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 改めて言うまでもない人も多かろうが、私は福島原発事故を経てなお、原発推進論者だ。世情を騒がす「脱原発」なんてのは「愚挙にして暴挙」と断言し、非難し続けているし、そんな暴論がまかり通って下手すると「原発擁護論」が弾圧糾弾されかねない現状を「放射能ヒステリーの原発アレルギーが猖獗を極めている」と解釈している。
 左様な状態で、少なくとも10年スパンの見通しが必要な我が国のエネルギー政策を「住民投票で決めよう」なんてのは狂気の沙汰なのであるが、放射能ヒステリーや原発アレルギーは未だ衰えないようであり、その発露の一つが「首相官邸前脱原発デモ」なのである。
 
 で、以下に転載するは、その「首相官邸前脱原発デモ」に前々首相であった鳩山由紀夫が参加した、というニュースと、それも含めて「人々の声が政治を変える」と、脱原発デモを寿ぐ東京新聞社説。まずはご一読、あれ。


転載開始========================================= 

①鳩山元首相が脱原発デモに参加 「思いは同じ」
  http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120720/stt12072019160008-n1.htm
2012.7.20 19:11 [原発]

首相官邸前の原発再稼働反対デモに参加、もみくちゃにされる鳩山由紀夫元首相(左)=20日午後、東京・永田町(酒巻俊介撮影)

民主党の鳩山由紀夫元首相は20日夕、毎週金曜日に東京・永田町の首相官邸前で行われている関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)再稼働に反対する抗議デモに参加した。

「皆さんの新しい民主主義の流れを大事にしなければならない。思いは同じです。流れを変える役割を果たしたい!」

鳩山氏はマイクを握り、声を張り上げた。何を思ったか、「今から官邸に思いを伝えてきます」と唐突に宣言。参加者から拍手で送られ官邸の門をくぐったが、野田佳彦首相は九州視察のため不在で、藤村修官房長官が応対。鳩山氏は「再稼働への反対意見を首相に聞いてもらいたい」と訴えるのがやっとだった。

政権与党の首相経験者が官邸前でデモに参加する異例の事態に、党内の多くはあぜんとするばかり。鳩山氏に近い議員も「鳩山氏の目立ちたがり屋ぶりは止められない」と嘆いた。




②【東京新聞社説】反原発抗議行動に考える 人々の声が政治を変える 
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012072502000137.html
    
