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 「エネルギーと環境の基本政策について国民の声を聞く政府主催の意見聴取会(産経)」とも「今後のエネルギー政策について国民の声を聞くための意見聴取会(毎日)」とも言われる意見聴取会が各地で開催されている。その中で、電力会社社員が原発擁護論を述べた所、「やらせ」だとして問題化しているのだそうだ。テレビのコメンテーターとやらは信じられないとまでのたもうて居るそうだし、意見聴取会場でも野次を浴びたと言うのだから、件の「コメンテーター」とやらも、野次浴びせた奴バラも、全く度し難い、と普通は考えると思われるのだが、どうもそうではないらしい。

①【毎日社説】社説:原発の意見聴取会 ずさん過ぎるやり方だ 
http://mainichi.jp/opinion/news/20120718k0000m070135000c.html
毎日新聞 2012年07月18日 02時31分

政府は、今後のエネルギー政策について国民の声を聞くための意見聴取会に関し、電力会社の社員が意見表明することを認めないよう運営方法を改めることになった。

意見聴取会は、国の将来を左右する重要な政策に国民の声を反映させる大切な機会であり、当事者の主張を聞く場ではない。

運営の見直しは当然のことだ。しかし、なぜ当初からそうしなかったのか。「国民の声を本気で聞く気があるのか」と疑われるようでは、政策決定の正当性は確保できない。

意見聴取会は、2030年時点での原発の比率を0%、15%、20~25%とした政府の選択肢について、それぞれを支持する国民から考えを聞くものだ。パブリックコメントの募集、議論とアンケートを組み合わせた「討論型世論調査」と並び、今回の政策決定に国民の意見を生かす有力な手段として取り入れられた。

全国11カ所で開催するが、これまでに開かれた3回のうち、仙台市では東北電力の企画部長が、名古屋市では中部電力原子力部の課長が、いずれも原発推進の立場で意見を述べた。発言者は、1会場9人に限られる。その1人が、原発推進の当事者である電力会社の幹部では、「国民の意見を聞く」という会の趣旨に反するし、公平性も疑われる。

聴取会の仕組みそのものにも疑問がある。発言者が一方的に考えを述べ、質疑も議論もない。意見はまったく集約されないが、これをどうやって政策決定に反映させるのか。

事務局を務める広告代理店によると、名古屋では応募者のうち原発比率0%支持が7割弱、20~25%は2割強で、仙台でも応募者の約7割が0%支持だった。こうした比率を見ると、発言者を各選択肢につき3人ずつとすることにも疑問が残る。

さらに、仙台では首都圏在住者3人が発言者に選ばれ、原発の必要性を訴えた。名古屋でも、発言者のうち4人が関東・関西在住だった。

全国で開催するのは、原発立地の有無などにより、地域によって見解も異なりうるという前提で、各地域の意見を聞くためだろう。より地元の声を反映させる形での運営が望ましい。

原発政策を巡っては、国主催のシンポジウムなどで「やらせ」による世論誘導がなされ、国民の不信を招いた経緯がある。今回も、政府は15%案を軸に着地点を探っているとの見方がある。反原発運動が大きな広がりを見せている背景にも、そうした政府への強い不信感があるはずだ。

意見聴取会は今後も続き、討論型世論調査も控えている。政府は国民の不信を招くことのないよう、公正性の確保に意を尽くすべきだ。


②【東京社説】原発意見聴取会 国民的議論に値せず 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012071802000115.html
   2012年7月18日

福島原発事故を経て、私たちは変わらなければならないはずだ。国民的議論の上で未来のエネルギー政策を決めるというのも、その一つ。だが、政府も電力会社も、その体質は変わっていない。

これが、国民的議論の実態なのだろうか。

仙台市で開かれた二回目の意見聴取会から、迷走が始まった。東北電力の執行役員が「会社の考え方」として、堂々と原発推進論を開陳した。翌日の名古屋でも、中部電力原子力部の課長が「放射能の直接的な影響で亡くなった人は一人もいない」と述べた。

聴取会は二〇三〇年の原発依存率について、あらかじめ政府が提示した0%、15%、20~25%の三案を支持する応募者の中から、各三人ずつを選んで意見を聞く。両会場とも、発言を希望した人は、0%支持者が圧倒的に多かった。

全国十一カ所の意見聴取会は、普通の人の声を聞く貴重な機会であるはずだ。

電力会社の幹部といえば、意見を聞いて参考にする立場である。それが、真顔で「会社の考え」を述べるとは、考え違いも甚だしい。消費者の心の内などわきまえない巨大電力会社の実態が、透けて見えるようではないか。

選んだ政府も政府である。このように疑問と不信を招く聴取会にしたことに、政府の不実、不熱心すら想像される。電力会社の本店所在地に偏った会場の選び方といい、はじめに結論ありきの「やらせ」、あるいはただの「通過儀礼」ではないのかと、疑問を持たれても仕方がない。

九州や北海道で開かれたプルサーマル発電の導入をめぐる公開討論会やシンポジウムなどに、電力会社社員が動員されたやらせ問題は、まだ私たちの記憶に新しい。

そもそも、全国で百人足らずの意見を各八分間、しかも三者択一で聞いて、一国のエネルギー政策を決めようという基本姿勢に無理がある。同時に募集中のパブリックコメント(意見公募)が、どのようにいかされるのかも定かでない。

