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英語を習い始めた頃、と言う事は中学一年の頃(*1)にあった冗句。
"I Can't speak English. "
どこが冗句かと言うと(*2)、此の冗句自体は英語である、此の冗句を言える以上は英語がしゃべれる筈で、"I Can't speak English. "と言うのは嘘と言う事になる。
"I Can't speak English. "が真実ならば、そもそも英語がしゃべれないのだから、此の冗句は言い得ない。
だから、"I Can't speak English. "と言うのは冗句である。
タイトルにもした「世界滅亡の予言」と言うのも似たようなところがある。
その予言が当たったならば、世界は滅亡しているのだから、最早報道もヘッタクレも無い。この世が無いのだから。
この世がある以上は「世界滅亡の予言」は外れたのに違いない。報じられるのは「外れた世界滅亡の予言」ばかりだ。
そうでなくても予言なんてモノは、当たるも八卦と言うよりは当たらぬも八卦であるのに、「世界滅亡の予言」と来た日には、有史以来当たったものが一つとて無いのだから(*3)、予言者にして見れば鬼門の筈だ。相当メジャーなところで、ノストラダムスがその「世界滅亡」を西暦1999年(*4)と予言したのは、その年がノストラダムスの生きていた時代の遥か未来であったからだと、私なんぞは確信できてしまう。
それならば、近い将来に「世界滅亡」なんて予言してしまう予言者が相応に居るのは何故か、と考えれば、「世界滅亡」に伴う利益があれこれあるための商業的理由であろうと、「合理的に」判断ないし邪推してしまう。例えば、以前取り上げた「審判の日に貴方が天国に召されたら、ペットの面倒は見ましょう。(ただ単に死んだだけでは関知しませんよ)」なんて詐欺まがい、と言うよりはハッキリと詐欺と思われる「ビジネス」は、世界滅亡=審判の日が近未来に設定されていないと成立しない。
それにしても、報じられている予言者殿は、今年の5月21に設定していたその「世界滅亡の日」を、
1> 旧約聖書の『創世記』で、
2> 紀元前4990年に神がノア(Noah)に伝えたメッセージの中の洪水の日数「7日間」は、実は「7000年」を意味していたと説明。
3> これに基づいて新たな分析を行った結果、真の世界滅亡は10月21日に起きると主張した。
と、変更できてしまう理屈は、異教徒たる私なんかには全く判らない。
"I Can't speak English. "
どこが冗句かと言うと(*2)、此の冗句自体は英語である、此の冗句を言える以上は英語がしゃべれる筈で、"I Can't speak English. "と言うのは嘘と言う事になる。
"I Can't speak English. "が真実ならば、そもそも英語がしゃべれないのだから、此の冗句は言い得ない。
だから、"I Can't speak English. "と言うのは冗句である。
タイトルにもした「世界滅亡の予言」と言うのも似たようなところがある。
その予言が当たったならば、世界は滅亡しているのだから、最早報道もヘッタクレも無い。この世が無いのだから。
この世がある以上は「世界滅亡の予言」は外れたのに違いない。報じられるのは「外れた世界滅亡の予言」ばかりだ。
そうでなくても予言なんてモノは、当たるも八卦と言うよりは当たらぬも八卦であるのに、「世界滅亡の予言」と来た日には、有史以来当たったものが一つとて無いのだから(*3)、予言者にして見れば鬼門の筈だ。相当メジャーなところで、ノストラダムスがその「世界滅亡」を西暦1999年(*4)と予言したのは、その年がノストラダムスの生きていた時代の遥か未来であったからだと、私なんぞは確信できてしまう。
それならば、近い将来に「世界滅亡」なんて予言してしまう予言者が相応に居るのは何故か、と考えれば、「世界滅亡」に伴う利益があれこれあるための商業的理由であろうと、「合理的に」判断ないし邪推してしまう。例えば、以前取り上げた「審判の日に貴方が天国に召されたら、ペットの面倒は見ましょう。(ただ単に死んだだけでは関知しませんよ)」なんて詐欺まがい、と言うよりはハッキリと詐欺と思われる「ビジネス」は、世界滅亡=審判の日が近未来に設定されていないと成立しない。
それにしても、報じられている予言者殿は、今年の5月21に設定していたその「世界滅亡の日」を、
1> 旧約聖書の『創世記』で、
2> 紀元前4990年に神がノア(Noah)に伝えたメッセージの中の洪水の日数「7日間」は、実は「7000年」を意味していたと説明。
3> これに基づいて新たな分析を行った結果、真の世界滅亡は10月21日に起きると主張した。
と、変更できてしまう理屈は、異教徒たる私なんかには全く判らない。
