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 「脱原発」「脱原発依存」「減原発」などなど色々言い方は在るようだが、要は程度の差こそあれ反原発・原発反対の大合唱は未だかますびしく、猖獗を極めていると言って良い。当ブログで何度も記事にしているが、私は福島原発事故を経て尚原発推進論者であるから、斯様な事態は面白かろう筈もない。
 
(1) 私の原発推進論―または私が福島原発事故を経てなお原発を推進する理由。―前進せよ、人類。   http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35630668.html
(2) 私の「自然エネルギー推進論」―フクシマ後も原発推進の立場から― http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778036.html  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778053.html  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35778071.html
 
 ま、私にとってマスコミ各紙の論調報道が面白からぬのはデフォルト状態だから、今更気にするような事ではないが、それでも腹に据えかねるような事はある。
 
 今回取り上げる東京新聞社説も、そんなものの一つだ。
 
 先ずはご一読願おうか。
 
転載開始===========================================================

東京新聞社説 脱原発依存 民主代表選 後戻りは許されない

 
 菅直人政権の「脱原発宣言」は、従来の“国策”を大きく揺るがした。福島の現状と国民の心情をくみ取るなら、次の政権も原発に頼らない国づくりに努力すべきだ。もはや後戻りは許されない。
 「将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」。七月十三日夕、菅首相は記者会見で唐突に「脱原発宣言」を打ち上げた。
 党内外から賛否両論が渦巻いた。「政権延命のためのパフォーマンス」とも批判された。首相自身がその直後「個人的な考えだった」と弁明するなど、方針は揺れ動いた。
 原発中心のエネルギー政策を見直すために設置した政府のエネルギー・環境会議は七月末の中間整理案で「安全性を高めて活用しながら依存度を下げていく」とまとめ、当初の脱原発から脱原発依存に退いた感もある。
 とはいえ、再生可能エネルギー普及のために、これまで電力会社が独占してきた発電事業と送電事業を分離する発送電分離の必要性にも触れている。
 これらを受けて国民的な議論を重ね「革新的エネルギー・環境戦略」が来年夏までに策定される。重要な節目になる局面である。
 脱原発とか減原発とか、言葉の言い回しはさておいたとしても、原発を徐々に減らし、自然エネルギーの普及開発を図るという方針がエネルギー政策の中軸にある点に変わりはないだろう。
 福島第一原発事故からやがて半年が経過する。事故は収拾に向かうどころか、高濃度の放射性物質に汚染された周辺地域は長期間にわたって人が住めない状態である実態が明らかになってきた。
 電力がもたらす豊かさを享受しつつも、人々の心の中では目に見えない放射能への恐怖、ひとたび事故を起こせば膨大な経済的損失を伴う原発への不信と不安が大きくなっている。
 代表選への出馬が見込まれる七人の候補者はいまのところ、だれも脱原発依存路線の継承を明言していない。原発事故対策を担当した馬淵澄夫前首相補佐官さえ「脱原発依存だが、原発はなくせない」との立場に立っているようだ。
 不人気だった菅政権の政策路線を否定するのは簡単だ。だが国民の不安を将来にわたって取り除き、本当に豊かな社会を維持するためにどうすべきか。原発がいらない社会、原発に代わる自然エネルギーの普及開発、電力事業改革の看板を下ろしてはならない。
==================================================================転載完了

原理主義者は動じない―「後戻りは許されない」って、誰が許さないんだ?

 何だ、この感情論とも原理主義とも取れる反原発主義は。
 
 何しろハナッから飛ばしてくれる。
 
東1>  菅直人政権の「脱原発宣言」は、従来の“国策”を大きく揺るがした。
東2> 福島の現状と国民の心情をくみ取るなら、次の政権も原発に頼らない国づくりに努力すべきだ。
東3> もはや後戻りは許されない。
 
 後述するが東京新聞の言う「福島の現状」認識は噴飯物であるから問題外としても、「国民の心情をくみ取る」事で「従来の“国策”」を揺るがし「原発に頼らない国づくり」などと言うエネルギー政策を決めよと主張するのは、一見民主主義的であるが大衆迎合・ポピュリズム・人気取りに過ぎない。それは衆愚政治への入口だ。(*1)

 第一、「国民の心情」なんてものは移ろいやすく曖昧なもの。だからこそ今、民主党は政権与党の座にあり、なおかつ政府支持率が実に10%代で推移していながらなお政権与党である。その移ろいやすい「国民の心情」を汲んで決めよという「原発に頼らない国づくり」なる方針が、上記東3>「もはや後戻りは許されない。」と言う修正改訂を許さない「不磨の大典」に化けてしまうのは一体どういう訳か。
 
