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(1.)1GW の発電所
ちょいとした思考実験をしよう。今ここに、1ギガワットの最大発電能力のある原子力発電所と太陽光発電所があった、と考えてくれ。実物では想像し難いというならば、建設計画でも良い。どちらか或いは両方を作るとか、作らないとか、検討する立場を想像してくれ。
1ギガワットと言うのは一寸した発電容量だが、新型の原子力発電所ならば、原子炉一基で足りる。「1GWの原発」と言うのは、そう珍しいものではない。無論立地条件、例えば地震に対する強固な地盤などの条件はあるから、何処にでも立てられるものではないが、敷地面積としては、発電所としては小さな方だ。
一方1ギガワットの太陽光発電所、と言うのは、実は想像を絶する。所謂「メガソーラー」とて発電容量で言えば10メガワットオーダがせいぜい。尚且つ発電力は太陽光パネル面積に比例するから、日当たりの良い、平坦な土地が、桁違いな広さで必要になる。細長い国土の我が国では厳しい条件だが、ここはまあ、1ギガワット級の広大な敷地が確保できるもの、として思考実験を進めよう。
此の両者は互換だろうか、片方の代わりに他方を採用し、代替する事は可能だろうか。
答えは明々白々だ。互換ではない。
1ギガワットと言うのは一寸した発電容量だが、新型の原子力発電所ならば、原子炉一基で足りる。「1GWの原発」と言うのは、そう珍しいものではない。無論立地条件、例えば地震に対する強固な地盤などの条件はあるから、何処にでも立てられるものではないが、敷地面積としては、発電所としては小さな方だ。
一方1ギガワットの太陽光発電所、と言うのは、実は想像を絶する。所謂「メガソーラー」とて発電容量で言えば10メガワットオーダがせいぜい。尚且つ発電力は太陽光パネル面積に比例するから、日当たりの良い、平坦な土地が、桁違いな広さで必要になる。細長い国土の我が国では厳しい条件だが、ここはまあ、1ギガワット級の広大な敷地が確保できるもの、として思考実験を進めよう。
此の両者は互換だろうか、片方の代わりに他方を採用し、代替する事は可能だろうか。
答えは明々白々だ。互換ではない。
原発は太陽光発電の代替となって釣りが来るが、太陽光発電は原発を代替しえない。
電力の安定供給性、発電量の可制御性、何れの点でも原理的に原子力発電所の方が圧倒的であり、太陽光発電なんざ問題にすらならないからだ。これは、「原理的に」だ。喩え技術が如何に進歩しようとも、電力の安定供給性及び発電量の可制御性で、太陽光発電が原子力発電を凌駕するどころか比肩できるようになることすらありえない。それは、今でも発電コストが優に4倍掛かると言う太陽光発電が現状有する欠点とは異なり、将来に渡って、少なくとも太陽光発電単独では解決されない、原理的問題だ。
理由もこれまた明白であろう。「太陽光で発電しているから」。太陽光発電所の最大発電容量は、良く晴れた夏の日の昼、それも正午近くにしか発揮できない。確かに、夏の電力消費ピークは「甲子園の高校野球決勝戦の頃」とされているから、上手い事最大発電容量を発揮している頃にピークを迎えられるかも知れない。が、曇っていたら忽ち発電は減り、少なくとも最大発電容量は発電できない。
さらには、太陽光発電所は、夜はお手上げだ。発電できない。技術が途轍もなく進歩したら、月光や星明りでの発電が可能かも知れないが、月光や星明かりの元々のエネルギー供給密度が低いから、喩え発電できても、その量は極端に少なくしかならない。言い換えれば、太陽光発電は「一日の半分」とは言わないが「一年の半分」は全く発電できないし、最大発電能力を発揮できる時間は限られるし、何より、「態と発電しない」以外に発電量を調整する方法が無い。これらは「太陽光発電」と言う原理による特性であるから、どんなに技術が進歩しようと、どんなに普及し、コストが下がろうと、変わりようが無い。
電力の安定供給性、発電量の可制御性、何れの点でも原理的に原子力発電所の方が圧倒的であり、太陽光発電なんざ問題にすらならないからだ。これは、「原理的に」だ。喩え技術が如何に進歩しようとも、電力の安定供給性及び発電量の可制御性で、太陽光発電が原子力発電を凌駕するどころか比肩できるようになることすらありえない。それは、今でも発電コストが優に4倍掛かると言う太陽光発電が現状有する欠点とは異なり、将来に渡って、少なくとも太陽光発電単独では解決されない、原理的問題だ。
