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 問題です。
 
>  バットとボールを買ったら合計1ドル10セントでした。
> バットはボールより1ドル高いのですが、ボールはいくらだったでしょう?
 
 答えは転載記事の後で 

転載開始========================================= 

2012年6月27日 23:00 (ギズモード・ジャパン)
「頭がいい人ほど盲点がある」最新の調査で明らかに

 http://topics.jp.msn.com/digital/gizmodo/column.aspx?articleid=1153674

「頭がいい人ほど盲点がある」最新の調査で明らかに (ギズモード・ジャパン)


新しいことや不確実な状況に直面すると、人間の脳は直感に頼る習性があります。そういう時はだいたい間違った答えを選んでしまいがちですが、なぜか頭がいい人ほど間違えやすい傾向にあることが明らかになったそうです。

「Journal of Personality and Social Psychology」に掲載された最新の調査によると、人は異常なほど聡明にもなれる一方、判断を必要としない単純な問題に対しては途端にバカになってしまうのだそう。これを「認知バイアス」といいます。

この研究を行うにあたって、トロント大学の研究者たちは482人の学生に典型的なバイアス問題を出題。たとえばこんな感じです。

バットとボールを買ったら合計1ドル10セントでした。バットはボールより1ドル高いのですが、ボールはいくらだったでしょう?
はい、答えは10セント。簡単ですね。

って思った方は残念でしたーーー。答えは5セントです。

もし間違えちゃった方は、たぶん計算をすっとばして直感で即答したのではないでしょうか? ちゃんと正解できた方からすれば「こんな問題なんで間違えるんだよ?」と思うかもしれませんが、じつはこれ、ハーバード大学やプリンストン大学、マサチューセッツ工科大学でも、学生の半数が間違えてるんです。

ちなみにこの研究では「バイアス」と「知性」の相関関係についても語られているのですが、人は自分の思考にバイアスがかかっていると自覚できても、問題を上手く対処できるようにはならないそうです。しかも、知性的な人ほどダメなんですって。

それは、認知的に洗練された人たちほど盲点の範囲が広いからなんだとか。実際、様々なバイアス問題でこのような発見がされていて、きちんと熟考する人ほどミスに陥りやすいことが分かっているそうです。なんだか脳みそって理不尽...。

しかし、どうしてこんなことが起きてしまうんでしょうか?

残念ながらホントのところはまだ解明されていません。ただ、同じミスなら自分より他人のミスのほうがはるかに気づきやすいことが、研究者からも指摘されています。きっと「自分に対する知覚」と「他人に対する知覚」の違いに謎を解く鍵があるのでしょう。

この問題から逃れる方法はあるのかって? うーん、お酒を飲んで知性を鈍らるのも一つの手かもしれませんね。でも、ウォッカを飲めば万事解決...かどうかは責任持てませんよ?


[Journal of Personality and Social Psychology via The New Yorker]

Jamie Condliffe(Rumi/米版) 

=================================転載完

落語「壷算」か?


 さて、先に掲げた問題、上掲記事中にもある問題、「判断を必要としない単純な」問題に、読者諸兄は正解された、だろうか。
 
 この記事を読んでしまったらちっとも自慢にならないようだが、私は「正解」した。「差が一ドルなんだから」と考えたから、具体的に数式化、即ち・・・
 
 X + X + 1$ = 2X + 1$ = 1$10¢ 
 よって 2X = 10¢ 
 以上から、 X = 5¢
 
と思い描いた訳ではないが、「5¢と1$5¢」でないと「合計が1$10¢」且つ「差が1ドル」にはならない、とは考えた。言い換えれば「判断を必要としない単純な」問題とは考えなかった、と言う事であり、「それだけ知性が鈍い」ないし「知性に自信がない」と言う事になるようだ。

