② サンデー時評:「脱原発」運動と「六〇年安保」騒動と
http://mainichi.jp/opinion/news/20120725org00m010002000c.html
2012年07月25日
脱原発に賛成である。こんな危なっかしいものはないほうがいいに決まっている。反対するのは、パーフェクトに近い〈安全な原発〉が日本の技術力によって将来できると確信し、脱原発では工業立国・日本の土台が揺らぐと危惧している人たちだが、すでに少数派である(*1)。
民意の大勢は脱原発といっていい。しかし、直ちにゼロにするか、使えるものは使いながら(再稼働)、徐々にゼロに近づけるかで意見が割れている。そんななか、集会・デモの住民運動が勢いを増してきた。
毎週金曜日、首相官邸前を埋める抗議行動や、炎天下の十六日、東京・代々木公園で開かれた〈さようなら原発10万人集会〉(集会のあとデモ)は、党派性がない。十七日付の『毎日新聞』によると、ツイッターで知り、一歳の長女を抱き、四歳の長男の手を引いて集会に参加した埼玉県和光市の主婦(三十二歳)は、
「こんな場所に足を運ぶなんて、数年前なら想像できなかった」
と語ったという。福島原発事故の恐怖が、普通の母親を突き動かしている。
ただ、一つだけ引っかかることがあった。集会の呼びかけ人の一人、音楽家の坂本龍一さん(六十歳)は、
「たかが電気のために、なんで命を危険にさらさなければいけないのでしょうか。国の未来である子どもの命を守りましょう。美しい日本の国土を守りましょう」
と訴えたという。
「たかが電気……」
という言い方でいいのだろうか。坂本さんも電気依存社会のなかで長年暮らしてきたはずだ。脱原発はいいが、脱電気というわけにはいかない。しかし、「たかが」と言われると、電気より命のほうが大事は当然として、電気なんか、と聞こえてしまう。
四十年前に原子力の危険に気づいたという京大原子炉実験所助教の小出裕章さん(六十二歳)も、著書『原発のウソ』(扶桑社新書・二〇一一年六月刊)のなかで、
〈原子力のメリットは電気を起こすこと。しかし、「たかが電気」でしかありません。そんなものより、人間の命や子どもたちの未来のほうがずっと大事です。メリットよりリスクのほうがずっと大きいのです〉
と書いている。坂本さんと同趣旨で、やはり「たかが電気」だ。この文脈でみると、「そんなものより」のそんなは電気のことを指しているようだが、電気の恩恵を軽視するような主張は同調できない。原子力以外の、代替エネルギーを開発するのは当然だが、脱原発と脱電気の混同を思わせる発言はおかしい。
◇政府にどう立ち向かう 注文型アピールに共感
それはともかく、私のような政治記者は集会・デモに共感を覚えながらも、政治力学的にみてしまう。同じ集会で、作家の瀬戸内寂聴さん(九十歳)は、
「政府への言い分があれば、口に出していいし、体に表していい。たとえむなしいと思う時があっても、それにめげないで頑張っていきましょう」
と呼びかけたそうだが、まったく同感だ。政府への注文型アピールになっていて、いまそれがもっとも必要な時である。
しかし、やはり呼びかけ人の作家、大江健三郎さん(七十七歳)の訴えは瀬戸内さんと大分違う。大江さんは、
「私らは侮辱のなかに生きている。原発大事故(の被害)がなお続くなかで、関西電力大飯原発を再稼働させた政府に、侮辱されていると感じる。政府のもくろみを打ち倒さなければならないし、それは確実に打ち倒しうる」
と怒りの声をあげた、対決型である。だが、政府のもくろみというが、野田政権の態度は脱原発依存を掲げながら毅然としたものではなく、揺れている。将来のエネルギー政策を議論する意見聴取会でも、選択肢として原発ゼロ、一五%、二〇~二五%の三つが示されている。もくろみらしいものは透けてみえるかもしれないが、確たるもくろみになりえていない。
住民・市民運動のむずかしいところで、脱原発では民主党政権と対決一点張りでなく、折り合える余地を残している。そこを間違うと、運動は精彩を欠いていく。この際は、瀬戸内さんの政治性を買いたい。
また、最近は、首相官邸の抗議行動をみて、
「六〇年安保以来だなあ」
と一九六〇年の安保改定阻止闘争を懐かしむ声をよく聞く。あのころデモに参加した学生はもっとも若かった組がいまはもう七十歳だから、現役はほとんどいない。
振り返って、安保騒動とは一体何だったのか。私は当時、大阪在勤の社会部記者三年生で、上京してみて、デモの規模のすごさに仰天した。
しかし、日米安保条約の改定の中身は、いまにして思うと騒ぎになるようなものではなかった。五五年夏の鳩山政権下だが、ワシントンで重光葵外相とダレス米国務長官の会談が行われ、岸信介民主党幹事長が同席したことがある。
