
【2】原発再稼動 日経・読売・産経三紙の主張
翻って、今夏電力不足海象へ向けての原発再稼動を容認ないし推進する日経・読売・産経の社説はどうだろうか。
理の当然ながら三紙に共通するのは、「脱原発」五アカ新聞の裏返し「今夏予想される電力不足に対する懸念」である。
その上で、日経は「安全を確保した上での原発の再生」を訴える。だから日経社説の〆は、次の一節になる。
日経1> 1966年に日本原子力発電の東海発電所が初の商用原発として動き出してから46年。日本の原子力は歴史的な分岐点にある。
日経2> 安全を最優先に、なれ合いを捨て、自らを変える力が原子力の再生に求められている。
節電努力や節電を促す方策にも触れてはいるが、究極のところ「それでは不足する」と言う確信ないし懸念を保持しており、「脱原発」を金科玉条不磨の聖典として節電努力で充分と楽観視したり、あまつさえ「経済成長追及と経済成長に必要な電力と言うのは時代遅れ」と言わんばかりの五アカ新聞との相違は明らかだ。
まあ、日経が経済紙であるだけに「経済成長放棄」と言うのは存在理由の否定になりかねないという「出自の違い」の影響はあるかも知れないが、「脱原発のためには経済成長を放棄しよう」と言う方が「地に足が着いていない机上の空論」どころか「暴論」と呼ばれるべきだろう。
読売は、日経とは一寸切り口が異なる。やはり「節電努力による電力不足解消の限界」や、原子力に代わって増強されている火力発電による燃料コストなどの懸念を挙げて原発再稼動を訴えるが、同時にその原発再稼動を疎外している現・民主党政権に対する非難のトーンが強い。
読1> 首相が先頭に立ち、大飯原発の再稼働実現に向け、地元の説得に全力を挙げるべきだ。
と、首相の責任を糾弾し、
読2> 原子力規制庁の設立が遅れ、大飯以外の再稼働手続きがストップしているのも大きな問題だ。
読3> 与野党は規制庁設置を巡る協議を進め、再稼働の審査にあたる新体制作りを急がねばならない。
と、与野党含めた国会の対応を求めて、その社説を〆る。
原発再稼動三紙の残り「右の横綱」産経は、日経の電力不足不安や読売の現・民主党政権批判にさらにもう一段踏み込んだ恰好だ。
産1> 脱原発の流れの一環として、既存の原発の建て替えなどが今後、認められなくなる事態もあってはならないことだ。
まあ、日経が経済紙であるだけに「経済成長放棄」と言うのは存在理由の否定になりかねないという「出自の違い」の影響はあるかも知れないが、「脱原発のためには経済成長を放棄しよう」と言う方が「地に足が着いていない机上の空論」どころか「暴論」と呼ばれるべきだろう。
読売は、日経とは一寸切り口が異なる。やはり「節電努力による電力不足解消の限界」や、原子力に代わって増強されている火力発電による燃料コストなどの懸念を挙げて原発再稼動を訴えるが、同時にその原発再稼動を疎外している現・民主党政権に対する非難のトーンが強い。
読1> 首相が先頭に立ち、大飯原発の再稼働実現に向け、地元の説得に全力を挙げるべきだ。
と、首相の責任を糾弾し、
読2> 原子力規制庁の設立が遅れ、大飯以外の再稼働手続きがストップしているのも大きな問題だ。
読3> 与野党は規制庁設置を巡る協議を進め、再稼働の審査にあたる新体制作りを急がねばならない。
と、与野党含めた国会の対応を求めて、その社説を〆る。
原発再稼動三紙の残り「右の横綱」産経は、日経の電力不足不安や読売の現・民主党政権批判にさらにもう一段踏み込んだ恰好だ。
産1> 脱原発の流れの一環として、既存の原発の建て替えなどが今後、認められなくなる事態もあってはならないことだ。
と、現有原発再稼動のみならず、より長期的に現有原発の代替原発建設にまで言及し、
産2> 原子力産業は巨大な複合技術とそれを支える多数の研究者、技術者によって成立している。
産3> 建設が長期にわたって中断すれば、原子力分野への有能な若手人材の参加も途絶えてしまう。
産4> 半世紀にわたって蓄積されてきた高度な技術体系の継承も持続不能に陥る。
と、原発技術維持の観点から継続的な原発建設をも訴える。福島原発事故後に「脱原発」を国として決定したためにドイツ・シーメンス社が「原発事業撤退」を決めた事実からすると、上記産2>~産4>の産経表明する懸念は理の当然である。逆に「廃炉ビジネスで原子力技術維持」などと抜かす「脱原発」五紙の浅慮は明らかだろう。少なくともドイツ・シーメンス社は「脱原発ビジネスで食って行けるとは判断しなかった」のだから。
