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当ブログ記事で一番手間が掛かっているのは、多分、「社説比較」シリーズだ、ってのも何度か書いたフレーズだ。その「社説比較」シリーズ開始当初からの主張が、「日本の新聞を比較するならば、産経と朝日を比較するのが手っ取り早い」と言うのも。後者については、その「社説比較」シリーズを通じて、必ずしも普遍的ではないと判明しているが、それでも「ま、先ず間違いない」ぐらいの確度ではある。
ところが、今回俎上に上げるのは、福島第1原子力発電所の事故を検証する国会の事故調査委員会(国会事故調)。これを直接扱った社説は、私の見たところ朝日と産経しかなく、今回の直接対決「社説対決」記事となった。何処がどう「直接対決」かは、まあ、両紙の社説を御一読いただこうか。
ところが、今回俎上に上げるのは、福島第1原子力発電所の事故を検証する国会の事故調査委員会(国会事故調)。これを直接扱った社説は、私の見たところ朝日と産経しかなく、今回の直接対決「社説対決」記事となった。何処がどう「直接対決」かは、まあ、両紙の社説を御一読いただこうか。
転載開始=========================================
①【朝日社説】国会事故調―何を解明したいのか
福島第一原発事故をめぐる国会の調査委員会(黒川清委員長)が、ひととおりの参考人招致を終えた。今月末までに最終報告書をまとめる。だが、9日に示された論点整理は、判断の根拠がはっきりせず、説得力に欠ける。この間おこなわれた政治家や東京電力の首脳陣に対する質疑も、原子力行政の構造的な問題を解き明かすような切り口に乏しかった。国会事故調は、何を解明したいのか。このままでは、不十分な報告書にしかならないのではないかと心配になる。今回の論点整理は、事故直後の官邸の対応に焦点をあてている。この中で、もっとも違和感が強いのは東電の「全員撤退」をめぐる見解だ。事故調は「東電が全員撤退を決定した形跡は見あたらない」と結論づけている。これは、菅首相(当時)をはじめとする官邸側の数々の証言と真っ向から対立する。質疑でも、官房長官だった枝野氏が清水正孝社長(同)との電話のやりとりを紹介し、全面撤退と認識したことを証言したのに対し、清水氏は「記憶にない」の一点張りだった。ところが、黒川委員長は清水氏に対して「肝心なことを忘れている」と述べただけで、記者会見では「官邸と東電のコミュニケーション不足の問題」と分析した。官邸側の言い分はほとんど無視された。これで納得できるだろうか。問題は東電本社に事故対処への強い意志があったかどうかだ。それによって、その後の菅氏の行動への評価も分かれる。官邸側に誤解があって、「事故対応に過剰な介入をした」と事故調が論ずるなら、そこに至る根拠や調査で明らかになっている事実を、もっと明確に説明すべきだ。そもそも、事故調の目的は何か。責任追及も大事だが、最大の主眼は、二度とこうした事故を起こさない教訓をどのようにつかみとるかにある。その意味で、事故以前の問題への踏み込みも物足りない。今日の原子力行政をつくってきた自民党への調査をおこなっていないのは、どういうわけだろう。政府の事故調では官邸対応の分析に限界があると意識するあまり、そこに目を向けすぎてはいないだろうか。憲政史上初めて国会に設けられ、国政調査権の行使まで認められた独立委員会だ。国民が期待しているのは、国内外からの評価と歴史の検証に堪えうる報告書である。
②【産経社説】国会事故調 今度は菅氏の責任追及だ
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120612/plc12061203260008-n1.htm
2012.6.12 03:26 [主張]東京電力福島第1原子力発電所の事故を検証する国会の事故調査委員会(国会事故調)が論点整理を行い、菅直人前首相をはじめとする首相官邸の過剰な現場介入が混乱を招いたと指摘した。菅氏は「官邸として、また原子力災害対策本部長として、直接対応せざるを得なかった」と自らのブログで直ちに反論したが、責任逃れとしか聞こえない。反論があれば公の場で堂々と行うのが筋だ。国会も事故調の報告書に基づき、菅氏を証人喚問するなどして真相解明に徹底して当たるべきだ。事故の検証は、今後の原発政策をも大きく左右する。論点整理は政府の初動態勢の遅れにも言及しており、菅政権には取るべき対応を怠った不作為の責任があったとの認識を示した。