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<参考>【産経社説】河村氏の南京発言 これで問題視されるとは http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120224/lcl12022403050000-n1.htm
河村名古屋市長が「南京大虐殺」について「通常の戦闘行為はあったが、南京事件はなかったと思っている」と発言した事は、以前にも記事にした(http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36728588.html#36728588)。例に拠って例のごとくの支那の「報復」措置や、民主党政権及び愛知県知事の情けない反応も。ああ、中国側の反応で「南京大虐殺があった」根拠として東京裁判判決を挙げたのは大笑いだったな。大陸では裁判で勝ちさえすれば良いという「裁判至上主義」が闊歩しているものと見える。が、その「東京裁判」に於ける「南京大虐殺」の証言が一白人神父の伝聞でしかない事は、「此の有罪判決が目に入らぬかぁぁぁ」と一蹴する、心算なのであろう。無論私なんぞはそんなもので一蹴なぞされはしない、寧ろ鼻で笑ってやるのだが、日本のマスコミには平身低頭してしまう奴が掃いて捨てるほどあるから、大陸にとっては好都合な事よ。
で、その平身低頭している日本マスコミの一例が、東京新聞であるらしい。先ずは傑作と言って良い社説だ。じっくりと御照覧あれ。l
河村名古屋市長が「南京大虐殺」について「通常の戦闘行為はあったが、南京事件はなかったと思っている」と発言した事は、以前にも記事にした(http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36728588.html#36728588)。例に拠って例のごとくの支那の「報復」措置や、民主党政権及び愛知県知事の情けない反応も。ああ、中国側の反応で「南京大虐殺があった」根拠として東京裁判判決を挙げたのは大笑いだったな。大陸では裁判で勝ちさえすれば良いという「裁判至上主義」が闊歩しているものと見える。が、その「東京裁判」に於ける「南京大虐殺」の証言が一白人神父の伝聞でしかない事は、「此の有罪判決が目に入らぬかぁぁぁ」と一蹴する、心算なのであろう。無論私なんぞはそんなもので一蹴なぞされはしない、寧ろ鼻で笑ってやるのだが、日本のマスコミには平身低頭してしまう奴が掃いて捨てるほどあるから、大陸にとっては好都合な事よ。
で、その平身低頭している日本マスコミの一例が、東京新聞であるらしい。先ずは傑作と言って良い社説だ。じっくりと御照覧あれ。l
転載開始=========================================
東京社説 河村市長発言 歴史認識はしっかりと
「虐殺はなかった」とする名古屋市長の発言に反発し、南京市は公の交流の一時停止を決めた。南京事件については、日中共同の歴史研究がある。市長としての発言にはもっと慎重であるべきだ。河村たかし市長は、友好都市である南京市の共産党幹部が訪問した際に「南京大虐殺は無かったのではないか」と発言した。その問題意識について、市長は記者会見で「子孫のため(歴史認識を)真実へと正すのは六十三歳のじいさま(市長)の社会的、政治的使命だと思っとります」と述べた。だが、市民を代表する市長として友好都市の訪問団に会った際に、歴史認識に食い違いのある問題で自らの見解を一方的に公にしたことは配慮が足りなさすぎる。二〇〇六年の安倍晋三・胡錦濤首脳会談の合意を受けてスタートした日中歴史共同研究委員会は二年前、南京事件について「虐殺行為に及んだ日本側に責任があるとの認識では一致した」との報告を公表した。一方、犠牲者数は、中国側の「三十余万人」、日本側の「二十万人を上限に四万人、二万人などさまざまな推計がある」と両論を併記した。小泉純一郎首相の靖国神社参拝で悪化した日中関係を改善しようと、双方が歩み寄った知恵が共同研究である。それを両国で共有しながら、今回の市長発言である。個人の信念と公職者としての発言はおのずと違う。市長は「謝罪や撤回のつもりはない」と話した。日中間の討論会を呼びかけてはいるが、どれほどの実現可能性をともなっているのか。市として行うのか、一政治家としての呼び掛けか。南京市は「市民の感情を傷つけた」と反発している。会談の場で反論しなかった訪問団に、「弱腰だ」との批判がネットで相次いでいるという。市長の言葉がもちろんきっかけである。歴史をひもとけば、名古屋生まれの松井石根陸軍大将は終戦後、極東国際軍事裁判で南京大虐殺の責任を問われ処刑された。一九七二年の国交回復後、名古屋市は当初、天津市との提携を望んだが、中国の提案に応じる形で、南京市との提携をあえて決めた。七八年の平和条約締結の年の友好提携となった。まさに、歴史を鑑(かがみ)に前に進もうとした当時の日中関係者の英断であった。こうした歴史を踏まえながら、一歩ずつ着実に関係改善に努めるのが、政治家の本当の使命であろう。
