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タイトルから誤解して欲しくないのだが(*1)、私は今一世を風靡していると言うか猖獗を極めていると言うか兎に角「大流行」の「自然エネルギー推進論」に組する者ではない。否、それどころか、福島第一原発事故を経てなお原発推進を唱える者だ。
私の原発推進論―または私が福島原発事故を経てなお原発を推進する理由。―前進せよ、人類。 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35630668.html
そんな私がいまや飛ぶ鳥落とす勢いとは言えタイトルのような文章を書こうと思い立ったのは、何を隠そう、管直人のお陰なのである。
彼奴はゾンビ首相にして歩く政治空白であり、最近は「千年に一度の大臣災」じゃなかろうかと思え始めたふざけた野郎であり、おそる可きも驚くべき事にいまだ日本国首相なのであるが、「辞任すると見せかける事で不信任可決を回避した( それ以前に、憲政史上最多の衆院議席数を擁する政党の党首ながら危うく不信任可決されそうになった) 」と言う前代未聞にして恐らくは空前絶後の「首相」であり、その不信任採決から2ヶ月も経ったと言うのに未だ辞任退任の目処がないという「恐るべき」首相である。
その菅直人が左様な凄まじい状態にありながら「退陣三条件」なるものを掲げているのである。尤も、ゾンビ首相がゾンビ初期の頃に掲げた条件であるから、今頃はキングゾンビだかドスゾンビだかにグレードアップして、今掲げる「退陣三条件」が揃ったところで「一定の目処が立たない」とか、もっと酷い事には「一定の目処を立たないようにして」首相の座に居座ると言う公算大と思えるのだが、(*2)そんな奴でも甚だ怪しいながら「退陣三条件」を掲げているのだ。
ならば、福島原発事故以降も原発推進論を唱える私が、「自然エネルギー推進論者となるための必要条件」を考察するのも、あながち無駄ではなかろう。「逆転の発想」の一種だ。
私の原発推進論―または私が福島原発事故を経てなお原発を推進する理由。―前進せよ、人類。 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35630668.html
そんな私がいまや飛ぶ鳥落とす勢いとは言えタイトルのような文章を書こうと思い立ったのは、何を隠そう、管直人のお陰なのである。
彼奴はゾンビ首相にして歩く政治空白であり、最近は「千年に一度の大臣災」じゃなかろうかと思え始めたふざけた野郎であり、おそる可きも驚くべき事にいまだ日本国首相なのであるが、「辞任すると見せかける事で不信任可決を回避した( それ以前に、憲政史上最多の衆院議席数を擁する政党の党首ながら危うく不信任可決されそうになった) 」と言う前代未聞にして恐らくは空前絶後の「首相」であり、その不信任採決から2ヶ月も経ったと言うのに未だ辞任退任の目処がないという「恐るべき」首相である。
その菅直人が左様な凄まじい状態にありながら「退陣三条件」なるものを掲げているのである。尤も、ゾンビ首相がゾンビ初期の頃に掲げた条件であるから、今頃はキングゾンビだかドスゾンビだかにグレードアップして、今掲げる「退陣三条件」が揃ったところで「一定の目処が立たない」とか、もっと酷い事には「一定の目処を立たないようにして」首相の座に居座ると言う公算大と思えるのだが、(*2)そんな奴でも甚だ怪しいながら「退陣三条件」を掲げているのだ。
ならば、福島原発事故以降も原発推進論を唱える私が、「自然エネルギー推進論者となるための必要条件」を考察するのも、あながち無駄ではなかろう。「逆転の発想」の一種だ。
<注釈>
(*1) 当ブログを継続的に読まれている方ならばそんな心配は無かろうが。そんな人は稀有だからね。(*2) 彼奴が東日本大震災以来富に発揮し続けてきた無策無能、否、「歩く千年に一度の災害」ぶりは、「一定の目処を立てないことで首相の座に居座るため」と考えると、合点が行く。
(1.)「再生可能な自然エネルギー」その評価項目
「再生可能な自然エネルギー」。この言葉が耳に心地よい事は私も認める。「自然エネルギー」ってだけで悪いイメージはないだろうし、「再生可能な」と来れば「無料で無限」なんて幻想まで惹起してくれる。無論、エネルギー保存則の然らしむる所から「自然エネルギー」とて逃れようがないのだから、「無料で無限」のエネルギーと言うのは幻想に過ぎないのだが、魅力的な言葉であるから騙される者には事欠かない。