東電が事故後間もなく、福島第1原発からの全面撤退を政府に申し出たとされる問題については「東電が全員撤退を決定した形跡はない」と東電側の主張に沿った見方を示した。菅氏側はこれまで、全面撤退を阻止したことが官邸の介入の成果だと繰り返し主張してきた。2月末に公表された独立検証委員会(民間事故調)の報告書も「結果的に東電に強い覚悟を迫った」と評価していた。だが、今回の国会事故調の見解は、これを強く否定する内容になっている。菅氏は国民への説明責任を果たすべきだ。論点整理は、東電への乗り込み以外にも不適切な行為が多々あったことを問題視している。官邸関係者が第1原発と直接電話でやりとりしたことについては「場違いな初歩的な質問で、現場対応にあたる者が余分な労力を割かれた」と指弾した。「頻繁な介入が、現場の指揮命令系統を混乱させた」とも断じた。さらに「官邸を含めた危機管理体制の抜本的再構築が必要ではないか」と指摘している。菅氏は事故直後から安全保障会議を開こうとしなかった。緊急事態に対する政府の枠組みも使おうとしなかったことに対する厳しい批判にほかならない。政府の最高責任者である首相が判断を誤れば、国民に多大な犠牲と負担を強いる。国会事故調の報告書は今月中に国会に提出されるが、菅氏の証人喚問はそれからでも遅くはない。
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Point of View 視点の違い
TVドラマ「Combat!」と聞いてピンと来る人は、もう長い事人間をやっているか、結構なマニアか、或いはその両方だろう。第二次大戦も末期、「史上最大の作戦」であるノルマンディー上陸作戦以降の欧州第二戦線・西部戦線(*1)に於ける米軍歩兵部隊「K中隊第二小隊」を主人公としたTVドラマシリーズで、その大半が白黒放送であることからも、その古さがわかろう。小隊長ヘンリー少尉を演じるはリック・ジェイソンと言うのはまだしも、その部下で歴戦の勇士にして多くの場合主人公であるサンダース軍曹を演じたのがビック・モローである事も、その古さを裏付ける。
章題にした「Point of View」と言うのはその「Combat!」の一話のタイトル。あろう事か歴戦の勇士にして第二小隊の守護神・サンダース軍曹が「臆病の廉で告発され、軍法会議にかけられる」と言う一種の法廷モノ。理想的下士官であるサンダース軍曹が「臆病」にされてしまうのが、「Point of View」=視点の違い、と言う事を示唆したタイトルであろう。
そんなCombatの一話(のタイトル)を思い出したのは・・・言うまでもないだろうが、上掲二紙の社説を比較したが故。同じ「福島第1原子力発電所の事故を検証する国会の事故調査委員会(国会事故調)」を扱いながら、これほど切り口から結論まで対照的なのは、朝日と産経の比較と言えども珍しいぐらい。それはつまり、社説比較なり、社説対決なり実施するには、恰好の材料、と言う事だ。
その視点の違いが最も顕著に現れているのが、福島原発事故発覚直後の官邸・菅直人(当時首相)の対応に対する評価であり、それに付随しての「東電全面撤退論の可否」である。
朝1> 事故調は「東電が全員撤退を決定した形跡は見あたらない」と結論づけている。
朝2> これは、菅首相(当時)をはじめとする官邸側の数々の証言と真っ向から対立する。
朝3> 質疑でも、官房長官だった枝野氏が清水正孝社長(同)との電話のやりとりを紹介し、全面撤退と認識したことを証言したのに対し、
朝4> 清水氏は「記憶にない」の一点張りだった。
朝5> ところが、黒川委員長は清水氏に対して「肝心なことを忘れている」と述べただけで、
朝6> 記者会見では「官邸と東電のコミュニケーション不足の問題」と分析した。官邸側の言い分はほとんど無視された。
朝7> これで納得できるだろうか。問題は東電本社に事故対処への強い意志があったかどうかだ。
章題にした「Point of View」と言うのはその「Combat!」の一話のタイトル。あろう事か歴戦の勇士にして第二小隊の守護神・サンダース軍曹が「臆病の廉で告発され、軍法会議にかけられる」と言う一種の法廷モノ。理想的下士官であるサンダース軍曹が「臆病」にされてしまうのが、「Point of View」=視点の違い、と言う事を示唆したタイトルであろう。
そんなCombatの一話(のタイトル)を思い出したのは・・・言うまでもないだろうが、上掲二紙の社説を比較したが故。同じ「福島第1原子力発電所の事故を検証する国会の事故調査委員会(国会事故調)」を扱いながら、これほど切り口から結論まで対照的なのは、朝日と産経の比較と言えども珍しいぐらい。それはつまり、社説比較なり、社説対決なり実施するには、恰好の材料、と言う事だ。
