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 以前書いた記事「無知にして無恥なる「大衆」―震災がれき試験処理に抗議する奴バラ http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/37084916.html 」は、なかなかの人気記事であるらしく、「B(仮名)」様からも幾つものコメントをいただいた。但し、私や私の記事を痛烈に非難するばかりか、何故か非公開で。
 
 私や私の記事を非難するのは構わない。寧ろ大いに歓迎してしまう。異論移設との衝突、願わくば「カルチャーショック」こそが「ブログの楽しみ」だと思っている私としては、大抵の異論移設は歓迎するばかりで、排撃排除なんて勿体無い事はしない。が、「非公開コメントでの批判」となると少々面食らう。私や私の記事に対する批判は、私自身に知らしめるのもさることながら、公開公言されてこそ「効果的な非難」となろう。それを非公開とする理由は、私には全く理解できない。
 
 念のため、非公開の理由を当人に問い合わせたのだが、梨の礫に終わったので、以下にそのコメント全文を公開する。
 

コメント

負けを認めたようなものだ。
速攻でコメントを返してくるところからして
お国のために死にましょう運動に参加する奴はアホ。
プルトニウム飲んで死んでしまえ。  
2012/5/28(月) 午前 0:33 [ B(仮名]  
 誹謗中傷をしているのはお前らネットウヨの雑魚だろが。  
2012/5/28(月) 午前 1:02 [ 老人憩いの家 ]  
 おまえがなんで放射能汚染のトラコミュに参加してるんや。
放射能に賛成する奴なら自分で瓦礫受受け入れ賛成派のトラコミュ作れ。  
2012/5/28(月) 午前 1:04 [B(仮名)]  
 
危険な火遊び自体は、ずっと前から解っていたこと。今更恐れても驚いても見苦しく、ただ呆れるだけ
「許可」と「予定」に縛られる権力者と役人連中、そして反抗するしか能が無いプロ市民は、一刻も早く無駄や非効率に気づいて欲しい
何処へ持って行っても放射線が消えるわけでもないし、被曝の増減もあり得ない
このままでは放射線とは無関係に、世界が共倒れ  
2012/5/28(月) 午前 1:39 [ IB ]
 そして今の政府は"高価で不安定な原子炉"しか造れないという現実がある
技術者が優秀でも、それこそ役人が「無知にして無恥」だから  
2012/5/28(月) 午前 1:44 [ IB ]

 そのとおりIBさん。
このブログ主こそ無知にして無恥。情けない。

消えろ  
[B(仮名)]

分析

 さて、如何であろうか、「B(仮名)」様の、当ブログ並びに私に対する「痛烈な批判」。
 
 なにしろ、消えろ!とまで断言されているのだから、これが「痛烈な批判」でないとはとても解釈できない。「クズと自称する人が居たから「クズ」と呼んだ」などと言う稚拙な弁明すらも適用しようがない。
 
 とは言え、では私の何を非難しているのかと言うと、当該コメントから読み取れる「私の非難されるべき点」を補足しながら列記すると、以下の通りだ。
 
(1) 「速攻でコメントを返している」のは「負けを認めている」事である。

(2) お国のために死にましょう運動に参加する奴はアホ

(3) 震災がれき受け入れ論者は自殺志願者なのだからプルトニウムを呑んで死ぬべきだ

(4) 誹謗中傷をしている

(5) 放射能汚染のトラコミュに放射能に賛成する奴は参加すべきではない

 改めてリストアップすると、やっぱり(それこそ)「情けない」物がある。何しろ、まともに取り上げようと思えるのが上記(5)だけだ。これは真っ先に取り上げて、当該記事のコメントにて回答している。

(5)に対する回答

Q1> 何故このブログトラコミュに居るのか

【A1】 端的に申し上げて、当該トラコミュが「敵地」であり、「アウエー」であり、私とは全く意見を異なる人が多数集まっていると期待出来るから、です。
 プロ野球などの試合が「ホームグランドよりもアウエーの方が面白い」かどうか私は知りませんが、ブログに関してはアウエーのほうが断然面白くなると期待出来る。異論・移設と衝突し、ひょっとするとカルチャーショックさえ受ける可能性があるのは「敵地」アウェーであるが故。
 これが貴方提案のような「自分の趣味に合わせたブログトラコミュ」を作ったとしたら、似たような意見同意権の人からの激励ぐらいは期待出来るかも知れません。「お友達」も増えて、アクセス数も伸びるかも知れません。でもまあ、それだけ、つまらない。第一自分自身の意見の矛盾や欠陥が焙り出されるなんてことは期待できず、議論・指向・主張が深まる可能性は極少ない。

 
 異論・異説に接したとて、必ずしも何らかの成果を得られるとは限らない事は確かです。だが「仲良し同好会トラコミュ」では、そんな成果は期待することすらできません。
 自分の考えに自信がなければ、そんな「同志の励み・賛同」も役に立ちましょうが、私は相当「灰汁の強い」人間なんで、自分の考えに相応に自信を持っている。従って「仲良し同好ブログトラコミュ」を立ち上げる気は、全くありません。

