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「社会倫理」と銘打った絶対善

 さて、如何であろうか。
 
 何しろ当該社説は「倫理の定義」から始まり、「社会の倫理」としての脱原発を陰に陽に訴えている。「倫理」であるから、成る程絶対善の根拠としては打ってつけだろう。
 
 だがしかし、私のようなひねくれ者は「絶対善」と聞いただけで警戒警報を発令する。大凡神ならぬ身の人が為すことに「絶対善」なんてものはそうそうあるものじゃぁない。光あるところに影があり、表があれば裏もある。「善」に「絶対」なんて付くことは希有である。
 況や、東京新聞が絶対善視している「脱原発」なんざ、絶対善になるわけがない。せいぜいが「国民の多数が支持する」程度。世論調査結果か投票結果ぐらいにしかならない。無論、我が国は民主主義体制下にあるから、世論調査は兎も角、投票結果の投票によってはそれで「脱原発」方針が決まってしまう可能性はあるのだが。
 
 ドイツもまた民主主義体制下にあり、投票結果で「脱原発」を決めたことに東京新聞社説は触れ、案の定だが絶賛している。同じ頃似たような投票をやったイタリアについて一言半句もないのは、イタリアがチェルノブイリ事故の後に脱原発を決め、先頃の国民投票が「脱原発を止めて原発を作るか否か」という投票だったからだろう。絶対善であるはずの脱原発に疑義を呈するイタリアの投票を、投票したという事実を、直視するわけには行かないのだろう。
 
 それがあらぬか東京新聞社説はドイツを絶賛する。曰く、「倫理委員会に原発の存否を検討させた」「その倫理委員会には各界の代表が集められた。」云々。「それに引き替え日本は・・・」は「出羽之守」の常套句である。さすがにそこまであからさまな非難は気が引けたのか、「伝統の違い」とかなんとか言って、「日本が遅れているとは言わないと書いているが、どうにもこの辺り、言い訳がましい。
 
 で、「持続可能」をキーワードにして、ドイツの倫理委員会様と福島の復興ビジョン基本理念「原子力に依存しない、安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり」に結びつけ、「これを日本として宣言できるか否かは私たちの選択だ」と迫る。
 そう迫った直後のパラグラフは以下の通りだ。
 
1>  ドイツの倫理委員会は、安全なエネルギー供給のため、
2> 原子力エネルギーの供給を段階的にやめようと呼びかけました。
3> 成功の保証はなくとも、それが社会の負うべき責務であり、
4> ドイツの先進科学技術を総動員する。
5> そのための計画や投資、実行には十年という時間が必要だとした。
6> 核廃棄物の最終処分がいまだに決まっていないことももちろん問題視された。
7> どう行うかを決める前に、まず行うと決めたのです。
 
 東京新聞社説の主張は明白だろう。「先ず、脱原発を決めよう」である。今まで取り上げた社説の通りだ。上記7>の通りどう行うかを決める前に、まず行うと決めた」とドイツを『絶賛』しているのだから。
 御覧の通り、今書いた『絶賛』には『』(二重鍵カッコ)を付けた。かようなドイツを絶賛する東京新聞の気が知れないからだ。
 
 先ず第一に、その『絶賛』の前で東京新聞社説自身が取り上げているのが酸性雨による森林の枯死である。その酸性雨の原因の一端は火力発電が担っており、原発は火力発電の代替エネルギーであった筈だ。逆に言うと原発の代わりを火力発電が努めるならば、酸性雨と森林の枯死は、現状よりも悪化するだろう。
 
 第二にその倫理委員会を受けてドイツの脱原発メーカーシーメンス社が原子力事業からの撤退を宣言したことを指摘したい。この事実自体は脱原発のさらなる一歩と自画自賛することも出来ようが、現状運転中のドイツの原発を安全に停止し廃炉にする技術をシーメンス社には期待できないことを意味している。言い換えれば、ドイツが定めた脱原発方針の完遂は、外国の原子力技術、それ即ち外国の原発運用を前提とせざるを得なくなっているのだ。これは件の倫理委員会は兎も角、ドイツ政府としては甚だ無責任な状態と言えよう。
 
