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タイトルにした「悪平等」って言葉には一寸解説が要るかも知れない。「男女平等」「人種平等」「職業に貴賎なし」などなど、普通「平等」と言うのは肯定される物、「良いもの」とされるからだ。私とて男女間には差があるのだから「ジェンダーフリー」なぞ笑止千万とは思っていても、男女間に「機会平等」はあって然るべきことに同意する。「人種平等」については20世紀最大の功労国が我が日本であると誇りを以って断言してしまうから、「平等」の肯定的価値は私とて認めるところだ。
だが、過ぎたるは及ばざるが如し。「平等」とて行き過ぎれば、害となり、悪となる。
だが、過ぎたるは及ばざるが如し。「平等」とて行き過ぎれば、害となり、悪となる。
例えば、運動会の賞品はどうだ。昔は徒競走などの個人競技では1等賞として幾許かの賞品が、鉛筆だとか消しゴム程度であっても出たそうだ。これが「平等」になって全員に参加賞が配られるか、何も賞品が無い状態となって久しく、極端には嘘か誠か「参加者全員が手をつないで同時にゴールする」などと言う最早徒競争でも競争でも競技でもない運動が実施されるなどと言う。かような「平等状態」は「早く走ろう」と言う努力する意欲を削ぐものであり、「全員一斉ゴール」なぞ走る意義さえ失わせるものだから、生徒達の走力を、ひいては体力を、低下させる事は疑いが無い。だから「悪平等」だ。
同様に、一等になれなかった者にも「平等に」一等賞を与える愚かさと欺瞞と屈辱は、ロバート・A・ハインライン作「宇宙の戦士 Starship Troopers」にてデュポア先生が実践して見せているところ。此処で言う「屈辱」は「一等と言う実績を上げられなかったのに一等賞を与えられる屈辱」であるが、無論中にはそんな「一等賞」でも喜んで受け取る者もあるだろう。だがそれは、「屈辱」ではないかも知れないが、間違いなく堕落であり、怠惰なのであるから、やはりそんな「平等状態」は「悪平等」と呼ばれるべきだろう。
では何を以って本記事は琉球新報社説を「悪平等」と批判するのか。先ずは当該社説を御一読願おうか。
同様に、一等になれなかった者にも「平等に」一等賞を与える愚かさと欺瞞と屈辱は、ロバート・A・ハインライン作「宇宙の戦士 Starship Troopers」にてデュポア先生が実践して見せているところ。此処で言う「屈辱」は「一等と言う実績を上げられなかったのに一等賞を与えられる屈辱」であるが、無論中にはそんな「一等賞」でも喜んで受け取る者もあるだろう。だがそれは、「屈辱」ではないかも知れないが、間違いなく堕落であり、怠惰なのであるから、やはりそんな「平等状態」は「悪平等」と呼ばれるべきだろう。
では何を以って本記事は琉球新報社説を「悪平等」と批判するのか。先ずは当該社説を御一読願おうか。
転載開始=========================================
琉球新報社説 「10・21」と不平等 均しからざる国を患う
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-183065-storytopic-11.html
2011年10月21日 Tweet
「不患寡而患不均」。孔子とその高弟たちのやりとりを集め編纂(へんさん)した『論語』の中にある有名な一節だ。日本語では「寡(すく)なきを患(うれ)えずして均(ひと)しからざるを患う」と読む。
16年前のきょう「10・21県民総決起大会」が開かれ、9万1千人(先島地域を含む)が米兵による卑劣な犯罪を糾弾し、在沖米軍基地の整理縮小と日米地位協定の見直しを強く訴えた。
県民は米軍基地問題に潜む不平等、不公正を指摘し、その矛盾の放置が人権侵害だと告発し続けてきた。大会当時と今の県民に共通する思いは人権軽視への怒りであり、まさに「寡なきを患えずして均しからざるを患う」ではないか。
歴代政府は不平等の問題の本質を糊塗(こと)し、県民を基地依存経済へ誘導する“アメとムチ”政策を繰り返した。同じ愚を繰り返してはならない。
日本の総人口のおよそ100分の1の沖縄が在日米軍専用施設の74%を抱える状況を100キロの荷物に例えると、県民は1人で74キロを背負い、本土住民は99人で26キロ、1人平均262グラムを持つ計算となる。構造的差別に本土住民も思いを巡らせてほしい。
基地問題は、日本社会の矛盾とも通じる。政治評論家の森田実氏はかつて「寡なきを患えずして均しからざるを患う」の故事を引き合いに、小泉政権の5年間に「中央と地方」「大企業と中小零細企業」「国民生活レベル」の格差が拡大したと批判した。
国民の熱狂的支持を集めた「小泉構造改革」の功罪について、この国はきちんと総括していない。それが「格差」というツケを後続の内閣が処理できず、短命に終わった大きな要因ではないか。
環太平洋連携協定(TPP)への参加に反対する山田正彦前農水相は「参加すれば農業だけでなく金融、医療、保険、通信、司法など幅広い分野で米国流の新自由主義ルールに基づく規制緩和、自由化を迫られる。(中略)貧富の格差が広がり、日本の国の形が根底から変質しかねない」と述べる。