理由もこれまた明白であろう。「太陽光で発電しているから」。太陽光発電所の最大発電容量は、良く晴れた夏の日の昼、それも正午近くにしか発揮できない。確かに、夏の電力消費ピークは「甲子園の高校野球決勝戦の頃」とされているから、上手い事最大発電容量を発揮している頃にピークを迎えられるかも知れない。が、曇っていたら忽ち発電は減り、少なくとも最大発電容量は発電できない。
さらには、太陽光発電所は、夜はお手上げだ。発電できない。技術が途轍もなく進歩したら、月光や星明りでの発電が可能かも知れないが、月光や星明かりの元々のエネルギー供給密度が低いから、喩え発電できても、その量は極端に少なくしかならない。言い換えれば、太陽光発電は「一日の半分」とは言わないが「一年の半分」は全く発電できないし、最大発電能力を発揮できる時間は限られるし、何より、「態と発電しない」以外に発電量を調整する方法が無い。これらは「太陽光発電」と言う原理による特性であるから、どんなに技術が進歩しようと、どんなに普及し、コストが下がろうと、変わりようが無い。
(2.)太陽光発電救済策
では、そんな電力の安定供給性と発電の可制御性に欠ける太陽光発電を、まともな発電方法にする対策はないのか、というと、ないではない。「電力の安定供給性」も「発電の可制御性」も、目的とするのは「変動する電力需要に応じること」だ。これに応じ損ねて電力供給不足が起きると「停電」なんて事態になる。そこまで行かずとも、供給される電力の電圧が変動するだけで、高度な電子機器は作動が不安定になったり、故障したりしかねない。現状は「電力需要に応じて発電している」からこそ、発電の安定や制御が必要になる。電気を貯めて置いてそこから供給できれば、発電力は当然必要だが、発電の制御や安定は、極端にはなくても構わない。太陽光発電は昼間、特に晴れた日に発電して電気を貯めておき、貯めた電気から電力を供給すれば、太陽光発電の原理的欠点は克服できる。
問題は二つある。一つにはその電力を貯めて供給する方法は、いかなる方法を採るにしても必ず損失があるから、発電する方はその損失分まで発電しなければならない事。原発や火力発電の「発電の可制御性」にも制御の遅れは必至だから損失・無駄はあるのだが、たとえば電池の充放電による損失は、そんな物の比ではないのである。
もう一つは大容量の電力を貯めておく方法が現状概念くらいしかなく、実用化されていないこと。蓄電池で家庭用電源ぐらいはまかなえるが、電力は電車を走らせ、工場を動かしているのである。これらの大電力需要を、電池でまかなうのは非現実的だ。
もう一つは大容量の電力を貯めておく方法が現状概念くらいしかなく、実用化されていないこと。蓄電池で家庭用電源ぐらいはまかなえるが、電力は電車を走らせ、工場を動かしているのである。これらの大電力需要を、電池でまかなうのは非現実的だ。
「超電動コイルに電流を流しておく」「巨大な弾み車を回し、その回転エネルギーとして保存しておく」などの大容量蓄電技術は、ほとんどが未だ「絵に描いた餅」であり、ほとんど唯一の方法が「揚水式ダム」。揚水式ダムの上の方のダムの水として、水の持つ位置エネルギーとして保存しておくのが、現状大電力を保存する方法だ。当然ながら、ダムの水面から水は蒸発する、これも「電気を貯めておく」事による損失の一つだ。そのほかの主な損失を数え上げれば、「電気エネルギーを水の位置エネルギーに変換する損失」があり、「水の位置エネルギーを電気エネルギーに変換する効率」がある。後者は要は「水力発電の発電効率」である。その損失がいかほどかはちょっと想像しかねるが、揚水式水力発電所自体が広範な普及を見せていない所からすると、「非常に良い効率」である可能性は低かろう。
言い換えれば、太陽光発電所がまともな発電の主力を担うためには、少なくとも当面の間は揚水式水力発電所の大増設が不可欠であるし、さらにそれに取って代わる高効率・大容量の蓄電・放電・技術の開発と普及が必須である。
であるならば、冒頭の思考実験をさらに一歩進めよう。「1GW級原子力発電所を代替するには、何GW級の、或いは同じ1GW級ならば何カ所の、太陽光発電所が必要だろうか?」
先述の通り、現状では何GW級を持って来ようと「代替は不可能」に近い。まともな蓄電・放電が揚水式ダムしかないのだから、この高いとはとても思えない効率と、揚水式水力発電所の設置条件の厳しさは、「太陽光発電所と揚水式水力発電所の組み合わせで、「制御可能な電力供給手段」を実現できる範囲を局限する。
であるならば、冒頭の思考実験をさらに一歩進めよう。「1GW級原子力発電所を代替するには、何GW級の、或いは同じ1GW級ならば何カ所の、太陽光発電所が必要だろうか?」
先述の通り、現状では何GW級を持って来ようと「代替は不可能」に近い。まともな蓄電・放電が揚水式ダムしかないのだから、この高いとはとても思えない効率と、揚水式水力発電所の設置条件の厳しさは、「太陽光発電所と揚水式水力発電所の組み合わせで、「制御可能な電力供給手段」を実現できる範囲を局限する。