この時、重光さんが、
「アメリカが安保条約に基づいて日本内地でいろんな権限を持ち行動しているけれども、これは日本の国民の気持ちを害している。だから対等な条約にしなければいけない」
と大演説をぶったが、ダレスさんに、
「日本にそんな力があるのか」
と一蹴された。いったんあきらめていたが、二年後首相に就いた岸さんが再提案し、こんどは米側が乗ってきた、といういきさつだ。対米自立のステップだった。結果は改定安保条約が批准され、岸さんは退陣した。
リベラル派の論客、宮沢喜一元首相はのちに、
「あの騒動は、A級戦犯容疑者になった岸さんが戦前回帰を狙った逆コースと受け止められたのだろう。それが〈反岸〉の大衆運動のうねりになった」
と総括したが、一つの見方である。すっきりといかない。安保と原発はまったく違うテーマだが、国の基本政策にかかわる点では共通している。どう私たち大衆の側が立ち向かうか。パッションだけでなく知恵もいる。
<今週のひと言>
大津・いじめ事件、またかの怒りとまたかのうんざり。
(サンデー毎日2012年8月5日号)<注釈>
(*1) 少数派?だからなんだ。敵は幾万ありとても、全て烏合の勢なるぞ。数が多けりゃ多数決は勝つだろうが、別に「正しいから勝つ」訳ではない。
③【沖縄タイムス社説「[市民デモ]地殻変動が起きている」
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-07-31_37030
2012年7月31日 09時27分
「脱原発」を訴える市民デモは勢いを増すばかりだ。東京だけではない。全国各地に波状的に広がっている。
29日夜もキャンドルを手にした参加者が国会議事堂を取り囲んだ。短文投稿サイトのツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアを使った呼び掛けに呼応し、普通の生活者が前面に出てきているのが特徴である。
16日には作家の大江健三郎さんらが呼び掛けた「さようなら原発10万人集会」が東京・代々木公園で開かれ、主催者発表で約17万人(警察は約7万5千人)が参加した。
毎週金曜日夜には、首相官邸前で脱原発デモが続いている。3月に始まったころは参加者は数百人といわれたが、野田佳彦首相が関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働を決めた6月を境に、デモの規模が急速にふくらんでいった。
首相官邸前でこれだけ大規模なデモが行われるのは1960年の「安保闘争」以来といっていいが、違いは明確だ。安保闘争は労組や学生らの組織が主体で、警察官と激しくぶつかり死者も出た。
これに対し、今度のデモは呼び掛け人らがテーマを脱原発に絞り、「非暴力直接行動」を掲げていることもあり、整然としている。組織に属さない子ども連れの母親や中高年の人たちが自主的に参加しているようだ。
もはやデモは一過性とみることはできない。深いところで地殻変動が起きていることを予感させるが、いったい何が起きているのか。
有権者は民主党のマニフェスト(政権公約)に期待を込め、政権交代を選択した。有権者は公約を実現してもらうために一票を投じ議員を選んだはずだ。だが、ふたを開けてみれば民主党政権は公約から離れていくばかり。
選挙の際に有権者に約束した政権公約はいまや総崩れ状態である。「代表制民主主義」が機能不全に陥っていることを意味し、有権者の失望と閉塞(へいそく)感は深い。
東京電力福島第1原発事故以来、政府への信頼は地に落ちた。政府は大飯原発の再稼働を安全性をなおざりしたまま見切り発車した。民意を反映していないのである。
MV22オスプレイの沖縄配備もそうだ。政府は専門家チームを米国に派遣して安全性を確認するというが、森本敏防衛相は、日米両政府とも10月の配備は変更しない、と明言している。「結論ありき」のアリバイづくりである。
脱原発は戦後日本のエネルギー政策の大転換である。「社会革命」といっても大げさではない。政党が民意を吸収し代弁する機能を失いかけている中で市民デモは、代表制民主主義の在り方を問い直す試みだともいえる。
日米安保体制の下で代表制民主主義は、沖縄に米軍専用施設の74%を押し付けてきた。普天間移設にせよ、オスプレイ配備にせよ、沖縄の民意が完全に無視されているという意味では沖縄において代表制民主主義は窒息している。
脱原発デモとオスプレイ配備問題は形骸化する代表制民主主義を鋭く問うている。
脱原発デモは「60年安保」以上か?
