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 何とも過激なタイトルである事は認めよう。だが、冷静に考えればどう考えたってタイトルにした通りである。ここで言う「人非人」というのは無論悪罵であり、文字通り「人にして人にあらず」。平たく言えば手前ぇら人間じゃねぇ!である。ここでは「人間(あるいはその一部)を人間らしく扱わない者」と定義しよう。人種差別主義者だとか、宗教敵原理主義者なんかの同類だ。

 では「安全を理由にオスプレイ日本配備する事」と「人間を人間らしく扱わない」事の関係を説明しよう。

 まず「オスプレイ」は米軍制式の最新兵器で、チルトローター機。回転翼機(ヘリコプター)の垂直離着陸性能と、固定翼機の飛行・航続性能を併せ持とうと言う特異な形態で、アイディアとしてはずいぶん前からあるが、試作機・実験機ばかりで、実用機としてはオスプレイが史上初。在日米軍には老朽化したCHー46輸送ヘリコプターの後継機として配備される。配備されれば、輸送機としては速度や航続距離で数倍に能力向上するから、コリャ尖閣から沖縄まで占領を言い始めた中国にせよ、米軍が常に目の上の瘤に見える北朝鮮にしろ、「オスプレイの日本配備阻止」ができれば、実に喜ばしいに違いない。

 長年アイディア~実験機止まりだったチルトローラー方式を採用しただけに、オスプレイの開発は難航したし、事故も多かった。「未亡人製造機」なんて嬉しくないあだ名ももらったという(※1)。
 だが、オスプレイはその事故を乗り越えた。それだからこそ米軍制式兵器となり、すでに配備も開始されて5年になる。アフガニスタンのような「最前線」にも投入された、Combat Proven(実戦で実証済み)の兵器である。飛行時間10万時間当たりの事故率も、平均的航空機よりも低い。
 確かにチルトローター機の特性上「操縦が難しい」事はありそうだ。が、機械的にリンクした双ローターのため、2基あるエンジンの片方が停止しても両ローターとも廻り続ける。従って世上を賑わしている「オスプレイのオートローテーション機能」は、オスプレイが回転翼機形態かつエンジンが二つともほぼ同時に停止しないことには全く意味がない。何故ならば「オートローテーション機能」は「エンジンが停止して、ローターに動力が伝わらなくなった場合、ローターの自由回転で不時着する機能」であり、ヘリコプターは通常この機能を有するが、固定翼機には全く関係ない機能だからであり、かつ先述の通り双ローターは機械的にリンクしているあら、である。
 無論、オスプレイが固定翼機形態であるときには、固定翼機としての滑空不時着を実施できる。それももちろん「エンジンが二つとも止まったら」だ。

 その上で、万一「オスプレイが墜落事故を起こした場合」の犠牲者・被害者について考えてみよう。沖縄二紙やオスプレイ配備反対者たちが喧伝して止まないのは、墜落事故に巻き込まれる基地周辺住民」のみであり、それ故に普天間基地は世界で一番危険な飛行場( その一方で「普天真基地跡地の国際空港化」なんて平気で抜かせるんだから沖縄二紙は度し難い。「世界で一番危険な飛行場」は「世界で一番危険な国際空港」にしかなりえない。 )が繰り返される。
 だが、オスプレイが墜落したならば、その墜落事故を免れようも避けようもないのは、そのオスプレイに乗っている搭乗員であり、パイロットである。これが戦闘機や攻撃機、戦闘ヘリの一部ならば射出座席があり、「機体は墜落したがパイロットは無傷」と言うことが大いにありうるが、オスプレイのような輸送機には射出座席はない。搭乗員はまだ「墜落途中でパラシュート降下」の可能性を残しているが( 無論、それだけのパラシュートと高度余裕があれば、だ。 )、パイロットは少なくとも「オスプレイと墜落を共にする」以外選択のしようがない。これに比べれば基地周辺住民は「墜落事故に巻き込まれる可能性がある」だけだ。

 従って、オスプレイが欠陥機で事故を多発する可能性があるならば、そのために最も危険にさらされるのは、基地周辺住民ではなくオスプレイのパイロットはじめとする米軍人だ。
 なおかつ、この危険は「オスプレイの日本配備阻止」では全く何の解決にもならない。日本以外にすでにオスプレイの配備は始まっており、アフガニスタンや米本国で飛行している。仮に「オスプレイ日本配備」が「阻止」されたとしても、米軍人にとって「オスプレイの欠陥による墜落事故の危険」は「今そこにある危険」であり続ける。
 
 よって、オスプレイの欠陥による墜落事故の危険」を主張するならば、その解決は「オスプレイの飛行停止と、欠陥是正」のはずであり、もしその欠陥が是正不可能なものであるならば「オスプレイの製造配備中止」を主張しなければならないはずだ。

 米軍人を、日本人や沖縄県民と同様の人間として扱う限りは、だ。

 それを、「オスプレイには欠陥があって墜落の危険が高い( 「墜落の危険がない」航空機なんて、航空機の登場以来実現していない。航空機は新幹線ではない。 )と主張しつつだからオスプレイの日本配備を中止せよ」と公言するのは、米軍人や日本以外の基地周辺住民がいくら死のうが預かり知らぬという宣言であるそれは「我が身可愛さ」であり「日本人、あるいは沖縄県民さえ安全であればよい」という宣言である。それは「民意」かも知れないが、少なくとも米軍人を人間扱いしていない。

 故に私は断言する。安全を理由に、オスプレイの日本配備反対を公言する奴バラは、人非人である」と。米軍人や、日本以外の基地周辺住民を人間扱いしていないから。

 「軍人ならば国のために死ね」とかアホなこと言う奴の為に付け加えるならば、いくら勇猛果敢で国のために死ぬことを恐れない軍人でも、「兵器の欠陥のために事故死する」事まで肯定すると、期待すべきではなかろう。

<注釈>

(※1) かつては、西ドイツ空軍のFー104Gスターファイターがこのあだ名で呼ばれた。西ドイツ独特の運用法、超低空高速侵入( と、戦術核爆撃 )と機体の運動特性の相性に問題があったのだろう。防空戦闘機としてF-104Jを運用した我が国では、そんなことにならなかった。