民主党内のこうした批判は健全な民主主義、言論の存在を示す。沖縄と日本が抱える矛盾に通底する本質的問題が格差や人権状況の不平等性であることも理解したい。
経済的・軍事的利益を突出させた政権運営は根本的見直しが必要だ。野田佳彦首相に政治家の良心と胆力をあらためて求めたい。
=================================転載完了
天国ならざるこの世の、神ならぬ身の人の為す事
さて、如何であろうか。
敢えて断言しよう。この世とは、不公平で、不条理で、不合理なものだ。
福沢諭吉は「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」でその「学問の勧め」を始める。私も天が人の上や下にハナッから人を作る事はないとは考えるが、生まれつき四肢が足らずに五体満足でない人間も居れば、脳が無い「無脳児」なんて言うのも稀には生まれる。無脳児ともなると独立して生命維持も適わないので極端としても、四肢に欠けるぐらいは「天が作る人」の許容範囲内、エラーバーの内。人とはその程度の「差」は、生まれた時から先天的に内包しているものだ。
厳密に言えばそれは、「不平等」であり、「不公平」であり、先天的にそれがあるのだか「不条理」であり「不合理」である。だが、その「差」はある程度当人の努力で小さくも出来れば逆転もしうる。その努力は例えば学問である。故に学問に励む可しと言うのが福沢諭吉「学問の勧め」の主旨であり、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と言うところを出発点にしているから、その学問=努力による「格差拡大」は、絶大にして絶対であると言う事になる。「学問の勧め」と銘打たれる所以だ。
閑話休題(それはさて置き)
「先天的に内包している差」と言うならば、地理的条件や地政学的条件もそうだ。地理的条件には気候風土も入るが、こちらの方は気象変動や地殻変動ぐらいの長期的スパンでしか変動しない(*1)、固定的な条件だ。これに対して地政学的条件は、地形の他に政治が関わり、移動手段などの科学技術・工学も影響するから、いくらか流動的な条件だ。
その上で沖縄が「先天的に内包している差」を考えれば、日本列島に連なる島ではあるが、日本本土からは相当な距離があり、その分大陸に近いという地理的条件であり、それが大陸政府≒支那と日本との間の中継点・緩衝地帯・最前線などの地政学的条件を「強制」している。大陸と薩摩に対する二重朝貢と言う世界でも珍しい統治体制を琉球王国が取った歴史は、その地理的・地政学的条件の所産だ。
当該琉球新報社説では、不平等を詰っている。論語などと言う恐ろしく古典的な権威を引っ張り出して「平等」を求め、訴えている。
俗耳には入り易かろう。「反格差」デモが世界的広がりを見せ、相当怪しいながらも我が国でも「実施」されてしまうようならばなおさらだ。
だが、当該社説の訴える「基地負担=軍事負担の平等」などと言うのは、理想論にすらならない、絵空事だ。基地=兵力の配置は主として軍事的要素によるし、「必要な時に必要な場所に兵力を集中する」のが勝利の秘訣であるから、集中しうるように配置するのが理の当然。「全国全土に均等配置」などと言うのは、兵力の逐次投入と各個撃破を招く、必敗の布陣だ。
況や、昨年の尖閣諸島沖中国「漁船」体当たり攻撃とその後の「沖縄解放」のスローガンまで飛び出した中国の「デモ」に見るとおり、沖縄とその周辺海域の軍事的重要性は、緊張共々増していて、「緩和」なぞ本質的に望むべくも無い(*2)。斯様な状況で「平等」を求めて「沖縄の米軍兵力削減」を求めるなど、正気の沙汰ではない。狂気の沙汰だ。左様な「平等」を、私がタイトルにした通り、「悪平等」と呼ぶ所以だ。
だが、琉球新報が求めるような「基地負担の平等」に近づけるような、地政学的条件は、あるにはある。
沖縄が大陸は支那と日本の中間点にあり最前線であるからこそ、その基地負担は重くなっている。中間点でも最前線でもなくなれば、「基地負担の平等」に近づくに違いない。
「日中友好」?とんでもない。「沖縄が中間点でも最前線でもない」状態には、有史以来成った事がないのである。況や今の世界征服を目論み、それを実践しかねない中国共産党政権相手に、「沖縄が中間点でも最前線でもない」ような日中友好なぞ、豚が空を飛び、豹がその斑を全て洗い流してジャージー種の牛と同じ仕事を貰う日まで、あるものか。
私が言う「沖縄が中間点でも最前線でもない」状態とは、中国共産党政権による沖縄どころか日本全土の占領である。こうなれば、米中最前線は日本列島となるから、沖縄は「中間点でも最前線でもない」状態となる。沖縄駐留人民解放軍(*3)が日本本土並みとなるとも考えうる。
無論、私のような魂の自由を愛する日本人にとって、我が国が中国共産党占領下になると言うのは、正真正銘掛け値なしの悪夢であり、絶対に阻止したい事態である。だがそれは、琉球新報が正しく求める「基地負担の平等」の具現化であろう。
