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「平和ボケ」なんて言葉も一頃ほどには聞かなくなったように思うが、それは「日本人の平和ボケが治った」からではない、と私は考えている。幾らかマシになった部分はあるが、私に言わせれば充分と言うには程遠い。なまじっか我が国が民主主義体制をとっているだけ(※1)に、こいつは大問題である。孫子の昔から「兵は凶事」であり、国防更にはその上位概念である国家の安全保障は、国家の存亡にも関わる大事なのだから、国民が「平和ボケ」なんぞしてもらっていては困るのである。
だが、世の中そうは考えない人が多いらしい。「戦闘機は錆びているのが良い」などと抜かすJos某は極端にしても、同工異曲には事欠かない。
以下に取り上げる一連の社説は、「原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」という文言を入れる法改正が成立した。」事を受けての物。まあ、先ずは各紙社説、御一読願おうか。
以下に取り上げる一連の社説は、「原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」という文言を入れる法改正が成立した。」事を受けての物。まあ、先ずは各紙社説、御一読願おうか。
<注釈>
(※1) 誤解のないように付け加えておけば、私は現在我が国が取る民主主義体制を、支持している。「今のところは未だ」と言う限定詞付きではあるが。その事は、既に当ブログの幾つかの記事にしている。(1) 民主主義概論民主主義は絶対善ではない。だが次善ではある。 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/34312605.html(2)真の民主主義国家は最強である(楽観的観測) http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/23943306.html
転載開始=========================================
①【朝日社説】原子力基本法―「安全保障」は不信招く
原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」という文言を入れる法改正が成立した。核兵器開発の意図を疑われかねない表現であり、次の国会で削除すべきである。
原子力政策の憲法ともいえる基本法は、1955年に定められた。原子力の「平和利用」を旗印に「民主、自主、公開」の原則を掲げている。
そこには被爆国日本の体験を踏まえ、核兵器開発だけには手を染めないという戦後の決意があった。
その変更が衆議院では議案を提出した日に可決、5日後に参議院でも決まってしまった。
それも、民主、自民、公明3党の合意をもとに原子力規制委員会設置法を成立させたとき、その後ろにある付則のなかで、上位法である基本法を改めるというやり方である。
「安全保障」という言葉は、日本語でも英語でも「国家の防衛」という意味がある。そして原子力発電の技術は、核兵器と密接な関係にある。
核兵器を決して開発しないという日本の信用を傷つけぬように努めなくてはならない。
参院環境委員会で、推進した議員は、「安全保障」は核物質の不正転用を防ぐ国際原子力機関(IAEA)の保障措置などを指す、と説明した。
もしそうなら「保障措置」と書けば済む。それをなぜ「安全保障」としたのか。
この言葉が加わった第2条には、原子力の利用は「平和の目的に限り」という文言がある。
だが、日本が核兵器の材料になるプルトニウムの保有国であり、それをさらに生む核燃料再処理にこだわっている現状を見れば、国際的には別の意味合いを帯びる。
日本には核兵器開発能力があり、潜在的な核抑止力を持つという一部の考え方を後押ししかねない。そのような発想から離れない限り、世界から核の危険はなくならない。
我が国の安全保障に資する、という文言は08年にできた宇宙基本法にもあった。今回、これに沿って宇宙航空研究開発機構(JAXA)法も、駆け込みで改正された。JAXAの仕事を「平和の目的」に限るという条件を緩めたのである。
福島第一原発事故で科学技術に対する信頼が弱まるなかで、その暴走を食いとめる必要を多くの人々が感じている。
それなのに、原子力、宇宙開発といった国策に直結する科学技術に枠をはめる法律が、国民的な議論をせずに、変えられていく。見過ごせぬ事態である。
②【東京社説】「安全保障」追加 平和の理念ゆがめるな
「原子力の憲法」といわれる原子力基本法がこっそり変更されていた。国会でほとんど議論されぬまま「安全保障に資する」の文言が加えられた問題は、原子力の平和利用の理念をゆがめるものだ。
