応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/
 
 お盆も過ぎて早一週間以上だから、聊か旧聞に属するが(*1)8.15「終戦記念日(*2)」をキーワードに多くの新聞が特別社説を公表している。
 「66年目の終戦記念日」と言うのが記念すべき節目かどうかは異論があろう(*3)が、3.11東日本大震災と言う戦後最大の災厄(*4)後最初の「終戦記念日」であれば、相応に気合もこもろうというもの。
 
 で、今回取り上げるのは、朝日、琉球新報、沖縄タイムスの「朝日+沖縄二紙」。タイトルにもしたとおり、私が「三赤新聞」と呼ぶ三紙だ。
 
 先ずは各紙社説、少々長くなるが、ご一読願おうか。
 

<注釈>

(*1) ッて事は、朝日社説へのリンクは切れている、と言う事だな。
 
(*2) 正確に言えば「敗戦の日」であろう。大東亜戦争(太平洋戦争)が我が国の敗北を以って終結した日。これを「終戦」と言い換えるのは、確かに本質を見誤る恐れなしとはしないが、「敗戦」となると「記念日」とする訳にはいかない。
 さらに正確を期するなら「敗戦屈辱の日」かも知れないが、私は「大東亜戦争(太平洋戦争)は、喩え負けても戦う価値のあった戦争」と考えているから、敗戦自体は屈辱ではあっても、後悔ばかりではない。
 
(*3) 「66」だからぞろ目ではあるし、「六ゾロ」だから足して12でサイコロの目としては最強(若しくは最弱)だが、普通は70とか60とか切りの良い数字にするだろう。
 
(*4) 尤も、その災厄の相当部分は、菅直人と民主党政権に帰せられるべきと私は考えているが。
転載開始=============================================================================

