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 当ブログの記事の中でも「社説比較」シリーズが最も労力も時間も要する記事であることは先ず間違いない。俎上に載せる話題は各紙がこぞって社説に取り上げるぐらいの衆目の一致する物でないと比較がそもそも成り立たないし、そのくせ各紙の論調が揃っているようでは比較する意味がない。「各紙が取り上げるぐらい話題性はあるが、主張は各紙の違いが出る。理想は国論が二分するような話題」となると、そう数はない。
 相応に揃って相応に差異が出た社説が集まっても、これを比較するには各社説をある程度精読して例の一表に纏めなければならない。論旨の差異を色分けして示し、簡潔な要約を「主旨」として記載するのも、結構な骨だ。これを商売生業としてやっているのならば文句もつけようがないが、個人のブログは伊達と酔狂なのだから、そうやたらに時間も手間もかけられない。
 
 そうは言っても今回取り上げるような「911テロから10年」と言うお題は、各紙出揃ったのは当然ながら、論旨が見事に二分されているので取り上げ甲斐がある。これは看過もなるまい。
 今回取り上げるのは四大紙+産経のレギュラーメンバー五紙に東京、琉球新報、沖縄タイムスを加え、ゲストに赤旗を迎えた九紙。フルレンジプラス1と言うことになる。各紙社説タイトルとURLは以下の通り。
 
(1)産経 同時テロ10年 米国の戦い支える覚悟を  http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110910/crm11091003050007-n1.htm

(3)読売 9・11から10年 米国になお続く苦渋の時代(9月9日付・読売社説)  http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110908-OYT1T01160.htm?from=any

(4)毎日 9・11から10年 テロ抑止へ初心に帰れ  http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/archive/news/20110909ddm005070135000c.html

(5)朝日 テロ後10年の米国―武力超え、協調の大国へ  http://www.asahi.com/paper/editorial20110910.html?ref=any

(6)東京 米同時テロ10年を考える 解きたい「恐怖」の呪縛  http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011091102000067.html

(7)琉球新報 米中枢テロ10年 世界市民自覚し平和追求を   http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-181504-storytopic-11.html

(8)沖縄タイムス [「米同時テロ」10年]報復の暴力が拡散した  http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-09-11_23268/

(9)赤旗 同時多発テロ10年 「対テロ戦争」の罪は重い  http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-09-11/2011091102_01_1.html
 
 例によって比較表の評価項目は、産経と朝日の社説を横目で見ながら決めた。
 
(1) 対テロ戦争10年間の評価

(2) 今後米国の取るべき方策

(3) 今後我が国の採るべき方策

(4) その他

 比較表の方は例によって、朝日の方の主張を赤字で、産経の方の主張を青字で、両紙にはない主張で各紙独自の物は太字下線で示した。
 

(1.)私の「911テロ10年」

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四大紙+五紙社説比較表(更新)
 
  今回は9紙比較だからいつもよりワイドに出来上がった表を眺めて、「仲々楽しい表になったじゃないか。」と言うのが感想。
 例によって、予ねてよりの当ブログ持論の通り「産経と朝日」から社説を読み始めたから、対立軸が対テロ戦争の賛否なのは端からわかっている。各紙社説のタイトルと中身の斜め読みから、凡そ対テロ戦争に対する賛否で「朝日グループ」対「産経グループ」に二分できるだろうと当たりも付いていた。だが出来上がった表を見ると、案外各紙独自主張を意味する太字下線が目立つ。実際切り口が結構バラエティーに富んでいて、例えば同じ「日米同盟重視」の結論でも、産経と日経とでは切り口=その根拠が全然違う。逆に「対テロ戦争反対!」でも、極端な赤旗は例外としても、なんとも薄っぺらな「世界市民」なんて概念しか持ち出せない琉球新報が居たりする。つまりは比較し甲斐のある、各紙各様振りが浮き彫りになっている。
 かてて加えていつもならばほぼ私の意見を代弁する産経が、今回は舌足らずと言うか、他紙とは切り口が異なる故に直接対決が回避されているように見える。それが産経の意図か否かは判らないが、各紙社説比較を論評する前に、私自身の意見を明示しておくのも意義があろうと、今回は章題の通り我が意見を先に明示する事とした。
 端的に言って私は、イラク戦争に一定の意義を認めているのである。成程その開戦理由となった大量殺戮兵器は虚偽であった。だが、開戦当時それが虚偽であるとは明白になっていなかったし、石油の海に浮かんでいるようなイラクにサダム・フセインが鎮座ましましたとして、現在に至るもその「大量殺戮兵器」が虚偽のままで終って居ると言う保証は全くない。イラク戦争が対テロ戦争の拡大をもたらし、イラク国民にサダム・フセイン統治下以上の苦難を強いたものだと仮にしても、「何時大量破壊兵器を保有するとも知れぬ、ひょっとするともう保有しているかも知れないサダム・フセイン統治下のイラク」が現存するよりも、言い換えれば、中東にもう一つの北朝鮮が現出するよりも、現状のほうがマシであり、イラク戦争があればこその現状であると考えるからである。
 無論、中東からは距離もある我が国としては、対イラク戦争ならぬ対北朝鮮戦争が起こってサダム・フセインならぬ金成日が失脚し、「中東にもう一つの北朝鮮がない」現状よりも「極東にもう一人のサダム・フセインが居ない」状態の方が望ましいのであるが、そうはならなかったからと言ってイラク戦争=サダム・フセイン失脚の意義がなくなる訳ではない。
 
