「参謀旅行」は死語かも知れないが、その精神は健在だ。

 
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 さて、如何であろうか。
 
 念の為事実経緯を両社説に従って整理すると、以下のようになる。
 
(1) 2007年6月、米掃海艦2隻が与那国町の祖納港に県内民間港で初めて寄港した。寄港目的は「友好親善と乗員の休養」。

(2) 入港に際し米掃海艦は水深等を調査した。

(3) その後メア氏が打った公電では、祖納港を「十分な深さがあり、4隻の掃海艦を同時に入れることができる」とし、与那国空港と合わせて有効な掃海拠点たりうると報告した。
 
 上記の経緯を受けての両紙社説は上掲の通り。
 
琉1>  寄港への抗議の声を過小評価しつつ、
琉2> 町民があずかり知らないところで軍事要塞(ようさい)化を図る驚くべき認識だ。
琉3> 民意を無視した米軍の掃海拠点化は許されない
 
流4>  メア氏の公電は、「総領事は背広を着た軍人なのか」という疑念を深めた。
 
と琉球新報が息巻けば、沖縄タイムスは、
 
沖1> 台湾海峡有事を念頭に、与那国島の軍事的価値を調べ上げていたのである。
沖2>  沖縄の負担軽減は日米両政府の重要な政策課題だったはずだが、
沖3> 米軍も自衛隊も逆行するばかりだ。呪文のように唱えるだけで実効性が伴わない。
沖4> 出てくるのは自衛隊配備であり、掃海活動の拠点化である。異様というしかない。
 
沖5>  日米両政府は国境の島を軍事要塞(ようさい)化し、冷戦時代に逆戻りさせるつもりなのか。
 
と嘆く。いやま、実に良い勝負だ。
 
 「軍事忌避」。一言で言えばそれに尽きる。
 
 第一、上記沖1>のように沖縄タイムスは鬼の首でも獲ったかのように(*1)報じるが、これが何故問題になるのか。
 
 チョイと思考実験してみようか。
 貴方は掃海艦の艦長だ。

 今から今まで入った事のない港に寄港しようとしている。海図によれば充分な水深がある筈だが、艦には付近の水深が一発で判るセンサーが装備されている。さて、貴方はそのセンサーを作動させて水深を確認しながら入港するだろうか。それとも海図だけを頼りにメクラ寄港するだろうか。
 後者を選択して座礁でもした日には、それこそ責任問題だ。それ以前にメクラ寄港は艦の安全に対する艦長として無責任であり、恥でもあろう。言い換えれば、寄港する艦が水深を計測するのは、特に初の寄港となれば当然だろう。
 さらに言えば、百年兵を養うのは唯一日が為。掃海艦艦長に限らず、軍人たる者は台湾海峡有事を始め常に有事が念頭にあって当たり前。寄港した祖納港に限らず軍事的評価を下すのが仕事だ。章題にした「参謀旅行」はその一例である。
 
 なるほどメア総領事(当時)は軍人ではない。だが、軍人だけが軍事的思考をしていれば事足れりでは、民主主義も文民統制も成り立つ訳がない(*2)。言い換えれば、背広を着た民間人でも、時に軍事的思考が必要であるし、与那国島を軍事的に評価したから「背広を着た軍人」と言うのは極論が過ぎる。その伝で行くなら私なんざ立派な職業軍人(*3)だ。
 
琉5> 在沖総領事館にシビリアンはいるのか。米政府関係者は問題の深刻さを自覚すべきだ
 
とまで、琉球新報社説は書いてしまうのだから、軍事忌避も此処に極まれり。「シビリアン」は軍事的に思考してはいけないらしい。それで文民統制を実行しようと言うのが如何にばかげているか、それでどれほどの大穴が民主主義に開くか、琉球新報は理解していない。況や、それでどうやって我が国の安全を保証するのか・・・・ああ、「世界市民としての自覚」か。(脱力)・・・心底、日本国憲法前文世界だな。豚が空を飛び、豹がその斑を全て洗い流し、ジャージー種の牛と同じ職につく(*4)世界
 沖縄タイムスも似たようなものだ。冷戦時代ならずとも、国境の島は要塞化されているのが常態だというのに上記沖5>のように嘆いてしまえるし、
 
沖6>  経済交流の観点からは、陸自の配備は衣の下から鎧(よろい)が見えるようなものであり、
沖7> 周辺地域の軍事的緊張感を高めるだけだ。陸自の配備と経済交流は、両立し得ないと言わざるを得ない。
 
と、陸自部隊与那国配備に反対する。首尾一貫といえば首尾一貫だが、衣もつけずに鎧を誇示しているのは中国だし、今考えているような小規模な陸自部隊の配備で疎外されるような経済交流は、所詮国益には適わない。与那国経済の地域エゴの為に我が国の国益を損なう訳には行かない。
 で、沖縄タイムス社説の〆は、
 
沖8> 平和な共存関係があってこその経済交流である。軍事的対立の構図をつくらない外交努力が求められる。
 
なんだから、社民党と良い勝負。琉球新報と並ぶ沖縄二紙の事だけあって、ドングリの背競べだ。
 井沢元彦氏によると、日本人の軍事忌避は穢れ思想に端を発し、それこそ平安朝にまで遡れるそうだ。基本的に農耕民族であるが故に日本人は「穢れ」=「毛がれ」=「け枯れ」=植物の枯死を忌み嫌う。軍事は「死」や「死体」と直結しているから、「穢れ」であり忌み嫌われると。であるならば、沖縄二紙の軍事忌避は「典型的な日本人的反応」と言う事も出来ようが・・・それでは困るのである。
 
 我が国が軍事独裁国家で、文民統制とも民主主義とも無縁であれば、直接には困らない。そんな体制は私も大嫌いだが、そんな体制ならば国民全体に沖縄二紙が流布するような軍事忌避が蔓延していても困らないことは認めよう。
 だが、我が国は民主主義を標榜し、沖縄二紙の読者を含めて日本国民には参政権があり、その投票結果で選出された政府は文民統制で自衛隊三軍の上に君臨している。既に体制が、神ならぬ身の人の為す事故万全完璧ではないにせよ、そうなっているのだから、この状態で国民に軍事忌避が蔓延するのは、由々しき事態である。
 
 尤も・・・・あんな民主党が、三党共通公約に安全保障と言う項目を乗せないまま政権交代して、憲政史上最多の衆院議席数を獲得し、未だに保持しているのだから、私が我が国の民主主義に絶望しかけた事を、ご理解いただけようか。
 
 如何に、国民。
 
 

<注釈>

(*1) 仮にそうだとしても、鬼の首を獲ったのはウイキリークスであって、沖縄二紙ではない。
 
(*2) 「私は軍事に素人だから、これがホントの文民統制だ。」と言うのは、ブラックジョークにしかならない。
 
(*3) 階級はどの辺りかねぇ。出来れば佐官が良いな。海軍なら、艦長だ。
 
(*4) ッて事は、牛乳ならぬ豹乳を提供している訳か。美味いのかな。
 

<参考>当ブログの民主主義関連記事

(1) 民主主義概論民主主義は絶対善ではない。だが次善ではある。 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/34312605.html 

(2)真の民主主義国家は最強である(楽観的観測)  
http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/23943306.html
 
(5)「一書に曰く」-日本書紀に見る、異説を排さぬ知恵-   http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/21306445.html