朝日社説―終戦に思う―今、民主主義を鍛え直す 

 http://www.asahi.com/paper/editorial20110814.html?ref=any
 「進歩のないものは決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。……今目覚めずしていつ救われるか」。青年士官がつぶやく。
 戦艦大和(やまと)は昭和20年春、帰還のあてない特攻出撃を命じられた。青年士官とともに乗艦した吉田満(みつる)が一部始終を書いた「戦艦大和ノ最期」にある。
 青年士官は、無駄死にを強いたに等しい国でも、せめて、未来には希望を託したのだろう。
 しかし、私たちは、進歩し、目覚め、救われたのだろうか。明日、敗戦から66年。
■今目覚めずしていつ
 敗戦間際の8月、学徒出陣で見習士官になった若者が鹿児島県薩摩半島にいた。中隊を率い米軍との決戦に備えていた。
 守る場所を「イチコロ陣地」と呼んだ。配備された4門の大砲に砲弾はわずか72発。撃ち続ければ数分ももたない。「これでどうやって戦うのか」と問うと、上官の少佐は、その場しのぎに「いざという時にはうなるほどの砲弾が来る」と言った。
 若者は戦後、旧大蔵省に入りエリートと呼ばれる身となる。磯辺律男元国税庁長官(89)は戦時中のエリート、職業軍人らをこう見る。「自分の階級を上げることしか関心がなく、国のため、国民のために自らがどうあるべきかを考えなかった」
 既に日中戦争の泥沼にはまっていたのに新たな敵を求めた。石油など資源の供給元だった米国相手の太平洋戦争への突入はあり得べからざることだった。
 それを自存自衛と都合よく言い換え、追い立てたのは軍人たちだった。国民も当初の勝利に浮かれ、軍人をもり立てた。 (*1)
 なぜ、自滅への戦争を選んだのか。今年12月、映画「山本五十六(いそろく)」が公開される。山本連合艦隊司令長官を演じての思いを役所広司さんに尋ねた。
 「この国にはエリートが自分たちに都合よく回しておけばいい、という歴史があり、今も続いている。一方で国民はビジネスや金もうけは真剣だが大事なことを忘れていく」と答えた。
■負の構図再び
 戦後も繰り返された。
 バブル経済は、金余りを放置した官僚たちと、それに乗じて土地や株を買いあさり、本来の価値以上につり上げた国民の責任だ。揚げ句、暴落し多額の不良債権が発生したが、官僚は実態の公開を渋り解決が遅れた。
 「国破れて道路あり」。公共事業に大盤振る舞い。農道空港や豪華な箱もの施設など無駄な投資が積み重ねられた。宴(うたげ)の後に膨大な財政赤字が残った。
 そして福島第一原発の事故。原子力村の自己過信が招いた物語でなかったか。
 世界有数の地震国。大津波も襲う大地に54基もの原発を造った。さらに2030年までに14基以上増やし、総電力中の原子力を5割以上にする計画を立てていた。原発依存の過剰さが放置、容認されてきた。
 経済産業省や電力会社は、地震国の真実に目を塞いだ。都合のいい情報は伝えるが不利なデータは隠す。さらにやらせ質問で世論を誘導。ウソを重ねた軍部の「大本営発表」顔負けだ。
 でも原子力村だけの責任か。
 朝日新聞が設けた「ニッポン前へ委員会」の神里(かみさと)達博委員(東大特任准教授)は原発事故の真因として「原子力について民主的な熟議を怠ってきた」とし、「閉鎖的な専門家システム」と「大半の国民の無関心」という共犯関係によって生じたと指摘している。
 国を守る力もエネルギーも必要な機能だ。しかし国民が自らの生命や財産まで官僚や専門家集団に委ね、ある時は傍観、ある時は狂奔した。この人任せと無責任が、度重なる失敗の根底にあるのではないか。
■自らの意思で守る
 生命や財産は、国民一人一人が守り抜くという意思を持ち、その意思を実現できる人物を政治家に選び、働かせる。国民と政治家が問題の価値やリスクをチェックできる仕組みを作り上げる、すなわち民主主義を真っ当なものに鍛え直すしかない。
 死活的に重要なのは情報だ。東洋文化研究者アレックス・カーさんは「情報が官僚や一部の専門家に握られ、決断も彼らがしてきた。本来、政治家や国民が果たすべき役割がなおざりにされてきた」と指摘する。
 彼は2002年の著書「犬と鬼・知られざる日本の肖像」で、既に利権政治と官僚主導に加え原子力村の情報操作を日本の暗部として書いていた。「この構造は戦争から福島まで変わらない。変えるには情報独占を打ち崩すしかない」と話す。
 健全で利害から独立したジャーナリズムが果たすべき責任と役割は重い。情報を官僚らに独占、操作させず、生命や資産が脅かされる可能性のある人全員が共有する。失敗の歴史を忘却せず使命を果たしてゆきたい。
 そうしてこそ大和の青年士官に答えられる。「私たちもようやく、目覚め救われるように、一歩前に出ます」と。
 