 章題にもしたとおり、「原発に頼らない国づくり」が絶対善視される「脱原発」原理主義に陥っているとしか、解釈のしようがない。「国民の心情」は今偶々世論調査などで判明しているそれが「脱原発」原理主義に沿っているから言及し、理由にして居ると言うだけ。民主主義的なんてとんでもない。
 
 その東京新聞社説の「脱原発」原理主義は、以下のパラグラフでさらに明らかになる。
 
東4>  脱原発とか減原発とか、言葉の言い回しはさておいたとしても、
東5> 原発を徐々に減らし、自然エネルギーの普及開発を図るという方針が
東6> エネルギー政策の中軸にある点に変わりはないだろう。
 
 上記、特に東5>~東6>は一見尤もらしいが、当ブログで散々主張している通り、本末転倒である。
 
 繰り返しになるが、我が国のエネルギー政策の目的は、見通せる将来に渡って「電力の安定供給」に他ならない。原発を増やそうか減らそうか、再生可能自然エネルギー(*2)をどこまで増やそうかと言うのも、その目的「電力の安定供給」のための手段、ないしその目的を阻害しない程度に押さえ込むべきリスク要因でしかない。従って上記東5>「原発を徐々に減らし、自然エネルギーの普及開発を図るという方針」を上記東6>「エネルギー政策の中軸」にすえるなどと言うのは手段の自己目的化、本末転倒である。
 
 ま、原理主義者に道理を説いたところで、聞く耳持たないからこそ原理主義者なのであるが。
 
 「心、此処にあらざれば、見るとも見えず」と言う。原理主義者なんてものは原理と言う色眼鏡をかけてしか物が見えないから、ある種「心、此処にない」状態。そうすると、「ないものまで見えてしまう」事さえある。
 
東7>  福島第一原発事故からやがて半年が経過する。事故は収拾に向かうどころか、
東8> 高濃度の放射性物質に汚染された周辺地域は長期間にわたって人が住めない状態である実態が明らかになってきた。
 
 何だこの東京新聞社説の「福島の現状」認識は。
 
 上記東7>「事故は収拾に向かうどころか、」だぁ?炉心為していた核燃料が再臨界を起こして「チャイナシンドローム」に至るという最悪の事態は防げているし、放射性物質の拡散も汚染水の漏洩分程度に押さえ込んでいるではないか。それだけでも炉心が吹き飛んで大気中に拡散したチェルノブイリより遥かにマシな状態に「至って」居る。その後に大きな進展がないのは事実だが、冷温停止まで相応に時間がかかるのは、当初から分かりきった事であるし、その当初日程どおりに進捗しないからとて上記東7>「事故は収拾に向かうどころか」は言い過ぎ煽り過ぎだ。福島原発事故が最も危機的状態だったのは震災後の水素爆発発生時とその対応の頃。放射性物質拡散のピークはその水素爆発時だ。以降は徐々にでは在るが事態は改善傾向だ。
 
 東8>「高濃度の放射性物質に汚染された周辺地域は長期間にわたって人が住めない状態」とは何の事を言っているのか。何箇所か計測された放射能の高い地域Hor Spotの事か。だとしても、「長期間にわたって人が住めない状態」と言いえるのは幾ら拡大解釈しても原発敷地内の話。それとて「放射性物質が付着したガレキの撤去」で相当改善されよう。上記東8>「周辺地域は長期間にわたって人が住めない状態」は煽動も良いところだ。
 
 で、かくも誤認識と煽動に溢れ、一見「民主主義的」な大衆迎合でありながら実は脱原発原理主義にしか過ぎない主張が、東京新聞様の社説なのである。繰り返す、社説なのである。新聞社の主張なのである。
 
 これも何度も書いているところだが、社説と言うのは新聞社の顔であり、ネット情報・テレビ・ラジオにニュース伝達の即時性と言う点で大いに差をつけられてしまっている新聞と言うメディア、特に毎日配達され店頭に並ぶ印刷物としての新聞と言うメディアにとっては存在理由と言っても過言ではない。
 
 と言う事は、この社説は、東京新聞の存在理由の、少なくとも一翼を担っているのである。
 
 成るほど、新聞社が潰れる訳だね。
 
 私はネット上から「タダ読み」しているからまだ良いが、こんな社説を金出して買っている紙面で読まされる東京新聞購読者の心情は、察するに余りある。
 
 それとも、東京新聞を購読するぐらいだから、既に反原発原理主義者になっており、何の問題もないのだろうか。それならそれで私は構わないが、だとすると、東京新聞の購読者数は、伸びそうにない/伸びて欲しくないぞ。


<注釈>

(*1) 無論マスコミなんてものは、衆愚政治への案内人だと考えて懸かるべき存在では在るが。
 
(*2) これは基本的に不安定な電力供給源ばかりだから、