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大凡デモ行進だの労働運動だのの「参加者数」と言う奴は、主催者側発表と警視庁・警察発表とで乖離があるものだ。大概の場合は主査者側発表の方が多くて、警視庁・警察発表の方が少ない。その比率はまあ、一声倍であれば良い方で、それより開く事もままある。先日大江健三郎だの坂本龍一だのの「有名人」を押し立てての脱原発デモでは、主催者側発表17万人に対して警視庁・警察発表7.5万人だったから、その乖離は2+倍だった。まあ、良い方ではあったろう。
当たり前だが主催者の方は「参加者数」を多く言いたい。だからあれこれ理屈をつけて多く言おうとする。対して警視庁・警察の方は「実数よりも多く言う」理由が少ない。「主催者側とは反対にデモそのものを矮小化する」と言う意図があれば少なく言う可能性もありそうだが、それよりも警備警護の準備陣容の為「正確な参加者数の把握」の方が優先される、と思われる。従って「主催者側発表と警視庁警察発表とで参加者数に乖離があるならば(※1)、実数は「警視庁・警察発表の方が近いに違いない」と私なら断じてしまう。
さはさりながら、「主催者側発表と警視庁警察発表とで参加者数に乖離がある」のは常態とは言え、この乖離は酷すぎないだろうか。
当たり前だが主催者の方は「参加者数」を多く言いたい。だからあれこれ理屈をつけて多く言おうとする。対して警視庁・警察の方は「実数よりも多く言う」理由が少ない。「主催者側とは反対にデモそのものを矮小化する」と言う意図があれば少なく言う可能性もありそうだが、それよりも警備警護の準備陣容の為「正確な参加者数の把握」の方が優先される、と思われる。従って「主催者側発表と警視庁警察発表とで参加者数に乖離があるならば(※1)、実数は「警視庁・警察発表の方が近いに違いない」と私なら断じてしまう。
さはさりながら、「主催者側発表と警視庁警察発表とで参加者数に乖離がある」のは常態とは言え、この乖離は酷すぎないだろうか。
<注釈>
(※1) と言うか、「乖離がない」と言う記憶は殆どないのだが。だからこそ「倍程度なら良い方」と言うのだ。
転載開始=========================================①【東京新聞報道】【社会】 脱原発の灯 国会包囲
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2012年7月30日 07時04分
キャンドルなどをともし、国会を取り囲んで脱原発を訴える人たち=29日夜、東京・永田町で(嶋邦夫撮影)
東京電力福島第一原発事故を受けた抗議行動「脱原発 国会大包囲」が二十九日夜、東京・永田町で行われた。参加者はろうそくやペンライトを手に「原発反対」「子どもを守れ」などと訴えた。
首相官邸前での抗議を呼び掛けてきたネットワーク「首都圏反原発連合」の主催。参加者は、東電本店前やJR新橋駅周辺をデモ行進した後、移動。人波は国会議事堂を取り囲み、集会のあった正門前は一時、歩道からあふれ道路を埋め尽くした。
参加人数は主催者発表で二十万人。警視庁関係者は一万二千五百人程度としている。
これに先立ち、同日午後三時半から東京・日比谷公園で行われた集会では、作家の落合恵子さんが「この猛暑でも電力は不足していない(※1)。原発をゼロにし、再稼働も輸出も止めましょう(※2)」と呼び掛けた。
(東京新聞)
<注釈>
(※1) そりゃ火力発電所をガンガンに廻して燃料食わせまくっているから、だろうが。東電はじめとする電力会社がマージンとして稼いでおいた余剰発電力のお陰で、節電はお願いしても計画停電することなく、無論不時の停電にも陥ることなく、「平穏無事」を保っている。が、電力料金値上げとして、実生活に影響し始めても居る。(※2) ソリャ、商業道徳に反しようが。