<注釈>

(*1) その「軍人をもり立てた」筆頭は、朝日新聞はじめとするマスコミではないか。
 

琉球新報社説 終戦66年 今も続く米軍の占領/再び沖縄を戦場にするな 

 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-180503-storytopic-11.html
2011年8月14日 
 1945年8月15日の終戦の日から66年が経過した。非道な軍国主義路線を突き進んだ結果、先の大戦でおびただしい数の命が奪われた。戦争がもたらすものは死であり、真の意味で勝者も敗者もない。
 沖縄は、太平洋戦争で本土防衛の時間稼ぎに利用され、国内で唯一、相当数の県民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられた。日米合わせて20万人余が犠牲になっている。
 戦後は地主の意思に反し広大な土地が接収され、次々と米軍基地が建設された。今も県土の1割余、人口が集中する沖縄本島の18・4%が米軍施設・区域だ。米軍による「占領状態」が続く限り沖縄の戦後は終わらない。
首脳の危険な言動
 終戦記念日を前に枝野幸男官房長官の口から驚くべき言葉が飛び出した。10日の参院沖縄北方特別委員会で「(尖閣諸島に)他国が侵略してきたら、あらゆる犠牲を払ってでも自衛権を行使し、これを排除する」と述べたのである。漁船衝突事件などを起こした中国が念頭にあるのは間違いない。
 憲法9条は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めている。
 武力行使をほのめかす発言自体、憲法の理念に抵触する。平和主義をないがしろにする人物が官房長官の任にあるのは大きな問題だ。攻めてきたら戦うと言わんばかりの態度は人命軽視にほかならない。戦火を交えれば必ず住民が犠牲になる。枝野長官は沖縄を再び戦場にしてもいいと考えているのか。沖縄戦の歴史を学んでいれば「あらゆる犠牲を払ってでも」とは口が裂けても言えないはずだ。
 政府に求められるのは、紛争など起き得ない友好な関係を隣国との間に築くことだ。
 尖閣諸島が石垣市に属する日本の領土であることは疑いようがない。中国、台湾が領有権を主張し始めたのは約40年前。尖閣諸島の周辺海域で石油などの埋蔵資源が有望―という調査結果が明らかになってからであり、論拠に乏しい。
 中国が、自国の領土だと強弁するのは国際社会から不信を買うだけだ。国際法にのっとり粛々と外交努力を重ね、理不尽な要求は何の得にもならないと中国に理解させなければならない。
 中国側の動きが目に余るからといって、政府首脳が唐突に自衛隊出動の可能性に言及しては対話の道を閉ざしてしまう。戦闘を示唆する官房長官の言動を菅直人首相が黙認しているのは理解し難い。
 「死に体」といってもまだ一国の総理だ。自身が任命した閣僚の不穏当な振る舞いを許してはならない。他国との無用なあつれきを招かないように、厳しく注意すべきだ。
「核廃絶」こそ急務(*1)
 終戦から66年を経ても沖縄にはなお多くの爪痕が残る。その象徴が米軍基地だ。県の面積は国土の0・6%。その中に全国の米軍専用施設の74%(面積)が集中している。米軍人・軍属による凶悪事件、米軍機の墜落といった重大事故は後を絶たない。住宅地上空を飛び交う軍用機の騒音は我慢の限度を超えている。
 県民の大多数が県外・国外に移すよう望んでいる普天間飛行場の面積は約480ヘクタール。在沖米軍施設・区域の総面積2万3293ヘクタールのうち約2%にすぎない。沖縄以外の99・4%の地域に受け入れる場所がないと政府が言い張るのは最初から移す意思がないからだ。(*2)米軍は日米地位協定によって特権を与えられており、「占領状態」は変わらない。
 不発弾の問題も深刻だ。今も2200トンが未処理のまま地中に埋まっているとみられる。早期の撤去が望まれる。戦禍に倒れ原野に眠る遺骨もまだ多い。徹底した収集が不可欠だ。
 3月11日の福島第1原発事故は「核」の脅威を見せつけた。原子力は「平和利用」が目的であっても、原爆と同様、人の命を脅かす。9日の平和祈念式典で、被爆国の国民がなぜ再び放射線の恐怖におびえることになったのか―と訴えた田上富久長崎市長の言葉は限りなく重い。これまでにも増して核廃絶への取り組みを世界の核保有国に強く訴える必要がある。(*3)
 私たちは戦争の惨禍を決して忘れてはならない。終戦記念日を前に、不戦の決意を新たにしたい。(*4)
 

<注釈>

(*1) それが「急務」なら、それは成就しないな。
 
(*2) 面積比とは、恐れ入るな。
 
(*3) ああ、賭けても良いよ。幾ら強く訴えたって、北朝鮮やイランの核開発には全く影響しないから。況や現有核保有国が、リップサービス以上のことなぞ、するものかよ。
 
(*4) 馬鹿だねぇ。幾らこちらが不戦を決意したって、向こうから仕掛ける戦争には何の足しにもならなかろうが。ソリャ「予めする降伏宣言」でしかない。侵略を誘発するばかりだ。誘発しているのだろうが。