応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/
 
 再三繰り返しているところであるが、私は福島原発事故を経てなお原発推進論者である。
 
 その理由もまた繰り返してきているが、エネルギー政策の目的は見通せる将来に渡って「電力の安定供給」であり、この「安定」には「安価」の意味もあるが故に、原発は電力の安定供給に資するからである。少なくとも当面高価にして本質的に発電が不安定な「再生可能な自然エネルギー」なぞ「おまけ」にしかならず、電力供給の主流は制御可能な発電である火力、原子力、せいぜい水力までであることは、短期中期的には不変である事からも、原発はなお推進されるべきである。福島原発事故を教訓とし、福島原発事故を糧とするが故に。
 
(1)  私の原発推進論―または私が福島原発事故を経てなお原発を推進する理由。―前進せよ、人類。   http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35630668.html
(2)  私の「自然エネルギー推進論」―フクシマ後も原発推進の立場から― http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778036.html  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778053.html  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778071.html
 
 であるからして、「基本的に原発はゼロになる」などと経産相と言う肩書きで公言してしまう鉢呂のような奴が辞任にいたるというのは私にとっての朗報であるし、(*1)、此奴を任命した当人である野田新首相の所信表明演説に於けるエネルギー政策は、スーパーゾンビや鉢呂に比べればある程度マシな様だ。
 
野1>  安全性を徹底的に検証・確認された原発については、
野2> 地元自治体との信頼関係を構築することを大前提として、
野3> 定期検査後の再稼働を進めます。
 
と、野田新首相の所信表明演説にもあるぐらいだから。
 
 だが、そうなると納まらない奴バラも居るようだ。東京新聞社説もそんな奴バラの一人
 
 先ずは野田新首相の所信表明演説の抜粋、ついで東京新聞社説を、ご一読願おうか。
 

<注釈>

(*1) それにしても「放射能をうつしてやる。」は余りに幼稚である。「防護服表面についた放射塵」と考えれば、あながち「非科学的」ではないが、その言動は、穢れ思想の幼児的表現「エンガチョ」を想起させる。
 「エンガチョ切った!バリア張った!!」なんて、今時じゃ小学生でもやらないだろう。
 
転載開始========================================= 

野田首相所信表明演説【抜粋】
エネルギー政策の再構築 

 日本経済の建て直しの第一歩となるのは、エネルギー政策の再構築です。原発事故を受けて、電力の需給が逼迫する状況が続いています。経済社会の「血液」とも言うべき電気の安定的な供給がなければ、豊かな国民生活の基盤が揺るぎ、国内での産業活動を支えることができません。
 今年の夏は、国民の皆様による節電のおかげで、計画停電を行う事態には至りませんでした。多大なご理解とご協力、ありがとうございました。「我慢の節電」を強いられる状況から脱却できるよう、ここ1、2年にかけての需給対策を実行します。同時に、2030(平成42)年までをにらんだエネルギー基本計画を白紙から見直し、来年の夏を目途に、新しい戦略と計画を打ち出します。その際、エネルギー安全保障の観点や、費用分析などを踏まえ、国民が安心できる中長期的なエネルギー構成の在り方を、幅広く国民各層のご意見を伺いながら、冷静に検討してまいります。
 原子力発電について、「脱原発」と「推進」という二項対立で捉えるのは不毛です。中長期的には、原発への依存度を可能な限り引き下げていく、という方向性を目指すべきです。同時に、安全性を徹底的に検証・確認された原発については、地元自治体との信頼関係を構築することを大前提として、定期検査後の再稼働を進めます。原子力安全規制の組織体制については、環境省の外局として、「原子力安全庁」を創設して規制体系の一元化を断行します。
 人類の歴史は、新しいエネルギー開発に向けた挑戦の歴史でもあります。化石燃料に乏しいわが国は、世界に率先して、新たなエネルギー社会を築いていかなければなりません。わが国の誇る高い技術力をいかし、規制改革や普及促進策を組み合わせ、省エネルギーや再生可能エネルギーの最先端のモデルを世界に発信します。

