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 阿比留瑠比氏と言えば、産経新聞の名物記者と言って良かろう。その論説は私も同意できる物が多く、秘かに「心の同志」或いは「心の戦友」(*1)と思っている名物記者である。無論「同志」も「戦友」も「心」ひそかに思っているだけだから、ある種の「片想い」と言う奴だ。
 
 その阿比留瑠比氏が書く「政論」は、菅直人の「辞める辞める詐欺」辞任騒動評。先ずは御一読願おうか。

<注釈>

(*1) この二つを並べると、右と左の両方から怒られそうだが

転載開始==============================================================================

【政論】「鳩山」宇宙人の方がマシだった… 菅首相のでたらめ政治に終止符を 

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110622/plc11062211540009-n1.htm
2011.6.22 11:50
 まさかこんな日が来るとは思わなかった。「ルーピー(愚か者)」とも「宇宙人」とも呼ばれた鳩山由紀夫前首相がましに見えるではないか。民主党の同志も国民も裏切りながら地位にしがみつく菅直人首相と比べての話ではあるが…。
 昨年6月に鳩山氏が退陣し、「現実主義者」を自称する菅首相が首相指名された際、私は「これで少しは政治が正常化するのではないか」と楽観してしまった。この不明をおわびしたい。現実主義者の装いは偽りにすぎず、やることなすことすべてデタラメ。鳩山氏の「ペテン師」との誹(そし)りは的を射ていた。
 首相は7日の閣僚懇談会で自らの退陣時期について「自分としては常識的に判断したい」と述べた。
 2日昼の党代議士会ではこう語っていた。
 「東日本大震災の取り組みに一定のめどがついた段階で、若い世代に責任を引き継いでもらいたい」
 その場で鳩山氏は「復興基本法が成立し、平成23年度第2次補正予算案の編成のめどが立った暁には身を捨ててもらうことで合意した」と念押しし、首相も「鳩山さんと百パーセント一致した」と追認している。
 ところが、首相の「常識」は一般でいう非常識であり、鳩山氏との「男の約束」は真っ赤な嘘だった。あっさりと前言を翻し、首相の座に固執する姿を、日本の明日を担う子供たちにとても見せられない。
民主党執行部が早期退陣を求めると、今度は再生エネルギー特別措置法案の成立を唐突に退陣条件に付け加えた。唯一の得意技である「その場しのぎの思いつき」であることは誰も疑わない。みんなの党の渡辺喜美代表は、首相を「延命学の大家」と揶(や)揄(ゆ)した。そんな不誠実な人物に一体誰が誠意を尽くして協力するというのだろうか。
 まあ、首相が以前から再生エネルギーに関心を示していたのは事実である。平成13年9月には自身のホームページにこんな夢想を記している。
 「10年以内に電力のうち10%を風力でまかなうという目標を決めれば…」
 だが、この夢想をいまごろになってライフワークのように持ち出すのは無理がある。昨年12月、内閣の半年間の成果としてベトナムから2基の原発を受注したことを誇らしげに語ったのは一体誰だったか。原発ビジネスの推進者が今さら脱原発を標(ひょう)榜(ぼう)しても誰が信じるというのか。
 阪神・淡路大震災時の首相だった村山富市氏はかつて辻元清美首相補佐官のインタビューで退陣理由についてこう語っている。
 「自分の能力の限界というかな。総理の仕事をする能力というのは、個人の能力もあるし、支える政治基盤の力もある。そういうものが総体的、総合的にあって仕事がなされるわけじゃからね。だから、これ以上やることはよろしくない」
 村山氏は少なくとも自らの能力と自らを取り巻く政治情勢を理解していた。党執行部に退陣を迫られながら「辞めたくない」と駄々をこね続ける首相となんと違うことか。その自己愛の強さと客観性のなさは度し難い。
 ♪散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 
 これは細川ガラシャの辞世の句だ。細川護煕元首相や小泉純一郎元首相も退陣の際に引用した。
 ところが、菅首相は、歴代首相も共有したこの日本的な無常観を持ち合わせていないようだ。春秋の筆法によれば、首相は「花」にも「人」にも値しない。一刻も早い退場をお願いしたい。(阿比留瑠比)
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強制的政権交代―暗殺とクーデター

 民主党政権発足、一昨年夏のあの忌まわしき衆院選挙結果の「政権交替」以来、我が胸中に折に触れて浮かんでくる命題がある。
 
 その命題とは・・・・「暗殺やクーデターによる強制的政権交代と言うのは、如何なる条件下でも認められない物なのか。
 それが認められるとしたら、それはどんな条件か。」
と言うものである。
 
