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俗に「人の振り見て我が振り直せ」と言う。己とは異なる他者、或いは異論・異説に触れる事で自己の認識、自己の意見が明確になることがある。
何度も表明しているが、私は福島原発事故を経てなお原発推進論者だ。いまどきこれを明言・公言する者は少数派であろうが、別に構いはしない。こちとら少数派には慣れっこだ。
そんな私が改めて原発推進論を強く意識したのは、元朝日新聞記者殿の以下の記事だ。何しろこの記事によると、彼と彼の仲間たちと言うのは、こぞって「脱原発派」なのだそうである。
菅首相の続投は是か非か http://allatanys.jp/B001/UGC020005220110712COK00858.html
「そんな偏った人間集団(*1)の中に居て、まともな報道記事が書けるのか。」と心配になるが、何しろ朝日新聞であるし、彼は元コラムニストだそうだから、さして実害はないのだろう。
それはさて置き、そんな人間集団の記録たる上記記事(*2)を読むと、私としては彼我の相違を意識せざるをえない。
そう、タイトルにもした通り、私の原発推進論を。
何度も表明しているが、私は福島原発事故を経てなお原発推進論者だ。いまどきこれを明言・公言する者は少数派であろうが、別に構いはしない。こちとら少数派には慣れっこだ。
そんな私が改めて原発推進論を強く意識したのは、元朝日新聞記者殿の以下の記事だ。何しろこの記事によると、彼と彼の仲間たちと言うのは、こぞって「脱原発派」なのだそうである。
菅首相の続投は是か非か http://allatanys.jp/B001/UGC020005220110712COK00858.html
「そんな偏った人間集団(*1)の中に居て、まともな報道記事が書けるのか。」と心配になるが、何しろ朝日新聞であるし、彼は元コラムニストだそうだから、さして実害はないのだろう。
それはさて置き、そんな人間集団の記録たる上記記事(*2)を読むと、私としては彼我の相違を意識せざるをえない。
そう、タイトルにもした通り、私の原発推進論を。
<注釈>
(*1) 上記記事にある通り、この集団の中では未だ菅直人支持率がほぼ5割あるそうだから、ちょっとした特異点だろう。(*2) 正直言って、「そんな人間集団の議論の記録」以上の価値は、この記事にはない。
必要なのは、安定した電力供給である
基本認識の確認から行こう。出発点、原点と言う奴だ。
我々に必要なのは先ず第一に安定した電力なのである。省エネなどである程度の需要圧縮は行なえるとしても、基本的には拡大増加傾向にある電力需要を賄えるだけの余裕(*1)を持った充分な発電力が必要なのである。一方で電力、特に大電力を貯蓄する実用的な方法は、現時点では揚水式ダムに水の位置エネルギーとして貯める方法のみ。基本的に時々刻々の電力需要≒その時点での発電量 であり、電力需要 < 発電量 でなければどこかが不時停電=正真正銘掛け値なしの無計画停電となる。ローカルには 電力需要 < 送電量 さえ満たしていないといけない。これは発電の方式が何に拠ろうとも、発電と送電の会社が同一だろうが分離されていようが、また各家庭や工場市街に供給されるエネルギーが基本的に電力である限り、変わりようのない、万古不易とは言わないが相当一般的な事実だ。
我々に必要なのは先ず第一に安定した電力なのである。省エネなどである程度の需要圧縮は行なえるとしても、基本的には拡大増加傾向にある電力需要を賄えるだけの余裕(*1)を持った充分な発電力が必要なのである。一方で電力、特に大電力を貯蓄する実用的な方法は、現時点では揚水式ダムに水の位置エネルギーとして貯める方法のみ。基本的に時々刻々の電力需要≒その時点での発電量 であり、電力需要 < 発電量 でなければどこかが不時停電=正真正銘掛け値なしの無計画停電となる。ローカルには 電力需要 < 送電量 さえ満たしていないといけない。これは発電の方式が何に拠ろうとも、発電と送電の会社が同一だろうが分離されていようが、また各家庭や工場市街に供給されるエネルギーが基本的に電力である限り、変わりようのない、万古不易とは言わないが相当一般的な事実だ。
<注釈>
(*1) 運用上の制御マージンも必要ならば、不測の事態や、電力需要の粗密変動に耐えるだけの余裕
(*1) 運用上の制御マージンも必要ならば、不測の事態や、電力需要の粗密変動に耐えるだけの余裕
(B)電力供給源としての「再生可能な自然エネルギー」
