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報じられているのは、東日本大震災による瓦礫受け入れを表明した佐賀県武雄市に抗議が殺到し、市長はがれき受け入れ延期の「涙の決断」をした、と言う報道。
言ってみれば、武雄市長と東京都知事との「格の違い」が浮き彫りにされた格好だ。
まずは、当該報道記事、御一読願おうか。
言ってみれば、武雄市長と東京都知事との「格の違い」が浮き彫りにされた格好だ。
まずは、当該報道記事、御一読願おうか。
転載開始=========================================
2011年12月1日 15:14 (J-CASTニュース)
被災地がれき受け入れに抗議・脅迫1000件 佐賀県武雄市長「涙の決断」で見送る
東日本大震災の被災地で発生したがれきを受け入れる方針を表明した佐賀県武雄市に、非難の声が殺到している。市では、政府の放射線量基準よりも大幅に厳しい基準を独自に設定する考えだが、それでも批判の声が相次ぎ、中には「イベントを妨害する」といった脅迫もあった。その結果、市... (J-CASTニュース)
東日本大震災の被災地で発生したがれきを受け入れる方針を表明した佐賀県武雄市に、非難の声が殺到している。市では、政府の放射線量基準よりも大幅に厳しい基準を独自に設定する考えだが、それでも批判の声が相次ぎ、中には「イベントを妨害する」といった脅迫もあった。その結果、市民の安全などを考慮し、当面は受け入れを見送ることになった(※1)。武雄市の樋渡啓祐市長は10回以上被災地を訪れており、2011年11月28日、復興支援の一環として、がれきを受け入れる方針を明らかにしていた。具体的には、市内にある清掃工場「杵藤(きとう)クリーンセンター」での受け入れを計画。ただし、この清掃工場は武雄市を含む3市4町でつくる「広域市町村圏組合」が運営しているため、12月6日に開かれる関係首長の会議で受け入れを提案することにしていた。受け入れが実現した場合、九州では初めてのケース。■独自基準設定でも「全然意見が噛み合わない」樋渡市長は、ブログで「国の定める基準は、基準自体を信じていませんので、国の基準より圧倒的に厳しい基準を作ります」
とつづるなど、独自の基準を設けて、放射性物質が検出されないがれきのみを受け入れる方針を強調していたが、それでも市役所などに苦情が殺到。11月30日夜には、ブログで
「それでも、瓦礫(放射線まみれ)を受け入れてはいけないと、全然意見が噛み合ない」
と嘆いていた。翌12月1日の市議会本会議では、樋渡市長は、11月16日付けの河北新報(仙台市)の社説を引用。「福島県内のがれきは県内で処理される。一方、宮城、岩手両県のがれきは放射性物質の影響は小さく、あきらかに『風評被害』と言える。被災地の痛みを分かち合ってもらえないものか」
と、目に涙を浮かべながら読み上げた。一方、これまでに1000件以上の意見や苦情が寄せられたことも明かした、その大半が佐賀県外からの批判だったという。中には、
「もし、お前たちががれきを引き受けるならば、その苦しみを、お前たち職員に与えてやる」
「武雄市が、市民が等しく楽しみにしている色々なイベントを、ことごとく妨害する」
と脅迫もあったという。すでに一部では、九州、佐賀県、武雄市のものを買わないように不買運動を呼びかけている人もいるという。■事件あれば「復興に向けて頑張っている人を傷つける」樋渡市長は、「特に市民、職員に危害を及ぼすような予告があったことは看過し得るものではない(※2)」
としながらも、
「こういった予期せぬ事件が仮にあったとすれば、そういった被害を受ける市民の皆さん、ご家族、地域のみなさん、東北の復興に向けて頑張っている人を傷つけることになるという思いに達した(※3)」
