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SF「空想科学小説」が私の趣味であることは、以前の記事に一寸だけ書いた。主として小説や映画である事も、SFの一種として「現実離れはしているが、一応の理に適った世界」を築きあげ、人に拠っては「推理小説と同様に、SF小説は作者と読者の知恵比べ」とまで断じるハードSFと呼ばれるSFについても述べた。
SF IB世界の原子力発電所 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35541126.html
ダンチェッカー教授の決め台詞を散々引用しているJ・Pホーガンの「星を継ぐもの」「ガニメデの優しい巨人」「巨人達の星」も非常に気に入っているし、日本でも神林長平の「戦闘妖精 雪風」なんて大好きだ。古典的なところでは、ハードSFでないのも多いが故・アイザック・アシモフ老のSFもお勧めだし(※1)、A.C.クラークも定評があれば、R.A.ハインラインの「宇宙の戦士 Starship Troopers」も散々引用しているところだ。ジョージ・オーウエルの「1984」も散々引用している一種のSFであるが、これはどちらかと言うと風刺か寓話と見るべきだろうな。
何しろ、この世ならざる「現実離れした話」がSFの真骨頂であるから、ともすると大ボラや大嘘、荒唐無稽の代名詞(※2)とも見なされがちだ。実際、そんなSFも枚挙に暇が無いことは認めざるを得ない。だが、私がSFを高く買っているのは、「法螺話のスケールの大きさ」よりは「舞台設定の自由度の高さ」故である。無論、舞台設定は所詮舞台=背景であって、其処で何を演じるか、ストーリー=筋の方が小説なり映画なりの本質であるから、SFと言うジャンル分けは、皮相的なものといえる。また、必ずしも「ハードSFでなければ、相応の理屈が通っていなければSFではない」と主張するつもりもない。ストーリーさえ楽しめるならば、それで小説なり映画なりとしては合格だ。
だが、明らかな論理破綻は気になるどころか「楽しむ」邪魔になるし、其処までいかずとも、「理屈の通っていない部分」が私には気になるのも事実だ。それだけ、ハードSFが好きだ、と言う事でもある。
<注釈>
(※1) それ以上に、科学エッセイが珠玉なのであるが。何しろ化学者にして小説家・作家・物書きになるために生まれてきたような御仁だからなぁ。(※2) ああ、ルーピー発言のような。
「理に適ったファンタジー」
SFに「ハードSF」なる「理屈を通すべきSF」がジャンルとして存在するのに対し、ファンタジー(※1)の世界は基本的に「理屈抜き」である。妖精やドラゴンぐらいは「未だ知られざる生物の一形態(※2)」と解釈できたとしても、魔法だとか召喚だとかなると、基本的にはお手上げで、「理屈の通し様がない」・・・と、思われた。
「思われた」のは、「案外理屈、通せるじゃないか」と思われるようなファンタジーに出会えたから。
「出会えた」。そう、そう評するべきだろうな。人との出会いもそうだろうが、本との出会いと言うのも、人生に於ける相応のイベントだ。少なくとも私のような本好きの人間にとっては。不況と言われて久しい昨今の出版状況では、本屋は「売れる本ばかり並べる」らしくて入れ替わりが激しいし(※3)、雑誌に至っては創刊休刊廃刊がめまぐるしいから、勢い「一期一会」の可能性が高くなる。「一度書店で見かけた本」が、次に行ったらもうないとか、下手すると絶版なんて事になる。となると、「これは」と思わせてくれる本との遭遇は、価値あるものであり「出会えた」と評するべきだろう。
私が出会えた「案外理屈が通るファンタジー」の一つは、J・Pホーガンの「内なる宇宙」。先述の三部作の大分間の空いた続編でもあり、その意味ではホーガン得意のハードSFでありながら、しっかりファンタジー世界と結びついている。何処でどうハードSFがファンタジーと結びついたかは、作品を読んでのお楽しみとするが、ホーガン自身が「ハードSFを標榜する自分がファンタジーを書くとは思っていなかった」と告白しているから、読者にとっては更なる驚きだろう。
もう一つの「案外理屈が通るファンタジー」は『まおゆう』として知られれる「魔王勇者」である。
地下城塞の奥深く、魔族全てを統べ、地下城塞の頂点に君臨する魔王。「ダンジョンゲーム」の「最終ステージボスキャラ」の代表たる魔王だが、この魔王は、見た目やたらにプニプにした妙齢の女の子(※4)。人間界に一方ならぬ関心と知識を持つこの魔王が、やって来た勇者に、中世さながらの技術レベルに止まり戦争に依存している(※5)とされる人間界の矛盾を指摘し、勇者と手を組んで人間界の農業改革、経済改革、更には技術革新に着手する・・・
元は2チャンネルの小説なんだそうだ。「登場人物の会話のみで話が進む」そうだから、芝居の台本からさらにト書きを抜いたような型式。私が読んだのはその漫画化版でしかも一巻だけだから、多くを語ることは出来ないが、この現世と同様の物理法則に支配されている別世界( 無論、魔法と言う別世界独特のルールも存在するのだが。)で、この世と同様の改革を、この世と同様の苦労( と勿論、別世界特有の苦労もあろうが)を重ねて進めて行こうと言う「それなりに理屈の通ったファンタジー世界」である。
<注釈>
(※1) それは、SFの一種とも解釈できるが
(※2) まあ、「火を吹く」と言うのは、相当無理があるが・・・マイクル・ムアコックのファンタジーに登場する竜は、火ではなく「毒液を吐く」になっていたから、これならさして無理ではない。毒液を浴びると火傷のような症状を起こすという、なかなか芸の細かい設定であったと思う。ある種の蛇は、毒の唾を獲物の目を狙って吐くそうであるし、相応の命中率もあると聞く。
(※3) 尚且つ「売れる本」「売れている本」「売れそうな本」と言うのは、私は基本的に読む気がしないんだな、これが。「ベストセラーに良書なし」と言い、この「格言」が裏切られる事例は、誠に少ない。
先述の故アイザック・アシモフ老は生涯に500以上の著作をなし、相当数のロングセラー作品を書きながら、長い事「ベストセラー」になる作品がなかった。その事の愚痴と、漸く出たベストセラーの喜びを、エッセーに綴っている。
天性のもの書きであるアシモフ老にしてこうなのだから、ベストセラーを1本だけ出して消えてゆくような作家もままあるような「ベストセラー」が如何なる物かは、推して知るべし。
(※4) 早い話が「巨乳」だ。
(※5) 勇者を含む数名の「パーティー」で地下城塞に侵入し「魔王を倒そう」とするのは、その「魔王打倒」を長引かせる為だ、と言う指摘は仲々秀逸だ。本当に地下城塞を支配し、魔王を確実に倒す為なら、軍隊を派遣する筈だ。そうではなく少数のパーティーを送り込むだけなのは、一定の失敗を前提としているのだ、と言う指摘。