「安定した電力供給」のための「充分な発電量」と言う目的に対し、手段=発電方法の一つである最近脚光浴びまくりの「再生可能な自然エネルギー」は、太陽光、風力、波力、地熱、水力と並べ立てても、その殆どは「発電量は制御できない」のである。水力はまあ水門を閉じる事で発電しない他に水門の開け方である程度発電量を制御できるが(*1)、太陽光は天候と日照任せで夜は不可能。風力は風任せで、波力も地熱も発電量は「出来高」にしかならない。電力需要に応じて発電量が制御できるのは、火力、原子力、水力ぐらいなのである。
従って、画期的な電力貯蓄技術が充分普及しない限り、電力需要の時間的変動を吸収出来るように、火力・原子力・水力発電の制御できる発電量は不可欠なのであり、それ故に、今原子力が締める発電量=全体の約3割を「全て再生可能な自然エネルギーで代替する」としても発電量は不足するのである。電力需要のピーク時に「再生可能な自然エネルギー」の発電量がピークにあるとは限らないのだから、今まで制御可能な発電量である原子力が占めていた地位を「再生可能な自然エネルギー」が占めただけでは制御マージンとしての発電量が不足する。仮に「原発の代わりに再生可能な自然エネルギー」を目指したとしても、制御可能な発電量の増量≒火力発電所の増設は不可避なのである。
これが意味する所は、仮に「再生可能な自然エネルギー」による発電の発電量当たり設備投資や発電コストが現時点の原発並みに納まったとしても、(*2)前述の通り「原発の代わりに再生可能な自然エネルギー」を導入した場合、電力料金は値上げされるだろうと言う事だ。
さらに言うならば、上記の通り「再生可能な自然エネルギー」の高コスト体質が技術の進歩宜しきを得て解決したとしても、今我が国の6割の電力を供給している火力発電の割合を下げて「再生可能な自然エネルギー」に切り替えるとか、或いはドイツが称しているような「8割を再生可能な自然エネルギーとする」などと言う事は、画期的な電力貯蓄技術が充分普及しない限り、我が国では不可能だと言う事だ。ドイツがそんな夢物語をまじめに唱えてしまえるのは、電力不足分を外国から買える欧州と言う特殊事情故であるとしか思えない。言い換えれば、ドイツは、制御可能な発電量をほぼ全面的に電力輸入、その相当部分はフランスの原発に依存する事で、「8割を再生可能な自然エネルギーとする」計画なのである(*3)。
従って、画期的な電力貯蓄技術が充分普及しない限り、電力需要の時間的変動を吸収出来るように、火力・原子力・水力発電の制御できる発電量は不可欠なのであり、それ故に、今原子力が締める発電量=全体の約3割を「全て再生可能な自然エネルギーで代替する」としても発電量は不足するのである。電力需要のピーク時に「再生可能な自然エネルギー」の発電量がピークにあるとは限らないのだから、今まで制御可能な発電量である原子力が占めていた地位を「再生可能な自然エネルギー」が占めただけでは制御マージンとしての発電量が不足する。仮に「原発の代わりに再生可能な自然エネルギー」を目指したとしても、制御可能な発電量の増量≒火力発電所の増設は不可避なのである。
これが意味する所は、仮に「再生可能な自然エネルギー」による発電の発電量当たり設備投資や発電コストが現時点の原発並みに納まったとしても、(*2)前述の通り「原発の代わりに再生可能な自然エネルギー」を導入した場合、電力料金は値上げされるだろうと言う事だ。
さらに言うならば、上記の通り「再生可能な自然エネルギー」の高コスト体質が技術の進歩宜しきを得て解決したとしても、今我が国の6割の電力を供給している火力発電の割合を下げて「再生可能な自然エネルギー」に切り替えるとか、或いはドイツが称しているような「8割を再生可能な自然エネルギーとする」などと言う事は、画期的な電力貯蓄技術が充分普及しない限り、我が国では不可能だと言う事だ。ドイツがそんな夢物語をまじめに唱えてしまえるのは、電力不足分を外国から買える欧州と言う特殊事情故であるとしか思えない。言い換えれば、ドイツは、制御可能な発電量をほぼ全面的に電力輸入、その相当部分はフランスの原発に依存する事で、「8割を再生可能な自然エネルギーとする」計画なのである(*3)。
<注釈>
(*1) それとて、水位の関数であるから、ある程度水位がないと、「自由に制御」は出来ない。(*2) 言うまでもないが、これは非常に楽観的な、と言うより非現実的なコスト見通しだ。菅直人自身が認めている通り、現時点で太陽光発電の発電コストは、原発の6倍であるとされている。孫正義が唱えるメガソーラーが「土地は地方自治体に無料で提供させ、なおかつ発電量全量を強制的に高価買い上げしてもらえる事が前提であってもなお、経営的に成り立つか不明」なのは一つにはこの高コスト体質故だ。(*3) としか私には思われない。さもなければ「8割を再生改能無し全エネルギー」と言うのは、ルーピーの「最低でも県外」級のおためごかしである。
安定した電力供給のために 発電方式の選定法と原発の意義
