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 本記事冒頭で私は、ダレル・ハル著「統計でウソをつく法」を紹介し、今回の世論調査では「サンプルを意図的に偏らせる」と言う方法は取られていないようだ、と述べた。
 
 次いで琉球新報社説を紹介し、「統計でウソをつく法」にはないが「都合の悪い数字は無視する」と言う「高等」テクニックで「世論調査でウソをつく法」について論じた。まあ、琉球新報社説殿の鳩山由紀夫級非現実性は、おまけだ。
 
 だが、そもそも此の世論調査自身にはすでに「統計でウソをつく法」と言う古典で述べられている「古典的」テクニックが使われているようだ。即ち「設問の工夫」によって
 
 これは推測である。「邪推」かも知れない。が、AFP通信が伝えるには、
 
3> 18日発表された世論調査で、将来的に原子力発電所を全て廃止する「脱原発」を支持する人が80%に上ることが明らかになった。
 
とある。上記3>「将来的に原子力発電所を全て廃止する「脱原発」」の「将来的」の三文字が利いている。即ち此の設問は、「【質問】:将来的に原子力発電所を全て廃止する「脱原発」に、貴方は賛成しますか?【賛成する/どちらかと言えば賛成する/どちらかと言えば反対する/反対する】」の四択になっていて、「賛成」「どちらかと言えば賛成」を先行配置したのではなかろうか。先行配置が得票しやすい事に加えて、「将来的に」とすればさらに得票が集まる、と言う仕掛けがあったのではないか。
 此の「将来」を、例えば百年先に取るならば、私とてYesと答える事を検討するだろう(*1)10年や20年では殆ど再考の余地なくNoであるが(*2)。
 さらには前述の上記2> 「脱原発」80%が支持、現実的対応としての再稼動容認54%  と言う「一見矛盾した結果」にも此の「将来的」の三文字が利く。即ち「将来的には「脱原発」。短期的には原発再稼動」と言う考えならば、「一見矛盾」は「一見」にしか過ぎない。ある意味、「常識的な判断」とも言えるだろう。
 
 逆に言えば、此の世論調査結果を絶対とし、世論に拠ってエネルギー政策を決めるものと、仮にしたとしても、即ち前掲の琉球新報社説の(表向きの)主張に「完全に沿った」としても、「短期的には原発を再稼動し、将来的に「脱原発」を目指すべき」と言う事であり、琉球新報社説の主張する
 
硫6> 原発を全て止めても火力発電所を7割稼働させれば最大需要を賄える。能力的にも脱原発は可能なのだ。
 
と言うのは、今回世論調査結果に反するものだ。つまりは琉球新報社説の主張は「世論調査結果の恣意的選択」であり、ダブルスタンダードに他ならない
 
 尚且つ、「世論調査」如きに我が国のエネルギー政策を決めさせようとする「一見民主的」な決め方に私は反対する。民主主義や多数決は、絶対でもなければ最善でもない(*3)。世論とはうつろいやすく、当然誤る事もある。だからこそ民主党は「政権交代」の追い風を受けて、今、政権与党の地位にあるのだ。特に国民が興奮し、激昂し、「頭に血が上っている」時に、世論なんぞ当てになるものか。而して「将来的」と言う限定詞はつくものの、「脱原発支持8割」などと言う結果は、「国民の総意」と言うより「激昂した世論」と考えるべきだ。
 
 我が国のエネルギー政策を決めるのは、冷静冷徹な議論であるべきだ。
 
 無論、再三繰り返すとおり、私は今でも原発推進論者だ。今回の世論調査結果は私のような原発推進論者が少数派であることを(やっぱり)示している。
 
 だが、そんなことを理由に、私は私の意見を変える心算は無い。「少数派」、「人とは違う」、「マイナー」には、慣れっこなんでね。
 
 敵は幾万ありとても、全て烏合の勢なるぞ。
 烏合の勢にあらずとも、味方に正しき道理あり。
 

<注釈>

(*1) 私の「自然エネルギー推進論」―フクシマ後も原発推進の立場から― http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778036.html  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778053.html  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778071.html
  
(*2) 私の原発推進論―または私が福島原発事故を経てなお原発を推進する理由。―前進せよ、人類。   http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35630668.html 
 
(*3) 民主主義が次善であるのも、国民が少なくとも冷静で、一定の知識を後半に共有している事が前提だ。放射能とエンガチョの区別がつかないようでは、原発論を論じるのさえ虚しいし、決定するなぞ、論外だ。