2012年7月25日
毎週金曜日の夕方、首相官邸と国会議事堂前は数万人の群衆で埋め尽くされる。原発再稼働に反対する抗議行動。「人々の声」をどう考えたらいいのか。(※1)
小雨が降って、夏とは思えぬほど冷え込んだ七月二十日。霞が関周辺の路上は夕方から人々が集まり始めた。高齢者や母子連れ、働き盛りの若者たち(※2)。身に着けたTシャツや小物、手製のプラカードには反原発運動のシンボルである鮮やかな黄色が目立つ。
午後六時。スピーカーから「再稼働反対」のシュプレヒコールが鳴り響く。開始の合図だった。
◆淡々と冷静な女性たち
抗議行動は四月に数百人で始まった。いま街頭に繰り出す人の波は名古屋、京都、大阪、広島など全国に広がっている。七月十六日、東京・代々木公園で開かれた集会・デモには猛暑の中、十七万人(主催者発表)(※3)が集まった。
膨れ上がる参加者の人数とは対照的に、多くの人々は拍子抜けするほど冷静だ。歩道の石垣に腰を下ろしていた中年の女性が言った。「こういう運動で原発が止まるとは思わない。でも、いま声を上げなきゃと思って」。暗がりの中、黙って掲げた手製の電光式プラカードには「NO NUKES(核はごめんだ)」という文字が光る。
代々木公園で「原発、いますぐやめろ」というコールが響いた。すると、年配の女性は「“やめろ”って言ったって、そう簡単にやめられるもんじゃないわよ」と独り言のようにつぶやいた。
スピーカーの声はずっと叫んでいた。だが、彼女たちは激せず、あくまで淡々としている。
日本で大規模な街頭デモが繰り広げられるのは、一九七〇年の安保反対闘争以来である。首相官邸前に限れば、六〇年の安保闘争以来、ほぼ五十年ぶりになる。どこが違うのか。
◆政治の主役は政治家か
かつてのデモは暴力的な行動を伴った。警察・機動隊の阻止線を突破する。それが目標であり「戦い」だった。
だが今回は、まったく異なる。官邸周辺を歩き、声を出す。黙ってプラカードを掲げる。白い風船をかざす。風船は新党日本の田中康夫衆院議員が現場で配り始め、シンボルになった。そして午後八時になると整然と帰って行く。
代々木公園で女の子を連れた母親はこう言った。「私は最近までワーキングプアで、忙しくて声を出す暇もなかった。上のほうで政治やってる人たちは何してるの。市民を中心に考えてほしい。子どもの将来が心配です(※4)
年配女性は「私たちはもう、どうなってもいいけど、若い人がかわいそう。長いものに巻かれろじゃなくて、個人一人一人が声を出さなければいけない。今日はそう思って来たんです(※5)」と応じた。
官邸や国会議事堂前に集まるのは、こういう人たちである。
かつて六〇年安保闘争の最中、岸信介首相は「私には“声なき声”が聞こえる」と言って騒然とした国会周辺のデモを無視した。
いま「声なき声」の人々は声を出し始めた(※6)。収束しない福島原発事故の怖さ、今後も長く続く被災者の苦しみ、福島だけでなく首都圏や東北にも広がる放射能汚染(※7)。そうした現実を肌で感じて抗議の輪に加わっている。
人々の街頭行動は原発再稼働だけでなく、政治のあり方をも問うている。政治とは何か。あれこれと考えるより、次の憲法前文を読んだほうが早い。(※8)
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」
憲法は国政を「国民の信託による」と記している。だがいつの間にか、人々の間に「政治は政治家や政党がするもの」であるかのような思い込みが広がってしまった。私たち新聞もそうだ。政治面に登場するのは、ほとんどが政治家や政党の話である。
政治の主役は国民であるはずなのに、代理人にすぎない政治家が主役であるかのような錯覚が広がった。街頭に立つ人々は本末転倒に目を覚まし「再稼働反対」のスローガンに託して、異議申し立てをしているように見える。
◆国民の声が届かぬ官邸
象徴的な場面があった。七月二十日夕、鳩山由紀夫元首相が官邸前に現れ、こうスピーチした。
「私はかつて官邸の中にいたが、いつか国民の声が届かなくなっていた。これから官房長官に会って、みなさんの声を伝えます」
人気取りと批判するのはやさしい。だが、人々が元首相を街頭に引っ張り出したといえないか(※9)。主役が代理人を使う。それは本来、政治のあるべき姿でもある。声が届けば、政治は変わる(※10)。


=================================転載完了

<注釈>

(※1) 衆愚の流行 

(※2) 「働き盛り」って、普通は40代ぐらいのことを言うんだと思うが・・・ 

(※3) 警察発表7万5千人。実数はこちらのほうだろうな。ま「主催者側発表」とカッコ付きながら付記しただけ、マシか。 

(※4) つまりはものの見事に風評被害に踊っているわけだ。 

(※5) つまり「反体制・反政府デモ」だからやって来た、と言っている。という事はだ、この人は政府が「脱原発方針」に完全転換したら、今度は別のデモに参加する、ということだろう。 

(※6) 思わず吹いたね。こう言う「オチ」かね。あくまでもこの脱原発デモ参加者たちが「一般の市民」であり「普通の人々だ」という事を強調しているのだな。 

(※7) 大いに異議あり、だな。放射能なんてのは天然自然にもあるし、黄砂が示すように核実験でも増加する。 

(※8) 憲法前文ねえ。あの、憲法前文ねえ。平和を愛する諸国民なんて御伽噺ないし仮想現実に立脚する憲法前文を引用して、なんの説得力があるのか、私にはわからないが。 

(※9) お気の毒だな。引っ張り出されたのが鳩山由紀夫でなかったならば、もう少し説得力もあったろうが。 

(※10) それは、大衆迎合の衆愚政治ではないのか。 

                  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/37329196.html  へ続く