当記事のタイトルに「恐るべき「平等」」とある所以だ。
如何に、琉球新報。
如何に、沖縄県民。
如何に、国民。
福沢諭吉は「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」でその「学問の勧め」を始める。私も天が人の上や下にハナッから人を作る事はないとは考えるが、生まれつき四肢が足らずに五体満足でない人間も居れば、脳が無い「無脳児」なんて言うのも稀には生まれる。無脳児ともなると独立して生命維持も適わないので極端としても、四肢に欠けるぐらいは「天が作る人」の許容範囲内、エラーバーの内。人とはその程度の「差」は、生まれた時から先天的に内包しているものだ。
厳密に言えばそれは、「不平等」であり、「不公平」であり、先天的にそれがあるのだか「不条理」であり「不合理」である。だが、その「差」はある程度当人の努力で小さくも出来れば逆転もしうる。その努力は例えば学問である。故に学問に励む可しと言うのが福沢諭吉「学問の勧め」の主旨であり、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と言うところを出発点にしているから、その学問=努力による「格差拡大」は、絶大にして絶対であると言う事になる。「学問の勧め」と銘打たれる所以だ。
閑話休題(それはさて置き)
「先天的に内包している差」と言うならば、地理的条件や地政学的条件もそうだ。地理的条件には気候風土も入るが、こちらの方は気象変動や地殻変動ぐらいの長期的スパンでしか変動しない(*1)、固定的な条件だ。これに対して地政学的条件は、地形の他に政治が関わり、移動手段などの科学技術・工学も影響するから、いくらか流動的な条件だ。
その上で沖縄が「先天的に内包している差」を考えれば、日本列島に連なる島ではあるが、日本本土からは相当な距離があり、その分大陸に近いという地理的条件であり、それが大陸政府≒支那と日本との間の中継点・緩衝地帯・最前線などの地政学的条件を「強制」している。大陸と薩摩に対する二重朝貢と言う世界でも珍しい統治体制を琉球王国が取った歴史は、その地理的・地政学的条件の所産だ。
当該琉球新報社説では、不平等を詰っている。論語などと言う恐ろしく古典的な権威を引っ張り出して「平等」を求め、訴えている。
俗耳には入り易かろう。「反格差」デモが世界的広がりを見せ、相当怪しいながらも我が国でも「実施」されてしまうようならばなおさらだ。
だが、当該社説の訴える「基地負担=軍事負担の平等」などと言うのは、理想論にすらならない、絵空事だ。基地=兵力の配置は主として軍事的要素によるし、「必要な時に必要な場所に兵力を集中する」のが勝利の秘訣であるから、集中しうるように配置するのが理の当然。「全国全土に均等配置」などと言うのは、兵力の逐次投入と各個撃破を招く、必敗の布陣だ。
況や、昨年の尖閣諸島沖中国「漁船」体当たり攻撃とその後の「沖縄解放」のスローガンまで飛び出した中国の「デモ」に見るとおり、沖縄とその周辺海域の軍事的重要性は、緊張共々増していて、「緩和」なぞ本質的に望むべくも無い(*2)。斯様な状況で「平等」を求めて「沖縄の米軍兵力削減」を求めるなど、正気の沙汰ではない。狂気の沙汰だ。左様な「平等」を、私がタイトルにした通り、「悪平等」と呼ぶ所以だ。
だが、琉球新報が求めるような「基地負担の平等」に近づけるような、地政学的条件は、あるにはある。
沖縄が大陸は支那と日本の中間点にあり最前線であるからこそ、その基地負担は重くなっている。中間点でも最前線でもなくなれば、「基地負担の平等」に近づくに違いない。
「日中友好」?とんでもない。「沖縄が中間点でも最前線でもない」状態には、有史以来成った事がないのである。況や今の世界征服を目論み、それを実践しかねない中国共産党政権相手に、「沖縄が中間点でも最前線でもない」ような日中友好なぞ、豚が空を飛び、豹がその斑を全て洗い流してジャージー種の牛と同じ仕事を貰う日まで、あるものか。
私が言う「沖縄が中間点でも最前線でもない」状態とは、中国共産党政権による沖縄どころか日本全土の占領である。こうなれば、米中最前線は日本列島となるから、沖縄は「中間点でも最前線でもない」状態となる。沖縄駐留人民解放軍(*3)が日本本土並みとなるとも考えうる。
無論、私のような魂の自由を愛する日本人にとって、我が国が中国共産党占領下になると言うのは、正真正銘掛け値なしの悪夢であり、絶対に阻止したい事態である。だがそれは、琉球新報が正しく求める「基地負担の平等」の具現化であろう。
当記事のタイトルに「恐るべき「平等」」とある所以だ。
如何に、琉球新報。
如何に、沖縄県民。
如何に、国民。
<注釈>
(*1) と言っても、近年の異常気象や「地球温暖化」は比較的短時間に変化する要因だが。(*2) 緩和されるには、少なくとも中国共産党政権の崩壊が必要だろう。(*3) それが今の沖縄駐留米軍より、よし、多くなろうとも。「平等」な事に。