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自己防衛と武装権(革命権)

 
 さて、如何だろうか。

WSJ紙記事を要約すると、以下のようになろう。
 
① 米国で銃乱射事件が多発しているが、銃乱射事件直後には銃の売り上げが急増する。
 
② 銃乱射事件により銃規制が取り沙汰される事はあるが、米憲法2条「武装権」もあって銃規制推進派は劣勢である。
 
③ 「銃なき国」日本を賞賛する声は根強いが、銃規制派は劣勢からさらに後退しつつある。
 
④ 「銃社会アメリカ」を問題視する有力政治家は、NY市長ぐらいである。
 
 後は「米ライフル協会(NRA)の『暗躍』」が付記されている程度で、全体として「連続する銃乱射事件にも拘らず、銃規制が進まず、寧ろ銃が良く売れると言う信じ難いほどの銃社会・アメリカ」の事を「銃なき国・日本」に伝える事が精一杯で、その「銃社会・アメリカの背景」にまでは手が廻らなかった記事、と私には読めた。例えば、合衆国憲法修正第2条の「人民が武器を保有し、携帯する権利」に触れながら、それを「米ライフル協会(NRA)が利用する口実」程度にしか扱わず、その背景となる革命権」=「政府に過ちあれば、人民が武装蜂起してこれを妥当する事も可とする権利(*1)」については触れていない。この「革命権」を認めるからこそ「武装権」があり、銃規制は「武装権の侵害」とみなしうるからこそ、それは「革命権の侵害」につながり「合衆国憲法の侵害」となりかねない。単に「市民が武装する自由」ばかりではなく「民主主義の健全性維持装置」でもあるのが合衆国憲法修正第2条「武装権」なのである。従って「米ライフル協会(NRA)『暗躍』の口実」に「武装権」を矮小化してしまうと、報じられている通りの「米国では進まぬ銃規制」の本質を見誤らせる事になろう。

もう一点、本記事で触れるべきであったと思われるのは、米国人の自己防衛意識、「自分や自分の家族は、自分が護る」と言う考え方である。

これこそ「日本では余り馴染みのない考え方」であろう。かつて程の「治安の良さ」がなくなってしまったとは言え、警察に対する信頼は未だ絶大に近い我が国では、銃どころか護身用の武器すら携帯する者は多くない。「自ら身を護る」と言っても護身術の武道・空手や合気道か催涙スプレーぐらいが関の山だ。「交番に駆け込むか、警官を呼びさえすれば、相応に安全を確保できる」と言う暗黙の前提が、自己防衛と言う意識どころか認識すらも殆ど不要にしている。

これに対し警察権力どころか国家権力さえ辺境には及ばない「西部開拓時代」にノスタルジーとロマンと卑近な記憶を抱き、肝心の警察権力が「青服のヤクザ」と呼ばれてしまうアメリカでは、「国家権力・警察力が(殆ど完璧に)市民たる自分の身を護ってくれる」と信頼する・頼みにする・当てにする割合が我が国に対して低い。勢い「自分や自分の家族は、自分が護る」・自己防衛意識は高めざるを得ない。

かてて加えて、当該WSJ記事にもある通り銃が普及しているのがアメリカだ。自ら身を護るために対峙した相手・犯罪者らは銃を利用する・携帯しているものと考えなければならない。となれば、「銃を持っていると想定すべき犯罪者」から「自らと自らの家族を護るため」の武器・イコライザー(*2)として「銃の所持・携帯」が極めて重要になる。WSJ紙が報じるように上記①「乱射事件の後は銃が良く売れる」のも、「米国人の自己防衛意識の発露」と見て、先ず間違いなかろう。

当該WSJ記事は、「米国の銃規制」を題材に銃社会アメリカの一断面を報じている。だが、上記のように考察すれば「銃規制を厳しくする事で、アメリカを(日本のような)「銃なき国」に近づけられる」訳ではない事がわかろう。
 
 「アメリカを(日本のような)「銃なき国」に近づける」ためには、

(1)武装権(革命権)との両立 

(2)自己防衛を意識せずに済むほどの治安のよさ・警察権力/国家権力の浸透の実現

が必要である。

 逆に、上記(1)、(2)の目途なり方策なりを示すか実施して見せない限り、銃規制だけ訴え、推進する事は危険であり、無責任でもある。なぜならば、すでにアメリカは銃が普及した銃社会なのであるから、「銃規制」による「鉄砲狩り」で真っ先に狩られるのは、「合法的な登録された銃」であり、「非合法の登録されていない銃」は最後まで世間一般に存在し続ける。その結果、銃乱射事件の件数そのものは減らせる可能性があるが、起きた(非合法に隠匿した銃による)銃乱射事件に対し、一般市民は逃げ惑い隠れる事しか出来ず(*3)、対処は全面的に警察任せとなる。それは恐らく、一件の銃乱射事件あたりの被害者数を増やすだろう。

1>  夏の終わりとともに本格化する大統領選を控え、オバマ大統領からもロムニー氏からも、
2> (銃規制をどうするかと言う問いに対する)その答えは聞かれそうにない。
 
と嘆じて当該WSJ紙記事は〆るが、すでに銃が普及した銃社会であり、憲法に武装権(革命権)を明記するアメリカ合衆国に於ける銃規制は、銃規制法だけの問題ではない事を見落としないし軽視している。
 
 「米ライフル協会(NRA)の『暗躍』」は、銃規制問題の背景・深層を強調するものかも知れないが、背景・深層そのものを形成している訳ではない。
 
 

<注釈>

 
(*1) 当然ながら制限付き。そんな権利をしょっちゅう行使されては叶わない。 
 
(*2) 素手、或いは銃以外の武器で、銃を持つ犯罪者に対峙するのは、分が悪かろう。相手が拳銃ならば、刀剣は存外善戦出来る、或いは「一間離れれば刀の方が有利」なんて説もあるが。
 
 「懐に忍ばせたその武器が、
     喩えミサイルであろうとも!」-十三代目・石川五右衛門- 
 
(*3) 正に、日本で銃乱射事件が起きた場合に、日本の市民がそれしか出来ないのと同様に。 
 

オマケ

 当該WSJ紙記事のタイトルは「コロラド州乱射事件で銃売買が急増―「銃なき国」ニッポンを絶賛する声の陰で」とあるが、米国での事象からすると「乱射事件で銃売買が急増」が主たる事象であり、「「銃なき国」ニッポンを絶賛する声」の方は遥かにマイナーだ。

であるならば、当該記事のタイトルは、「コロラド州乱射事件で銃売買が急増―その陰で「銃なき国」ニッポンを絶賛する声も」とするのが至当であろう。

「アメリカも日本と同様の「銃なき国」になって欲しい」と言う肥田美佐子 記者の(秘めたる)想いが見て取れるオリジナルタイトルではあるが、「西部を征服した銃」コルトSAA45回転式拳銃に「Peace Maker 平和を作るモノ」と愛称を付け、未だにレプリカが販売されているアメリカ合衆国と銃の「絆」を、舐めてはいけないな。