政府は今後、電力会社の職員は意見表明をできなくし、発言者の数を若干増やす。だが、その程度では、もう国民の多くは納得しない。

国民的議論と言うのなら、今は結論を急がす、原発推進、反対、中立などさまざまな主体が運営する議論の場をもっと数多く開催し、不信の溝を丁寧に埋めていくしかない。

③【産経社説】エネルギー聴取会 多様な意見を封殺するな
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120718/plc12071803200003-n1.htm
2012.7.18 03:20 [主張] 

エネルギーと環境の基本政策について国民の声を聞く政府主催の意見聴取会の運営方法が見直された。電力会社社員らが原発利用に関する考えを述べたことが批判されたためで、今後はこうした発言を認めないことにするという。

だが、意見聴取会は原発を含めて将来の最適な電源構成を検討する場であるはずだ。電力会社社員が自らの知見を生かし、原発の必要性を訴えることが、なぜ問題視されるのか。

野田佳彦政権は、エネルギーに関する多様な意見を封殺することがあってはならない。

政府のエネルギー・環境会議は平成42年の原発比率を「0%」「15%」「20~25%」とする3つの選択肢を示した。8月初旬まで全国11カ所で意見聴取会を開く。グループで議論する「討論型世論調査」を経て、来月末には新たなエネルギー政策を決める。

15日の仙台市と16日の名古屋市で開かれた聴取会では、電力会社社員が意見を述べた。「原発0%は(経済的に)破綻したシナリオだ」「原発比率は20~25%が望ましい」と主張した。

これに対し、脱原発派の批判が集まり、聴取会を担当する古川元久国家戦略相は、首相の指示を受けて「電力会社社員の意見表明はご遠慮願う」と新たに制限する方針を示した。次回から意見表明者に対し、事前に「電力会社社員かどうか」を確認するという。

しかし、意見表明は国民の応募を受けて政府が無作為抽選によって決めたものだ。出席した電力会社社員は自ら所属を名乗った上で意見を述べている。原発の安全性などについては技術的知識も必要だ。問題化した「やらせメール」とは全く次元が異なる。

政府は、意見聴取や世論調査を「国民的な議論」の一環と位置づけている。それならば、脱原発や反原発だけでなく、原発の維持・推進を求める意見も公平に聞く必要があるのは当然だ。

原発利用の3つの選択肢そのものにも、産業界の反発は強い。経団連は、「たとえ25%の原発利用が認められても、経済成長に必要な電力は確保できない恐れがある」と批判している。

電源構成は国の将来を左右する重要な問題だ。野田首相は国民の意見を聞きながら、最終的に安価で安定的な電力供給を確保できる道を選ぶ責任がある。


反原発ヒステリー、未だ猖獗を極める

 さて、如何だろうか。
 
 上掲①毎日社説&上掲②東京社説上掲③産経社説との間の対立軸・対立点は明白であろう。当事者である電力会社の意見をどう取り扱うかである。

 で、素朴な疑問を、読者諸兄、毎日新聞、東京新聞にお尋ねしたいのだが・・・【Q1】「電力会社社員と言うのは、国民ではないのかね。」
 
 或いはもっと踏み込むと、【Q2】「原発擁護論を公言する事は、公言する事自体が非難の対象なのかね。」
 
 勿論、電力会社社員と言うのは、普通の人よりも遥かに「福島原発事故の当事者」に近いだろう。それが、実際に福島原発を運転していた職員に限らないのは、事実として、「福島原発事故の影響」で殆どの原発が稼動停止を余儀なくされ、為に沖縄電力を除く(※1)全電力会社が、電力供給の安定性でも経営の点でも危機に陥れられている(※2)。だから、電力会社社員が原発を擁護し、原発再稼動を求め、エネルギー聴取会で「将来の原発依存率」に高い比率を望むことは、ありうる事、あって良い事、あって当たり前の事だ。それを公言する事を保障するのは、脱原発論反原発論を保障するのと同じぐらい言論の自由に基づく事だ。
 
 「私は君の意見には反対だが、君がその意見を表明する自由は死んでも守る.」とはヴォルデールの言とされ、「言論の自由」を最も端的に表している。その言論の自由は、「今をときめく」脱原発論者達と同様に、電力会社社員にも、原発擁護論者・推進論者にも保証されて然る可き事。

 然るに、その電力会社社員の原発擁護論に対し、野次を飛ばして妨害する聴取会参加者や、「信じられない」と全面否定する「コメンテーター」こそ、糾弾されて然るべきであろう。特に後者は「マスコミの一員」にして「言論の自由の敵」だ。凡そ、最大級の裏切り者として糾弾されるべき存在だろう。
 

<注釈>

(※1) 日本の電力会社では、沖縄電力だけが原発を持っておらず「脱原発状態( ハナッから原発が無いので、こう言うのは「原発拒否」ではあっても、「脱原発」とは言わない。私が「イタリアは福島原発事故を機に脱原発に踏み切ったのではない」と主張する所以だ。 )」を維持している。沖縄全島の電力需要が原発一基でも釣りが来る程度なので、原発を建設するメリットが薄いらしい。 

(※2) 現状稼動停止させられている原発の分発電しているのは、火力だ。火力の燃料代がかさんで、電力会社は経営を圧迫されている。太陽光や風力の発電量なんて屁のツッパリだし、今後これらの発電量が増えれば、益々電力会社の経営は悪化する。何故ならば、これらの発電量は、強制的に電力会社が高価買い上げさせられるから、だ。太陽光発電の買い取り価格42円/kwhは、火力・原子力発電コストの約4倍だ。