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 琉球新報といえば、三アカ新聞の下っ端、朝日の手下だからロクナもんじゃぁない、もとい、私とは「宗教が違う」のはハナッから判り切っているが、それにしたってこの社説は「宗教が違い」過ぎて当初何を主張しているのかサッパリ判らなかった。後掲の記事を見て漸く事態を理解したが・・・まあ、御一読あれ。


転載開始========================================= 
【琉球新報社説】民間地で銃口 何を標的にしているのか
 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-195746-storytopic-11.html
2012年8月16日       
構えたライフルの銃口の先にいるのは無防備の県民、国民だ。一体、世界最強の米軍の兵士は何を守るために銃を向けたのか。
宜野座村松田区潟原で、米海兵隊の水陸両用車が国道329号を横切る際、米兵4人が歩道の草むらでうつぶせになり、国道側に銃を向けた。水陸両用車に乗っていた米兵も銃を水平に構えた。
現場は純然たる基地外だ。重装備の米兵が乗る水陸両用車を誰が襲うのか。児童生徒が通り掛かっていれば、言い知れぬ恐怖感を抱いたはずだ。
日米地位協定の定めでも、基地外で銃を向ける権限などない。
米軍は駐留地の住民に好感をもってもらうため、「良き隣人」政策を推進し、兵士らに基地外で紳士的な行動を取るよう促してきた。
だが、公務である訓練中に基地外で通行する県民らを不審者扱いし、すぐに射撃できる威圧的な態勢を取る。軍事優先の牙をむき出しにし、基地と民間地域を峻別(しゅんべつ)する意識さえ働かせることができない。「良き隣人」政策が機能せず、統制が取れていない表れだ。
「住民が基地に入れば、逮捕される。米軍は基地があるにもかかわらず、民間地域ではやりたい放題だ」。当真嗣信松田区長が吐き捨てた言葉が核心を突いている。
名護市辺野古のキャンプ・シュワブを起点に訓練することが多い水陸両用車は、潟原の海岸に上陸した後、斜面を上って国道を横切り、キャンプ・ハンセンに入る。
潟原では2007年にも、水陸両用車の周辺で顔面に迷彩色のペイントを施した米兵が歩道の茂みで軽機関銃を構える事態があった。
宜野座村議会が抗議決議し、当時の麻生太郎外相は「住民に不安を与え遺憾だ」と述べ、米軍に再発防止を求めていた。
今年2月には、浦添市の牧港補給地区内の国道58号沿いの地点で、腹這いになって銃を構え、同基地司令官が浦添市長に謝罪したことは記憶に新しい。同様な行為が歯止めなく繰り返されている。在沖海兵隊内で、県民に不安と不信を抱かせる行為の問題性を共有するシステムが欠落していると指摘せざるを得ない。
沖縄防衛局、外務省沖縄事務所にも、米軍に実効性のある対応を取らせることができなかった責任がある。民間地で米兵が銃を持つこと自体、やめさせるべきだ。
政府は厳しく抗議し、米軍に再発防止を誓わせてもらいたい



【沖縄タイムス報道】 2米兵、国道に銃口 宜野座  
社会  2012年8月16日 09時35分 

【宜野座】宜野座村松田区の国道329号付近で11日、米兵2人がうつぶせになって国道へ銃を向け、訓練を行っていたことが15日までに分かった。目撃した名護市議の大城敬人さんによると、米軍キャンプ・シュワブを出た水陸両用車7台が11日午後、同区潟原海岸に上陸。山手側にあるキャンプ・ハンセンへ向かうため、車両が国道を横断する際、兵士2人が歩道の草むらでうつぶせになり、国道に向けて銃を構えたという。

また、車両が隊列を整えて横断するまで、銃で武装した兵士ら数十人が国道付近で約1時間にわたり待機した。

大城さんは「武装した兵士は物々しい雰囲気だった。県民が行き交う国道に銃を向けることは、あってはならない」と話した。当真嗣信区長は「やりたい放題で、住民をバカにしているとしか思えない。通行するだけでも迷惑なのに、銃を持った訓練は普通じゃない」と憤る。

2007年にも潟原海岸で米兵が国道に銃を向け、村などが抗議した問題があった。同区長は「基地がある限り状況は変わらない」。

県の又吉進知事公室長は基地対策課が沖縄防衛局に事実関係を確認中とした上で、「米軍は訓練時は地域住民を不安に陥れないよう配慮するべきだ」との考えを示した。


=================================転載完了

銃なくして我役立たず、我なくして銃役立たず―米海兵隊信条


 さて、如何だろうか。
 
 当該琉球新報社説を要約すれば、次の一文に尽きよう。
 
1> 民間地で米兵が銃を持つこと自体、やめさせるべきだ。
 
・・・まあ、彼我の認識の差異、「宗教の違い」は目も眩むばかりだが・・・
 
 なあ、オイ、琉球新報よ。事米軍や軍事が関わると頭に血が上るようなんで無理かも知れないが、チョイと冷静に考えて見ろや。基地の中だけで訓練している軍隊が、実戦の役に立つと思うか?【Q1】演習場ってのは何の為にあるんだ?【Q2】
 さらに、基地と演習場の中だけで十分な訓練が出来ると思うか?【Q3】
 或いはもっと極端に、戦争・戦闘と言うのは、基地敷地内と演習場内に限定されると思うのか??【Q4】
 