歴史認識に食い違いがあるからこそ、それを公言する事が「言うべき事」だ。
さて、如何であろうか。
私の率直な感想は、「何を言っているのか良く判らない」である。
河村市長の「南京虐殺はなかったのではないか」発言を非難し、撤回を求めている。それだけは判る。だが、そう主張する根拠と来た日には、目に付く限り列挙しても以下の通り。
(1) 南京事件については、日中共同の歴史研究があり、犠牲者数は、中国側の「三十余万人」、日本側の「二十万人を上限に四万人、二万人などさまざまな推計がある」と両論を併記したが、「虐殺行為に及んだ日本側に責任があるとの認識では一致した」。
私の率直な感想は、「何を言っているのか良く判らない」である。
河村市長の「南京虐殺はなかったのではないか」発言を非難し、撤回を求めている。それだけは判る。だが、そう主張する根拠と来た日には、目に付く限り列挙しても以下の通り。
(1) 南京事件については、日中共同の歴史研究があり、犠牲者数は、中国側の「三十余万人」、日本側の「二十万人を上限に四万人、二万人などさまざまな推計がある」と両論を併記したが、「虐殺行為に及んだ日本側に責任があるとの認識では一致した」。
(2) 上記(1)日中共同歴史研究は小泉首相時代に悪化した日中関係を改善しようと、双方が歩み寄った知恵である。
(3) 歴史認識に食い違いのある問題で自らの見解を一方的に公にしたことは配慮が足りなさすぎる。
(4) 河村市長は討論会を呼びかけるが、実現性は不明である。
(5) 日中友好の為に積み重ねた先人の遺功を踏み躙るな
上記のように列挙整理して、漸く言っている事が鮮明になった。
「日中共同研究が目に入らぬかぁ!」
此の一事に尽きる。これに比べれば上記(3)のしたり顔はタダのお為ごかしでしかないし、上記(4)はタダのイチャモン。河村市長呼びかけの討論会が成否が河村市長の発言を掣肘するという奇妙な理屈に気づきもしない。上記(5)に至っては、その「積み重ね」が河村市長の「言うべき事を言うべきだ」と言う発言に対してすら斯様な抗議社説として具現化しているのに、何が「日中友好」なものかよ。
第一、先行記事にもある通り、河村市長はその「南京虐殺」の8年後・戦中の南京に在住し、その経験から出た「南京虐殺はなかったのではないか」発言である。無論、河村市長とて直接「南京事件」当時の南京に居た訳ではないし、史実の現場に居るから全てがわかるとは限るまい。だが、時間的にも空間的にも隔たった研究者が纏めた「共同研究結果」の方を空間的に同一時間的に8年隔たっただけの個人的経験・記憶より優先しろと言うのは、なんと言う歴史学会至上主義の学者偏重主義であろうか。
否、その東京社説が「しっかりと」と主張する「歴史認識」を為す「日中共同の歴史研究」は、上記(2)で当該社説で東京新聞が認めている通り、「日中関係を改善しようと、双方が歩み寄った知恵」即ち政治的意図を大いに含んだ「共同研究」であり、その政治的意図ゆえに「自由闊達な学術的議論とは程遠い」政治的茶番劇になった事は、既に産経が報じ、当ブログでも記事にしたところ(*1)。当該東京社説が強調する「虐殺行為に及んだ日本側に責任があるとの認識では一致した」のも、その虐殺者数の両論併記も、政治的妥協の産物である。言い換えれば「歴史学的権威は全くない」。
さらに踏み込むならば、仮に日中の学者達が喧々諤々の自由闊達な議論の末に「南京事件の犠牲者は○人(ゼロ人含む)」と言う結論に達したとしよう。それは今ある両論併記なんぞより遥かに歴史学的権威が高い結論であろうが、東京新聞社説はそんな結論ならば無条件で、東京新聞も、河村名古屋市長も、受け入れるべきだと主張するのかね。河村市長自身は学者先生方の大半よりも「南京事件」を身近に体験した筈であるのに。
そう主張するならば、それは思想統制(*2)に他ならない事は、どう考えるのかね。
実態は無論異なる。「日中共同歴史研究」は学問的には大失敗であり、その「研究結果」は政治的妥協の産物でしかない。河村市長が自分の幼少の頃の体験を、そんな政治的茶番劇の産物より優先するのは、至極当たり前。逆だったら正気を疑うべきだろう。
