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「十人十色」とも言えば、「蓼食う虫も好き好き」とも言う。「一書に曰く、と異論異説に寛容を示したことは日本書紀以来の日本の伝統」と主張する私であるから、「事故を起こした福島原発は砂に埋めて再臨界させた方が安心(*1)」と主張される方もまともに相手するのであるが、それでも、事安全保障となると、「憲法9条が最大の抑止力」と素面で抜かしてしまえる社民党(*2)をはじめとして、荒唐無稽と言うか厚顔無恥と言うか、安全保障に対するかの人たちの感覚は、私の想像すら軽々と超越するものがある。
であるならば、私と朝日新聞、琉球新報、沖縄タイムスの三馬鹿新聞、もとい、三アカ新聞との間で安全保障認識の懸絶があるのはデフォルト状態なのであるが・・・まあ、先ずはその三アカ新聞の一つ、琉球新報の社説をご一読願おうか。
であるならば、私と朝日新聞、琉球新報、沖縄タイムスの三馬鹿新聞、もとい、三アカ新聞との間で安全保障認識の懸絶があるのはデフォルト状態なのであるが・・・まあ、先ずはその三アカ新聞の一つ、琉球新報の社説をご一読願おうか。
<注釈>
(*1) それでも、「砂の中でも核燃料の冷却は出来る」よりは物理的に筋が通るようになったのだから、「進歩」だろう。
(*2) この言辞の意味するところは、「憲法9条を掲げてさえ居れば、必ず相手から尊重されるから、向こうから戦争を仕掛けてくるような事は絶対にない。」であるから、憲法前文世界に匹敵する「世界観」が必須であり、とてもとても正気の沙汰とは思われない。
転載開始==============================================================================
トモダチ作戦 軍の論理に無防備な国よ
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-178539-storytopic-11.html
2011年6月24日 Tweet
東日本大震災に伴う米軍の災害支援「トモダチ作戦」は、放射能に汚染された戦場を想定した訓練だった。米紙ウォールストリート・ジャーナルが伝えている。
この訓練は、福島第1原発事故をテロ集団が核汚染を引き起こす爆弾を爆発させたと見立てて実施。在沖米海兵隊の第31海兵遠征部隊(31MEU)が参加した。米軍は「放射性環境下では最も有名な作戦になるだろう」と評価する。
しかし、航空機37機、300以上の車両、主要装備などが放射能汚染の影響を受け、航空機の除染に1カ月を要した。だが除染作業の場所を含め海兵隊から沖縄側への説明は一切ない。基地周辺環境への影響はないのか。県や関係自治体に連絡するのが筋だ。米軍の対応は無神経も甚だしい。
在沖米軍はこれまでも、核戦争を想定した実戦訓練を沖縄で秘密裏に行ってきた。
例えば、米ロが大量の核兵器を保有した冷戦時代、米軍は核模擬爆弾の投下訓練を伊江島で繰り返した。日本政府は1972年3月、この核訓練の存在を国会で追及されても、しらを切った。
外交記録によると、日本政府は水面下で訓練中止を求めたが、米側から演習は日本を守るために結ばれた日米安保条約上、何の問題もなく実施できると回答されると、手のひらを返したように核投下訓練を肯定。米軍の利益を優先した。
今回のトモダチ作戦で海兵隊は日本には恩を売りつつ、米国内向けには海兵隊不要論を打ち消すべく、核がらみの事態への対処能力を最大限にアピールした。
軍隊は軍の論理でしか動かない。戦後66年たった今でも通じる、沖縄発の教訓だ。
「トモダチ作戦」については、各方面で日米同盟の絆を示す成功例として評価する傾向が強い。兵士の献身的な働きぶりには敬意を払う。震災の惨禍を前に、国民が感謝するのも不自然ではない。半面、彼らが所属する海兵隊が戦後沖縄でどれだけ傍若無人に振る舞ってきたのか。その点にも思いを巡らせてほしい。
「トモダチ作戦」の成果を踏まえ、日米は今後、全国の自治体と米軍との防災訓練を強化するという。米軍が日本中の空港や港湾などで訓練を行うのは歓迎すべきことか。軍の論理の先走りに、この国はあまりに無防備ではないか。
