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沿岸警備隊長は正しい行動をした。だが、英雄と言うほどではない。
さて、如何であろうか。スケッティーノ「船長」(52)の「真実の瞬間」は。
以上に報じられるところから、時系列順に追っていくと、以下のようになる。
2012/1/13(金)
(1) 2130頃 座礁事故発生(上記③より逆算)
以上に報じられるところから、時系列順に追っていくと、以下のようになる。
2012/1/13(金)
(1) 2130頃 座礁事故発生(上記③より逆算)
(2) 2212 港湾監督事務所:「何か問題が起きたのか。救援は必要か」
船側:「停電が起き、状況を確認中」
(3) 2222 女性スタッフアナウンス「船長に代わって申し上げます。電気系統のトラブルは解決したので、客室かサロンにお戻りください」(上記②)
(4) 2230頃 船長、女性を伴って船内レストランで食事を注文。最後のデザートまで食べる。(上記③)
(5) 2252頃 乗客に避難指示(上記②)
(6) 時刻不明 リボルノ港湾監督事務所:「乗員全員が避難するのか」
船長:「私だけは船に残る」 (上記④)
(7) 時刻不明 リボルノ港湾監督事務所:「ただちに船へ戻りなさい」「船に何人乗っているのか報告しなさい。子供と女性と乗客はそれぞれ何人だ?」「何をしている?救助を放棄するつもりか?」
2012/2/14(土)
(8) 0500頃 船長、ママに電話する
「ママ、悲劇が起きた。だけど落ち着いて。僕は乗客を救うため頑張った。少しの間、ママには電話できないだろう」
以上から、いくつかのことが判ろう。
(一) 座礁事故発生から、船が傾き転覆し始めるまでには1時間以上、ひょとすると1時間半以上あった。
(ニ) 上記(一)の為か、事故は当所、相当に軽視されており、「停電のみで済む」と考えられていた。
(三) 座礁事故後1時間以内に停電は復旧した。上記(ニ)共々、乗客への避難指示は遅れた。
此の「真実の瞬間」に於ける船長の言動は、直接的には断片的(上記では(6)のみ)であるが、上記(2)の港湾監督事務所との交信にしても、上記(2)の女性アナウンスにしても、況や上記(5)の避難指示なんぞは、何れも船長の指揮下で行われた事である。つまりはこれらの対応が、 スケッティーノ「船長」(52)の本性素性を白日の元に曝すとされる、「真実の瞬間」への対応と言う訳だ。
事の発端は座礁事故である。排水量11万トンなんて大船を沈没に至らしめるような損傷だから、座礁した際の衝撃なり音響なりは相当なものであった筈だ。それを上記(2)の通り「停電」と言う「座礁の結果の一事象」しか報告して/報告させていない。これは以下のケースが考えられよう。
【1】 座礁の際に生じた(であろう)衝撃や音響は11万トンの大船には大したものではなく、「船長」以下乗組員はこれに気づかなかった
事の発端は座礁事故である。排水量11万トンなんて大船を沈没に至らしめるような損傷だから、座礁した際の衝撃なり音響なりは相当なものであった筈だ。それを上記(2)の通り「停電」と言う「座礁の結果の一事象」しか報告して/報告させていない。これは以下のケースが考えられよう。
【1】 座礁の際に生じた(であろう)衝撃や音響は11万トンの大船には大したものではなく、「船長」以下乗組員はこれに気づかなかった
【2】 「船長」以下乗組員は、座礁事故の隠蔽を図った
上記【1】と言う事は、一応考えられなくも無い。が、俄かには信じ難い。さらに言えば上記(3)のアナウンスは事故発生後50分ほども経っている。この間、相応に浸水は進んでいた筈である。その後に発生した転覆に至る傾斜が何時ごろ顕著になったかは不明だが、(4)の通り事故発生後1時間ほどで船長が( 女性同伴で )夕食を注文して食べ始め、デザートまで完食しているのだから、この間「傾斜が顕著」になっていたとも考え難い。(*1)
さらに、上記⑤の報じるところでは、
> 伊紙コリエレ・デラ・セラ(Corriere della Sera)によると、船長は捜査当局に対し、
船1> 事故時に舵を握っていたのは自分であり、
船2> 船が傾いた際に海に投げ出され、
船3> 傾いた船に戻ることはできなかったと供述したという。
となっているから、これも含めると益々訳がわからなくなる。上記船1>~船3>が正しいのなら、
上記【1】と言う事は、一応考えられなくも無い。が、俄かには信じ難い。さらに言えば上記(3)のアナウンスは事故発生後50分ほども経っている。この間、相応に浸水は進んでいた筈である。その後に発生した転覆に至る傾斜が何時ごろ顕著になったかは不明だが、(4)の通り事故発生後1時間ほどで船長が( 女性同伴で )夕食を注文して食べ始め、デザートまで完食しているのだから、この間「傾斜が顕著」になっていたとも考え難い。(*1)
さらに、上記⑤の報じるところでは、
> 伊紙コリエレ・デラ・セラ(Corriere della Sera)によると、船長は捜査当局に対し、
船1> 事故時に舵を握っていたのは自分であり、
船2> 船が傾いた際に海に投げ出され、
船3> 傾いた船に戻ることはできなかったと供述したという。
となっているから、これも含めると益々訳がわからなくなる。上記船1>~船3>が正しいのなら、
[1] 船長は座礁事故発生当時操舵していたが座礁には気づかず(上記船1>、【1】)