②【産経報道】脱原発デモ、国会を包囲
2012.7.29 22:55 [事件・トラブル] http://sankei.jp.msn.com/life/news/120729/trd12072922310008-n1.htm
キャンドルを掲げて国会議事堂を囲むデモ隊 =29日、東京都千代田区(荻窪佳撮影)
脱原発を訴える抗議集会が29日、東京都千代田区の日比谷公園で行われ、1万5千人超とみられる参加者が集まった。霞が関などをデモ行進した後、国会議事堂を取り囲み、キャンドルを手に「原発をなくせ」と抗議した。
毎週金曜日に抗議活動をしている団体の呼びかけで実施。インターネットの「ツイッター」などで多くの一般参加者が集まる一方、労働組合など組織的なPRも目立った。=================================転載完了
参加者数の報道としては、東京新聞の方が正しい
さて、如何だろうか。
改めて言うまでも無いだろうが、上掲二本の記事は7月29日夜に国会を取り囲んでの「脱原発デモ」を報じている。報じているのは、上掲記事①が「脱原発原理主義」と当ブログが断定し、糾弾し続けている東京新聞。上掲記事②が当ブログと同意権である事もままある産経である。が、今回の「脱原発でも参加者数の報道」としては、東京新聞の方に軍配を上げざるを得ない。東京新聞は、
東1> 参加人数は主催者発表で二十万人。警視庁関係者は一万二千五百人程度としている。
と、主催者発表の「二十万人」を前面に押し立てるものの、。警視庁関係者発表「一万二千五百人程度」を併記している。
改めて言うまでも無いだろうが、上掲二本の記事は7月29日夜に国会を取り囲んでの「脱原発デモ」を報じている。報じているのは、上掲記事①が「脱原発原理主義」と当ブログが断定し、糾弾し続けている東京新聞。上掲記事②が当ブログと同意権である事もままある産経である。が、今回の「脱原発でも参加者数の報道」としては、東京新聞の方に軍配を上げざるを得ない。東京新聞は、
東1> 参加人数は主催者発表で二十万人。警視庁関係者は一万二千五百人程度としている。
と、主催者発表の「二十万人」を前面に押し立てるものの、。警視庁関係者発表「一万二千五百人程度」を併記している。
これに対し産経は、
産1> 1万5千人超とみられる参加者が集まった。
と、警視庁関係者発表数に近い数値を参加者数と挙げ、おそらくは相応に自信はあるのだろうがその根拠を示していない。「産経独自調査」ならばその旨明記すべきだし、主催者側発表と警視庁発表を併記すれば「脱原発デモ参加者数の報道」としてはより良かっただろう。
産1> 1万5千人超とみられる参加者が集まった。
と、警視庁関係者発表数に近い数値を参加者数と挙げ、おそらくは相応に自信はあるのだろうがその根拠を示していない。「産経独自調査」ならばその旨明記すべきだし、主催者側発表と警視庁発表を併記すれば「脱原発デモ参加者数の報道」としてはより良かっただろう。
あくまでも「脱原発デモ参加者数の報道としては」、だ。「脱原発デモの報道」としては、産経の最後の一文が光る。
産2> インターネットの「ツイッター」などで多くの一般参加者が集まる一方、労働組合など組織的なPRも目立った。
産2> インターネットの「ツイッター」などで多くの一般参加者が集まる一方、労働組合など組織的なPRも目立った。
東京新聞が報じる「作家・落合恵子の言葉」だの、
東2> 集会のあった正門前は一時、歩道からあふれ道路を埋め尽くした。
などと言う「デモ行進の情景描写」なんぞよりも、遥かにに重要な情報を含んでいる。尤も、東京新聞記者には「労働組合など組織的なPR」なぞ、目に入らないのかも知れないが。
東2> 集会のあった正門前は一時、歩道からあふれ道路を埋め尽くした。