二十日に成立した原子力規制委員会設置法で、原子力基本法の一部が改正された。基本法は、原子力の研究と開発、利用の基本方針を掲げた「原子力の憲法」である。核を「持たない」「つくらない」「持ち込ませず」の非核三原則の初め二つの基礎だ。しかも今回の改正の対象となったのは「公開・民主・自主」をうたった基本法二条という重要条項だった。
改正は、原子力利用の安全の確保について「確立された国際的な基準を踏まえ」としつつも、「我が国の安全保障に資することを目的として行う」との文言が追加された。
この「安全保障に資する」といった、あいまいな表現は重大な疑念を招きかねない。二十日の参議院環境委員会では、核物質の軍事転用や核テロを防ぐための「保障措置」を意味するとの説明があったが、それなら「保障措置」と書けばいいではないか。
「安全保障(セキュリティー)」の言葉を使えば「平和利用に限る、軍事には使わないという原則を日本は放棄するのではないか」といった疑念や拡大解釈の余地を国際社会に与えてしまうおそれがある。しかも、福島原発事故の後であり、朝鮮半島や西アジアなど核をめぐって世界情勢が緊張する中、あまりに無神経だ。
さらに「安全保障のため」を錦の御旗にして、重大情報や資料が非公開となる懸念もぬぐえない。ただでさえ情報公開に問題を残す原子力ムラや霞が関の隠蔽(いんぺい)体質を助長するのではないか。
こんな問題だらけの設置法案は民主党と自民、公明両党が修正協議を行い、国会に提出した。追加された「安全保障に資する」の部分は、修正協議で自民党が入れるよう主張した。異論もなく三党が合意し、国会でも議論らしい議論もなかった。なぜ、こんないいかげんな手法がまかり通るのか。どさくさ紛れのような手続きこそが、この「憲法改正」のやましさを物語っている。
軍事的利用に道を開いたのはフクシマからほんの一年後だった-将来、そんな禍根を残すことにならないか。政府は原子力の平和利用の原則を堅持すべく、基本法の再改正をすぐにも考えるべきだ。
③【毎日社説】:原子力基本法 「安全保障目的」は不要
毎日新聞 2012年06月23日 02時32分
原子力行政の憲法とも言うべき原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」との目的が追加された。
真意はどこにあるのか。将来、核兵器開発に道を開く拡大解釈を招かないか、原発をはじめとする原子力の開発・利用の有効性を強調する意図なのか??などなど、さまざまな臆測を呼んでいる。
日本は非核三原則を国是とし、歴代政権は核開発の可能性を否定してきた。基本法は原子力の研究、開発、利用を「平和の目的に限り」とし、「民主・自主・公開」の原則を掲げている。「国の安全保障」をうたう狙いはこうした方針の転換ではないか、との疑念を生みかねない。
藤村修官房長官は「平和利用の原則は揺るがず、軍事転用の考えは一切ない」と強調した。当然である。だが、そうであれば、誤解を招く表現は避けなければならない。「安全保障」部分の削除を求める。
問題の表現は、20日に成立した原子力規制委員会設置法の付則に盛り込まれた。当初の政府案にはなかったが、民自公3党の協議で議員立法で成立を図ることになり、自民党の主張によって加えられた。法案の国会提出から実質4日間のスピード審議である。「安全保障」目的について議論が尽くされたとは言えない。規制委設置のための法律、しかもその付則によって基本法を改正するやり方にも、大いに疑問がある。
そもそも「国の安全保障」と言う場合、「軍事力を中心とする国家の防衛」というのが伝統的な解釈である。そして、原子力の開発が核兵器につながりかねないという事情がある。だからこそ、原子力利用では、平和目的を掲げ、軍事とは一線を画すことに意味があった。
審議で提案者の自民党議員は「安全保障」とは、核物質の軍事転用を防ぐ国際原子力機関(IAEA)の保障措置などを指すと答弁した。しかし、安全保障と保障措置とは意味が異なる。保障措置などを意味するならそう明記すればよい。
自民党内には、日本が高い核技術を維持し、核開発可能な能力を示すことが潜在的な抑止力になると主張し、原子力と安全保障を結びつける考え方が根強く存在する。韓国が「真意と今後の影響を注視する」と反応したのも、こうしたことが背景にある。
「我が国の安全保障に資する」との表現は、08年の宇宙基本法にも盛り込まれた。そして、20日には、宇宙航空研究開発機構(JAXA)法から「平和目的に限る」との規定を削除し、安全保障目的で人工衛星などを開発できるように改正した。
消費増税政局に紛れ、安全保障にかかわる法律が十分な議論もなく成立することに危惧を覚える。
===============【転載継続】==========================