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沖縄タイムス社説 [終戦の日を前に]戦争の黒い影が今なお
「1931」「1941」「1951」「1991」「2001」。日本と世界にとって大きな転換点となったこの五つの年は、いずれも西暦の最後に「1」がつく。この五つの年を貫くキーワードは「戦争」である。今年は、1931年に起きた満州事変から80年、1941年の太平洋戦争開戦から70年に当たる。満州事変の引き金になったのは南満州鉄道の線路爆破(柳条湖事件)である。中国軍の仕業だとみせかけた、関東軍の自作自演の謀略だった。失業・貧困・議会政治の行き詰まり―閉塞(へいそく)感漂う世相の中で起きた満州事変は、国民からも新聞からも熱烈に支持された。真珠湾奇襲攻撃とマレー半島上陸によって始まった太平洋戦争は開戦当初、連戦連勝だった。国民は沸き立ち、至る所で提灯行列が行われた。アジア・太平洋戦争の一大転換点になったのは44年7月のサイパン陥落である。サイパンなどマリアナ諸島を得たことで米軍は日本本土空襲が可能になった。この時点で戦争の勝敗は決していた、と言っていい。45年2月、「敗戦は必至」だと見て戦争終結を上奏した近衛文麿に対し、天皇は「もう一度戦果を挙げてからでないと、なかなか話はむずかしい」と述べている。いわゆる一撃講和論である。日本の戦争指導層は、なぜ国民の犠牲を最小限に抑えるため戦争終結を早めることができなかったのだろうか。そもそもなぜ日本は米国との無謀な戦争を始めたのか。戦争でわが子を亡くした親は、死児の齢を数えるようにして戦後を生きてきた。この人たちがいなくなり、戦争体験者がいなくなったとき、戦争はどのように語られ、どのように受け継がれるのだろうか。おそらく、さまざまな「解釈」が飛び交うことになるはずだ。だからこそ、今、歴史家の屋嘉比収さんが生前強調したように、「非体験者が体験者の語りを繰り返し聞くことで、沖縄戦の教訓を分有」することが大切な作業になる。沖縄戦の中から、現在の問題意識に響き合うような「問い」を新たに発掘することが重要だ。ポツダム宣言を受諾して日本が連合国と講和条約を結んだのが1951年。講和条約はしかし、沖縄にとって新たな苦難の始まりだった。地上戦を経験した沖縄は、米ソ冷戦の下で軍事要塞(ようさい)化し、その負の遺産が今も住民を苦しめる。今年は、1991年のソ連崩壊から20年、2001年の米国同時多発テロから10年に当たる。米ソ冷戦が終わっても沖縄の米軍基地は温存され、「9・11」の後、沖縄はアフガニスタン戦争、イラク戦争の出撃拠点となった。生前、ジャーナリストとして活躍した太田良博さんの言葉が重く響く。「戦争は決してすぎ去った悪夢ではなく、たえず、われわれをおびやかしている黒い影である」(太田良博著作集第3巻「戦争への反省」)
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朝日のご都合主義
如何であろうか。
「三赤新聞」と十把一絡げに呼びはしたが、流石は朝日は全国区的アカ新聞。沖縄二紙とは貫禄の違いを見せてくれる。
何しろツカミに持ってきたのは吉田満の名作「戦艦大和ノ最期」から大和乗組青年士官の科白だ。チョイと古いが(*1)「掴みはオッケー」と言うところだ。
朝1> 「進歩のないものは決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。……今目覚めずしていつ救われるか」。
この科白をキーワードに、国利国益よりも己が立身出世を優先して破滅への道を歩んだと戦前のエリート=軍人及び官僚を非難し、返す刀で戦後も同様の体制であるとして(*2)エリート官僚を福島原発事故を題材に非難する。
で、結論は格好良く、
朝2> 2002年の著書「犬と鬼・知られざる日本の肖像」で、
朝3> 既に利権政治と官僚主導に加え原子力村の情報操作を日本の暗部として書いていた。
朝4> 「この構造は戦争から福島まで変わらない。変えるには情報独占を打ち崩すしかない」と話す。
朝5> 健全で利害から独立したジャーナリズムが果たすべき責任と役割は重い。
朝6> 情報を官僚らに独占、操作させず、生命や資産が脅かされる可能性のある人全員が共有する。
朝7> 失敗の歴史を忘却せず使命を果たしてゆきたい。
早い話が「我々が健全な独立したジャーナリズムを維持しておれば、先の大戦と言う破滅は免れた。」と言わんばかりであり、その自負自戒自尊が上記朝7>と言う立派な「使命感」として表明されている。
「三赤新聞」と十把一絡げに呼びはしたが、流石は朝日は全国区的アカ新聞。沖縄二紙とは貫禄の違いを見せてくれる。
何しろツカミに持ってきたのは吉田満の名作「戦艦大和ノ最期」から大和乗組青年士官の科白だ。チョイと古いが(*1)「掴みはオッケー」と言うところだ。
朝1> 「進歩のないものは決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。……今目覚めずしていつ救われるか」。
この科白をキーワードに、国利国益よりも己が立身出世を優先して破滅への道を歩んだと戦前のエリート=軍人及び官僚を非難し、返す刀で戦後も同様の体制であるとして(*2)エリート官僚を福島原発事故を題材に非難する。
で、結論は格好良く、
朝2> 2002年の著書「犬と鬼・知られざる日本の肖像」で、
朝3> 既に利権政治と官僚主導に加え原子力村の情報操作を日本の暗部として書いていた。
朝4> 「この構造は戦争から福島まで変わらない。変えるには情報独占を打ち崩すしかない」と話す。
朝5> 健全で利害から独立したジャーナリズムが果たすべき責任と役割は重い。
朝6> 情報を官僚らに独占、操作させず、生命や資産が脅かされる可能性のある人全員が共有する。
朝7> 失敗の歴史を忘却せず使命を果たしてゆきたい。