さて、如何だろうか。
何れの記事も、今回の「脱原発デモ」を、かつてあった「60年安保」に擬え、さらには「60年安保以上」の評価を与えて、褒め称えている。正真正銘掛け値なしの{大衆迎合}と言う訳だが・・・「60年安保」とは、日米安保条約の改訂をめぐっての反政府・反米デモが戦後最大の盛り上がりを見せた事件。それ以降「60年安保」以上の「大衆運動の盛り上がり」はトンと無かったから、今回の「反原発デモ」に期待をかける輩も相応に居るのだろう。
何れの記事も、今回の「脱原発デモ」を、かつてあった「60年安保」に擬え、さらには「60年安保以上」の評価を与えて、褒め称えている。正真正銘掛け値なしの{大衆迎合}と言う訳だが・・・「60年安保」とは、日米安保条約の改訂をめぐっての反政府・反米デモが戦後最大の盛り上がりを見せた事件。それ以降「60年安保」以上の「大衆運動の盛り上がり」はトンと無かったから、今回の「反原発デモ」に期待をかける輩も相応に居るのだろう。
朝1> 1960年の安保闘争から半世紀。これほどの大群衆が、政治に「ノー」を突きつけたことはなかった。
毎1> 「六〇年安保以来だなあ」
毎2> と一九六〇年の安保改定阻止闘争を懐かしむ声をよく聞く。
毎2> と一九六〇年の安保改定阻止闘争を懐かしむ声をよく聞く。
沖1> 首相官邸前でこれだけ大規模なデモが行われるのは1960年の「安保闘争」以来といっていいが、
沖2> 違いは明確だ。安保闘争は労組や学生らの組織が主体で、警察官と激しくぶつかり死者も出た。
沖3> これに対し、今度のデモは呼び掛け人らがテーマを脱原発に絞り、「非暴力直接行動」を掲げていることもあり、整然としている。
沖4> 組織に属さない子ども連れの母親や中高年の人たちが自主的に参加しているようだ。
沖2> 違いは明確だ。安保闘争は労組や学生らの組織が主体で、警察官と激しくぶつかり死者も出た。
沖3> これに対し、今度のデモは呼び掛け人らがテーマを脱原発に絞り、「非暴力直接行動」を掲げていることもあり、整然としている。
沖4> 組織に属さない子ども連れの母親や中高年の人たちが自主的に参加しているようだ。
こうして比較すると明らかだが、上掲記事③沖縄タイムス社説は「今回の脱原発デモは60年安保とは違う」と断じ、その違いを「組織に属さない一般大衆の参加」に置いている(*1)。上掲記事①朝日社説も「直接民主主義で間接民主主義・議会制民主主義を補え!」とブチ上げ、脱原発でも参加者と首相の直接対話を提案する力の入れようだ。
<注釈>
(*1) その適否の程は、とりあえず置くとしよう。