応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/
 
 「蓼食う虫も好き好き」と言い、人には得手不得手と言うものがある。無論そんなモノが許されない人もあって、例えば新聞、なかんづく一般紙の紙面なんぞは「得手不得手」があっては偏向報道となるから、この世の森羅万象を満遍なく取り扱うオールラウンダーであることが求められ、個々の記者に得手不得手はあっても紙面全体としてはバランスを取った報道が求められる。
 
 だがしかし、当ブログは私の個人的ブログであり、情報発信者・情報仲介者と言う点では大手一般紙と同格ではあっても、所詮は個人的ブログであるから、得手不得手は不可避であるし、「バランスを取った情報」を伝達しているなんて主張する気すらない。従って私の不得手な情報は、当ブログで記事としては扱わない情報であり、その典型例の一つは芸能ネタである。
 
 無論、私は神ならぬ身の人であるし、人格円満とも不偏不党ともほど遠いから、不得手にして当ブログで扱わないネタは芸能ネタに限らない。「軍事偏重で経済に疎い」とは、以前Sakura(M)さんだかに御指摘を受けたところだったか。その御指摘を証するように、当ブログで「格差是正を訴える反ウオール街デモ」を扱うのは、私の覚えがある限り本記事が初である。一世を風靡しているとは言いかねるが、相応に以前から米国では続いているデモを今頃取り上げるのだから、「経済に疎い」とのお叱りは免れまい。
 
 とは言え、その「格差是正を訴える反ウオール街デモ」が「世界同時」と称して遂に日本上陸。「反ウォール街デモ」ならぬ「反格差デモ」が東京で実施されたとなれば、看過もなるまい。「Occupy Tokyo 東京を占領せよ」なんて物騒な標語を掲げているとあってはなおさらだ。
 
 先ずはロイターの伝える「世界同時」反格差デモの報道を、御一読願おうか。

転載開始=========================================

訂正:世界で一斉に「反ウォール街デモ」、日本では反原発の訴えも 

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111015-00000436-reu-int
2011年 10月 17日 12:06 JST 
[ミラノ/東京 15日 ロイター] 米ニューヨークで始まった格差是正などを訴える「反ウォール街デモ」は15日、ニュージーランドを皮切りに、オーストラリアや日本、英国やドイツなど世界各地で一斉に行われている。
 「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)」と銘打って始まった一連の抗議運動は、主にインターネット上のソーシャルメディアを使って参加が呼び掛けられているが、実際に各地でどれぐらいの人数が集まるか分からない部分も多い。
 ニュージーランドの首都ウェリントンでは約200人、同国最大の都市オークランド(訂正)では約3000人、2月に地震に見舞われたクライストチャーチでは約50人がデモに参加した。
 オーストラリアのメルボルンでは、市街地の中心部に約1000人が集まり、社会格差の是正などを訴える演説が行われた。デモ主催組織「メルボルンを占拠せよ(Occupy Melbourne)」のスポークスマン、ニック・カーソンさんは「人々は本物の民主主義が欲しいのだと思う」と語り、豪州国内の主要都市で同様のデモが行われる予定だと述べた。シドニーでは、労働組合員や先住民族アボリジニの代表団体メンバーを含む約2000人が、オーストラリア準備銀行(RBA、中央銀行)の入る建物の近くに集まった。
 日本の各メディアの報道によると、東京でも六本木の公園で約100人が集会を開いたほか、日比谷公園周辺を約100人が行進。今年3月の東日本大震災で事故を起こした福島第1原発からの放射能汚染が依然懸念されるなか、東京では格差問題だけでなく、反原発を訴える参加者も見られた。
 フィリピンの首都マニラでも、「米帝国主義を打倒せよ」などと書かれた横断幕を持ち、数十人が米大使館に向かってデモ行進した。
 これまで反ウォール街デモは概して平和的に行われているが、イタリアのミラノでは14日、学生らが米大手金融機関ゴールドマン・サックス(GS.N: 株価, 企業情報, レポート)のオフィスに乱入する騒ぎが発生。騒動はすぐに収まったが、学生ら退去したオフィスビルの壁には、赤字で「金をよこせ」と書かれた落書きが残された。またローマでは、ベルルスコーニ政権が打ち出した緊縮財政に対する大規模抗議デモに備え、警察が警戒を強めている。
*第3段落の「同国最大の都市クライストチャーチ」を「同国最大の都市オークランド」に訂正します。
=================================転載完了

「反格差」は恐らく永遠の課題であろう

 さて、如何であろうか
 
 当ブログでは特に取り上げてこなかった米国に端を発する反格差デモであるが、米国に端を発した時からチョコチョコ各紙の社説では取り上げられていた。リストアップはしていたのだが「社説比較」シリーズ記事としていなかったのは、東西のと言うより左右の両横綱、朝日と産経が「休場」していたためだ。とは言え、「右」に辛うじて日経が居て、最近になって漸く産経が登場。一方「左」は朝日を除いて揃い踏みのこのリストは、リストだけで凡そ「反格差デモがどのように報じられているか」あるいは「反格差デモとはどのような物か」が自ずと知れるリストになっている。それ即ち「左」は反格差デモが好きで、これを賞賛している、と言う傾向が。典型的なのは三赤新聞の下っ端、沖縄二紙の社説であろう。
 
