応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/  
 
 以下に掲載する小説は、ムネミツ様(旧名「。。。」様)とのコメント応酬から生まれたモノである。何しろムネミツ様は、「放射能は定量的に評価すべきだ」と言う当方主張に対して、「それは論点ズラシだ」と断言され、「福島原発事故以前の放射線レベルになるまで原発事故被災者は帰れない」と主張されてしまう(*1)「脱原発論者」だ。巷間には同様に「放射能は定性的=「ある/なし」 でしか評価しない」人々で満ち溢れているようだから、そんな人たちは究極的にどう行動するか/どう行動するのが「理想」か想像した結果が、この小説の主人公X氏である。
 
 言い換えれば、ムネミツ様の長文コメントが無かったならば、この小説は生まれなかったであろうと言う事である。その点、X氏に成り代わって幾重にも御礼申し上げる。
 
 

<注釈>

(*1) そんな主張を信じたならば、ソリャ自殺しちまう人は増えようさ。放射線に対する正しい科学知識があれば、防げたであろうの自殺者が。 
 

鉛の部屋に住む男

 X氏は、放射能が嫌いだ。
 
 放射線、放射性物質をひっくるめて、放射能に関わる物は全てX氏の憎悪の対象だ。何故そうなってしまったのかはX氏にも判らない。小学校の学年旅行で行った原爆ドームの印象が強烈だったのか、原発反対運動に奔走していた両親の影響なのか、或いは最愛の妻を「放射線治療」の末にガンで失ったことが決定的だったのか。どれも一理あるが、どれも違うような気がする。
 
 それでもX氏が最近特に「放射能嫌い」になった理由ならはっきりしている。東日本大震災とそれに伴う津波が引き起こした、福島第一原発事故だ。
 水素爆発によるとされるキノコ雲は、広島長崎の原子爆弾投下を想起させるに十分だったし、報じられる放射線量はまさに恐怖そのもの。おまけに学者先生が出てきて「放射能に安全なレベルなどない。低ければ低いほど良い」と断言してくれる物だから、X氏の念頭には寝ても覚めても放射能があるようになった。

 電気屋で「放射能計測器」を見つけたときには全種類買い占めた。それらの示す「放射線量」がバラバラの値だったときにはパニックに陥りかけたが、お気に入りのスマホ会社が新型に放射能計測器機能をつけたことで解決を見た。
 
 それでも問題はあった。
 
 スマホ付属の放射能測定機能にせよ、そのほかの市販の放射能計測器にせよ、直接には内部被爆量を測れないことがまず一点。これは、X氏が口にする全ての食材と飲料、さらには呼吸する空気に含まれる放射性物質を計測し、さらには全排泄物に含まれる放射性物質を計測しないことには正確な量が出ない。無論、推定することは可能だが、そこにはいくつもの仮定が、時に現実とは異なる仮定が必要になる。

 もう一つの問題は、放射能計測機器はあくまでも放射能を計測するだけで、低減してはくれない事である。計測されたデータに基づいて何らかのアクションを起こさねば、X氏が喰らう被爆量は、1マイクロシーベルトたりとも下がらない。
 
 X氏は行動の人だ。しかも相当な資産家だ。まずは外出を控え、外食は全くしなくなった。商売上必要でもある会食・宴席のたぐいは、全て謝絶するか、自宅で行うことにした。無論自宅での食事も飲料も、徹底的に選び抜かれた食材と飲料を、放射線検査実施の上で使用した。
 外出にNBC防護服を着るアイディアは、家族の猛反対もあって断念した。「これが最新流行になる」と言うX氏の主張にも関わらず、巷間流行したのは、せいぜいが雨合羽とマスクぐらいでしかなかったので、X氏としては外出そのものを減らし、移動は特別仕様の大型車で行う事で妥協した。
 X氏の特別仕様車は、外観上はスモークガラスの濃い大型車に見える。合衆国大統領用専用車も作っている米国のメーカーに特注し、「NBC防護能力では大統領専用車以上」とお墨付きを得たX氏のお気に入りであるこの車は、実は客室に窓が一もつない。外観上「スモークの濃い窓ガラスが入っているドア」はいわば偽装で、その内側にある頑丈な気密ハッチの内側にまずエアシャワー室がある。このエアシャワー室でX氏は車外に出ていたときに着ていた服を全て脱ぎ捨て、強力なエアシャワーを裸体に浴びる。しかる後に奥の方のハッチを開けて、本来の客室に入る。無論全裸になるのもエアシャワーを浴びるのも、外界にある放射性物質の塵を客室に極力持ち込まないための手段だが、そのために移動中に座っておられる客室はひどく狭いものになり、大型車であるにも関わらず、乗客一人と運転手一人ぐらいしか乗れない。客室の方はかなり無理すれば二人乗れるが、X氏以外でこの客室に入った者は殆ど居ない。ここはX氏の「聖域」だ。だからエアシャワー室に用意してあるクリーンスーツに着替えることなく、全裸のままこの客室に座り、移動することもしばしばあった。
 
