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太陽光コスト、6分の1なら原子力と同等…首相

 
 菅首相は7日午前の参院予算委員会で、東京電力福島第一原子力発電所事故を受けた再生可能エネルギー(自然エネルギー)活用の柱とする太陽光発電について、「(新型のソーラーパネルの開発を)是非とも進めることで、発電コストの6分の1への引き下げを実現したい」と述べ、普及に重ねて意欲を示した。

 首相は、「太陽光発電のコストが6分の1になれば、原子力とほぼ同等になるとの自分なりの見通しを持っている」と語った。
 首相は5月の訪欧時、太陽光発電のコストを2020年に現在の3分の1、30年には6分の1に引き下げるとの目標を示している。
 一方、海江田経済産業相は、運転停止中の原発の再稼働の是非を判断するためのストレステスト(耐性検査)について、「さらなる安心を近隣自治体や県などに持ってもらうためのものだ」と述べ、理解を求めた。
(2011年7月7日11時40分  読売新聞)
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言うだけならタダ!

 報じられているのは参院予算委員会における、恐るべき事に未だゾンビ首相の座に居座っている管直人の答弁。それに加えて毎日報道は、5月訪欧時に菅直人が示した太陽光発電コスト目標を、
 
毎1> 首相は5月の訪欧時、太陽光発電のコストを2020年に現在の3分の1、
毎2> 30年には6分の1に引き下げるとの目標を示している。
 
と報じる。が、これはただ単に「引き下げる目標を言った」と言うだけとしか私には思われない。目処も目論みも計画もヘッタクレもあるものか、と断じてしまう。忘れちゃいけないな。6月に「一定の目処を得たら辞任する」と言って不信任可決されるのを辛うじて免れたような奴が、その目処を得ないようにして自らの延命を図るような奴が、20年先の明確な目処を持っていたら、それこそ奇蹟だろう。
 
 であるならば、報じられるような管直人の答弁、
 
菅1> 「太陽光発電のコストが6分の1になれば、原子力とほぼ同等になるとの自分なりの見通しを持っている」
 
にて「自分なりのみ通し」などと言われたって、信じる人間が居る方が不思議だ。それとも、今度は「僕は太陽光発電には物凄く詳しいんだ。」とでも言い出す心算かね。
 
 上記菅1>答弁の意味は「現状では太陽光発電は原子力の6倍のコストがかかる。」と言う事であり、それ以上の意義は見出し難い。言い換えれば、菅直人が退陣三条件の一つに図々しくも挙げている再生エネルギー法とは「原発の6倍以上のコストを払って太陽光発電の電力を全量強制的に買い上げる法律」であると言う事だ。その状態は上記毎1>で報じられている管直人の目標が達成できたとしても「2020年になってもなお、原発の2倍以上のコストを払って太陽光発電の電力を全量強制的に買い上げる」法律にしかならない」と言う事だ。
 
 今回の国会答弁で、ゾンビ首相の歩く政治空白は、
 
菅2> 「(新型のソーラーパネルの開発を)是非とも進めることで、
菅3> 発電コストの6分の1への引き下げを実現したい」
 
等と答弁したと言うが、上記の毎日報道とあわせると、この「新型ソーラーパネル」の開発・普及が2030年までかかると言う意味かね。どんな画期的な新型ソーラーパネルなのか、この報道からはわからないが、開発・普及に20年とは、なんとも壮大な開発ではないかね(*1)。
 
 どうせ言うだけならば「40年には9分の0」という目標を掲げてはどうかね「無料のクリーンエネルギーを無尽蔵に得られる」事になるぞ。ああ、言うだけならばなんだって可能だ。逆に言うと、その程度の発言、法螺と、私が考えていると言う事だ(*2)。
 
 さらに言うならば、この報道では太陽光発電のコストの話しか出てこないが、太陽光にせよ風力にせよ、その発電量は「出来高払い」。必要な時に必要なだけ発電するわけには行かないと言う点が全く見落とされている。太陽光発電は昼間、それも晴れた昼間でないとまともに発電できないし、風力発電の発電量ははそれこそ風任せだ。

 先述の再生エネルギー法は、その風任せ太陽任せの発電量を全量高価買い上げる事を電力会社に強制するから、電力会社としては電力需要の予想に加えて自然エネルギー発電量の予想を強いられ、制御可能な発電力即ち原子力発電、火力発電をそれに応じて運転する事になる。これは、先の震災直後に実施された計画停電が、「発電力の絶対量が不足気味とは言え、発電力そのもの殆どが制御可能な状態にあった」事を想起するならば、それよりもはるかに不安定な状態である事は容易に想像できよう。
 先の計画停電は「殆ど計画通りに実施されない=多くの場合通電状態を維持」しただけで「無計画停電」と非難された。先述再生エネルギー法の下でその再生エネルギーが普及してしまった状態では、「計画停電実施率」は先の震災直後の比ではなかろう。否、不時の停電が頻発する可能性が高い。何しろ太陽光発電は、夜の間は全く発電してくれないのであるし、この状態は太陽光発電コストが6分の1になろうが10分の1になろうが変り様がない。
 況や、管直人のパフォーマンス「大衆」迎合人気取り「脱原発」が推進されていた日には。制御可能な発電力は火力発電しかない。二酸化炭素排出量は中国を処分する事でクリアしたとしても、必要な化石燃料に発電コスト悪化は、今現在、中部電力が浜岡原発「中止要請」を受けて経営悪化しているのの拡大全国版と言う事だ。
 
 さあってと。こいつがゾンビ首相の歩く政治空白・管直人の唱える「脱原発」や、朝日・琉球新報・沖縄タイムス絶賛の再生エネルギー法がもたらす未来だ。仮に電力会社の懸命な努力等で充分な数の火力発電所が新設できたとしても、太陽光発電の普及に伴い(*3)火力発電所はさらに増やさねばならないし、間違いなく電力料金は上がるだろう。
 
 菅直人はそれを望んでいるだろう。朝日、琉球新報、沖縄タイムスもまた然りだ。
 
 問題は、国民諸君がそれを望むか、だ。
 
 私の答えは当ブログに何度も書いている通り。
 私は、今でも、原発推進論者だ。
 
 仮に管直人の言うように太陽光発電が原発並みの発電コストに至ったとしても、夜間に発電できない点は変わりようがない。夜間でも風が吹かなくても発電できる制御可能な電力として、火力発電に並んで原発があって然るべきだ。
 
 プルトーンの火は、
  人類の手中にあるべきなのだ。
 

<注釈>

(*1) 意味:トテモシンジラレナイ。
 
(*2) ま、その法螺で瓢箪から駒、東日本大震災救援復旧支援自衛隊10万人総動員体制なんていう自衛隊史上最大の作戦が実現した事は、認めなければならないが。
 
(*3) それは、夜間には全く発電しないから。電力消費のピークは確かに昼間だが、雨の日、曇りの日だってあろうし、夜だって結構電力は要る。