==============================================================================転載完了
わからないのは琉球新報の論理
如何であろうか。
軍隊批判である。なかんづく米軍批判であり、特に槍玉に挙がっているのは普天間基地に駐留し、今回の東日本大震災とそれ伴う津波及びそれらに続く福島原発事故に対してトモダチ作戦を展開した米海兵隊である。
あれこれ言って非難しているのはわかるが、当該琉球新報社説の米軍批判は、つまるところ以下の諸点に要約できる。
軍隊批判である。なかんづく米軍批判であり、特に槍玉に挙がっているのは普天間基地に駐留し、今回の東日本大震災とそれ伴う津波及びそれらに続く福島原発事故に対してトモダチ作戦を展開した米海兵隊である。
あれこれ言って非難しているのはわかるが、当該琉球新報社説の米軍批判は、つまるところ以下の諸点に要約できる。
(1) トモダチ作戦の中で核戦争を想定した訓練も実施している
(2) 核戦争を想定した米軍の訓練は他でも実施している
(3) 被災地で献身的に活躍した米軍が沖縄では傍若無人に振舞っている
(4) 軍は軍の論理で動いている
(2) 核戦争を想定した米軍の訓練は他でも実施している
(3) 被災地で献身的に活躍した米軍が沖縄では傍若無人に振舞っている
(4) 軍は軍の論理で動いている
さて、此処から明らかになるのが私と琉球新報の安全保障認識の懸絶なのであるが・・・私には、琉球新報社説が論った上記の点の内。「米軍を非難すべき」と思えるのは上記(3)の後半、「米軍は沖縄では傍若無人に振舞っている」だけなのである。それも、琉球新報射設の主張の様に
1> 震災の惨禍を前に、国民が感謝するのも不自然ではない。
2> 半面、彼らが所属する海兵隊が戦後沖縄でどれだけ傍若無人に振る舞ってきたのか。
3> その点にも思いを巡らせてほしい。
と表記されては、「恩義は受けても恨みを忘れるな。」と言う主張であり、それでは上記1>の「国民の感謝」も大いにつや消し、否、「国民の感謝」を貶める恥ずべき主張と思われる。此処で言う「米軍の傍若無人な振る舞い」が米軍でも犯罪である窃盗や暴行を意味するならば、それと正規の軍の救難復興支援であるトモダチ作戦を相殺するかの如き感覚は、余りに米軍に対し不条理であり、「沖縄県民偏重」であろう。
1> 震災の惨禍を前に、国民が感謝するのも不自然ではない。
2> 半面、彼らが所属する海兵隊が戦後沖縄でどれだけ傍若無人に振る舞ってきたのか。
3> その点にも思いを巡らせてほしい。
と表記されては、「恩義は受けても恨みを忘れるな。」と言う主張であり、それでは上記1>の「国民の感謝」も大いにつや消し、否、「国民の感謝」を貶める恥ずべき主張と思われる。此処で言う「米軍の傍若無人な振る舞い」が米軍でも犯罪である窃盗や暴行を意味するならば、それと正規の軍の救難復興支援であるトモダチ作戦を相殺するかの如き感覚は、余りに米軍に対し不条理であり、「沖縄県民偏重」であろう。
だがまあ、上記(3)は、まだ「バランスが悪い」だけだから良い。定量的調整は議論の余地があるが、定性的には理解できる範囲だ
上記(3)以外の上記(1)、(2)、(4)は、何でこれで米軍を非難する根拠になるのか。「一見非難出来そうに見える」のは私も同意するが、よく冷静に考えれば、米軍が非難される筋合いは全くない。
先ず上記(1)、「トモダチ作戦の中で核戦争を想定した訓練を実施した」から行こうか。一見すると「核攻撃を想定している!キィィィィl!!」とヒステリーを起こす輩も居そうではあるし、琉球新報社内や読者には多そうではあるが、有事と言う万一の場合に備えて訓練し、準備するのが軍隊だ。訓練し、準備しているから、喩えそれらが完璧万全な物でなかったとしても、万一の場合に対処しうる。逆に対処しうる事が期待されるのが軍隊だ。今回の東日本大震災と津波と原発事故と言う戦後最悪の災厄に、自衛隊三軍が相応に対処できたのもそのためだ。