ドイツ降伏-独シーメンス社 原子力事業から撤退   http://www.afpbb.com/article/economy/2828751/7793213 
 
 第三に、如何に「ドイツの先端技術を総動員」しようが、夜間に太陽光発電が可能になるとは思えず(※1)、先述の理由で火力依存も出来ないとあらば、やはり大電力の蓄電技術が不可欠であり、それが十年かそこらで開発から普及に至るとは到底思えない。それは上記7>の「鋼鉄の意志」で脱原発を推進するとしても、夜間や悪天候で電力不足に陥ることは大いにあり得る。
 ところが、ドイツは、電力不足に陥っても大丈夫なのである。お隣のフランスから電力を輸入できるから。フランス原発製の電力で電力不足を補うことで、ドイツは喩え大電力の蓄電技術開発に成功していなくても「脱原発」を推進することが出来る。
 フランスの電力、フランスの原発のお陰で。
 
私の「自然エネルギー推進論」―フクシマ後も原発推進の立場から― http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778036.html  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778053.html  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778071.html
 
 以上をまとめるならば、ドイツの「脱原発」は、ドイツ以外の国の原子力技術と、ドイツ以外から輸入できる電力によって初めて可能になっているのだ。「ドイツ以外からの輸入電力」の相当部分がフランスの原発からの輸入であることを考えると、これを「脱原発」と呼ぶのでさえおこがましい況や、絶賛するなぞ論外であるし、「日本もドイツに倣え」なぞ、正気の沙汰ではない。
 
 更に言えば、原発を含むエネルギー政策とは、倫理で扱うべきものなのか。
 
 ドイツはそうしたようだ。東京新聞はそれを絶賛し、福島の復興ビジョンを引き合いに、日本も倫理で検討すべきだと言う。先述の通り倫理ならば絶対善化の根拠に持って来いだ。

 成る程原発には放射能のリスクがあり、放射性廃棄物のリスクもある。が、それはリスクと言うだけだ。クローン技術や心臓移植のような直接生命や死生観に関わる問題ではない。
 
 断言しよう。原発を含むエネルギー政策を倫理で論じるなぞ笑止千万だ。そこに必要なのは、冷徹な論理であって、倫理ではない。見通せる将来に渡って、如何にして電力を安定的に供給するか、が目的であり、原発も再生可能な自然エネルギーもそのための手段だ。
 
 もっと言えば、四面海もて囲まれし我が国には、逆立ちしたって「電力の輸入」なんて芸当は出来ないのだから、ドイツのように「どう行うかを決める前に、まず行うと決める」様な余裕はない。エネルギー政策の失敗は即座に我が国の電力不足であり、停電だ。
 
 その我が国に於いて、倫理で以ってエネルギー政策を論じ、ドイツを見習えと言うのは、暴論以外の何者でもない。
 
 如何に、東京新聞社説。
 如何に、国民。

 

<注釈>

(※1) 月の光で月光発電、と言うのが理屈の上では出来るかも知れないが、昼間に対し大いに発電力が低下するし、新月の日はお手上げだ。
 

当ブログの原発関連記事(抜粋)

(1) 朝日社説 「原発をどうするか-脱・依存へかじを切れ」を斬る http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35116184.html
 
(2)原発如きが人類を滅ぼすオーバーテクノロジーなものか  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35039419.html
 
(3)脱原発への一歩だが、一歩のみ-孫正義の「赤字にならないメガソーラー経営法」 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35344184.html
 (4)私の原発推進論―または私が福島原発事故を経てなお原発を推進する理由。―前進せよ、人類。   http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35630668.html

 (5)余剰電力は防衛力である-脱原発騒動と電力不足に状況によせて   
http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35687699.html

 (6) 私の「自然エネルギー推進論」―フクシマ後も原発推進の立場から― 
http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778036.html  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778053.html  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778071.html
 
 (7) ドイツ降伏-独シーメンス社 原子力事業から撤退   http://www.afpbb.com/article/economy/2828751/7793213  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36006950.html