アルキメデス以前―産経記事「「夢のエネルギー製造装置」に迫る」を斬る! http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35579513.html
では此処で言う「再生可能な自然エネルギー」は何かと言うと、真っ先に上がるのが太陽光と風力、一寸遅れて水力、バイオマスと続く。余り言われないが地熱と言うのもある。我が国は世界有数の火山帯の上にあるのだ。この「地の利」を活かさない手はあるまい。
この他に、「波力発電」「潮汐力発電」がある。我が国では余りなじみがないが、四面海もて囲まれし我が敷島の厳島なれば、海の恩恵も検討の余地はあろう。
以上のように数え上げると、「再生可能な自然エネルギー」としては、以下の項目が挙げられる。
(1) 太陽光( 太陽熱含む)
(2) 風力
(3) 水力
(4) バイオマス燃料
(5) 地熱
(6) 波力
(7) 潮汐力
一寸補足するならば、上記(4)バイオマス燃料発電は、燃料獲得の手段が火力発電とは異なるばかりで、植物を燃料化してしまってから後は、基本的に火力発電と変わらない。石油や石炭とて太古の昔まで遡れば元は植物なのであるから、「地球が数千万年かけて植物を燃料化したプロセスを、人間が短期間で肩代わりした火力発電」がバイオマス燃料発電とも言える。
アルキメデス以前―産経記事「「夢のエネルギー製造装置」に迫る」を斬る! http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35579513.html
では此処で言う「再生可能な自然エネルギー」は何かと言うと、真っ先に上がるのが太陽光と風力、一寸遅れて水力、バイオマスと続く。余り言われないが地熱と言うのもある。我が国は世界有数の火山帯の上にあるのだ。この「地の利」を活かさない手はあるまい。
この他に、「波力発電」「潮汐力発電」がある。我が国では余りなじみがないが、四面海もて囲まれし我が敷島の厳島なれば、海の恩恵も検討の余地はあろう。
以上のように数え上げると、「再生可能な自然エネルギー」としては、以下の項目が挙げられる。
(1) 太陽光( 太陽熱含む)
(2) 風力
(3) 水力
(4) バイオマス燃料
(5) 地熱
(6) 波力
(7) 潮汐力
一寸補足するならば、上記(4)バイオマス燃料発電は、燃料獲得の手段が火力発電とは異なるばかりで、植物を燃料化してしまってから後は、基本的に火力発電と変わらない。石油や石炭とて太古の昔まで遡れば元は植物なのであるから、「地球が数千万年かけて植物を燃料化したプロセスを、人間が短期間で肩代わりした火力発電」がバイオマス燃料発電とも言える。
以上で評価対象は選定できた。では、その評価項目・評価基準を決めるに当たって原点・出発点を確認しておこう。これら「再生可能な自然エネルギー」を評価するに当たり、そもそもエネルギー政策の目的は何か、その目的こそが原点・出発点となる。
再三当ブログで記事にしているところであるが、そのエネルギー政策の目的は、見通せる将来に渡って「電力の安定的供給」だ。家庭向けのエネルギー供給の一翼を都市ガスが担っており、将来的には別の形態によるエネルギー供給、例えば液体水素の配給だとか、燃料電池の集配だとか言った形態も想定しうるが、社会インフラとして強固に定着している電力送配電網がおさおさひけを取る筈も無く、10年20年は先ず不動の地位。30年でも安泰で、40年、50年先でようやく怪しくなってくるくらいの確固たる目標が「電力の安定供給」だ。
余剰電力は防衛力である-脱原発騒動と電力不足に状況によせて http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35687699.html
但し、此処で言う「電力の安定供給」は「安定発電」を必ずしも意味しない。ユーザー側の電力取り出し口、各家庭のコンセントや工場の主配電盤に電力が安定供給されていることが目的であり、そこに至るまでの発電から送電は言うに及ばず、現状は殆ど実施できていない蓄電=電力貯蔵と取り出しまで含めた、広義の「安定した電力供給」である。
さらに言うならば今で言う「電力会社による安定した電力供給」こそが目的である事も明記しておくべきだろう。「今で言う電力会社」と限定詞をつけたが、これは、発送電が分離されようが、或いは現状の地域独占を廃して電力会社が複数林立しようが、兎も角その全電発電会社と送電会社を含めて、ユーザー側取出し口への「安定した電力供給」が目的である事を強調するためである。と同時に、先般菅直人が「電力の供給安定化手段」としてあげた「節電と自家発電」などと言うのは電力需要の圧縮に過ぎず、電力会社及びひいては政府が負うべき電力の安定的供給義務を軽減はするものの、肩代わりする物ではないと考えるからである。
