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【40×40】宮嶋茂樹 東北の民の痛みは分からんか? http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120301/stt12030107200001-n1.htm
「義憤」とか「公憤」と言う感情は、どちらかと言うと珍しいものであろう。「稀有」と言ってもよいかも知れない。
表面上、口先だけで「義憤/公憤」を語るのは簡単だから、其れを口にする言葉にする者は相応に居ようが、人間、己自身や身内家族以外の「私ならぬ公なる理由で怒る・憤慨する」と言うのは仲々出来るものではない。だから、「義憤」とか「公憤」とか公言するものには先ず警戒した方が良い、と私は考えている。人間、そうやたらに「義憤に駆られ」たりはしないものだ。
逆に言えば、真に「義憤に駆られる」人は、其れ相応に出来た人物、大物であると考えるべきであり、それだけで尊敬するに値しよう。
カメラマンの宮嶋宮嶋茂樹氏は、どうも、そんな大物であるようだ。宮嶋茂樹氏は、本職「戦場カメラマン」である。が、「不肖・宮嶋」と言う独特の一人称を用いたフォトエッセーの方が、多分作品である写真よりも有名だ。「戦場カメラマン」と言えば、独特のゆったりした口調でお茶の間をにぎわしている戦場カメラマンもあるようだが、宮嶋茂樹氏の言説は彼よりも遥かに「過激」である。
それ故に義憤に駆られ、公憤を語るのであろう。先ずは宮嶋茂樹氏のコラムを、御照覧あれ。
逆に言えば、真に「義憤に駆られる」人は、其れ相応に出来た人物、大物であると考えるべきであり、それだけで尊敬するに値しよう。
カメラマンの宮嶋宮嶋茂樹氏は、どうも、そんな大物であるようだ。宮嶋茂樹氏は、本職「戦場カメラマン」である。が、「不肖・宮嶋」と言う独特の一人称を用いたフォトエッセーの方が、多分作品である写真よりも有名だ。「戦場カメラマン」と言えば、独特のゆったりした口調でお茶の間をにぎわしている戦場カメラマンもあるようだが、宮嶋茂樹氏の言説は彼よりも遥かに「過激」である。
それ故に義憤に駆られ、公憤を語るのであろう。先ずは宮嶋茂樹氏のコラムを、御照覧あれ。
転載開始=========================================
【40×40】宮嶋茂樹 東北の民の痛みは分からんか?
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120301/stt12030107200001-n1.htm
2012.3.1 07:16
またやってくれたのう…沖縄の衆は。海上自衛隊が「雪を見たことのない沖縄の子供たちに本物の雪を…」と良かれと思うてやったことに「そんな汚いモン送るな」とインネンをつけよったのである(その後、別のイベントなどで利用することになったが…)。不肖・宮嶋、海上自衛隊航空部隊が沖縄の子供たちのために真心を込めて集めた雪を積み込んだ青森県は八戸航空基地に今、おるのである。彼らは落胆しとるというより驚いとるわ。幸か不幸か今年の冬は沖縄を除き、日本列島は大雪である。雪は掃いて捨てるほどある。自衛隊ならずともこの雪を、雪まつりだけやなしに、喜んでもらえる人のために使えたら、と考えるのが日本人や。しかし、某新聞によると、青森からの雪を送り返せ、と強硬にネジ込んだのは東北から避難してきたヤマトンチュー(内地人)の“左マキ”の教条主義者であって、沖縄は反対やない、というのである。悪いのはヤマトンチューということか。まぁホンマかどうか分からんが、そんなわけないやろ。沖縄県民にも手引きしたヤツ、あおったヤツ、突き返せ、と決定したヤツはおるハズや。未曽有の大震災の被害に遭ったばかりか、原発事故のせいで家を、仕事を失ったばかりか、故郷に住むことさえできなくなった方々を不肖・宮嶋は少なからず見てきた。誰がすき好んで故郷離れ、他府県に避難するものか。そこが原発が一基もない沖縄でもや。その苦悩、察するにあまりある。それでも多くの東北の民が歯を食いしばってとどまっとるんである。その青森の雪を、その雪とともに暮らす人々を同じ青森から逃げ出した人が汚いもの扱いすることは断じて許せん。狭い沖縄県には在日米軍専用施設の約7割が集中する。沖縄県民も「その負担を他府県でも分かち合ってくれ」と口を酸っぱくして言うてきたのとちゃうの? 自らの痛みは分かってくれん、と怒るくせに、もっと苦悩の中でのたうちまわる東北の民の痛みは分からんか?(カメラマン)
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困った時の友が真の友ならば、困った時の敵こそ真の敵に違いない
さて、如何であろうか。
宮嶋茂樹氏の主張を「公憤」と評価してしまうぐらいだから、私は此の主張に全面的に賛同している。其れは、先に記事にした「やはり放射能を理由に震災がれき受け入れ拒否を要望した原水禁」に対し私が抱いた殺意にも似た「冷たい怒り」(※1)とあい通じるものがあるからである。
先行記事で私が原水禁に発した質問は以下の2項目だ。
【質問1】 貴方らは、「被災地は復興するな。無人地帯として放棄しろ。」と、主張しているのか。 Yes or No?