その視点の違いが最も顕著に現れているのが、福島原発事故発覚直後の官邸・菅直人(当時首相)の対応に対する評価であり、それに付随しての「東電全面撤退論の可否」である。
朝1> 事故調は「東電が全員撤退を決定した形跡は見あたらない」と結論づけている。
朝2> これは、菅首相(当時)をはじめとする官邸側の数々の証言と真っ向から対立する。
朝3> 質疑でも、官房長官だった枝野氏が清水正孝社長(同)との電話のやりとりを紹介し、全面撤退と認識したことを証言したのに対し、
朝4> 清水氏は「記憶にない」の一点張りだった。
朝5> ところが、黒川委員長は清水氏に対して「肝心なことを忘れている」と述べただけで、
朝6> 記者会見では「官邸と東電のコミュニケーション不足の問題」と分析した。官邸側の言い分はほとんど無視された。
朝7> これで納得できるだろうか。問題は東電本社に事故対処への強い意志があったかどうかだ。
と、朝日は菅直人はじめとする「官邸側の証言」を支持し、東電の「福島原発事故対処への強い意志」を疑問視する。何しろ「菅直人は東電の福島原発全面撤退を止めた!」と編集委員兼論説委員殿自ら大絶賛している(*2)朝日である。菅直人がその政権延命策として打ち出した(*3)「脱原発」方針もあって、朝日にとって菅直人は今尚英雄であるらしい。逆に東電は「原発を建設し、運転し、事故を起こし、その事故から全面撤退を申し出る」極悪非道の大悪人と言う事になっている様だ。悪役:東電、ヒーロー:菅直人。実に「判り易い構図」だ。
だが、産経の視点は違う。
だが、産経の視点は違う。
産1> 菅氏側はこれまで、全面撤退を阻止したことが官邸の介入の成果だと繰り返し主張してきた。
産2> 2月末に公表された独立検証委員会(民間事故調)の報告書も「結果的に東電に強い覚悟を迫った」と評価していた。
産3> だが、今回の国会事故調の見解は、これを強く否定する内容になっている。
産4> 菅氏は国民への説明責任を果たすべきだ。
産2> 2月末に公表された独立検証委員会(民間事故調)の報告書も「結果的に東電に強い覚悟を迫った」と評価していた。
産3> だが、今回の国会事故調の見解は、これを強く否定する内容になっている。
産4> 菅氏は国民への説明責任を果たすべきだ。
とし、「2月末に公表された独立検証委員会(民間事故調)の報告書」が朝日の言う「官邸側(菅直人側)の主張」に沿っていたのに対し、今回の国会事故調が東電主張に沿って官邸側/菅直人側の責任と説明責任を求めている。
だから、産経は次の一文も付け加えている。
産5> 論点整理は、東電への乗り込み以外にも不適切な行為が多々あったことを問題視している。
かくも朝日と産経の視点が違えば、出てくる結論もた大きく乖離するのが当然だ。
朝8> その意味で、事故以前の問題への踏み込みも物足りない。
として朝日は「原発の存在そのものへの疑問」を呈し、国会事故調に「事故以前への原因遡及」を求める。早い話が国会事故調も「脱原発論を唱えろ」と言う事である。
朝8> その意味で、事故以前の問題への踏み込みも物足りない。
として朝日は「原発の存在そのものへの疑問」を呈し、国会事故調に「事故以前への原因遡及」を求める。早い話が国会事故調も「脱原発論を唱えろ」と言う事である。
一方産経は、タイトルにもある通り「管直人の責任追及を国会でも実施しろ」、と主張する。朝日が今回報告書の記述に疑義を呈しつつ「報告書の論理課程」を求めるのみで「事故を二度と起こさないように」脱原発論=原発廃止を示唆するのとは、鮮やかな対比を為している。
<注釈>
(*1) と言うのはドイツ側の呼称だな。(*2) 東京を救ったのは菅首相の判断ではないか http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2012030800005.html 検証:管直人の震災初動 http://www.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36820971.html に転載(*3) としか私は評価していない。何しろ私は「脱原発なぞ、愚挙にして暴挙」と主張し続けている。世論の7割が脱原発?だからなんだ。その世論は、先の衆院選挙で民主党に日本憲政史上最多の衆院議席数を与えた世論ではないか。民主主義体制である以上、世論で国の政策が決まってしまう事は当然ある。だがそれは、世論が無謬であるなんて事を保証している訳ではない。