予てから主張するとおり、歴史観は人間にとって社会観共々社会認識の根幹を為す、社会認識の双璧の一方である。その歴史観は人一人ずつ違って当然、似てれば偶然。況や国が違えば、歴史観は違わない方がどうかしている(*3)。であれば、「友好の為に歴史の共同研究」なんてのはハナから失敗が運命付けられていて、実際失敗した。「歴史観の共有・共通化」なぞ出来るわけもなく、歴史的事実の認定すら失敗したのが当該「日中共同研究における南京事件」である。
東京社説が認める通り、「歴史認識に食い違いのある問題」である。彼我に相違・齟齬があればこそ、我が方は主張すべきである。主張しても尚「日中共同歴史研究」の様な体たらくなのである。主張さえしなければ、大陸・支那の主張が通るばかりだ。
第一、先行記事にもある通り、河村市長はその「南京虐殺」の8年後・戦中の南京に在住し、その経験から出た「南京虐殺はなかったのではないか」発言である。無論、河村市長とて直接「南京事件」当時の南京に居た訳ではないし、史実の現場に居るから全てがわかるとは限るまい。だが、時間的にも空間的にも隔たった研究者が纏めた「共同研究結果」の方を空間的に同一時間的に8年隔たっただけの個人的経験・記憶より優先しろと言うのは、なんと言う歴史学会至上主義の学者偏重主義であろうか。
否、その東京社説が「しっかりと」と主張する「歴史認識」を為す「日中共同の歴史研究」は、上記(2)で当該社説で東京新聞が認めている通り、「日中関係を改善しようと、双方が歩み寄った知恵」即ち政治的意図を大いに含んだ「共同研究」であり、その政治的意図ゆえに「自由闊達な学術的議論とは程遠い」政治的茶番劇になった事は、既に産経が報じ、当ブログでも記事にしたところ(*1)。当該東京社説が強調する「虐殺行為に及んだ日本側に責任があるとの認識では一致した」のも、その虐殺者数の両論併記も、政治的妥協の産物である。言い換えれば「歴史学的権威は全くない」。
さらに踏み込むならば、仮に日中の学者達が喧々諤々の自由闊達な議論の末に「南京事件の犠牲者は○人(ゼロ人含む)」と言う結論に達したとしよう。それは今ある両論併記なんぞより遥かに歴史学的権威が高い結論であろうが、東京新聞社説はそんな結論ならば無条件で、東京新聞も、河村名古屋市長も、受け入れるべきだと主張するのかね。河村市長自身は学者先生方の大半よりも「南京事件」を身近に体験した筈であるのに。
そう主張するならば、それは思想統制(*2)に他ならない事は、どう考えるのかね。
実態は無論異なる。「日中共同歴史研究」は学問的には大失敗であり、その「研究結果」は政治的妥協の産物でしかない。河村市長が自分の幼少の頃の体験を、そんな政治的茶番劇の産物より優先するのは、至極当たり前。逆だったら正気を疑うべきだろう。
予てから主張するとおり、歴史観は人間にとって社会観共々社会認識の根幹を為す、社会認識の双璧の一方である。その歴史観は人一人ずつ違って当然、似てれば偶然。況や国が違えば、歴史観は違わない方がどうかしている(*3)。であれば、「友好の為に歴史の共同研究」なんてのはハナから失敗が運命付けられていて、実際失敗した。「歴史観の共有・共通化」なぞ出来るわけもなく、歴史的事実の認定すら失敗したのが当該「日中共同研究における南京事件」である。
東京社説が認める通り、「歴史認識に食い違いのある問題」である。彼我に相違・齟齬があればこそ、我が方は主張すべきである。主張しても尚「日中共同歴史研究」の様な体たらくなのである。主張さえしなければ、大陸・支那の主張が通るばかりだ。
其処を先送りにし、誤魔化し、玉虫色にしてきたのが「日中友好の歴史」である点は私も同意する。そうであるからこそ、中国は尖閣諸島を「核心的利益」と宣言して沖縄併呑を半ば公言するまでに「友好的」になったのだ。それこそ東京新聞の求めるところであろうが、私はそれを肯んじない。
私は、魂の自由を愛する者だ。
魂の自由を愛する者にとって、中国・中華人民共和国の共産党一党独裁体制は、紛れもない敵だ。従って中国が日本を支配し占領するような事は全力で阻止するし、支配・占領されたのならば、奪還する。
それ故に、河村市長の発言を私は支持する。
言うべき事を言わないで、交流も友好もあるものか。
<注釈>
(*1) 中国共産党政権は真理省を目指す―「日中歴史研究」によせて― http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/31587430.html(*2) と言うよりはマインドコントロールであり、戦中の南京を記憶する河村市長に対してはダブルシンク・二重思考を強制する事になる。