であるならば、「米軍が核戦争を想定した訓練をする。」のは当たり前だ。それは「米軍が核戦争を望んでいる」事を意味はしない。万一の場合に備え準備するのが軍隊だから、「核戦争にも備え、準備する」のも至極当然だ。我が自衛隊三軍は「核戦争を想定した訓練」をしていないかも知れないが、むしろそれこそが異常事態で、本来はすべきなのだ。
福島原発事故が米軍に「核戦争を想定した訓練」の恰好の場所を提供してしまったのは遺憾な事だ。福島原発周辺とて実際の核戦争とは程遠い状況であり、あくまでも「演習に恰好な場所」でしかないのは不幸中の幸いではあるが、事故は起こらない方が良かったし、歴史の大いなる後知恵からは、対策はありえた。
だが事故発生後、なかんづく水素爆発発生後に事故現場には直接影響しない範囲で「核戦争を想定した訓練」を米軍が行なったとて、非難する理由はない。逆に「核戦争を想定した訓練」としない軽装備でトモダチ作戦に参加した米軍将兵が、万一被爆するような事態に立ち至ったならば、それこそAtomic Soldier並みのスキャンダルであり、d大問題だろう。いやそれ以上に、トモダチ作戦に当たってくれた米軍に申し訳なかろう。
上記(2)も上記(1)の議論でほぼ尽きている。付け加えるならば、トモダチ作戦に参加した航空機車両の除染作業が明らかにされていないと琉球新報は憤っているが、それは「その除染作業をネタに大いに放射能パニックを煽る記事を書き損ねた!」と言っているのに過ぎない。どこでどう除染作業が行なわれようと、沖縄県民含む日本人に影響するのは、その呼吸する大気と大地、飲食する飲料食糧であるから、それらに有害レベルの放射性物質が入らない限り、沖縄で除染しようが米国本土で除染しようが、全く関係ない。
上記(4)についていうならば・・・・「軍が軍の論理で動く。」当たり前ではないか。その「軍の論理」が政府の課す制限を越えてはいけない、と言うのが文民統制だろう。その文民統制は、日本ではかの田母神空幕長更迭劇とその前後の騒動のように、或いは民主党が出した「政府批判禁止令」のように、思想統制・言論統制に到ってしまいかねないのだが、米軍の文民統制はそんな雁字搦めではない。その米国の文民統制の範囲で米軍が「軍の論理で動いた」とて、一体、何をどう非難しようと言うのか。米国の文民統制に反しているのならば米政府に訴えるべきではあろうが、米政府に「民主党のように米軍の思想・言論統制をしろ」と求めているのだとしたら、それはマスコミと言う、社会の木鐸と言う役割を建前上でも掲げているマスコミと言う存在の、存在理由を自ら否定している事になる。
まあ、その存在理由を自ら否定するマスコミは、先の田母神空幕長更迭劇でも数多見られたところだから、琉球新報としては「安心」なのかも知れないが。
挙句の琉球新報社説の結論が、以下の一文である。
4> 「トモダチ作戦」の成果を踏まえ、日米は今後、全国の自治体と米軍との防災訓練を強化するという。
5> 米軍が日本中の空港や港湾などで訓練を行うのは歓迎すべきことか。
6> 軍の論理の先走りに、この国はあまりに無防備ではないか。
上記(3)以外の上記(1)、(2)、(4)は、何でこれで米軍を非難する根拠になるのか。「一見非難出来そうに見える」のは私も同意するが、よく冷静に考えれば、米軍が非難される筋合いは全くない。
先ず上記(1)、「トモダチ作戦の中で核戦争を想定した訓練を実施した」から行こうか。一見すると「核攻撃を想定している!キィィィィl!!」とヒステリーを起こす輩も居そうではあるし、琉球新報社内や読者には多そうではあるが、有事と言う万一の場合に備えて訓練し、準備するのが軍隊だ。訓練し、準備しているから、喩えそれらが完璧万全な物でなかったとしても、万一の場合に対処しうる。逆に対処しうる事が期待されるのが軍隊だ。今回の東日本大震災と津波と原発事故と言う戦後最悪の災厄に、自衛隊三軍が相応に対処できたのもそのためだ。
であるならば、「米軍が核戦争を想定した訓練をする。」のは当たり前だ。それは「米軍が核戦争を望んでいる」事を意味はしない。万一の場合に備え準備するのが軍隊だから、「核戦争にも備え、準備する」のも至極当然だ。我が自衛隊三軍は「核戦争を想定した訓練」をしていないかも知れないが、むしろそれこそが異常事態で、本来はすべきなのだ。