(4)への反論

 (1)~(5)ある内の、(5)を真っ先に取り上げたのだから、順に遡っていく事にしよう。
 
 (4)に相当する部分は、元のコメントだとこうなっている
 
2>  誹謗中傷をしているのはお前らネットウヨの雑魚だろが。 
 
 無論「殆ど生まれながらの右翼」と公言して憚らない私としては、「ネットウヨの雑魚」なんて断言からして笑ってしまう。何しろネットなんてものが普及する以前からの右翼だから、「ネットウヨ」なんかになりようがない。

 だがまあ、私が「ネットウヨ」かどうかなんてのは些事だ。問題は「誹謗中傷をしている」か否か、だろう。
 
 当該記事や先行記事で明言している通り、私が「震災がれき受け入れ反対者」を(※1)糾弾している事は私自信が認める紛れもない事実である。それを「(震災がれき受け入れ反対者に対する)誹謗中傷」と言われるという事は、私の意図が伝わった証拠に他ならない。先ずは「コミュニケーションが成立した」事を寿ぐべきだろう。
 
 さてその上で、私の糾弾は、「誹謗中傷」に当たるか否か、だ。
 
 勿論私自身は「震災がれき受け入れ反対者」少なくともその一部に「殺意に近い怒り」を覚えている。従ってその糾弾は生半可な物ではないと自覚しているが、同時にその「殺意に近い怒り」に義憤・公憤に近いものさえ感じている。何れにせよ「怒り」と言うのは感情であり恣意的なものであるから、如何に私が義憤・公憤を感じようとも「客観的に見て誹謗中傷である」可能性を否定しきれるものではない。
 
 だが同時に、恣意的な感情である「怒り」に基づく糾弾を、その「怒り」の理由共々当該記事と先行記事にしているのだから、「誹謗中傷であり、不当・不条理な怒りである」か否かは読者諸兄が判断できる、とは主張できよう。
 
 上記2>「誹謗中傷をしている」 と言う指摘はわかった。だが私は記事にした理由による「怒り」に基づき震災がれき受け入れ反対者を糾弾しているのだから、その「怒り」の不当性を指摘しない限り、その糾弾を「誹謗中傷だ」などと思いようがない。


<注釈>

(※1) たとえ原水禁であろうとも 



(3)に関する質問

 こいつはどうなんだろうね・・・これも元のコメントを引用すると以下のようになる。
 
3> お国のために死にましょう運動に参加する奴はアホ。
4> プルトニウム飲んで死んでしまえ。  
 
 上記(3)で「震災がれき受け入れ賛成者は」と追記補足したのは、上記3>の「お国のために死にましょう運動」が「震災がれき受け入れ賛成論」の事を指すと解釈したため。一寸他に解釈のしようがない。
 
 さてその上で考えると、「震災がれき受け入れ賛成論」が「お国のために死にましょう運動」であるならば、その震災がれきを「受け入れ」も何もデフォルト状態で抱えており、当該コメント者の推進する「震災がれき受け入れ反対運動」によって「震災がれき」を抱え続けなければならない被災地は、「お国のために死にましょう運動」に強制参加させられて、被災地に居る限り免れようがない、と言う事になる。
 
 此処までは、当該記事及び先行記事で同趣旨の事を私は指摘し、それ故に「震災がれき受け入れ反対論者」を「非人道的なほどの利己主義者」と糾弾したのであるが、当該コメント者はどうやらその上を行く。何しろを私のような震災がれき受け入れ推進論者に対し上記4>プルトニウムを飲んで死んでしまえ(※1)と断言するのであるから、この理屈に従えば、震災がれきを抱えたままの被災地の被災者は全員プルトニウムを飲んで死ね」と言っているのに等しい。
 
 即ち、当該記事に触れた「被災地を無人地帯化して放棄しろ」と言う暴論のさらに上を行く、被災地の被災者は集団自決して被災地を無人化しろ」と言う大暴挙を唱えている事になる。「神をも恐れぬ暴挙・暴言」とは正にこの事だ。
 
 曲解だろうか。誤解だろうか。私は当該コメント者を「誹謗中傷している」だろうか。そうであれば寧ろ幸いだ。
 
 故に、問おうではないか。
 
 当該コメント者よ。貴方は、「被災地の被災者は集団自決して被災地を無人化しろ」と主張するのか。【Yes or No?】




<注釈>

(※1) 何処からそのプルトニウムを入手するかは特に言わず。再三繰り返すとおり、私は「放射線・放射性物質の危険評価は定量的にするべきだ」と主張しているから、喩えプルトニウムと言えども「安全な量はある筈だ」とは言うが、その量は極微量であるが故に、普通「プルトニウムを飲め」ば「死ぬだろう」と予想する。それは神ならぬ身の定命の者たる私自身も例外ではない。
 例外だったら、一寸驚くな。