以上述べてきた事を言い換えるならば、SF的とさえ現時点では思える電力貯蔵技術(*1)の普及がない限り、如何に「再生可能な自然エネルギー」の低コスト化が進もうとも、制御可能な発電力は不可欠である。
その制御可能な発電力の主役は現在でも火力発電であるが、原子力もあって然るべし、と言うのが私の主張であり、私が今でも、福島第1原発事故後であっても、原発推進論者と公言する所以である。
制御可能な発電力として、火力のみに頼らず原子力を推進する理由はいくつかある。
その制御可能な発電力の主役は現在でも火力発電であるが、原子力もあって然るべし、と言うのが私の主張であり、私が今でも、福島第1原発事故後であっても、原発推進論者と公言する所以である。
制御可能な発電力として、火力のみに頼らず原子力を推進する理由はいくつかある。
一つには電力供給源の複数化による冗長性である。石炭、石油、天然ガスなどの化石燃料に頼る火力発電がほぼ唯一の制御可能な発電力であっては、これら化石燃料の価格変動が電力コストを直撃してしまう。「一つのかごに全ての卵を入れるな」と言う安全策が、化石燃料に頼らぬ原子力なのである。
世上よく言われる二酸化炭素についても原子力は優位だ。少なくともその運転は原理的に二酸化炭素を出さない。供給すべき燃料の質量が圧倒的に少ないから、燃料運搬によってって出る二酸化炭素についても火力に比べて圧倒的に少ない。だがまあ、地球上の二酸化炭素排出量を問題視するならば、日本の火力発電所を減らす事よりも中国を処分する方が遥かに先決であるから、この点での優位は原発推進の上では二義的なものだ。
原子力の発電コストの低さも勿論魅力だ。この点については「廃炉のためのコストが入っていない」とか「今回の福島第一原発事故のようなことが起これば吹き飛んでしまう」とか異論はあるようだが、現時点まで我が国で廃炉になった商業用原子炉=原発はないのだから、「廃炉のためのコストが入っていない」のは当たり前。今度の福島第1原発が廃炉にになる商業用原子炉第1号となるが、その費用を標準的とすることは出来ないだろう。「今公表されている原発の発電コストは正しい数字ではない。」とは言え、廃炉の費用分上がりはするだろうが、そのために火力発電に負けるとさえ思われない。
福島第一原発事故の賠償についてはそれは莫大な費用にはなろうが、それとて原発事故保険の保険料の値上げにしか過ぎず、安全性をより高めた原発についてならば、その保険料値上げも許容範囲だろう。例えば、今回福島よりも震源に近く正常に運転停止できた女川原発についての保険料ならば、微々たるものと考えられ、依然として「原発の発電コスト優位」は維持できるものと推定する。
世上よく言われる二酸化炭素についても原子力は優位だ。少なくともその運転は原理的に二酸化炭素を出さない。供給すべき燃料の質量が圧倒的に少ないから、燃料運搬によってって出る二酸化炭素についても火力に比べて圧倒的に少ない。だがまあ、地球上の二酸化炭素排出量を問題視するならば、日本の火力発電所を減らす事よりも中国を処分する方が遥かに先決であるから、この点での優位は原発推進の上では二義的なものだ。
原子力の発電コストの低さも勿論魅力だ。この点については「廃炉のためのコストが入っていない」とか「今回の福島第一原発事故のようなことが起これば吹き飛んでしまう」とか異論はあるようだが、現時点まで我が国で廃炉になった商業用原子炉=原発はないのだから、「廃炉のためのコストが入っていない」のは当たり前。今度の福島第1原発が廃炉にになる商業用原子炉第1号となるが、その費用を標準的とすることは出来ないだろう。「今公表されている原発の発電コストは正しい数字ではない。」とは言え、廃炉の費用分上がりはするだろうが、そのために火力発電に負けるとさえ思われない。
福島第一原発事故の賠償についてはそれは莫大な費用にはなろうが、それとて原発事故保険の保険料の値上げにしか過ぎず、安全性をより高めた原発についてならば、その保険料値上げも許容範囲だろう。例えば、今回福島よりも震源に近く正常に運転停止できた女川原発についての保険料ならば、微々たるものと考えられ、依然として「原発の発電コスト優位」は維持できるものと推定する。
<注釈>
(*1) 巨大なはずみ車を回して回転運動エネルギーとして蓄えておくとか、超伝導コイルに電流として流しておくとか、アイディアはあるようだが、実用化には程遠い。無論昔ながらの蓄電池・2次電池も補助的役割は持たせられるが・・・ノートパソコンを動かす、家庭の照明を担うぐらいならばなんかなるが、電車を運行するとか、工場を動かすとかの大電力は到底賄えない。
さらには、如何なる形であれエネルギーを出し入れすると言う事は、相応にロスを生じるから、「必要に応じた電力量を発電する」よりも効率が悪い事は間違いない。
プルトーンの火、なお我が掌中にあれ!
