化しない限り、例えば「反日デモ」程度に収まっている限りは歯牙にかけるにも及ばない。(*2)
 
 さらには、「尖閣「問題」の解決」に対する考えがかくも乖離しているが故か(*3)、同「問題」に対する解決法も私と琉球新報とでは大いに異なっている。
 
1〉  そうなれば、中国も過激な国民の声を背景に、尖閣近辺への軍隊派遣などの対抗措置を取らざるを得なくなる恐れがある。
2〉 偶発的な衝突の可能性は高まり、一触即発の最悪の事態を招くことは目に見えている。
3〉  対立関係を激化させるだけの不毛な泥仕合に一刻も早く終止符を打つのが先決で、日本政府は当面は都の上陸申請を認めるべきではない。
4〉 日中政府は両国内の先鋭的な行動を抑え外交交渉による平和的解決に全力を挙げてもらいたい。

と言うのが、呆れる事に当該琉球新報社説の最後のの二文節である。つまりは平和的解決を!」と訴えている訳だが…鳩山由紀夫の「友愛の海」と同程度の説得力しかない。あるいは社民党の主張する「憲法9条が最大の抑止力(*4)」と同程度と言うべきか。即ち、「友愛の海」や「憲法9条」が有効であると考える人にだけ説得力を持つ、と言う事であり、私なんぞにはタダの呪文としか思われない。

 問題は、その呪文が私に対して無効なばかりでなく、大陸は中国共産党政権に対しても、通じると想像することすら困難である事。
 
 況や、呪文が通用すると想定し前提とするとは、狂気の沙汰だ。無論、原理主義と言うのは須らく部外者から見れば「狂気の沙汰」に違いないのだが。
 
 そりゃ「解決」が「平和的」であってくれればそれに越したことはない。が、平和的なまま終わるとは限らない。ならば、優先すべきなのは目的である「解決」であって、「平和的」であることは必要条件ではない。

 我が国には「憲法9条」などの制約があるから、自由に「武力的解決」を選べる立場にはない。
 が、幸いにも尖閣諸島は我が国が実効支配する我が領土。そこへの接近上陸は侵攻と見なすことができるから、自衛戦争が成立する。自衛戦争ならば、当然ながら、憲法9条なんて制約は回避できる(*5)。
 
 それに琉球新報は、「外交」と言うものも誤解ないし曲解しているようだな。
 
 外交は戦争と同様に国益追求の手段であり、弾丸を使わない戦争だ。



<注釈>

(*1) 「そもそも明白に天地俯仰に恥じることなく尖閣諸島は日本領土なのであるのだから、尖閣諸島の帰属を巡って「対立」など生じ様がない」と言う主張は成り立つ。より正確には、「尖閣諸島の支配をめぐる日中台三国の対立」とすべきだろうな。 

(*2) たとえ具現化したところで、問題なのは反日暴動や領土領海侵犯の方であって、「中国国民の領土ナショナリズムと反日感情」ではない。そんな感情は幾らでも煽れるものだから、気にしても始まらないし、気にする可きですらないのだ。 

(*3) イヤソンナコトハナイ・反語・修辞的疑問文。 

(*4) ならば、憲法9条で尖閣諸島防衛はおろか、竹島と北方領土を奪還して見せるが宜しかろう。 

(*5) 異論のある向きもあろうが、私としては、「回避できると言う説」さえ成り立てば、十分だと考える。自衛戦争を否定するなぞ国家としての自殺。それでも学者先生はかまわないかもしれないが、私の国で実験・実践されてはたまらない。