 このX氏自慢の特別仕様車にも、不安な点はあった。天井の薄さだ。移動する車である以上、重量は制限される。エアシャワーにエアフィルターなどの装備も、容積もさることながら重量も取る。外界の恐るべき放射能を遮蔽する盾となる客室の壁は、相応の厚さを持つが、バランスの上からも天井部分はどうしても薄くなる。
 この地球上には自然界に、原発や核兵器が出現する以前から放射能、放射性物質が微量ながらあることをX氏は知っている。太陽が、その核融合反応による熱と光とともに、そのエネルギーの一部を放射線として地球に降り注いでいることも。太陽からの放射線は、頼もしきヴァン・アレン帯に遮蔽されているが、それとて万全ではなく、時に遮蔽が弱くなるらしいことも。万が一X氏の移動中にそんな事態が起きたら、特別仕様車の天井防護壁にもかかわらず、肌身はなさず持っている放射線測定機能付きスマホに計測可能な変化が記録されるかもしれない。「放射線量は低ければ低いほど良い」と信じるX氏にとって、これはゆゆしき事態だ。
 
 さらに、自宅にいるときにそんなヴァン・アレン帯の弱化がおきたなら・・・X氏の自宅は相当な豪邸でX氏の自室は地下にあったが、ただの地下室でしかない。放射能防護効果はこの特別仕様車よりも低そうだ。
 
 X氏は決断した。自室としての新たな地下室の建設を。法律の許す限り地下深く、財力の許す限り完璧な放射線防護壁を持った地下室を作り、自室とすることに。当然外気の取り込みはエアフィルターを通じ、水は可能な限りクローズドサイクルとする。あれこれの装備を入れると相当な大きさの地下室になるが、防護壁の遮蔽性は譲れない。その材料としてX氏が選んだのは、昔ながらの鉛だった。密度が高い金属で、加工も容易で比較的安価。重量がかさみ、強度が低めだが、放射線遮蔽性は高い。X氏は鉛による防護壁を中心に据えて、新たな地下自室の建設を命じた。

 「鉛色」と言えば鈍い金属光沢であり、曇天の雲を指したり、不安や絶望を象徴するものだが、X氏にはその色も、何ともいえぬ安らぎを与える頼もしいものと思えてきた。地下室建設に際して発生する鉛の端材などをもらって自ら加工し、ペーパーウエートなどにして実用に供した。「鉛色」の連想でいやな顔をする家族に対しては、「弾丸だって鉛じゃないか!」と気色ばんだ。軍事に疎いX氏は、「鉛の弾丸」が非人道的兵器として禁じられ、現用の軍用銃弾は完全被甲弾であることを知らなかった。
 
 新たな地下室が完成したとき、X氏は得意の絶頂だった。自分の寝室と書斎をこの地下室に据え、食事もここでとる。風呂もトイレも完備しているから、外部からは食料と水、電気、通信情報を供給してくれればよい。食材は特別なトンネルを通って地上のキッチンから送らせる。無論空気は何重ものNBC防護装置を経て清浄化された空気しかこの地下室には供給されない。外界との通信ケーブルとIT技術は、この部屋にいながら「安全に」テレビ会議することを可能にしているし、これでこの部屋を出て出社するなんて事も局限できるはずだ。
 いくらか我慢すれば、このままこの部屋から一生出なくても済むかもしれない。この部屋よりも放射能が少ない場所は、そうざらにはない。以前は自慢の種だった特別仕様車とて、この鉛の城塞の前には、紙の小屋でしかない・・・
 
