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「華氏451度」は政府による情報統制のため本を読むことが禁じられた未来社会を描くディストピアSF小説。ジョージ・オーウェルの「1984」では、やはり情報統制のため日記=個人的記録が禁じられていたが、その上を行く恐ろしい世界であり、映画化もされた。「華氏451度」と言うタイトルが、紙の発火温度を意味し、主人公が本を見つけ次第それを燃やしてしまう職業であることに因んでいる、と言うのも有名な話しだ。
私は「華氏451度」の小説も映画も見ても読んでも居ないのであるが、「本を読むことが禁じられた社会」の恐怖は想像する事が出来る。それ即ち、本と言う紙を使ったほぼ最古の情報媒体(*1)が、一度形を成せば容易には修正訂正されず(*2)、なおかつある程度長期間保存できる永続性を有し、解読・表示するのに他に何も要らない利便性を私が高く評価しているからであり、逆に言うとそれらの利点故に情報統制する側としては本が邪魔なのである。「1984」世界が日記=個人的記録を禁じるのも、さらには新語法New Speakで情報媒体としての言語を統制することで根源的に情報統制してしまうのも、「華氏451度」と同じ情報統制目的であり、その情報統制は、魂の自由を愛する私には恐怖以外の何者でもない。
閑話休題
AFP通信が報じるのは、政府が情報統制のために新聞を消滅させると言う話、ではない。電子書籍やネット情報の普及発達により、紙の印刷物として売られる新聞は消滅するだろう、と言う予測。予測するのは「国連世界知的所有権機関のフランシス・ガリー(Francis Gurry)事務局長」殿と言うから、相応に根拠も権威もありそうだ。
1> 「それは1つの進化だ。いいことでも悪いことでもない。
2> 新聞は2040年までに消滅するということを示した複数の研究がある。
3> 米国では2017年に新聞がなくなるだろう」
確かに、新聞と言う紙による情報媒体は、現状でも紙による物としては比較的永続性の低い情報媒体だ。「新聞の切り抜きを集める」と言うのは今でも情報収集手段であるが、実践する者は相当減っていそうだし、私自身そんなことをやったのは何年前か思い出せないぐらいだ。(*3)毎日配達される新聞は、翌日には古新聞ないし新聞「紙」(*4)と呼ばれ、下手すれば1ヶ月かそこらで古紙回収やちり紙交換に廻される。図書館などではもう少し保存期間がありそうだが、本の形で縮刷版なんて物が発行されると新聞紙の方はお払い箱だろう。(*5)
一方で報道の即時性と言う点で新聞に対するラジオ・テレビさらにはネット動画配信の優位は圧倒的である。さらにはテレビやネットの動画は情報量が絶大(*6)だ。新聞、特に紙の印刷物を売る新聞の不利は否めず上記2>~3>の様なタイムスパンかは兎も角、消滅してしまうと言うことは、ありそうな事だろう。
だがそれは、ガリー氏が上記1>で述べているように「いいことでも悪いことでもない」と突き放して考えるべきこととは、私には思われない。
理由は「華氏451度」や「1984」に於ける情報統制の恐怖を縷々述べてきたのだから明らかだろう。電子ブックもネット情報も、即時性や伝播普及の速度、低コストなどの利点があるものの、永続性や保存性・保管性には大いに疑問があるし、中国共産党一党独裁政権が鋭意実施中であるように、情報統制に対する脆弱性も否めないのである。
少なくとも魂の自由を愛する者にとって、紙の印刷物である新聞が消滅すると言うのは、「悪いこと」だ。(断言)
一方で報道の即時性と言う点で新聞に対するラジオ・テレビさらにはネット動画配信の優位は圧倒的である。さらにはテレビやネットの動画は情報量が絶大(*6)だ。新聞、特に紙の印刷物を売る新聞の不利は否めず上記2>~3>の様なタイムスパンかは兎も角、消滅してしまうと言うことは、ありそうな事だろう。
だがそれは、ガリー氏が上記1>で述べているように「いいことでも悪いことでもない」と突き放して考えるべきこととは、私には思われない。
理由は「華氏451度」や「1984」に於ける情報統制の恐怖を縷々述べてきたのだから明らかだろう。電子ブックもネット情報も、即時性や伝播普及の速度、低コストなどの利点があるものの、永続性や保存性・保管性には大いに疑問があるし、中国共産党一党独裁政権が鋭意実施中であるように、情報統制に対する脆弱性も否めないのである。
少なくとも魂の自由を愛する者にとって、紙の印刷物である新聞が消滅すると言うのは、「悪いこと」だ。(断言)
どの程度「悪いこと」なのかは議論の余地がある。大々的な、政府規模のような検閲・ネット規制がないならば
ウエブ上に配信された電子新聞(*7)情報はこの世に無数にある電子媒体やストレージに保存され、保管され、永続性はさして損なわれないかも知れない。
だがしかし、先述の通り紙の印刷物の修正改訂は容易ではないのに対し、電子ファイルの改竄は比較的容易である。例えばコンピュータウイルスを作ってこの世のありとあらゆる「日本海」表記を「東海」表記に改竄するなんて事も、原理的には可能だろう。画像ファイルだったりするとそんな改竄は難しそうだが、画像から文字を抽出認識させることは可能なのだから、「日本海」の文字がある/ありそうなファナイルを片っ端から消去するウイルスなら出来そうだ。無論、そんな悪意あるウイルスに対抗するのがアンチウイルスソフトであるが、悪意あるウイルスによる改竄に対し電子ファイルが一定の脆弱性を持っていることは否めない。
無論「紙の新聞が消滅することは悪いこと」と私が主張する背景には、私自身が相応にOld Typeである事も影響していよう。本は本屋か古本屋で買うのが基本で、Amazonなんて利用することは滅多になく、紙で出来た本を手に持って開いてみないと買う気にならないのだから、上記1>のガリー氏のように「それは1つの進化だ。」等と澄ましては居られない。
「貴方の義務は新聞を出す事よ。」―第1次中東戦争(イスラエル建国戦争)で社屋を爆破されたバレスタイン・ポスト紙記者が、その爆破直後に妻に言われた言葉―
「貴方の義務は新聞を出す事よ。」―第1次中東戦争(イスラエル建国戦争)で社屋を爆破されたバレスタイン・ポスト紙記者が、その爆破直後に妻に言われた言葉―
<注釈>
(*1) 本よりも古い情報媒体と言うと・・・羊皮紙、竹簡、木簡ぐらいだろう。同じ紙を使った巻物、と言うのもあり、こちらの方が古いか。(*2) 大東亜戦争(太平洋戦争)後に占領軍が強制した墨塗り教科書の例もあるから、無理すれば修正訂正できないことはない。(*3) 電子ファイルからのテキストベースのコピペが専らであり、今回記事もそうしている。つまり「新聞の切り抜き」と言う情報収集手段は、私にとっては既に電子化が完了していることになる。(*4) 一字違うと大違い、だな。(*5) そこを悪用して、縮刷版はこっそり訂正、ってのは朝日新聞の常套手段だ。(*6) 生情報では整理されていないから、役に立つとは限らないが。(*7) なんて言い方は、もう古いか、早晩古くなるんだろうな。