 言うもサラナリであるが、上記命題の前半部分は明らかに「認められる条件はある。」だろう。世の革命の多くは暗殺やクーデターを伴う物であるし、フランス革命もロシア革命も暗殺の嵐と言って良い。ロシア革命を正当化・肯定する気にはなれないが、さりとてフランス革命をその流血ゆえに全面否定する気にもなれないから、何らかの条件が揃えば、「暗殺やクーデターによる強制政権交代」と言うのは認められるべきだろう。アメリカ合衆国憲法には、いみじくも革命権の規定がある。無論私は日本国民であるからアメリカ合衆国憲法に掣肘される云われは無いが、参考にはなる。大体、「暗殺やクーデターによる強制的政権交代」なんて手段そのものが日本国ん憲法の「想定外」であるから、日本国憲法に沿って議論し始めても仕方が無い。革命権などと言う特記事項の無い日本国憲法に於いて、それが「憲法違反」であるのはほぼ自明であり、そんなことはハナから覚悟の上での命題だ。つまり、此処で言う「暗殺やクーデターによる強制的政権交代」は、通常ならば重視どころか遵守さるべき日本国憲法(*1)を越えた非常手段である。
 
 となると問題は命題の後半。「その条件は何か。」だ。
 
 例えば、国家危急存亡の危機はどうだろうか。我が国に領土的野心を抱くA国が、今にも侵攻軍を以って襲来しようとしている時に、防衛出動を命じるべき立場にある日本国首相=陸海空三自衛隊の最高指揮官であるはずの首相が、ルーピー鳩山やゾンビ首相の「歩く政治空白」菅直人で、政府がそんなA国を「赤旗と白旗を持って歓迎」しかねないような民主党政権であったならば・・・私なら躊躇なくクーデターなり、暗殺なり、革命なりで強制的な政権交代を、少なくとも計画する。斯様な緊急事態にあっては間に合うかどうか甚だ心もとないし、正真正銘家掛け値なしの「錦の御旗」にして我が国最後の希望・天皇陛下の御動座なり御親征なり倒閣の密勅なりを頂くべきかも熟考を要する所であるが、強制政権交代を計画し現・日本国憲法を吹き飛ばすのには、なんら痛痒を感じない。「平和を愛する諸国民」などと言う寝言いっぱいの日本国憲法を呑気に頂いていられるのも日本国があればこそ。その日本国が無くなりかねない様な事態に屁のツッパリほどにも役に立たない憲法を押し頂いたまま国を滅ぼすなどと言う選択肢は、私の選ぶ所ではない。
 
 言い換えれば、「我が国危急存亡の危機に於いては、暗殺やクーデターによる強制的政権交代も、認められるべきだ。」と言うのが私の主張である。それは先述の通り日本国憲法違反であるが、それを承知の上で、日本国憲法よりも上位の要求として我が国の存亡(*2)を掲げるが故の主張である。
 
 では、現状は、今の日本の状況はどうだろうか。「強制的政権交代」を発動すべく、クーデターなり暗殺なり革命なりを、計画すべき状況にはないだろうか。
 
 東日本大震災とその後の津波、さらにそれに続く福島原発事故は、戦後最悪の危機災厄を我が国に招来した。これに対し我が国は自衛隊史上最大の作戦「10万人動員体制による救援復旧復興体制」などで応じ、相応の対処を見せているし、それ以上に被災地被災民の理想的と言って良い対応などで、民側・現場の対処に見るべきものがあるが・・・政府の対応は「及第点をつけられない。」どころか、限りなく零点に近い赤点である。
 
 特にこの戦後最悪の危機に対処する最高責任者にして、自衛隊三軍の最高指揮官、逃げる事の出来ない筈の最終責任者・首相であるところの「歩く政治空白」菅直人の責任には、「看過し難い」とも「目に余る」とも言い難い。
 
 そのゾンビ首相・歩く政治空白・菅直人が、上掲記事の通り、「首相の座に恋々としている」どころではない。ならば、この状況は、強制的政権交代を計画すべき条件にはならないだろうか。
 
 現状、私はまだ、「強制的政権交代を敢行すべし」と言う結論には到っていない。それが、我が国が曲りなりにも標榜する民主主義体制荷は反するものであるが故に。その民主主義体制が、所詮神ならぬ身の人が為す事故に不完全であり、その不完全さと神ならぬ身の国民の誤審判により、民主党政権が誕生し、菅直人がゾンビ首相となっていると理解するが故に。断っておくが、理解はするが、決して納得はしていない。
 
 だが、彼奴が、ゾンビ首相が、歩く政治空白が、菅直人が、戦後最悪の危機災厄下でなお8月末の延長された今国会会期末までなお日本国首相の地位にあり続けようとするならば・・・・
 
 菅、斬る可し。
 
 少なくとも、そう唱える事にはなんらの躊躇もない。今の所は唱えるばかりであり、シュプレヒコールか呪文程度の効果しかなく、気勢を上げる掛け声にしかならないが。
 
 そう、今の所は。
 
 菅、斬る可し!!
 
菅、斬るべし-東日本大震災、菅直人の「陣頭指揮」と称するパフォーマンス  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/34913255.html
 

<注釈>

(*1) その「通常ならば」と言う適用範囲が非常に狭いんだよな・・・安全保障とか、緊急時とかを、全く想定していないから。だから「自衛隊は憲法違反」なんて事になってしまう。まあ、あの前文が世界観じゃぁ、こんなモンになってしまうのだろうが。
 
(*2) それは成文化されていないから、法律ではない、と言うのは勿論認めるところだ。成文化以前の「個人の基本的人権に相当する、国家の基本的国権」として掲げるが故に。