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珍しく、毎日の社説がイスラエルを取り上げている。だがまあ、そこは三アカ新聞に準じる毎日の事だ。碌な事にはなりそうにないのだが・・・先ずは毎日社説を御一読願おうか。
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毎日社説:視点・イスラエル 素直な批判こそが有益だ
毎日新聞 2012年05月28日 02時30分
毎日新聞の前身、大阪毎日新聞と東京日日新聞で編集主幹や主筆を務めた渡辺巳之次郎は、ユダヤ人を研究していた。著書「猶太民族の世界的活動」(1922年刊)の中で彼は、シェークスピアの「ベニスの商人」からユダヤ人に嫌悪感を持ち、「憲政の神様」尾崎行雄(咢堂)による英首相ディズレーリの伝記を読んでユダヤ人を見直したと書いている。
だが、中東通のジャーナリストの代表格だった渡辺も、ユダヤ人との実際の交流体験は乏しかったようだ。同書刊行から90年後、日本の新聞各社がエルサレムに支局を置き、ユダヤ人と交流しているのを見れば、泉下の大先輩は何と言うだろう。
今月上旬、イスラエルのヘブライ大学で日本との国交60年を機に3日間のシンポジウムが開かれ、「日本学会」(ニシム・オトマズギン会長)が誕生したことは、さらなる交流に寄与しそうだ。中東ではトルコに次ぐ2番目の日本学会だという。
シンポでは計60人近い両国のパネリストが発言した。私は唯一の日本人記者なので、渡辺の著書を引用しつつ日本のイスラエル報道や両国民の危機意識に言及した。イラン空爆を検討するイスラエルに対し、日本は北朝鮮の核にいまひとつ危機感がないようだ。日本人とユダヤ人の違いはまずもって、70年代にイザヤ・ベンダサン(山本七平)氏が指摘したように「安全」への意識ではなかろうか、と。
無論、そう単純に決めつけはしないが、過去にイスラエルがイラクやシリアの核関連施設を空爆し、パレスチナ人の居住区を切り離す「分離壁」などを建設した背景にも、「安全」への強烈な意識が見て取れる。「分離壁」が延々と続く光景は、多くの日本人を暗い気分にさせるだろう。しかし、国際司法裁や国連総会が何と言おうとイスラエルは「壁」を造り続けた。
では、それによって幸福になったかと問うべきである。私の考えすぎなら幸いだが、日本の一部メディアは、イスラエルへの「無条件の支持」をうたう米国への気兼ねからか、意味もなくイスラエル批判をためらうようになった。それも同国には不幸なことだ。本当の友人は時に厳しいことを言うものだ。
他方、「安全」も含めて日本人は幸せかという問題もある。欧米と違いホロコーストに直接の関係がない日本は、元々イスラエルに率直にものを言える。活発に議論しよう。まずはイラン空爆を断念させるべく説得したい。空爆への熱気は少し冷めたとはいえ、11月の米大統領選後の中東情勢は不透明だ。(論説委員・布施広)
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毎日「イスラエルを批判してイラン空爆を断念させよう!」Why?
さて、如何だろうか。
書いてある事の私なりの要約は、章題にも入れたとおりだ。「イスラエルを批判して、イラン空爆を断念させよう!」だ。他に当該社説に書かれていることは、日本とイスラエルの国防・安全保障意識の差異や、その居すれるに対する米国の支持と、それに追従して居ると言う日本マスコミへの非難。後は日本に於ける「ユダヤ学」の歴史、と言ったところで、「日本マスコミへの非難」以外は上記の「私なりの要約」には直結していない。つまりは私の目には些事と映る、と言う事だ。
で、私が当該毎日社説を「斬る」理由もまた章題に入れたとおりだ。即ち「Why?」。毎日社は何を以ってイスラエルに「イラン空爆の中止」を求めるのか、だ。
何しろ当該社説はイスラエルの歴史を振り返り、近隣アラブ諸国の核兵器保有を阻止するためにイラクやシリアに空爆をかけた実績についても触れているし、前述の通りイスラエルと日本の国防・安全保障意識の差異にも触れている。これ即ちイスラエルがイラクやシリアを空爆し、今度はイランに空爆を計画しているであろう(*1)。であるのに対し、毎日社説と来た日には・・・
1> では、それによって幸福になったかと問うべきである。