産3> 建設が長期にわたって中断すれば、原子力分野への有能な若手人材の参加も途絶えてしまう。
産4> 半世紀にわたって蓄積されてきた高度な技術体系の継承も持続不能に陥る。
と、原発技術維持の観点から継続的な原発建設をも訴える。福島原発事故後に「脱原発」を国として決定したためにドイツ・シーメンス社が「原発事業撤退」を決めた事実からすると、上記産2>~産4>の産経表明する懸念は理の当然である。逆に「廃炉ビジネスで原子力技術維持」などと抜かす「脱原発」五紙の浅慮は明らかだろう。少なくともドイツ・シーメンス社は「脱原発ビジネスで食って行けるとは判断しなかった」のだから。
産5> 資源小国にとって、原発ゼロは自らの息の根を止める行為に等しい。
産6> 日本の国力回復が不可能になる「ポイント・オブ・ノーリターン」は目前だ。
産7> 原発の再稼働で破局突入を回避したい。
産6> 日本の国力回復が不可能になる「ポイント・オブ・ノーリターン」は目前だ。
産7> 原発の再稼働で破局突入を回避したい。
と、その社説を〆る産経は、その主張も論旨も明確で、「これぞ新聞社の主張」と呼ぶべきであるし、「これぞ、新聞社の存在理由」と私なら断じてしまう。
それにつけても・・・今回の社説比較8紙の白眉は、何と言っても東京新聞であろう。無論、「福島原発事故を経て尚原発推進論者」たる私が原発論で東京新聞を取り上げるのだから、批判皮肉のタップリ入った「白眉」呼ばわりである。
その批判皮肉の理由は・・・まあ、以下に転載するので御一読願おうか。
転載開始=========================================
【3】結論+α
それにつけても・・・今回の社説比較8紙の白眉は、何と言っても東京新聞であろう。無論、「福島原発事故を経て尚原発推進論者」たる私が原発論で東京新聞を取り上げるのだから、批判皮肉のタップリ入った「白眉」呼ばわりである。
その批判皮肉の理由は・・・まあ、以下に転載するので御一読願おうか。
転載開始=========================================
泊停止・原発ゼロへ 私たちの変わる日
2012年5月4日あす、原子力発電の火が消える。私たちは、それを日本の大きな転換点と考えたい。新しく、そして、優しいエネルギー社会へ向かう出発点として。私たちは間もなく、原発のない社会に暮らすことになる。全国五十基の原発がすべて停止する。国内初の日本原電東海原発(茨城県東海村)と敦賀原発1号機(福井県敦賀市)が止まって以来、四十二年ぶり。ただし、稼働中の原発がその二基だけだったころのことだから、比較にはならない。◆不安定な基幹電源東海原発は一九六六年に、営業運転を開始した。その後七〇年代に二度のオイルショックを経験し、北海道から九州まで、沖縄を除く日本全土に「国策」として、原発が建設された。五十基が現存し、この国の電力の約三割を賄う基幹電源に位置付けられる。しかし、安全意識の高まりの中で、新規立地や増設が難しくなってきた。ここ十年で新たに運転を開始したのは、中部電力浜岡原発5号機など四基にとどまる。電源開発(Jパワー)が建設中の大間原発(青森県大間町)などは福島第一原発事故の影響もあり、操業開始のめどは立っていない。震災前にも、定期検査以外に不祥事やトラブルが相次いで、平均稼働率は六割台と低かった。震災後の昨年度は二割強にとどまった。原発は少し大きな地震に遭えば長い停止を余儀なくされる。基幹電源とはいわれていても、もともと不安定な存在なのである。「原発ゼロ」とはいうものの、原子炉は消えてなくならない。すぐに大きく社会が変わり、安心安全が訪れるわけでもない。震災時、福島第一原発4号機は定期検査で停止中だった。ところが津波で電源を失って、使用済み燃料を保管するため併設された貯蔵プールが冷やせなくなり、危険な状態に陥った。◆神話と呪縛を克服し止まった後の課題も今後、ますます深刻になるだろう。中でもすぐに直面するのが二つの原発依存である。電力の約半分を原発に依存する関西の電力不足と、経済の大半を原発に頼り切る立地地の財政と雇用の問題だ。このほかにも、欧米や中国からも後れを取った風力や太陽光など自然エネルギーの普及促進や行き場のない高レベル放射性廃棄物の処分など、難しい課題が山積だ。原発ゼロはゴールではなく、原発に頼らない社会の構築へ舵(かじ)を切るスタート地点なのである。