以上の議論を要約すると、以下の数行になる。
(1) 「再生可能な自然エネルギー」による発電は、高コストや低容量(*1)は別としても、本質的に供給不安定である(*2)。
(1) 「再生可能な自然エネルギー」による発電は、高コストや低容量(*1)は別としても、本質的に供給不安定である(*2)。
(2) 大容量の電力貯蔵手段は現状無く(*3)、必要な電力需要分を発電する他ない。
(3) 従って、制御可能な発電手段は必須であり、制御の自由度が高いのは火力と原子力である。
(4) 発電コストを下げ、化石燃料依存を減らし、二酸化炭素排出量を減らすなどのメリットが、原子力発電にはある。
(5) 従って、今後「再生可能な自然エネルギー」の割合を高めようとも、制御可能な発電を火力発電にのみ頼るのではなく、安全性を高めた上で、原発をなお推進すべきである。
以上側が我が原発推進論の理論的側面である。が、心情的側面もある。即ち・・・
「たかだか核分裂如きを、人類が手なづけられずに何とするものか!」と言う気概である。
諸兄ご承知の通り人類は核分裂反応と、それを「種火」とした核融合反応を兵器に利用し、実戦配備している。前者が原爆で、後者が水爆だ。これ即ち核反応による膨大な(*4)エネルギーを、兵器と言う形で人類は活用しており、現時点までの最大の活用事例が冷戦であったという見方が出来る。また、そこまで過激な活用法でなくとも、原子力推進艦艇は通常動力推進艦艇にないメリットを享受している。この莫大なエネルギーを、「平和利用」などどうでも良いが、さらに有効活用しない法はない。また、それは人類には充分可能であると、確信しているのである。
「火は、我が友達よ。可愛い奴よ。」―十方飛丸 「虚無戦史MIROKU 」より―
言い換えれば、私の情理両面が、原発を推進せよと、命じているのだ。
「プルトーンの火、なお我が掌中にあれ!」と。
炎よ、行け!
以上側が我が原発推進論の理論的側面である。が、心情的側面もある。即ち・・・
「たかだか核分裂如きを、人類が手なづけられずに何とするものか!」と言う気概である。
諸兄ご承知の通り人類は核分裂反応と、それを「種火」とした核融合反応を兵器に利用し、実戦配備している。前者が原爆で、後者が水爆だ。これ即ち核反応による膨大な(*4)エネルギーを、兵器と言う形で人類は活用しており、現時点までの最大の活用事例が冷戦であったという見方が出来る。また、そこまで過激な活用法でなくとも、原子力推進艦艇は通常動力推進艦艇にないメリットを享受している。この莫大なエネルギーを、「平和利用」などどうでも良いが、さらに有効活用しない法はない。また、それは人類には充分可能であると、確信しているのである。
「火は、我が友達よ。可愛い奴よ。」―十方飛丸 「虚無戦史MIROKU 」より―
言い換えれば、私の情理両面が、原発を推進せよと、命じているのだ。
「プルトーンの火、なお我が掌中にあれ!」と。
炎よ、行け!
<注釈>
(*1) この二つは、未だ、技術革新で改善の余地がある。(*2) この欠点は、技術革新でも解決されない。(*3) これが技術革新で解決される可能性はある。但し、その時期は予想できない。(*4) と言っても質量欠損にするとほんの数%なのだが。