「七日間」が「7000年」と1000×365=36万5000倍に膨張してしまうと、5月21日から10月21日までのたった5ヶ月の差にしかならないと言う理屈もわからなければ、「洪水の日数」が「7000年」ならば、ノアとその子供達とそれぞれが一つがいづつ(当初)だった動物達とは方舟の上で7000年を過ごした筈で、方舟の大きさと生態系は一体どうなっていた(*5)のかとか、確かノアたちは方舟を降りた筈だから(*6)、半ば不老長寿と化していた事になるが、そんな奇蹟についてタダの一言も記述が無い(多分)のも謎ならば、その後方舟から降りたら確か長寿とは言え定命の者に戻ってしまうのも謎だ。それを言うならば「7日間が実は7000年」ならば、ノア一族はとんでもなく年齢をさば読みして洪水後の行動を記録していた訳で、若作りにも程があろうと言うものだろう。
「七日間が七ヶ月の誤記」ならば、10月21日にはならずとも、12月14日あたりになって、余程論理的であろうに・・・いや、今からそう言い出すのかな。
その可能性は未だなくなってはいないが、AFP通信伝えるところでは、今のところ件の預言者様は「最後の審判は下った」と主張されているそうだ。
4> 「神は最後の迷える羊を見つけ出し、羊小屋の扉を閉められた。
5> 言い方を変えれば、神は5月21日、『最後の審判』が始まった日に、天国への扉を閉じられたのだ。
6> ひとたび扉が閉じられた後、罪人を救い招き入れるために扉が再び開かれることはない」
「七日間が七ヶ月の誤記」ならば、10月21日にはならずとも、12月14日あたりになって、余程論理的であろうに・・・いや、今からそう言い出すのかな。
その可能性は未だなくなってはいないが、AFP通信伝えるところでは、今のところ件の預言者様は「最後の審判は下った」と主張されているそうだ。
4> 「神は最後の迷える羊を見つけ出し、羊小屋の扉を閉められた。
5> 言い方を変えれば、神は5月21日、『最後の審判』が始まった日に、天国への扉を閉じられたのだ。
6> ひとたび扉が閉じられた後、罪人を救い招き入れるために扉が再び開かれることはない」
7> 「悲しいことに、この5か月間に聖書を真剣に学ぶほど、
8> 主がもはや罪人を救済していないという結論を裏付け、
9> 補強する記述が次々に見つかった。主は偉大な務めを終えられたのだ」
8> 主がもはや罪人を救済していないという結論を裏付け、
9> 補強する記述が次々に見つかった。主は偉大な務めを終えられたのだ」
とまあ、自ら宣言されているわけであるが、どうやら件の予言者キャビン氏は未だ此の地上に居られる様であるから、我ら異教徒共々めでたく「羊小屋に入れてもらえなかった」罪人であると自ら認めている( 筈な)のであり、上記6>「ひとたび扉が閉じられた後、罪人を救い招き入れるために扉が再び開かれることはない」と断言される以上、最早救済される望みを絶たれた哀れな信徒なのである。であるが・・・そんな哀れな信徒が、どうして「予言者」などと御大層な資格を得られているのかは、これまた私のような異教徒には判らない。ま、哀れな救われぬ信者を「予言者」に仕立てて、そのまま救済せずに地上に残すと言うのは、神罰としては相当に意地の悪い神罰であるとは思うが、見せしめ効果抜群な神罰でもある。尤も、最早救済を望めないのならば、今更「正しい教え」に目覚める者も少なかろうが。
それにしても、10月21日に天国への扉が閉ざされ、最早魂が救済される事はなくなったのだとしたら、その後も此の地上で生まれ続け、遂に地球人口70億人を超したと言う子供達の魂は、生まれながらにして救済の目処がない事になる。私なんざぁ自らの意思で異教徒を以って任じているのだから、キリスト教の神に救済されないのは自業自得と諦めもし、覚悟もするが、10月21日で救済締め切りと言うのは、どう贔屓目に見てもその後に生まれてくる赤子の魂に対して、不誠実だろう。
それはさて置き・・・此の自称予言者(*7)ハロルド・キャンピング(Harold Camping)なる人物の、「世界滅亡の予言」に対する言い訳が、「普天間基地移設問題(昨年)5月までの決着」を唱えていたルーピー鳩山の言い訳に似ていると感じるのは、私だけだろうか。この二人、ルーピー同士で話しは合いそうだが。
<注釈>
(*1) だったかな?Canなんて助動詞が入っているから、もう少し後かも知れない。(*2) 普通は「冗句の解説」と言うのは野暮の骨頂だが。(*3) 無論、当たっていればこうして皮肉な軽口なぞ叩けないのであるが。(*4) ま、異説はあるようだがね・・・所詮は神学論争であるが。(*5) 排泄は洋上にするとしても、マナとかいう万能栄養食が降ってきて、人も草食動物も肉食動物もそれを喰らっていたのだろうか。それにしても7000年ともなれば動物が増えたり減ったりするだろうに。(*6) 何しろ私は邪教徒、もとい、異教徒( キリスト教原理主義者にとっては、同義語か。)であるからうろ覚えだが、確か鳩を放って帰ってきたらオリーブの葉を咥えていたので、洪水の水が引きつつある( 何処へ?)とノアは知ったのではなかったっけ。つまり水が引く頃までノアは生きていた筈で、デーモン小暮並みの高齢だな。(*7) 「予言者」なんてのは自称に決まっている、ってのも、以前書いたな。