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中国紙報道に見る「北京の冬」

 言うも更ナリであるが・・・中国共産党一党独裁政権化には、基本的に「言論の自由」がない。それは、自由主義社会では殆ど無制限かとも思えるようなうウェブ上、ネットワーク上の情報まで国家統制がかかり、検索ツールが言葉によってはまともに動かないほどである事からも知れる。「1984」の悪夢「New Speak新語法」は中国共産党政権下では半ば現実であるし、中華民国とは異なり漢字を簡略化した「簡字体」を導入したり、さらに簡略化した「超簡字体」を導入しようという動きも、中国の古典と伝統文化から「中華人民共和国人民」を切り離し、「過去を支配する」為であろうと、私は推測している。恐らくは、半島に於けるハングル文字の強制普及と、その結果としての「歴史との文化的断絶(*1)」をヒントとした画策であろう、とも。

 さはさりながら、デモでさえも官許デモが原則で、官許ならざるデモはそのまま暴動になるようなお国柄で、ウェブさえも検閲されている国の報道は、新華社通信ならずとも「党の口舌=中国共産党宣伝機関」であるのが原則だ。だから、産経が中国紙の報道として取り上げる「環球時報」だろうと「21世紀経済報道」だろうと、親方五紅星旗の検閲済みと考えるべきであり、中国共産党政府の公式発表ではないが、その意図はそれなりに反映している物と考えるべきだ。いわば、「北京放送を聴く覚悟で読まねばならない報道」と言う事だ。
 
 その報道が報じるのは・・・「反格差デモ」についても「米国赤字削減協議決裂」についても、一言で言えば米国批判である。
 
 「反格差デモ」については、
 
1> 孔子の教えと米国の幸福観が、反格差社会デモとしてウォール街でひとつになったと指摘する。
 
として、「孔子の教えこそ正しかった。(=米国の考え方・格差助長は間違っている)」との報道であるが・・・中国共産党政府が批孔批林との掛け声の下、失脚した林彪と並べて「万世師表」とも言われる中国古典中の古典・孔子を完全否定していたのは、さして昔の話ではないと言うのに、斯様な報道で「米国資本主義自由競争よりも孔子儒教道徳」と言うのだから、王朝が交替する度に正史が野史になって新たな正史を編纂する=歴史改竄しまくりが当たり前のお国柄とは言え、同じ共産党政権下で、こうも評価が変わっては、孔子様もおちおち死んでも居られまいに。そういえば「孔子平和賞」なんて物になって、なった途端に賞そのものが廃止されたりもしているから、「死せる孔子未だ休めず」と言うところか。まあ、政治利用と言うのは、生臭くもめまぐるしいものだから、そんなものだろう。
 
 「米国赤字削減協議決裂」に関する報道では、米国批判はさらに露骨だ。
 
2>  ひとつは「政治家が選挙など自らの政治ゲームに明け暮れ、(米国債の)投資者たちの利益を守ろうとせず、世界中の不満を買った」という信用不安。
3> もうひとつは「政治と金融のエリートが一緒になって納税者からお金をとろうとすることに一般民衆が不信感を膨らませている」という国内的な政治危機だという。
4> 記事は、米国の現状について「政府の行政能力の低下を意味している」とし、
5> 「米国式の民主主義は限界を迎えた」と手厳しい。
 
 上記2>で「選挙は政治家が現を抜かす政治ゲーム」と断じ上記3>では「格差の助長」を煽り、上記4>~5>で「米国式民主主義は政府の行政能力を低下させており、もう限界」と、「米国民主主義の終焉を宣言している。
 前述の記事とあわせれば、「孔子式儒教の勝利であり中華人民共和国は正しかった。中華人民共和国万歳!中国共産党政権万々歳!!」と言う記事となろう。
 
 Reeeeeeeeeeeeeally?( テキサスオヤジ風に)
 
 中華人民共和国は正しかった。」、そうであって欲しいと言う中華人民共和国=中国共産党一党独裁政権の願望は理解できる。それを「妄想」と断じ切れないことも認めよう。だが、上記5>で「限界を迎えた」と批難する米国式民主主義は、赤字削減協議が決裂しようが、反格差デモがウオール街に程近い公園を占拠しようが、精々が小規模な暴動に止まり、政府を揺るがすような大暴動にもならなければ、況や革命なり大統領辞任なり更迭なり絞首刑なりになぞ、なりはしない。その意味で、米国政府の統治も、合衆国大統領の地位も、米国式民主主義も、磐石にして小揺るぎ位しかしないのである。
 
 対して、「孔子式儒教の勝利」を喧伝する中華人民共和国の中国共産党一党独裁政権はどうか。
 先ずは先述の通り、「批孔批林」に対する「自己批判」も「総括」もないまま、事もあろうに共産党政権下で「孔子の勝利」を謳ってしまう厚顔無恥が目に付くが、其処に合えて目を瞑ったとして、だ。
 
 「中国の格差」は米国よりも小さく、或いは縮小されつつあるか?
 
 中国で「オキュパイ運動=反格差デモ」が起きて、天安門広場にテント村ができたら、何が起こるだろうか?
 
 なるほど、一党独裁政権ゆえに、予算の執行に支障を来たす恐れだけはなさそうだ。だが、「政府の行政能力」は安定しているか?
 
 私の答えはあまりに明らかだ。
 中国の格差は米国よりも酷く、拡大しつつある。此処であえて「酷い」と断言しているのは、貧富の比率ゆえではない。貧者の方の底辺の低さゆえ、だ。さらに、その格差は拡大こそすれ、縮小なぞしていない。
 
 天安門広場のオキュパイ運動は、天安門事件を再現するだろう。今度は戦車は使わないかも知れないが、大差はない。
 
 「政府の行政能力」が安定しているならば、言論の自由も問題ないし、ネット検閲も必要ない。ネット検閲が実施され、言論を統制するのは、「政府の行政能力」が不安定であるか、政府自身が不安を持っている、つまり自信がないからだ。
 
 さて、ここまで来れば、表題にした「北京の冬」と環球異見が取り上げた二つの中国紙報道の関係は、明らかであろう。
 
 環球異見の伝える二つの中国紙報道は、「反格差デモ」と「米国赤字削減協議決裂」を題材として米国の格差を批難し、「米国式民主主義の終焉」と「孔子の勝利」を宣していた。

 だが、その中国自身の格差や「政府の行政能力」を勘案すれば、かかる報道は今更ながらの中国共産党政権の言論統制を如実に表している。
 それは、新ためて実感する「北京の冬」である。
 
 と同時に、産経自身が前者記事で報じているように、「孔子の勝利」は中国にこそ適用されるべきであり、それ即ち「中国共産党政権の敗北」に他なるまい。
 

<注釈>

(*1) チョイと不思議な事だが、この点に関して北朝鮮も大韓民国も足並みをそろえている。ハングル文字が半島独自の文字であるから「誇らしい」と言うのはまだ判るが、語彙そのものの相当部分が漢字の「音読」に拠って居ると言うのに、表音文字であるハングルだけで表記しようとするから、奇怪・奇妙な事になる。
 「ウリナラ半万年」とか称するならば、その「半万年」の大半を記録した漢字を読めなくて、どうすると言うのだろうか。