なんとも牧歌的な問いかけだ。「平和ボケ」とは正にこの事。「イスラエルは、国家として存続している!」が恐らくはユダヤ人の答えであり、「マッサダは二度と落ちず!!」と続くだろう。それ即ち、「マッサダを二度と落とさないため」にはイラン空爆も躊躇なく実施するし、すべきであるという主張だ。
その空爆実施には、米国大統領選挙とて、副次的要因に過ぎない。況や「ホロコーストに直接の関係がない本当の友人」日本の「イスラエル批判」なんぞ、歯牙にもかけるものかよ。
だがまあ、イスラエルが聞く/聞かないは別としても、一体毎日社説は何を以って「イスラエルのイラン空爆」を「素直に批判」しているのか、この社説からはサッパリ分からない。
「空爆=武力攻撃=悪い事・批判の対象」と言う短絡的な図式とも一応取れる。が、「イランの核開発と核武装は黙認しろ」とのダブルスタンダードは如何ともし難い。「イスラエルの事実上核武装に対する対抗手段としてイラン核武装を認める」と言う中東冷戦容認論が一応想定できるが、それならそうと、「イスラエルのイラン空爆反対」の裏面を明示すべきだろう。
「北朝鮮の核武装に対し、空爆を考えてすら居ない日本を見習え」と言う趣旨かも知れないが、日本の位置にイスラエルがあったならば、とうの昔に空爆して「核の脅威」を取り除いていたろうと私には思われる。逆にイスラエルから「何故北朝鮮を空爆しないのか?」と問われるのがオチだろう。何れにせよ「日本を見習え=イランkを空爆するな」と主張するためには、相応の別の根拠が必要だろう。
その根拠が、当該毎日社説には示されていない。殆ど示唆すらされていない。
辛うじての示唆が、上記1> 「幸福になったか」と言う問いかけばかりであり、そんなものは「イスラエルは、国家として存続している!そのために虐殺も差別も一定レベルに押さえ込んでいる!!」と言う重く実績を伴う答えの前には吹き飛んでしまう。
第一、イスラエルがイラン空爆を中止したとして、イスラエル国民がどれだけ幸福になるというのか。イランによる核脅威なんぞ抱え込んだ日には、「それによって幸福になったか」と言う問いに対する答えは、明々白々だろう。
私の問い掛けは、やはり章題に尽きる。
一体何を以って毎日社説はイスラエルに「イラン空爆中止」を訴えるのか?
それが「武力行使罪悪論」であるならば、「イラン核武装と言う先制攻撃をイスラエルは受けつつある」と切り替えされよう。
それが「国民の幸福論」ならば、「イスラエルと言う国がなくなっては、何が幸福論なものか。」と言われよう。
況や「日本を見習え論」に至っては、「寝言は寝て言え」でお終いだろう。
<注釈>
(*1) 「空爆決行!」となってから計画立てていたのでは間に合わない。かてて加えてイスラエルの情報部は世界屈指の情報収集力を誇る。イラン空爆計画が未作成だったら、それこそ驚きだ。
【おまけ】 毎日主筆って、この程度なんだな
2> 毎日新聞の前身、大阪毎日新聞と東京日日新聞で編集主幹や主筆を務めた渡辺巳之次郎は、(中略)
3> シェークスピアの「ベニスの商人」からユダヤ人に嫌悪感を持ち
ソリャ文学作品に限らず芸術の価値ってのは、その受け手が決定して、受け手以外決定できないのであるが、それにしても、何と皮相的な読み方だろう。ひょっとして誰かの書いた論評かなんかを読んで「ベニスの商人」を「読んだ」ないし歌劇として「観劇した」と称しているのではないかと疑われるほど。
確かに「ヴェニスの商人」のユダヤ人商人シャイロックは、金の亡者の守銭奴として悪名高いが、彼は有名な主人公(こちらの方の名前は忘れた)の「胸の肉1ポンド(だったと思う)」を担保とした借金の「取り立て」に当たり、その借金の倍額だか十倍額だかの返済申し出を蹴って「胸の肉」の方を要求しているし、「そんなものは役に立たないだろう」と言う常識論にも「釣の餌になるさ」と言い放っている。彼が本当に「金の亡者の守銭奴」ならば、「胸の肉」よりも「倍額(以上)の返済」を選んだだろう。
挙句の果てに、「胸の肉を取るのは良いが、血は一滴も流すな」と言う無理難題を課されて、全財産と地位、さらには娘まで、シャイロックは失ってしまう。
私に言わせれば「ヴェニスに商人」シャイロックは、「守銭奴」なんかではない。復讐の好機に我も、算盤勘定=経済的収支も忘れてしまった、哀れな男であり、「ヴェニスの商人」は正にそのタイトルどおり、「ユダヤ商人シャイロックの悲劇」なのである。