(1)産経 反格差デモ 考えたい矛盾解決の道筋  http://sankei.jp.msn.com/world/news/111018/amr11101802300000-n1.htm

(3)読売 (該当なし) 

(4)毎日 米金融街デモ 社会の分断なら危険だ  http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/archive/news/20111005ddm005070150000c.html

(5)朝日 (該当なし) 

(6)東京  ウォール街デモ 政治不全へ募る抗議 http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011100502000063.html

(7)琉球新報 反格差デモ 公正な社会求める公憤  http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-182647-storytopic-11.html

(8)沖縄タイムス 沖縄タイムス社説[米・反格差デモ]99%の不満が爆発した  http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-10-10_24524/
 
 となれば、「世界同時」と称して日本上陸した「反格差デモ」には、タイトルにもした通りある種の怪しさ、胡散臭さが不可避である。事実、以下のようにロイターは報じている。
 
> 東京では格差問題だけでなく、反原発を訴える参加者も見られた。
 
・・・反原発を訴える参加者じゃないだろうがそれは、好意的に見ても「反原発デモ」が便乗して「反格差&反原発デモ」になっているのであり、デモの意義が少なくとも薄らいで曖昧になっているのである。なぜならば「反格差」と「反原発」の主張には、直接的には何の相関もないからである。
 
>  フィリピンの首都マニラでも、「米帝国主義を打倒せよ」などと書かれた横断幕を持ち、
> 数十人が米大使館に向かってデモ行進した。
 
 フィリピンの「反米」の方がまだ相関をつけやすい。「米国による経済支配が格差を拡大している」と言う主張と理解すれば「反格差」と「フィリピンの反米」はまだ結びつく。が、日本の「反原発」、特に福島原発事故直後と言って良いこの時期の「反原発」は、社民党と共産党が大々的に掲げるキャッチフレーズにして、管直人の思いつき延命策であり、一種流行ではあるかも知れないが、「日本の反格差」と結び付けるには、風と桶屋ぐらいの因果関係が必要であろう。その風と桶屋の関係を説明する事もなく、同じデモで訴えてしまえるのは、
 
 ①「反原発」か「反格差」の少なくといずれか(*1)は単に流行だから掲げているだけで、デモで訴えたい主張ではない。 
 
 ②デモ主催者の頭の中では、「風と桶屋の因果関係」を超えて、「反原発」と「反格差」が直結している。 
 
の何れかであろう。前者であるならば、半分の確率で「世界同時」開催した「反格差デモ」が単なる流行の発露に終る。ご苦労様な事だ。後者ならば、デモ主催者は、私には全く理解できない思考回路をしている事になる。
 
  後者の心当たり(*2)なら大いにある。「反原発」の例に挙げた共産党も民主党も「反格差」も標榜しているから、彼らの主催するデモならば、この二つの標語が並ぶ可能性はある。それにしても、同じ人間の主張とは言え、一つのデモで相関の薄い、少なくとも部外者にはわかりづらく、私なんぞには全く判らない二つの標語を同時に掲げるのは、前述の通り「そのデモで何を訴えたいか」と言う主張を弱くするし、一寸穿った見方をするならば、今回の「世界同時反格差デモ」なるものが、実はタダの共産党と社民党のデモにしか過ぎない事を示唆する。そうであれば、
 
> 東京でも六本木の公園で約100人が集会を開いたほか、日比谷公園周辺を約100人が行進。
 
と言う、東京と言う一千万都市で行われたデモにしては妙に少ないデモ参加者数も、納得の行く物となる。
 
 上記の通り私は反格差デモ、なかんづく日本で実施された反格差デモには、極めてシニカルな見方をしている。此処で言う「格差」を「不当に本来得るべき利益を得られない状態で居続ける」と言い直した所で、天国ならざるこの世の神ならぬ身の人の為す事に不平等・不公平・不条理はあって当たり前。無ければ奇跡だ。言い換えれば格差はあるのが普通で、「全くない」と言う状態には少なくとも人類が文明化されて以来はあった例がない。章題にした通りだ。

 その格差が許容範囲に収まるか、と言う問題はあろう、「格差の無い社会」を理想として掲げるのはありうる話だ。だが、許容し得ない格差を是正するにしても、「格差のない社会」と言う理想を実現するにしても、大問題なのはその方法であって、単に「格差をなくせ!」と唱えたところでシュプレヒコールか呪文、せいぜいが「金をよこせ!」の婉曲表現でしかない。ああ、ロイター記事には直轄的に金をよこせとした落書きの例が報じられているな。
 
 で、婉曲表現でも呪文でもシュプレヒコールでも、「金をよこせ!」何て公言出来てしまう輩を、私なら信用しない。それは強請り・タカリ・盗人・強盗の論理だ。ひょっとすると止むに止まれぬ事情から来る悲痛な叫び「反格差」なのかも知れないが、タダ「格差をなくせ!」では、デモの主張を受け止めようとする方だって困ろう。況や「我々は99%だ」なるフレーズは、数の暴力・多数の傲慢以外のなんだろうか。 
 

<注釈>

(*1) ひょっとすると、両方とも。
 
(*2) つまり、思考回路が私には全く理解できない輩。