早い話が「我々が健全な独立したジャーナリズムを維持しておれば、先の大戦と言う破滅は免れた。」と言わんばかりであり、その自負自戒自尊が上記朝7>と言う立派な「使命感」として表明されている。
さらに最後の締めは再び「戦艦大和ノ最期」に戻り、
朝8> そうしてこそ大和の青年士官に答えられる。
朝9>「私たちもようやく、目覚め救われるように、一歩前に出ます」と。
だ、そうだ。実にご立派な事ではないか。とても朝日新聞の社説とは思えないほどに。
朝8> そうしてこそ大和の青年士官に答えられる。
朝9>「私たちもようやく、目覚め救われるように、一歩前に出ます」と。
だ、そうだ。実にご立派な事ではないか。とても朝日新聞の社説とは思えないほどに。
そもそも、先の大戦=大東亜戦争(太平洋戦争)に対する評価と言う根本からして私と朝日新聞はじめとする三赤新聞とは相容れない。私は予てからボチボチ記事にしている通り(*3)「大東亜戦争(太平洋戦争)は少なくとも一面有色人種の白人帝国主義に対する戦いであり、敗れたりとは言え、戦わないよりは遥かにマシな戦争であった。」と評価している。チョイと捻った言い方をするならば、「我々は(*4)、太平洋戦争には敗れたが、大東亜戦争には勝った(*5)のだから。」
朝日vs産経 社説比較 野田財務省「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」発言 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35819017.html
http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35819061.html
だがそうした大東亜戦争(太平洋戦争)に対する評価の乖離は別にしても(*6)、この朝日社説のご立派な主張と実態の乖離は、驚くやら呆れるやらである。例えば上記朝6>「情報を官僚らに独占、操作させず」と言うが、ネット情報が発達するまで、テレビ・ラジオ・新聞と主要情報媒体を独占的に押さえ、「情報を独占・操作」してきたのは紛れも無く朝日新聞はじめとするマスコミ各社ではないか。その典型例は先の衆院選挙前の自民党非難民主党擁護キャンペーンであり、さらに先立つ田母神空幕長更迭劇だ。
「私は一介の主婦ですけれど、そうしたお話は新聞には出ませんのね。」
「新聞に出ない話は一杯あるんですよ。」 ―ジョン・ウエイン主演映画「グリーン・ベレー」より―
田母神空幕長更迭と民主主義田母神論文を巡る自衛隊に対する思想統制についてーマスコミが、民主主義の危機を引き起こそうとしている怪ー http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/19629370.html
ま、「健全で利害から独立したジャーナリズム」と言うのは私も同意できる「理想像」だ。それを掲げる事自体は悪い事ではない。
ちっとは実践してから言ってもらいたいものだがな。
http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35849930.html へ続く
朝日vs産経 社説比較 野田財務省「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」発言 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35819017.html
http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35819061.html
だがそうした大東亜戦争(太平洋戦争)に対する評価の乖離は別にしても(*6)、この朝日社説のご立派な主張と実態の乖離は、驚くやら呆れるやらである。例えば上記朝6>「情報を官僚らに独占、操作させず」と言うが、ネット情報が発達するまで、テレビ・ラジオ・新聞と主要情報媒体を独占的に押さえ、「情報を独占・操作」してきたのは紛れも無く朝日新聞はじめとするマスコミ各社ではないか。その典型例は先の衆院選挙前の自民党非難民主党擁護キャンペーンであり、さらに先立つ田母神空幕長更迭劇だ。
「私は一介の主婦ですけれど、そうしたお話は新聞には出ませんのね。」
「新聞に出ない話は一杯あるんですよ。」 ―ジョン・ウエイン主演映画「グリーン・ベレー」より―
田母神空幕長更迭と民主主義田母神論文を巡る自衛隊に対する思想統制についてーマスコミが、民主主義の危機を引き起こそうとしている怪ー http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/19629370.html
ま、「健全で利害から独立したジャーナリズム」と言うのは私も同意できる「理想像」だ。それを掲げる事自体は悪い事ではない。
ちっとは実践してから言ってもらいたいものだがな。
http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35849930.html へ続く
<注釈>
(*1) 多分。私が知っているようなネタなんだから、古いに違いない。(*2) 流石に自衛官は槍玉に挙げないが・・・散々冷遇してきたし、今も厚遇はしていないどころかまともに国民扱いする事さえ稀だからな。(*3) そう言えば纏めて「私の歴史観」シリーズにはしていないな・・・(*4) 我々である。大日本帝国は、日本国と同様、我が国である。時間軸の目盛りが100年ばかりずれているだけだ。(*5) この表現自体は私のオリジナルではない。誰の言葉だったかは、忘れたが。(*6) その乖離を埋めようとも、埋まるものとも思わない。大東亜戦争(太平洋戦争)を評価する事が金儲けになるようになれば、朝日新聞はコロッと宗旨を変えるだろうと、予測するばかりだ。