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 当ブログを読み続けている方(*1)はご承知だろうが、当ブログでは朝日、琉球新報、沖縄タイムスの三紙を「三アカ新聞」と呼び習わしている。これは勿論「三馬鹿」を捩ったものせ、蔑称であるから、これら三紙と私との間には、男と女の間どころではない[深くて暗い川」=乖離があることは間違いない。
 
 が、今回の沖縄タイムス社説は、そうでもない。先ずは御一読、願おうか。
 

<注釈>

(*1) そんな奇特な方が何人いるか、はとりあえず置こう。 
 
 

沖縄タイムス社説 [雪イベント]やろうよ、支えようよ 

 2012年2月24日 09時55分  
 青森県から運んだ雪で、子どもたちが遊ぶイベントを開催するかどうか―。行事を予定していた那覇市内の児童館や放課後児童クラブでは、実施をめぐり判断が分かれた。
 「放射性物質の影響が心配だ」という保護者の懸念は理解できる。実施する以上、放射線量を測定し、安全を確保するのが前提だ。その上で安全だと認められれば、予定通り開催することが、被災地そして東北全体へのエールにつながるのではないか。
 イベントは、沖縄の子どもたちに雪と触れ合う機会を設ける趣旨で、毎年開かれている。放射能汚染に関する市の問い合わせに対し、青森県側から「大気中の放射線量は、国の暫定基準値に満たない」と回答を得ていたという。
 だが、東日本大震災後に県内に避難してきた児童館の利用者らから、中止を求める声が寄せられた。結局、雪遊びを予定していた児童館など3カ所のうち、2カ所で避難者に配慮し実施を見送った。
 確かに、放射性物質による健康被害のリスクは、まだ分かっていないことが多い。被ばくへの不安が募るのは当然だ。まして子ども向けのイベントであり、神経をとがらせるのも無理はない。
 一方で、被災地に今も暮らす人たちに思いをめぐらせる冷静さを持ちたい。安易に中止の方向に流れてしまえば、風評被害に加担し、被災地の孤立を招きかねないからだ。
 「悲しいですね。好意がこんな形になって返ってくるとは」。報道後、青森県の女性から沖縄タイムス社に届いたメールが切ない。
 放射能汚染への不安から、被災者の思いを踏みにじる出来事が全国で起きている。
 京都の山でかがり火をたく「五山送り火」では、岩手県陸前高田市の松を燃やすかどうかで二転三転した。愛知県の花火大会では、福島県産の花火を打ち上げる予定が、別の花火に差し替えられた。福岡市に市民グループが開店を予定していた福島の農産物販売所も、断念に追い込まれた。
 支援を目的とした企画が、逆に被災地の人々を失望させる結果となった。
 大阪府河内長野市の架橋工事でも、福島県内の建設会社が造った橋桁の搬入ができなくなり、工事が中断した。
 東日本大震災からやがて1年を迎えようとしているのに、岩手、宮城、福島3県沿岸部のがれきのうち、処理を終えた量は、全体の約5%にすぎない。被災地以外での広域処理が進まなければ、被災地の復興が滞りかねない。
 原発事故による放射性物質の影響は、広範囲かつ長期に及ぶ。この先、完全に排除して生活するのは、困難だと言わざるを得ない。さらに、そのリスクの受け止め方は個人差が大きい。
 今回の雪をめぐる問題は、私たち一人一人がどう向き合うかが問われている。
 市民の放射性物質への不安を取り除くことと、離れた被災地の人々を支えること。二者択一ではなく、両方を成り立たせる道は必ずある。
 互いに助け合う、支え合う気持ちだけは失いたくない。
 
 

行動には賛成、理論には反対

 さて、如何であろうか。
 
 先ずは私が当該沖縄タイムス社説に同意できる所から行こう。社説タイトルにもなっている「[雪イベント]やろうよ、支えようよ」と言うのには諸手を挙げて賛成する。本章タイトルを「行動には賛成]とした所以である。
 
1>  互いに助け合う、支え合う気持ちだけは失いたくない。
 
と言う、当該社説〆の決め台詞も、「歯の浮くような科白だな」と思いつつ、首肯出来る。被災地は、そうでなくても自身と津波、地域に拠ってはさらに原発事故と、酷い目にあっているのだから、それ以上の原発事故風評被害だの、被災地差別だのを被らせるのは、非人道的、否、人間たる人間の所業ではないだろう
 
 それどころか、そもそも「[雪イベント]を中止する事自体が誤りである」と言うのが、私の主張である。それは、被災地差別の阻止と言う義憤から出ている主張であり、原水禁がイケシャァシャァと公言する「震災がれき処分受け入れ拒否」に対する公憤( http://www.blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36720672.html )と同根である。
 
 従って、
 
2>  確かに、放射性物質による健康被害のリスクは、まだ分かっていないことが多い。
3> 被ばくへの不安が募るのは当然だ。
4> まして子ども向けのイベントであり、神経をとがらせるのも無理はない

 
等と、「雪イベント開催中止の論理」に組する様な事は、私には出来ない。広島と長崎の原爆投下と言う壮大な「人体実験」があり、チェルノブイリ事故やAtomic Soldierなどの実験・事故データもあるというのに上記2> まだ分かっていないことが多い。」 などとしたり顔の不可知論を振りかざすのは、人類の知性と広島・長崎を含む犠牲者達への冒涜とさえ言えよう。
 
 第一、少なくとも沖縄タイムス自身が此の社説で「雪イベントをやろう」と訴えているのである。上記2>「まだ分かっていないことが多い。」 上記3> 被ばくへの不安が募るのは当然だ。」 としつつ雪イベントの開催事態を否定しない」のは、「不安がる者もあろうが、雪イベント自体は安全である」と言う確信の自白に他ならない実際、三箇所予定していた雪イベントの内残り一箇所では実際される/された のであるから。
 
5>  市民の放射性物質への不安を取り除くことと、離れた被災地の人々を支えること。
6> 二者択一ではなく、両方を成り立たせる道は必ずある。

 
 Negative. 否定。
 
 不条理不合理に「放射性物質を不安がる市民」は何をやっても「不安がる」から、何をやっても無駄である。何故ならば、青森の科学的説明を受けて尚「青森から来た雪」というだけで「不安がる」様な非科学的・非論理的・放射脳アレルギー患者の前には、如何なる測定値も、科学的説明も、無効だからだ。
 
 馬鹿につける薬は無い。
 
 薬の無い馬鹿は放っておくのが最善なのである。「二者択一」も何もあるものか。