福島原発事故が米軍に「核戦争を想定した訓練」の恰好の場所を提供してしまったのは遺憾な事だ。福島原発周辺とて実際の核戦争とは程遠い状況であり、あくまでも「演習に恰好な場所」でしかないのは不幸中の幸いではあるが、事故は起こらない方が良かったし、歴史の大いなる後知恵からは、対策はありえた。
だが事故発生後、なかんづく水素爆発発生後に事故現場には直接影響しない範囲で「核戦争を想定した訓練」を米軍が行なったとて、非難する理由はない。逆に「核戦争を想定した訓練」としない軽装備でトモダチ作戦に参加した米軍将兵が、万一被爆するような事態に立ち至ったならば、それこそAtomic Soldier並みのスキャンダルであり、d大問題だろう。いやそれ以上に、トモダチ作戦に当たってくれた米軍に申し訳なかろう。
上記(2)も上記(1)の議論でほぼ尽きている。付け加えるならば、トモダチ作戦に参加した航空機車両の除染作業が明らかにされていないと琉球新報は憤っているが、それは「その除染作業をネタに大いに放射能パニックを煽る記事を書き損ねた!」と言っているのに過ぎない。どこでどう除染作業が行なわれようと、沖縄県民含む日本人に影響するのは、その呼吸する大気と大地、飲食する飲料食糧であるから、それらに有害レベルの放射性物質が入らない限り、沖縄で除染しようが米国本土で除染しようが、全く関係ない。
上記(4)についていうならば・・・・「軍が軍の論理で動く。」当たり前ではないか。その「軍の論理」が政府の課す制限を越えてはいけない、と言うのが文民統制だろう。その文民統制は、日本ではかの田母神空幕長更迭劇とその前後の騒動のように、或いは民主党が出した「政府批判禁止令」のように、思想統制・言論統制に到ってしまいかねないのだが、米軍の文民統制はそんな雁字搦めではない。その米国の文民統制の範囲で米軍が「軍の論理で動いた」とて、一体、何をどう非難しようと言うのか。米国の文民統制に反しているのならば米政府に訴えるべきではあろうが、米政府に「民主党のように米軍の思想・言論統制をしろ」と求めているのだとしたら、それはマスコミと言う、社会の木鐸と言う役割を建前上でも掲げているマスコミと言う存在の、存在理由を自ら否定している事になる。
まあ、その存在理由を自ら否定するマスコミは、先の田母神空幕長更迭劇でも数多見られたところだから、琉球新報としては「安心」なのかも知れないが。
挙句の琉球新報社説の結論が、以下の一文である。
4> 「トモダチ作戦」の成果を踏まえ、日米は今後、全国の自治体と米軍との防災訓練を強化するという。
5> 米軍が日本中の空港や港湾などで訓練を行うのは歓迎すべきことか。
6> 軍の論理の先走りに、この国はあまりに無防備ではないか。
要は軍隊忌避、米軍憎し。それだけなのである。自治体と米軍の防災訓練さえ、「米軍が日本中で訓練する」としか解釈しないのであるが・・・・あれ?これって「沖縄基地負担の軽減」じゃないの??
少なくとも沖縄駐留米軍が県外へ訓練に出かけるのは、「沖縄基地負担の軽減」に繋がる筈だが、そんな視点も琉球新報の「軍隊嫌い・米軍憎し(*1)」 の前には吹き飛んでしまうのだろう。
結論は、ほぼ章題の通りだ。
当該琉球新報社説は、「軍の論理」を糾弾しながら、自らの論理が破綻している。
ローカルな地方紙とは言え、これが社説、新聞社の顔とはねぇ。まあ、最近は大手新聞でも、酷い社説はあるけれどねぇ。
少なくとも沖縄駐留米軍が県外へ訓練に出かけるのは、「沖縄基地負担の軽減」に繋がる筈だが、そんな視点も琉球新報の「軍隊嫌い・米軍憎し(*1)」 の前には吹き飛んでしまうのだろう。
結論は、ほぼ章題の通りだ。
当該琉球新報社説は、「軍の論理」を糾弾しながら、自らの論理が破綻している。
ローカルな地方紙とは言え、これが社説、新聞社の顔とはねぇ。まあ、最近は大手新聞でも、酷い社説はあるけれどねぇ。
<注釈>
(*1) その背後に「中国人民解放軍万歳!」がありそうだがね。きっと、「人民解放軍は人民の軍隊だから、軍ではない。」のだろう。実質は共産党の私兵なんだが、それも気にならない、ダブルシンクを身につけているのだろう。