それでも明日は、われわれの社会と暮らしにとって、大きな転換点には違いない。ゼロ地点に立ち止まって考えたい。震災は、原発の安全神話を粉々にした。安全神話の背後にあるのが経済成長の呪縛である。原発、あるいは原発が大量に生み出す電力が、経済成長を支えてきたのはもちろん疑いない。経済成長を続けるため、電力需要の伸びに合わせて、高出力の原発を増設し続けた。そうするには、原発は絶対に安全でなければならなかったのだ。その結果、原発は安全神話に包まれた。消費者も、そのことにうすうす気づいていたのだろう。日本は世界唯一の被爆国である。私たちの記憶には世界中の誰よりも核の恐怖が染み付いている。経済成長がもたらす物質的な豊かさは、恐怖さえ、まひさせたのかもしれない。被爆国としての倫理に勝るほど、成長の魅力は強かったのか。経済成長の神話にも今は陰りが見える。目の前の転換点は、消え残る神話と呪縛を克服し、被爆国の倫理を取り戻す契機になるはずだ。経済の効率よりも、私たちは人間の命と安全を第一に考える。野放図な消費を反省し、有限なエネルギー資源をうまくいかすことができるのなら、新しい豊かな社会を築いていけるはずである。優しい社会をつくるため、私たち消費者もエネルギー需給の実態をよく知る必要があるだろう。暮らしを支える電力がどこでつくられ、電気のごみがどこへ葬られるかも知らないで、原発推進、反対の対立を続けていてもしかたがない。電力事業者の誠実な情報開示が必要だし、私たちの暮らしのありようももっと考えたい。◆ゼロ地点から始めよう浜岡原発の全面停止を受けて名古屋では、原発推進、反対双方の市民有志がこの三月、地域にふさわしい電力供給と消費のあり方を事業者とともに考えようと、「中部エネルギー市民会議」を発足させた。「エネルギー自治」を目指す新たな試みだ。同様の活動は各地で始まっている。ゼロは無ではなく、そこから生まれるものは無限大という。明日訪れるゼロ地点から、持続可能で豊かな社会を生み出そう。私たちの変わる日が来る。
=================================転載完了
さて如何だろうか。
お気付きだろうか。この東京新聞社説には「具体的な主張が殆どない」のだ。
1> 「全原発稼動停止する。嬉しい。
2> でもまだ原発そのものが無くなった訳じゃない。
3> 原発を無くそう。原発を無くし、私たちが変われば、「持続可能で豊かな社会」が実現する。」
上記1>~3>の僅か3行の要約以外に当該社説に盛り込まれている事といえば、再読しても、
① 「エネルギー市民会議」の話し合いによる電力不足解消
② 経済成長の放棄
③ 従来エネルギー政策=原発推進に対する批判
これだけしか出て来ない。
で、上記1>~3>及び①~③の中で「具体的な主張」と呼べるのは、実に上記②「経済成長の放棄」だけ。恐ろしいほどに空虚な社説だ。最早主張とか論説とか言うレベルではなく、呪文か詩歌に近い。
それはそれで、実に「東京新聞らしい」と言う事なのか、も知れないが。
以上から、今回の八紙の社説を不等式で表わすならば、以下のようになろう。
東京
↑ 琉球≒沖縄 ⊂ 朝日<毎日<< (日経 ∪ 読売) ⊂ 産経
東京新聞社説は「上位にある」のではない。昇天し、とうとう『逝ってしまって』いるのである。合掌。
さて如何だろうか。
お気付きだろうか。この東京新聞社説には「具体的な主張が殆どない」のだ。
1> 「全原発稼動停止する。嬉しい。
2> でもまだ原発そのものが無くなった訳じゃない。
3> 原発を無くそう。原発を無くし、私たちが変われば、「持続可能で豊かな社会」が実現する。」
上記1>~3>の僅か3行の要約以外に当該社説に盛り込まれている事といえば、再読しても、
① 「エネルギー市民会議」の話し合いによる電力不足解消
② 経済成長の放棄
③ 従来エネルギー政策=原発推進に対する批判
これだけしか出て来ない。
で、上記1>~3>及び①~③の中で「具体的な主張」と呼べるのは、実に上記②「経済成長の放棄」だけ。恐ろしいほどに空虚な社説だ。最早主張とか論説とか言うレベルではなく、呪文か詩歌に近い。
それはそれで、実に「東京新聞らしい」と言う事なのか、も知れないが。
以上から、今回の八紙の社説を不等式で表わすならば、以下のようになろう。
東京
↑ 琉球≒沖縄 ⊂ 朝日<毎日<< (日経 ∪ 読売) ⊂ 産経
東京新聞社説は「上位にある」のではない。昇天し、とうとう『逝ってしまって』いるのである。合掌。