として、12月6日の会議では提案を見送ることを表明。その上で、
「オールジャパンで、がれきの処理に対して東北を応援しようという機運に、日本人であればなってくると思う。(※4)条件が整った時に、市民、議会とよく相談した上で、提案していきたい(※5)」
と、環境が整うのを待ちたい考えだ。
=================================転載完了
<注釈>
(※1) そのような抗議も、脅迫も、無視すべきである。左様な脅迫に屈するは、福島差別と被災地差別に手を貸す知性と理性の敗北であり、大凡己が知性を信ずる者としては大いなる屈辱の筈。それを為せてしまうのは、元々知性がないか、大した知性と思っていないか、知性と良心よりも大衆迎合を重んじる大衆迎合主義者か、だ。(※2) 貴様は、放射能ヒステリーという無知蒙昧の輩による脅迫とテロ予告に屈したのだ。無論、最初からがれき受け入れさえ表明しないような奴バラに較べればましな行動をしていたはずなのだが。テロ予告に対し毅然たる態度すら示さず、要求を受け入れると言うことは、テロを助長しているのに等しい。「人命は地球より重い」等と抜かして、超法規的措置で日本赤軍を釈放した結果はどうなった?テロリストを増やしただけではないか。テロ志リストとは交渉しないのが鉄則だ。況わんや、降伏なぞ、論外だ。(※3) そのテロを怖れて降伏すれば、成る程人的損害は無かろう。だが、日本人の矜持と、被災地の経済的損失、武雄市の道義的損失は、計り知れない。知らんのか。人は、名誉のためでも死するものぞ。(※4) 「みんなで渡れば怖くない」では、武雄市の栄誉もへったくれも無かろう。斯様な放射能アレルギーの反原発ヒステリーの中で、被災地瓦礫を受け入れてこそ、栄誉であり、名誉であり、復興支援でもあろう。(※5) つまりは、一応見せていた折角の矜持を放り出し、小心者のその他大勢に自ら堕そうと言う訳だ。そりゃ、武雄市と、武雄市長の、勝手と言えば勝手だが、同じ日本人としては、情けない限りだな。
敵は幾万ありとても、全て烏合の勢なるぞ
さて、如何であろうか。
本題に入る前に、章題の解説をしておこう。仲々勇ましい章題のフレーズは、勇ましいのも道理。軍歌「敵は幾万」冒頭の歌詞、歌い出しだ。
敵は幾万ありとても、全て烏合の勢なるぞ。
烏合の勢にあらずとも、味方に正しき道理あり。
邪はそれ正に勝ち難く
直は曲に勝ちちぐりの
赤き心の一徹は、石に矢の立つ験しあり
石に立つ矢の験しあり
などて、怖るる事やある
などて、たゆとう事やある -軍歌「敵は幾万」-
何とも勇壮なのは、士気を高める軍歌の故でもある。ある意味精神論の塊のような歌詞でもあるが、同時にそれ故に応援歌たりうる。
閑話休題(それはさておき)
報道記事にあるとおり、今回問題になっているのは、東日本大震災による被災地の瓦礫である。
所で、被災地瓦礫は一体「どうする」のが正であり「正しき道理」であろうか。
これはもう自明である。処分する。
本題に入る前に、章題の解説をしておこう。仲々勇ましい章題のフレーズは、勇ましいのも道理。軍歌「敵は幾万」冒頭の歌詞、歌い出しだ。
敵は幾万ありとても、全て烏合の勢なるぞ。
烏合の勢にあらずとも、味方に正しき道理あり。
邪はそれ正に勝ち難く
直は曲に勝ちちぐりの
赤き心の一徹は、石に矢の立つ験しあり
石に立つ矢の験しあり
などて、怖るる事やある
などて、たゆとう事やある -軍歌「敵は幾万」-
何とも勇壮なのは、士気を高める軍歌の故でもある。ある意味精神論の塊のような歌詞でもあるが、同時にそれ故に応援歌たりうる。
閑話休題(それはさておき)
報道記事にあるとおり、今回問題になっているのは、東日本大震災による被災地の瓦礫である。
所で、被災地瓦礫は一体「どうする」のが正であり「正しき道理」であろうか。