東京新聞社説 エネルギー政策 攻めの姿勢で脱原発を 2011年9月14日

 
 原発依存度を引き下げ、停止中の原発は安全を確認し再稼働するという野田佳彦首相の所信表明は微温的に過ぎる。節電や自然エネルギーなどの知恵を広く集め、攻めの姿勢で脱原発を急ぐべきだ。(*1)
 菅直人前首相は東京電力福島第一原発周辺の住民に避難を強いる悲惨な事故を受け、脱原発に意欲を見せた(*2)。野田首相も引き継いだはずだが「脱原発」と「推進」という二項対立でとらえるのは不毛と言い切った。
 首相は中庸を理念に掲げているが、脱原発なのか、推進なのか、その判断を覆い隠す玉虫色に映る。首相のいう中庸とは、激論しても歩み寄りを図りながら対立を収めるという意味ではないのか。
 福島の事故を境に全国の原発の多くは定期点検後も地元の理解が得られず、停止したままだ。経団連の米倉弘昌会長らから「再稼働しないと電力不足で工場を海外移転せざるを得なくなる」などと脅しともとれる不満が漏れてくる(*3)。
 経団連は経済界の声を聞かず浜岡原発の停止を進めた菅政権との関係が冷えきった。野田首相はそれが気がかりだったのか、米倉会長らと会い、脱原発の議論を差しおいて関係修復を優先させた。(*4)
 電力不足を乗り切るため、東電と東北電力管内の家庭や企業などに求めた節電は驚異的だった。全国五十四の原発のうち三十基以上が停止する脱原発に近い状態にありながら、節電は目標の前年比15%削減を超える21%に達した(*5)。
 電力不足は関西電力など西日本にも及んだが、電力会社が互いに支え合う融通も奏功し停電は回避されている(*6)。エネルギー政策の立案は国民や経済界などが一体となった論議から逃げては、中庸は看板にすぎなくなる。野田首相は節電の総括などを基に、脱原発への道筋を語るべきだ(*7)。
 鉢呂吉雄氏の後任、枝野幸男経済産業相は「省エネや再生可能エネルギー開発を進め、原発がなくても成り立つ状況を早くつくる責任がある」と語った。枝野氏はかつて事業仕分けを主導している。
 原発に偏った一兆円近いエネルギー対策特別会計の無駄を大胆に削り、太陽光や風力など、再生エネの分野に振り向ける手腕を見せてほしい。(*8)
 複数の原発新設が計画されていた米国では住民の反対で滞っている。十二日にはフランスで放射性廃棄物の処理施設が爆発した。野田首相は世界一、二位の原子力大国で起きている現実も見据え、脱原発を明確に宣言するときだ。
 =================================転載完了
 
  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35968082.html  へ続く

<注釈>

(*1) 「節電」はまだしも、「自然エネルギーの知恵」は既出の知恵でさえ高コストで小規模で不安定な電力でしかない。況やこれから出て来る「知恵」が技術となって実際に商業発電に至るまでには、10年で利かない期間が必要だ。
 
(*2) ああ、「見せた」さ。見せる事で、延命を図れたからね。
 
(*3) 経団連の企業は利益集団だ。電力不足の国内に工場を残しておく事の不利が有利を上回れば、海外移転は当然ありうる選択だろう。それは「脅し」ではない。
 
(*4) つまり「経団連のための原発再稼動容認」と言いたいのだろうが・・・
 
(*5) それは「不利なく、無理なく」実現した物ではあるまい。むしろ、結構な無理を強いての過剰達成だ。左様な無理を来年も強いるようでは、「電力の安定供給」とは言えない。
 
(*6) ああ、停電だけはな。
 
(*7) 「中庸を看板に終らせるな」と言うのと「脱原発への道筋を語れ」を同時に要求すると言うことは、東京新聞は「脱原発=中庸」と考えているか、脱原発は絶対善の上位要求で、中庸はその下位でしかないと考えているか、何れかだ。
 
(*8) それでは電力は安定的に供給されない。「太陽光や風力など、再生エネ」は、発電量はお天気任せ風任せで出来高払いの不安定供給源であり、「わざと発電しない」事は出来るが電力が、必要な時に発電量を増やすなんて芸当は、原理的に出来ない。