【質問2】 質問1の答えがNoならば、「被災地の復興」に於いて「汚染がれき」はどう処分されるのか?
無論、震災がれき処分を拒否しているのは、沖縄の一部(※2)や原水禁ばかりではない。否、未だ明確に震災がれき受け入れを表明し実践しているのは、東京都・石原都知事ぐらしか居ないと言う、実に情けない状態である。
斯様な情けない状態に我が国、我が日本人が陥っているのは、福島原発事故による「順風」を受けて、我が国で放射能アレルギーが猖獗を極め、そ奴らの「市民の不安の声」に阿って「震災がれきの受け入れ」さえ決断できない地方自治体ばかりだからである。
放射能は疫病でも、エンガチョでも、ケガレでも、悪霊でもない。
放射能は物理現象で、エネルギーの一形態。大量に浴びれば死に至るのは確かだが、微量の放射能は「健康に良い」と信じられ、ラドン温泉やらラジウム温泉などとして観光名所として営業していた。福島原発以降これらの観光名所は閑古鳥が啼いているそうであるが、それら観光名所に於いて「明白な健康被害は生じなかった」からこそ営業が続けられていたのである。
「微量な放射能の影響は曖昧で良く判らない」などと言うしたり顔の不可知論は、広島、長崎に対する原爆投下や、チェルノブイリ事故、スリーマイル事故の犠牲者達、Atomic Soldierなどに拠って得られた知見を蔑ろにするものであり、人類の叡智と知性に反するばかりでなく、これら犠牲者達を冒涜するものでさえある。
況や、震災がれきを被災地から運び出し、別のところで処理したところで、問題となるような放射性物質が「集積」されるなどあり様がない事は、電卓どころか暗算するまでもなく、余りにも明らかだ。
それでも「心配」する向きはあるだろう。
「心配」させておけ。
そんな奴バラは、どうせ何を言っても、何をやっても「心配」するのだ。馬鹿につける薬はない。その「心配」している放射能よりも、心配そのものの方が有害であろうがこちらの知った事ではない。
石原都知事が表明したように、「心配する市民」には、「黙れ!」と一括して震災がれきを受け入れる。これが、正しく人の道であり、正しい態度である。
而して章題にもした通り、そのように震災がれきを受け入れてこそ、被災地の真の友と言えよう。
さらに章題にした通り、震災がれきを「放射能を心配して」受け入れ拒否するような奴バラは、被災地の敵と断じるべきだろう。
喩え其れが、引用記事にもある通り「避難した被災者」であろうとも、震災がれき処理を妨げ、復興を阻止して居ると言う点で、立派な「被災地の敵」に違いない。
<注釈>
(※1) 原水禁に対する公開質問状―「震災がれき」をどう始末する心算か http://www.blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36720672.html(※2) 沖縄は、県としては少なくとも「震災がれき受け入れの検討」を実施している。まだ、検討ばかりだが。