 新しい地下室は、X氏の新たな「聖域」となった。
__________________
 X氏が死亡し、遺体がその地下寝室で発見されたのは、数年後のことだった。食材や料理の発注が途絶え、生ゴミ出しも長期にわたって途絶えたことに気づいた屋敷の使用人が、電話や回線による呼びかけにも一切答えない( そういう事態は以前から何度か有ったことだが )X氏を、さすがに不審に思い、随分疎遠になっていた家族の者と連絡をつけ、家族だけが知るパスワードで何重ものエアロックをあけた末にたどり着いた「X氏の聖域」地下居室で、X氏は息絶えていた。「孤独死」という表現を使うならば、X氏以上の「孤独死」を実践するのは、相当難しかろう。
 
 X氏は先述の通り相当な資産家だ。その死に何者かの故意があった可能性は低かったが、遺産相続のトラブルを避けるため、死後の解剖と死因探求は厳正に行われた。
 直接的には「心臓麻痺」とX氏の死因はされた。その心臓麻痺に至らしめた遠因の一つは「極度の肥満」。個人宅の地下室としては破格の広さを誇る「X氏の聖域」・鉛の城塞も、そこに閉じこもって一歩もでないX氏の運動不足を解消するにはほど遠かった。食事の準備と風呂と排泄以外は寝室のベットの上で出来るようになっていた事も、運動不足に拍車をかけた。事実、X氏側からの画像が送られて来た頃のTV会議では、寝室のベットにガウンだけ羽織ったX氏の姿が目撃されていた。あるところからはそんな画像さえ送信されなくなったので、社内では専ら「一日中全裸なのではないか」と噂されていた。

 さらに、X氏が運動を避けていたであろう要因があった。X氏は重金属中毒にかかっていたのだ。

 先述の通りX氏は新たな地下居室建築に当たって放射線遮蔽物に鉛を選択した。X氏の鉛に対する想い入れは、身近な物を鉛製に変えて一人悦に入るほどだった。身近な物とは、例えば文房具や、食器だ。
 X氏特製の鉛製食器類は、食器洗浄機の中に整然と収まり、X氏がそれを常用していたことを示していた。X氏の体内から検出された重金属・主として鉛は、X氏の生命を危うくするような量ではなかったが( 幸いなことに、鉛は「少なければ少ないほど健康によい」物質ではないと、世間的にも認識されている )、体調の悪化を感じさせるには十分だった。病院での診察を受けるなり、医者の往診を受けるなりしていたら、鉛中毒も発覚しただろうが、X氏は「放射能の嵐吹き荒れる」(とX氏自身が信じる)自宅地下居室の外に出ることを極度に嫌ったし、その「恐るべき外界」から放射性物質を持ち込みかねない医師の往診はもっと嫌った。相応のデータを揃えても、個人レベルの遠隔医療では、極度の肥満や運動不足は判明しても、重金属中毒までは判らなかった。

 「鉛の食器で食事をしていたなんて・・・」X氏の遠隔医療に当たった医師は、X氏の死因を知ってそう言い、絶句した。
 
 X氏の葬儀は、その遺産総額の割には質素に行われた。学生時代の同級生も多くが出席し、この「同期の出世頭」の早過ぎる死を悼んだ。
 
 X氏の遺体は火葬されたが、その遺骨はX氏が生前最も気に入っていた場所、地下深くの鉛の城塞に安置されることになった。X氏の遺族等はX氏ほどの「飽くなき放射能低減への情熱」を持ち合わせていなかったから、X氏の地下居室を維持することよりも、それをそのまま墓所に転用することを選択した。
 
 かくして、X氏は今でも、彼の「聖域」「鉛の城塞」に住んでいる。
 余程居心地が良いのだろう。「鉛の子宮」と呼ぶべきか。