などと言う「デモ行進の情景描写」なんぞよりも、遥かにに重要な情報を含んでいる。尤も、東京新聞記者には「労働組合など組織的なPR」なぞ、目に入らないのかも知れないが。
さはさりながら、
今回本件を取り上げたのは、タイトルにもした通り、「脱原発参加者数の主催者側発表と警視庁関係者発表との間に、実に16倍の乖離が生じているから」だ。10倍ぐらいは過去に例があったように思うが、20倍近い乖離は一寸記憶にない。さほどの乖離が生じたのは、何故だろうか、と考えたから、だ。
無論、先述のように「警察側発表の方が恣意的に参加者数を少なくした為、乖離が拡大した」と言う可能性は無視するべきではないだろう。だが、先述の通りその可能性は動機が薄い。
他方、「主催者側が参加者数を過大に公表する」方は、十分動機があろう。殊に、先日の大江健三郎だの坂本龍一だのを動員した「脱原発デモ」では「参加者数17万人(主催者側発表)」と公表されているのだから、主催者としても、今回のゲストであるらしい「作家・落合恵子(※1)」にしても、この「17万人」と言う数字が酷く気になるだろう事は、想像に難くない。
で、相応の人数が集まって、尚且つ明るい昼間ではない事を幸い「エーイ、参加者二十万人(17万人より多いのよ)!」とブチ上げた・・・ってのは、「邪推が過ぎる」と言うよりは、「大いにありうること」だろう。江戸幕府の標語だったと言う「旗本八万騎」のようなものだ。
「どうせ吐くなら、大きな嘘を吐け。その方がバレない。
小さな嘘は一般大衆も吐くから、小さな嘘の方がバレる。」とは、ナチスドイツの宣伝相(※2)ゲッペルスの教え。
どうも今回脱原発デモを主宰したネットワーク「首都圏反原発連合」とやらは、ゲッペルスの教えを忠実に守って居るもの、と見たが如何なものであろうか。
今回本件を取り上げたのは、タイトルにもした通り、「脱原発参加者数の主催者側発表と警視庁関係者発表との間に、実に16倍の乖離が生じているから」だ。10倍ぐらいは過去に例があったように思うが、20倍近い乖離は一寸記憶にない。さほどの乖離が生じたのは、何故だろうか、と考えたから、だ。
無論、先述のように「警察側発表の方が恣意的に参加者数を少なくした為、乖離が拡大した」と言う可能性は無視するべきではないだろう。だが、先述の通りその可能性は動機が薄い。
他方、「主催者側が参加者数を過大に公表する」方は、十分動機があろう。殊に、先日の大江健三郎だの坂本龍一だのを動員した「脱原発デモ」では「参加者数17万人(主催者側発表)」と公表されているのだから、主催者としても、今回のゲストであるらしい「作家・落合恵子(※1)」にしても、この「17万人」と言う数字が酷く気になるだろう事は、想像に難くない。
で、相応の人数が集まって、尚且つ明るい昼間ではない事を幸い「エーイ、参加者二十万人(17万人より多いのよ)!」とブチ上げた・・・ってのは、「邪推が過ぎる」と言うよりは、「大いにありうること」だろう。江戸幕府の標語だったと言う「旗本八万騎」のようなものだ。
「どうせ吐くなら、大きな嘘を吐け。その方がバレない。
小さな嘘は一般大衆も吐くから、小さな嘘の方がバレる。」とは、ナチスドイツの宣伝相(※2)ゲッペルスの教え。
どうも今回脱原発デモを主宰したネットワーク「首都圏反原発連合」とやらは、ゲッペルスの教えを忠実に守って居るもの、と見たが如何なものであろうか。
<注釈>
(※1) ってのが、一体どんな「作品」を書いているのか、私は全く知らない。つまりは読んだ覚えすらない、が。それを言うなら大江健三郎もそうか。あの演説や時折見かける短文の日本語の下手さでは、「作品を読もう」と言う気さえ失せる。そうか。ノーベル文学賞を取っているんだから、英訳で読むって手があるか。タダそうなると・・・それは「大江健三郎の作品」とは言い難かろう。(※2) そう言う閣僚が、「省」が、あったってところが如何にもナチスだが。