これはもう自明である。処分する。
埋め立てるか海洋投棄するか、焼却するか、処分法は選択の余地があるが、処分しないわけがない。瓦礫を放置すると言うことは、被災地を復興させないのと同義語だ。「東日本大震災記念公園」か何かで保存して置くところもあるかも知れないが、狭い日本の国土で、被災瓦礫をそのまま放置しては復興もままならない。従って、被災地住民に限らず、いやしくも日本人であれば被災地瓦礫を処分しようとしないはずがない。
何処で処分するかもまた選択の余地がある問題だ。が、東日本大震災の被害の大きさは、被災地内での瓦礫処分を不可能ないし大いに困難にしているから、今回被災しなかった日本国内で、一部ナリとも被災地瓦礫を処分するのは極当然のことだ。それは、被災地復興の支援でもある。武雄市が被災地瓦礫処分受け入れを表明したのは、九州で初めてと報じられているが、武雄市に続く市町村があって然る可し。無ければ情けないことこの上ないような「被災地瓦礫受け入れ宣言だ。
その「被災地瓦礫受け入れ宣言」に、「抗議が殺到」したのだそうである。曰く、「放射能まみれの瓦礫」だと。京都の大文字焼きや、愛知県日進市の花火、或いは大阪の橋桁と同じ図式だ。「東日本大震災被災地に由来する者は全て放射まみれ」と言う、無知蒙昧から来る偏見であり、差別である。
> 「それでも、瓦礫(放射線まみれ)を受け入れてはいけないと、
> 全然意見が噛み合ない」
話の通じないのは道理だ。相手は気違いだ。まともに取り上げ、耳を傾ける必要すらない。否、まともに取り上げ、耳を傾けるべきではない。そんなことをするのは、気違いをつけ上がらせ、東日本大震災被災地差別を助長し、復興復旧を妨害する事になる。
何処で処分するかもまた選択の余地がある問題だ。が、東日本大震災の被害の大きさは、被災地内での瓦礫処分を不可能ないし大いに困難にしているから、今回被災しなかった日本国内で、一部ナリとも被災地瓦礫を処分するのは極当然のことだ。それは、被災地復興の支援でもある。武雄市が被災地瓦礫処分受け入れを表明したのは、九州で初めてと報じられているが、武雄市に続く市町村があって然る可し。無ければ情けないことこの上ないような「被災地瓦礫受け入れ宣言だ。
その「被災地瓦礫受け入れ宣言」に、「抗議が殺到」したのだそうである。曰く、「放射能まみれの瓦礫」だと。京都の大文字焼きや、愛知県日進市の花火、或いは大阪の橋桁と同じ図式だ。「東日本大震災被災地に由来する者は全て放射まみれ」と言う、無知蒙昧から来る偏見であり、差別である。
> 「それでも、瓦礫(放射線まみれ)を受け入れてはいけないと、
> 全然意見が噛み合ない」
話の通じないのは道理だ。相手は気違いだ。まともに取り上げ、耳を傾ける必要すらない。否、まともに取り上げ、耳を傾けるべきではない。そんなことをするのは、気違いをつけ上がらせ、東日本大震災被災地差別を助長し、復興復旧を妨害する事になる。
> 「もし、お前たちががれきを引き受けるならば、
> その苦しみを、お前たち職員に与えてやる」
> 「武雄市が、市民が等しく楽しみにしている色々なイベントを、
> ことごとく妨害する」
> と脅迫もあったという。
> その苦しみを、お前たち職員に与えてやる」
> 「武雄市が、市民が等しく楽しみにしている色々なイベントを、
> ことごとく妨害する」
> と脅迫もあったという。
とも報じられている。此処まで来ると「お気の毒な狂人」では済まない。報道にあるとおり、脅迫であり、犯罪であり、テロ予告である。それもタダの犯罪ではない。東日本大震災被災地を差別し、その復興復旧を妨害する、正しくこれこそ「人道上の罪」である。
で、そんなテロ予告をだした狂人テロリストに膝を屈し、被災地瓦礫受け入れの延期を甘受するというのは、その罪は確かに脅迫者の狂人テロリスト共ほどではないかも知れないが、矢張り罪である。