 答えやすい方から行こう【A4】人類史上基地敷地内と演習場に限定された戦争なんてのはない。そんな「劇場型の戦争」はSFぐらいにしか登場しない。(*1)大体戦争の目的は一般的に「敵国政府の屈服」なのだから、基地限定・演習場限定で戦闘部隊だけ潰すよりも、より脆弱な「戦闘部隊以外」を狙う方が楽に決まっている。通商破壊も戦略爆撃も、攻撃対象は民間人・民間施設だ。
 【Q3】は演習・訓練にとって「永遠の課題」でもあるが、多種多様な演習場がないような場合(*2)は特に「演習場以外でも訓練した方が良い」のは明らかだ【A3】。それどころか「演習場以外(*3)の訓練が不要」なんて方が珍しい。米海兵隊とてそんな稀有の例ではなかろう。
 【Q1】【Q2】はまとめて行こう。基地内で出来る訓練は、基礎的なものだけ。体力増強とかヘリで言えばホバリング程度。固定翼機なんか基地に留まっては飛行すら出来ないから整備や手順の確認ぐらいしか基地では出来ない。従って、訓練の為には基地敷地外の訓練が不可欠であり【A1】、その為に基地敷地とは別に演習場がある事も多い【A2】。
 
 その上で、こいつが一番肝心なところなんだが、銃を持たない訓練にどれほどの意義があると思うのかね?【Q5】
 
 ソリャ兵科にも拠ろう。戦車兵や砲兵は、戦車や砲が主要兵装であるから、銃は副次的存在。従って「訓練に銃は必須ではない」とは言えよう。必須なのは主要兵装である戦車や砲である。
 
 だが、今回琉球新報が問題視するのは「歩兵の小銃」の様だ。
 
2>  構えたライフルの銃口の先にいるのは無防備の県民、国民だ。
3> 一体、世界最強の米軍の兵士は何を守るために銃を向けたのか。
 
と、当該琉球新報社説は始めるのだから間違いない。

 で、章題にもした「米海兵隊信条」につながってくる。「これぞ我が銃。世に銃は数多あれど、我が銃はタダこれのみ!」で始まる「米海兵隊信条」は、映画「フルメタルジャケット」の海兵隊新兵訓練でも(*4)印象的に使われたものだ(*5)が、米海兵隊は新兵訓練でこの米海兵隊信条を叩き込まれる。そうでなくても歩兵と小銃は近代以降切っても切れない関係。その小銃の主要機能は、当然ながら「銃弾の発射」である(*6)。言い換えれば、歩兵が小銃持って演習するのは当たり前で、持っていなかったら歩兵としての実践的価値はない。「訓練には同じ重さの模擬銃を使う」と言うのも一つのアイディアだが、そんなところに軍の予算を使うのは贅沢と言う物だ。つまり、琉球新報社説の主張する「言い知れぬ恐怖感」それも「児童生徒が通り掛かっていれば」「抱いたはず」の「言い知れぬ恐怖感」に米軍予算を割く価値はない。
 
 逆に言えば、
 
4>  米兵4人が歩道の草むらでうつぶせになり、国道側に銃を向けた。
5> 水陸両用車に乗っていた米兵も銃を水平に構えた。
 
だけで、「児童生徒が通り掛かって」いさえもしないのに、これだけの社説を書いてしまえる琉球新報社説には、呆れるのを通り越して、感心してしまうぞ。



<注釈>

(*1) 「雇兵マウザー」って短編があったが、アレは敷地ばかりでなく使用兵器も19世紀以前に限定し、民事訴訟なんかの決着を「戦争」で決めると言う、ある意味凄まじいSFだった。 

(*2) 我が国の自衛隊はその一例であるが。 

(*3) 実戦部隊の場合は特に、演習場での訓練が主であり、基地内での訓練は限定的だ。 

(*4) ハートマン軍曹の名演技と共に。 

(*5) 文字通り「銃を抱いて眠る」消灯前のシーンで復唱される。 

(*6) 副次的には着剣して槍として、或いは棍棒として使われるし、ボートに乗っては櫂にすることもある。 



米海兵隊信条


 1. これぞ我が銃。世に銃は数多あれど、我が銃は唯これのみ。

 2. 我が銃こそ我が友、わが命。我、我が命を制するが如く、我が銃を制す。

 3. 我なくして、銃役立たず。銃なくして、我役立たず。我は我が銃を正確に撃つ。我は、我を殺さんとする敵よりも勇猛に撃つ。我は、我を撃たんとする敵よりも先に撃つべし。我は、それを望む。

 4. 我と我が銃は、この戦争で重要なのが、我らの打ち出す弾丸、発射音や煙ではない事を知っている。重要なのは、命中した数である。我と我が銃は、命中させるだろう。

 5. 我が銃は我が命なれば、我と同様人間である。故に、我は兄弟の如く我が銃について学ぶ。我は我が銃の、弱み、強み、部品、付属品、照準器や銃身について学ぶ。我は、天候と損害による破壊から我が銃を守ること、今まで我が脚、我が腕、我が眼、我が心臓を守ってきた如くにする。我は我が銃を、清潔にして発射可能に維持する。我と我が銃は、一体になるだろう。我らはそれを望む。

 6. 神の御前で、我はこの信条を誓う。我と我が銃は、我が祖国の御楯。我らは、我が敵を征服する。我らは、我が人生の救世主。

 7. 故に、アメリカが勝利し、敵が全滅するまで、我、平穏を求めず!