では将来的には。あるいは理想的には。「理想的な高効率大容量蓄電放電技術が完成・普及した」ならば、どうだろうか。
この理想状態では「発電所の最大電力容量」というのはあまり意味がなくなる。その理想的畜放電技術を利用して電力を貯める発電手段は、太陽光発電のみならず、原子力発電も利用されるだろうから、可制御な発電力である原発も火力発電も定常運転が普通となるだろう。最大発電容量1GWの原発が定常運転で供給する発電量は、上限の1GWも可能ではあるが、余裕と安全を見込んでその8割、0.8GWとしても、さして嘘にはなるまい。となれば、これを代替できる1GW級太陽光発電所の数は、この「24時間365日0.8GWで電力供給宇する原発」に匹敵する総発電量さえあれば良い。
1GW級太陽光発電所の年間を通じての平均電力供給量を考えてみよう、いわば「発電実力」だ。まず夜はだめだから半減だ。朝夕藻冬の日も発電量は落ちる。雨、曇りの日はさらに落ちようし、我が国には梅雨もあれば台風も上陸することを考えねばならない。この天候など日照量の低下による発電量低下もまた太陽光発電という原理に基づくものだから、いかに技術が進歩しても、免れようがない。技術の進歩による効率向上は、「最大発電容量1GWに必要なソーラーパネル面積」を小さくしてくれるばかりで、「日照量低下による発電量低下率」は改善してくれない。
http://www.jwa.or.jp/content/view/full/1954/ からダウンロードできる 気象データもあるが、手元の理科年表によると、秋田の昼正午近くの最大時別平均日射量は5月の2.16MJ/m2。これに対し春分の頃3月の昼間の平均時別平均日射量は0.89MJ/m2から、年間を通じての平均日照量は、一番日照量の多い晴れた真夏の正午に対して約4割のようである。逆に真夏の昼ぐらいの太陽光発電量を平均で稼ぎ出すには2.4倍の太陽光パネルが必要である。これに先述の夜の分でさらに倍。原発が八割定常運転と仮定したので八掛けすると・・・この理想的状態において1GW級原発を代替する1GW級太陽光発電所は、3.89箇所。大凡4カ所の先述の通り、広大な日当たりの良い土地ないし海面が、必要ということだ。1GWと言うと、諄いようだが新型原子炉なら、1基だ。
この理想状態では「発電所の最大電力容量」というのはあまり意味がなくなる。その理想的畜放電技術を利用して電力を貯める発電手段は、太陽光発電のみならず、原子力発電も利用されるだろうから、可制御な発電力である原発も火力発電も定常運転が普通となるだろう。最大発電容量1GWの原発が定常運転で供給する発電量は、上限の1GWも可能ではあるが、余裕と安全を見込んでその8割、0.8GWとしても、さして嘘にはなるまい。となれば、これを代替できる1GW級太陽光発電所の数は、この「24時間365日0.8GWで電力供給宇する原発」に匹敵する総発電量さえあれば良い。
1GW級太陽光発電所の年間を通じての平均電力供給量を考えてみよう、いわば「発電実力」だ。まず夜はだめだから半減だ。朝夕藻冬の日も発電量は落ちる。雨、曇りの日はさらに落ちようし、我が国には梅雨もあれば台風も上陸することを考えねばならない。この天候など日照量の低下による発電量低下もまた太陽光発電という原理に基づくものだから、いかに技術が進歩しても、免れようがない。技術の進歩による効率向上は、「最大発電容量1GWに必要なソーラーパネル面積」を小さくしてくれるばかりで、「日照量低下による発電量低下率」は改善してくれない。
http://www.jwa.or.jp/content/view/full/1954/ からダウンロードできる 気象データもあるが、手元の理科年表によると、秋田の昼正午近くの最大時別平均日射量は5月の2.16MJ/m2。これに対し春分の頃3月の昼間の平均時別平均日射量は0.89MJ/m2から、年間を通じての平均日照量は、一番日照量の多い晴れた真夏の正午に対して約4割のようである。逆に真夏の昼ぐらいの太陽光発電量を平均で稼ぎ出すには2.4倍の太陽光パネルが必要である。これに先述の夜の分でさらに倍。原発が八割定常運転と仮定したので八掛けすると・・・この理想的状態において1GW級原発を代替する1GW級太陽光発電所は、3.89箇所。大凡4カ所の先述の通り、広大な日当たりの良い土地ないし海面が、必要ということだ。1GWと言うと、諄いようだが新型原子炉なら、1基だ。
それ即ち、我が日本で原発の代替を太陽光発電で実施することは、かような理想状態にあっても困難、と言うことだ。