[2] 座礁事故後に船橋を離れて夕食を取り(上記(3))
[3] 傾斜が休息に顕著になった際に船外に放り出され(上記船2>)
[4] 放り出された船長が救助された際には、船の傾斜は船に戻ることが不可能なほどになっていた為戻れなかった(上記船3>)
事になる。
言うまでもなかろうが、上記(6)は船上の船長と港湾管理当局の会話だから、これは上記[2]と[3]の間の会話と、解釈するほか無いが、上記[4]は上記(6)で「避難する乗客と共に(一部の乗客乗員より先に)島に上陸していた」理由にならないし、上記(7)で先行記事にもした通り「船に戻る」と約束したこととは矛盾する。
さらに言うならば、先行記事にもした、船長がママに「報告」した「頑張った」ってぇのは、一体どの辺りの事を言うのかね。
上記船1>~船3>の通りだとしたら、「乗客を救う為に頑張れる」事は少ない。なるほど、「救命ボート上で指揮を取る」のが関の山であろう。だが、島に上陸していてはそれさえ叶わない。
救命ボート上で賢明の陣頭指揮をし、船に戻ろうとしたが叶わず、仕方なく上陸したのならば、上記(7)で叱責する港湾管理局に「船へ戻る」等と口約束は出来まい。「暗くて何も見えない」なんて愚痴のような抗弁ではなく、もっと真に迫った抗弁があるはずだ。何しろ此の時点で、「(何処からかは不明だが船に慣れている筈の)船長が船外に放り出されるほどの急激な傾斜を生じた」後に「船には戻れないほどの急傾斜を生じた」時点で未だ「脱出できない乗員乗客があった」筈なのだから(*2)。
言うまでも無いだろうが、ルーピー並みに信じられない。当該「船長」に対しては、「白い鳩山 White Loopy」と言う称号を既に奉っている当ブログならば当然だ。船長が船外に放り出されて戻れないような大事故ならば、なおの事船長の陣頭指揮が必要な大混乱であろうに事故現場=船を離れた島に上陸していた合理的理由は、私には思いつかない。
表題にもした通り、座礁して転覆沈没する豪華客船の船長などと言う極限状態は、私の記憶する定義に従う「真実の瞬間」であり、「人間の本性が研ぎ澄まされて噴出する瞬間」である。
スケッティーノ「船長」(52)から噴出してきたのは、あからさまな自己保身であり、人間の弱さであり、醜さである。
それはある意味「人間的」であるし、その意味で「人間本来の本性」である。それは認めよう。
だがしかし、認めはするが、肯定はできない。況や、豪華客船船長と言う地位にあるものに、左様な「人間の弱さ」など認めるべきではない。それを認めることは、極めて無責任である。
なるほど人間とは、私も含めて弱いものである。己が生命・身命が大事と言う自己保身も否めない。だが、職業や地位や状況によっては、そんな自己保身は認められるべきではない。人為ミスによる事故は当然の事にあり続けているが、だからと言って「人間だから間違いはある」では済まされまい。
それは上掲⑥で当該船長が
> 「一人(船長)はわれわれに恥をかかせ
だがしかし、認めはするが、肯定はできない。況や、豪華客船船長と言う地位にあるものに、左様な「人間の弱さ」など認めるべきではない。それを認めることは、極めて無責任である。
なるほど人間とは、私も含めて弱いものである。己が生命・身命が大事と言う自己保身も否めない。だが、職業や地位や状況によっては、そんな自己保身は認められるべきではない。人為ミスによる事故は当然の事にあり続けているが、だからと言って「人間だから間違いはある」では済まされまい。
それは上掲⑥で当該船長が
> 「一人(船長)はわれわれに恥をかかせ
とイタリア人に評される所以である。イタリア人でさえ(*3)かかる立場にある「船長」に「人間としての弱さ」は許容しない。
但し、上掲⑥(上記(7))でイタリア人「船長」を叱責した港湾警備隊長を、
> もう一人(隊長)は名誉を取り戻してくれた」とたたえた。
> 短文投稿サイト「ツイッター」には「われわれの信じるイタリアの象徴」などと称賛する書き込みがあふれた。
> もう一人(隊長)は名誉を取り戻してくれた」とたたえた。
> 短文投稿サイト「ツイッター」には「われわれの信じるイタリアの象徴」などと称賛する書き込みがあふれた。
と、英雄視し、讃えるのは行き過ぎである。
彼は、己が職責を果たしただけであるし、「転覆し沈みゆく船に戻る」と言うリスクを犯すわけでもない。そのリスクを犯すのは、彼の職責ではないからそれで良いのだが。
当該隊長の「人気が高まる」のは理解する。が、彼を「英雄視」するのならば、「イタリアの英雄」とか「イタリアの象徴」とは、その程度のシロモノと言う事だろう。
広瀬中佐や、佐久間艇長は、実に貴重な精神的遺産なのだなぁ。
彼は、己が職責を果たしただけであるし、「転覆し沈みゆく船に戻る」と言うリスクを犯すわけでもない。そのリスクを犯すのは、彼の職責ではないからそれで良いのだが。
当該隊長の「人気が高まる」のは理解する。が、彼を「英雄視」するのならば、「イタリアの英雄」とか「イタリアの象徴」とは、その程度のシロモノと言う事だろう。
広瀬中佐や、佐久間艇長は、実に貴重な精神的遺産なのだなぁ。
<注釈>
(*1) ああ上記③の記事なり、証言なりが、嘘である、と言う可能性も否定は出来ないな。(*2) もしそうなら、現状わかっている「死者12人」と言うのは、相当な幸運であろう。(*3) と言うと、イタリア人には怒られそうだが。でもなぁ。第二次大戦の実績考えるとなぁ。