 とは言え、
 
1> 同じミスなら自分より他人のミスのほうがはるかに気づきやすいことが、研究者からも指摘されています。

とも報じられているから、好意的と言うか我田引水的に考えれば「自らを客観視できた」とも言いえよう。

 それで思い出したのが、章題にもした落語「壷算」だ。と言っても大きな壷を小さな壷の値段で騙し取るメインのストーリーではなく、その中で尤もらしく語られる「商人の算盤の話」だ。
 
 とあるお大名がなにやら商品を買おうと、商人に値段を尋ねた。「百両の品と五十両の品、合わせて買うと幾らになるかな。」とかナントカ。

 商人Aは暗算で「合わせて百五十両とあいなります。」と答えた。

 商人Bは算盤を取り出して計算し、その算盤を見ながら「合わせて百五十両とあいなります。」と答えた。

 お大名は態々算盤を使った商人Bから商品を買った、と言う話。「こんな単純な計算でも、算盤を使う念の入れようを、お大名は気に入った/信用した」と言う事だろう
 
 「だから御前も算盤を使え」と、小さな壷の値段で大きな壷をせしめようと言う落語「壷算」の主人公は壷屋に迫るのだが、この話は「算盤による見える化」に拠って、上記の数式化と同様に、「問題を明確にし、判断できる/判断する状態に置きなおしている」と言えよう。これ即ち、上掲記事「判断を必要としない単純な」問題を誤らないようにする方策と言える。但し、落語「壷算」の方は、その「算盤による見える化」への現実事象のモデル化に問題があり、「態々使う算盤」は、詐欺を働く為の小道具にされているのだが。
 
2>  人は自分の思考にバイアスがかかっていると自覚できても、問題を上手く対処できるようにはならないそうです。
3> しかも、知性的な人ほどダメなんですって。
4>  それは、認知的に洗練された人たちほど盲点の範囲が広いからなんだとか。
5> 実際、様々なバイアス問題でこのような発見がされていて、きちんと熟考する人ほどミスに陥りやすいことが分かっているそうです。
6> なんだか脳みそって理不尽...。
 
 上記5>で言う「バイアス」とは、上記記事の前半に解説があって
 
7>  人は異常なほど聡明にもなれる一方、
8> 判断を必要としない単純な問題に対しては途端にバカになってしまうのだそう。
9> これを「認知バイアス」といいます。
 
 つまりその「認知バイアス」により「判断を必要としない単純な問題」と判断し「途端にバカになって」しまった為に、前述の「バットとボールの値段」問題は間違えてしまった、と言う事らしい。それも「キチンと熟考する人」、「頭がいい人」ほど「盲点の範囲が広いから」間違え易い、と。
 
 知性こそ、人類最大の長所にして武器、而して存在理由に近い、と信じる私としては、「忸怩たる」では済まない研究結果であり、「私に対する挑戦」とも受け止め得る。まあ、先述のとおり私は「判断を必要としない単純な」筈の問題に、「判断を持ち込んで、正しく回答」してしまっているのだが。
 
10>  この問題から逃れる方法はあるのかって? 
11> うーん、お酒を飲んで知性を鈍らるのも一つの手かもしれませんね。
12> でも、ウォッカを飲めば万事解決...かどうかは責任持てませんよ?
 
と、上掲記事は〆る。然り、「知性を鈍らせる」のは「認知バイアス」を停止し、「判断を強制する」効果は期待しえても、その後の判断そのものを誤りかねない「諸刃の剣」ないし「角を矯めて牛を殺す」策だ。

 正しい対処は、「判断を必要としない単純な」問題を「バカにしない」事ではないのか。
 
 私が上記「バットとボールの問題」に「判断を持ち込んだ」様に。或いは落語「壷算」に話の中だけ登場する商人Bが、「態々算盤を使って見せた」ように。
 
 尤も、落語「壷算」にある通り「問題の見える化」自体を誤れば、やはり知性を働かせても、正しい判断は期待しえないのだが。
 
 「それがこっちの、”思う壺”じゃ。」
                    ―落語「壷算」のオチby招福亭仁鶴―