無論、武雄市長については、情状酌量の余地が大いにあろう。報じられるとおり「九州で最初の被災地瓦礫受け入れ宣言」を公言していればこそ、狂人テロリスト共の標的となって、「抗議の殺到」を喰らい、テロ予告まで受けたのである。「被災地瓦礫受け入れ」を表明すらしていない奴バラよりも、遙かにましなことをしながら、それ故に叩かれたのだから、気の毒なことでもある。
だが、そこまでの勇気を示したのならば、テロ予告の脅迫に屈しないだけの矜持を、示せないはずは無かろう、と思う。
「市民や市職員に実際に被害がでることが心配だ」と言う感情ないし言い訳は大いに説得力があろう。だが、かの狂人テロリスト(現時点では自称)が本当にそんなテロを実施するならば、それはそれで好期と考えるべきだ。そうなれば狂人テロリスト共は、晴れて本当のテロリスト。犯罪者として捜索も逮捕もできる。奴らと手口先だけの似非テロリストから、「真の革命家」になり果せる好期なのだ。せいぜい利用するが宜しかろう。
繰り返しになるが、そんな狂人テロリスト共が、実際にテロを実施する以前に奴らの要求に屈し、被災地瓦礫受け宇蓮を延期することは、無知蒙昧に対する知性と理性の敗北であり、狂人テロリスト共に対する間接的支援であり、被災地差別の助長であり、東日本大震災被災地復興復旧の妨げである。
武雄市長、並びに武雄市民には、今一段の勇気と正気を発揮し、被災地瓦礫受け入れの宣言をお願いしたい。折角の被災地瓦礫受け入れ表明の実施を延期して、下司共・狂人テロリスト共を喜ばせることはない。
その他の日本国民には、放射能アレルギー・原発パニックを脱し、早々に被災地瓦礫処分を開始することをお願いしたい。
それが、被災地復興の道でもある。
如何に、国民。
で、そんなテロ予告をだした狂人テロリストに膝を屈し、被災地瓦礫受け入れの延期を甘受するというのは、その罪は確かに脅迫者の狂人テロリスト共ほどではないかも知れないが、矢張り罪である。
無論、武雄市長については、情状酌量の余地が大いにあろう。報じられるとおり「九州で最初の被災地瓦礫受け入れ宣言」を公言していればこそ、狂人テロリスト共の標的となって、「抗議の殺到」を喰らい、テロ予告まで受けたのである。「被災地瓦礫受け入れ」を表明すらしていない奴バラよりも、遙かにましなことをしながら、それ故に叩かれたのだから、気の毒なことでもある。
だが、そこまでの勇気を示したのならば、テロ予告の脅迫に屈しないだけの矜持を、示せないはずは無かろう、と思う。
「市民や市職員に実際に被害がでることが心配だ」と言う感情ないし言い訳は大いに説得力があろう。だが、かの狂人テロリスト(現時点では自称)が本当にそんなテロを実施するならば、それはそれで好期と考えるべきだ。そうなれば狂人テロリスト共は、晴れて本当のテロリスト。犯罪者として捜索も逮捕もできる。奴らと手口先だけの似非テロリストから、「真の革命家」になり果せる好期なのだ。せいぜい利用するが宜しかろう。
繰り返しになるが、そんな狂人テロリスト共が、実際にテロを実施する以前に奴らの要求に屈し、被災地瓦礫受け宇蓮を延期することは、無知蒙昧に対する知性と理性の敗北であり、狂人テロリスト共に対する間接的支援であり、被災地差別の助長であり、東日本大震災被災地復興復旧の妨げである。
武雄市長、並びに武雄市民には、今一段の勇気と正気を発揮し、被災地瓦礫受け入れの宣言をお願いしたい。折角の被災地瓦礫受け入れ表明の実施を延期して、下司共・狂人テロリスト共を喜ばせることはない。
その他の日本国民には、放射能アレルギー・原発パニックを脱し、早々に被災地瓦礫処分を開始することをお願いしたい。
それが、被災地復興の道でもある。
如何に、国民。