繰り返すが原点・出発点は「電力の安定的供給」である。「脱原発」でもなければ「再生可能な自然エネルギーの普及」でもない。それらは手段ではあっても、目的ではない。それは如何に「節電と自家発電」で電力需要が圧縮されたとて、変わるものではない。
以上で明白にした原点から、評価項目は以下の様に選んだ。
(1)発電安定性 :どれぐらい安定した電力を供給できるか
(2)発電制御性 :どれぐらい電力供給を意のままに制御できるか
(3)発電コスト :発電視するのにどれぐらいコストがかかるか
(4)発電密度(発電量):設置面積あたりに換算して、発電量が凡そ火力発電所以上となりうるか
(5)建設自由度 :設置場所の条件は制限されるか
(6)その他 :特記事項
かなり抽象的な評価項目になってしまったことは否めない。
評価項目(1)「発電安定性」と(2)「発電制御性」はほぼ表裏一対の評価項目だ。発電の制御性が高ければ、発電安定性も当然高くなる。
評価項目(3)「発電コスト」はわかりやすい指標であり、同時に「自然エネルギーの弱点」と言う点では衆目が一致している。判りやすくて定性的には衆目も一致する指標だが、定量的には一寸難しい。凡そ1kwH当たりのコストが5~10円となれば火力発電並みで営業的にも充分成り立つとされ、原子力発電はその幅の低い方、水力発電はその幅の高い方と一寸はみ出る当たりのコストとされ、それ以外の「再生可能な自然エネルギー」は現時点では全く太刀打ちできない高コスト(*1)とされる。このコストについては判りやすい数字だけに往々にして疑義が呈され、特に原発の発電コストについては、やれ「廃炉の費用が入っていない(*2)」だの「福島第1原発事故の賠償で途轍もなく高コストであることが判明した(*3)」だの、甚だしきは「原発は儲かるほど発電していない(*4)」なんて説まで飛び出すぐらい陰謀論の巣窟なのであるが、此処では評価が(原発よりは)安定している火力発電を指標として、各「再生可能な自然エネルギー」を評価する事にしよう。
評価項目(4)「発電密度(発電量)」は、単純には「発電所1箇所あたりの発電量」としたいところであるが、何しろ太陽光発電なんかは半端ではなく敷地面積を取る物であるから、一応「発電密度」として設置面積も考慮に入れることとした。これまた、風力や火力の弱点とされる項目だが、日本の国土はさして広くない、どころか人口1億が文化的に暮らしていくには相応に知恵も才覚も必要な土地なのだから、環境省が吹いたという(*5)「国土全部を自然エネルギーに利用すれば、日本の電力需要の3割が賄える」なんて妄想と言うか暴走を抑止するためには、必要な評価項目だろう。当たり前だが日本列島は発電するためだけのプラットフォームではないのである。
評価項目(5)「建設自由度」は評価項目(4)ともある程度関連するが、こちらは面積以外の制約を主とした。
<注釈>
(*1) だからこそ、再生エネルギー法と言う電力高価買取を義務付ける政府援助で何とか商業ベースに乗せようとしている。そんなのは、商業ベースじゃないんだが。脱原発への一歩だが、一歩のみ-孫正義の「赤字にならないメガソーラー経営法」 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35344184.html(*2) 現時点まで廃炉になった商業用原子炉はないのだから、今のコスト計算に廃炉の費用が入っていないのは当たり前だ。今度福島第一原発が商業用原子炉の廃炉第1号にはなろうが、これを「標準的な廃炉費用」とはいえないだろう。(*3) M9.0の地震と、津波と、管直人の襲来と言うトリプルパンチを喰らって福島第1原発事故に至ったから、今後の原発には女川原発と同様の安全策が求められるため安全コストは上がるだろうし、事故に備えての保険金も上がるだろうが、それで太陽光発電並みの高コスト電力になるなんて計算は理解不能だ。ザックリ言って火力並みに上がる程度だろう。(*4) ならば、次々と原発を停止している現状は、各電力会社にとって経営を好転させる筈だが・・・実態は逆だよねぇ。(*5) 天下の暴論―東京社説「自然エネルギー 電力供給の主役目指せ」を斬る! http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35714171.html http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35714236.html