 であるからして私はイラク戦争も、イラク戦争を支持した当時の自民党小泉政権も、対テロ戦争をも肯定する。
 
 その理由は、各紙の社説を比較論評する中でも自ずと明らかになろう。

(2.)論評「各紙の911テロ10年社説」レギュラーメンバー五紙

 さて、かくも各紙各様の社説を掲げられては仲々表の横方向の比較は難しいが、全体として消極的にせよ積極的にせよ対テロ戦争肯定派と言いえるのは、産経、日経、読売のいつも通りの「産経グループ三紙」のみ。赤旗に加え琉球新報、沖縄タイムスと朝日合わせて三アカ新聞及び東京、毎日の「朝日グループ」合計六紙が「対テロ戦争反対」掲げている形だ。その反対理由については後ほど検証するとしよう。
 
 産経が焦点を当てたのは、911以降の対テロ戦争を通じての日米関係だ。冒頭で「テロとの戦いは国際社会挙げての責務」と断言し、対テロ戦争を肯定した上で、評価項目(1)ではその対テロ戦争10年を経てなおテロが根絶されていない現状を認め、さらに評価項目(2)で対テロ戦争を継続しつつ国防費が削減されている米国に懸念を示す。そのために評価項目(3)で日米安保条約に基づく米軍の負担軽減の為に①集団的自衛権行使の容認 と ②普天間基地移設問題の現行日米合意に沿った解決=辺野古移設 を野田新首相に求める。①集団的自衛権行使の容認 が軽減する米軍の負担は、限定的だとは思うが、ま、足しにはなるだろう。つまるところは私と産経はほぼ同意見だ。
 
 日経は流石は経済紙と言うべきか切り口が大分違う。評価項目(1)で対テロ戦争により米国の影響力が低下していることを指摘するが、その低下を「ドルへの信頼低下」として数値化している所からして経済紙だろう。続く評価項目(2)でも「当面の世界の最大の課題は、新たな経済危機の広がりを防ぐことだ。」と断言し、日米欧の強調や米国の役割がカギと説く。対テロ戦争の継続について直接の言及はないが、「単なる治安対策でなく、根っこにある構造問題への対応がテロとの戦いでは中長期的に重要になる。」として、「テロとの戦い」そのものは肯定している。但しそのための手段を「雇用を生み出す産業の多角化や、技術教育を通じた人材育成など」として、日本の果たすべき役割とも論じているから、主張するところは良く言えば復興民生支援による、悪く言えば経済戦争による、テロの根絶だ。
 
 読売社説もまた日米同盟の深化を説いており、産経の亜流と言えよう。対テロ戦争10年の分析に、米国内での反イスラム傾向や、今後も進むであろう多極化=米国の相対的地位低下を述べているのが新味な程度で、本質的には産経と大差がない。
 
 毎日社説は実に単純明快だ。評価項目(1)でこの10年で世界は「より安全にはなっていない。」と断じ、だから評価項目(2)で「初心に帰ってテロ抑止の方策を再検討すべきである。」と説く。では何を始めるのかと言うと、「対話を通して過激主義の芽を摘むことが肝要である。」と来たもんだ。つまりは「対テロ戦争は止めろ。話し合え。」としか言っていない。
 だもんだから評価項目(3)は・・・・
 
毎1>  日本政府としても、イラク戦争や北朝鮮への対応も含めて真剣な反省と総括が必要だ。
毎2> 世界を安全にするために何が必要か。日本の主体的な関与が求められている。
 
と、尤もらしい御託が並んでいるが、要は「日本は反省しろ」としか言っておらず、どうすべきかともどうしろとも、提案すらもしていない。
 大体、「話し合いのテーブルに着く」様な相手ならば、さして過激派ではないだろう。言い換えれば本当の過激派とは「話し合いのテーブルに着く」のさえ困難だからこそ戦争なんだろうと、私は考えるんだが、毎日社説氏は違うらしい。なにしろ、話し合いで「過激主義の芽を摘むことが肝要」と断言してしまっている。ソリャま「芽を摘む」ぐらいは出来るかも知れないが、既に花開いた過激派は一体どうする心算なんだろうか。
 
 同じ発想は毎日のお友達・朝日にも共通する。
 
朝1>  米国が各国の事情を認めて協調することは望ましい。
朝2>  戦争で抑え込むのではなく、価値観が異なる世界に住む人々とも真剣に対話して、
朝3> テロがない世界の実現を目指す。それが米国のこれからとるべき道だ。
 
 上記の前段では「アラブ世界の紛争の根源にあるパレスチナ問題に取り組むことが必須だ。 」とも説いている朝日社説だが、その必須と主張するパレスチナ問題を「対話で解決する」目算すら立たないと言うのに、「テロがない世界の実現」を「目指せ」とは、高望みにも程があろう。賭けても良いが、パレスチナ問題が完全に解決したとしても、「テロのない世界」とは程遠いぞ。「核兵器のない世界」の方が、まだ実現性がありそうだ。
 
            http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35963178.html   へ続く