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毎日新聞といえば、日本の四大紙の一つでいまだに相応の発行部数≒販売部数(*1)を誇る大手紙だ。が、おかしな外国人記者を雇って箸にも棒にもかからないエロ記事を全世界へ向けて英文で発信し続け、その責任をロクに取らなかった事は忘じ難く、「変態毎日新聞」と言う尊称を私が秘かに奉っている新聞だ。
だが、まあ、日本は幸いにして自由の国の端くれであり、変態毎日新聞社内とてその自由の一端はあるものらしく、私が賛同し、当ブログで取り上げたくなるような記事も、無いではない・・・数は少ないが。
今回取り上げるのは、そんな稀有な例の一つ。
先ずはご一読願おうか。
だが、まあ、日本は幸いにして自由の国の端くれであり、変態毎日新聞社内とてその自由の一端はあるものらしく、私が賛同し、当ブログで取り上げたくなるような記事も、無いではない・・・数は少ないが。
今回取り上げるのは、そんな稀有な例の一つ。
先ずはご一読願おうか。
転載開始==============================================================================
【私説・論説室から】消える自衛隊の料理上手
東日本大震災で陸上自衛隊の野外炊事車が大活躍した。荷車のような小型の車体に六つのかまどがあり、炊飯しながら焼く、煮る、炒めるが同時にできる。四十五分で二百人分の食事がつくれる優れものだ。もともと演習場で使う装備品だが、被災者支援の重要な道具でもある。ただ、いつまで使いこなせるか雲行きが怪しい。使うのはもちろん陸上自衛官。彼らは駐屯地の給食づくりを通じて、プロ並みの料理人に育つ。ところが、二〇〇六年度から始まった国家公務員を5%削減する政府の総人件費改革で、陸上自衛隊は給食を外食業者に委託することにした。百三十八カ所の駐屯地で委託が終わり、給食担当の自衛官が消えた。演習に野外炊飯が必要なことに変わりはない。駐屯地ごとに競技会を開いて調理技術を維持しようとしているが、毎日の食事づくりで磨かれた腕にはかなわない。料理上手の隊員は今や絶滅危惧種である。東日本大震災の災害派遣司令部が置かれた仙台駐屯地では、外食業者が通勤できず、マイクロバスで送迎した。二十四時間の給食提供も望めない。「昔が懐かしい」の声が漏れる。新「防衛計画の大綱」は「本格侵攻の可能性は低い」とし、戦車や大砲の削減を打ち出した。大震災を通じて自衛隊を災害にいっそう活用する道筋がみえた。食事づくりも大事な支援活動である。 (半田滋)
==============================================================================転載完了
<注釈>
(*1) 等号”=”でつながれないのは、売れ残りや運送途上のロスもあるから「発行部数>販売部数」であるのもさることながら、「販売店に販売予定部数以上の新聞を押し売りしている」と言う「押し紙」と呼ばれる不当販売があると一部では報じられているため。当然ながらこの「押し紙」は販売できずにそのまま「古新聞」となり、販売店の損益となる。なお、毎日新聞は、「押し紙は無い」と主張している。
予備なくして戦備なし
「予備」と言うのは「予め備える」と書くぐらいだから、通常時・平時には「余剰・無駄」と同義語である。であればこそ、「予備」役の兵員は平時には一定期間ごとに訓練はするものの、常備軍には編入されず、戦時に動員される。「予備」自衛官も招集されるまでは自衛官以外の職業について居る。
平時には「余剰・無駄」なモノだから、ともすれば「仕分け」対象としてカットされやすいモノではあるが、この「予備」と言う奴は軍事的戦史的に言えば「必要にして不可欠」な必需品必須項目だ。
平時には「余剰・無駄」なモノだから、ともすれば「仕分け」対象としてカットされやすいモノではあるが、この「予備」と言う奴は軍事的戦史的に言えば「必要にして不可欠」な必需品必須項目だ。
一寸考えればわかる事だが、軍隊組織と言うものは、戦時ともなればその組織人員装備が磨り減って行くのが当たり前。で、一寸磨り減っただけで組織が機能停止してしまったら、その戦争は負けが確実。「磨り減る」どころか下手すれば大損害被って組織単位ごと消滅する事だってあるのが軍隊だ。であればこそ、平時から考える限り手を打てる限りのバックアッププラン、コンティンジェンシープランを策定し、実施しておくのが当たり前。「予備」と言うのはそうしたプランの一つであるから、「予備を持たない、或いは予備が尽きた戦争」は、ほぼ確実に負け戦であるし、そうならないようにするのが軍隊の仕事でもある。
フランスの皇帝ナポレオンは、その指揮下の最強部隊「老親衛隊Old Guards」を常に予備として手元に置き、ここぞと言う決戦場に投入するのを常とした。その勘所を過たない内は百戦百勝で居られたが、そんな決戦を生じさせないロシアの消耗遅滞戦術に敗退し、その老親衛隊を投入してなおワーテルローの戦いで勝てずに、遂に皇帝の座を追われた。
「余に歩兵を、作り出せとでも言うのか!」とは、老親衛隊を含む予備を使い果たした、ナポレオンの悲痛な叫びである。(*1)
さて、今回取り上げた毎日記事が報じているのは、予備よりもさらに必要性が高い炊事兵・コックである。何故必要性が高いかは言うまでも無いだろう。「腹が減っては戦は出来ぬ。」とも言えば、「優れた将軍が朝一番に考えるべきことは、兵に如何にして温かい食事を供するか、だ。」なんて凝った名言もある。燃料・弾薬・食糧の補給が無ければ戦争は勝てるものでは無いし、食糧が缶詰・戦闘配色(*2)ばかりでは長期的には士気にもかかわる。
であればこその記事にあるような野外炊事車であり、それを運用する炊事兵・コックなのであるが、報じられるとおり「国家公務員を5%削減」のために、炊事兵・コックを置くだけの人員的余裕がなくなり、
1> 陸上自衛隊は給食を外食業者に委託することにした。
2> 百三十八カ所の駐屯地で委託が終わり、給食担当の自衛官が消えた。
と報じられている。このため、東日本大震災では、野外炊事車も活躍はしたが、
3> 東日本大震災の災害派遣司令部が置かれた仙台駐屯地では、外食業者が通勤できず、
4> マイクロバスで送迎した。
5> 二十四時間の給食提供も望めない。
3> 東日本大震災の災害派遣司令部が置かれた仙台駐屯地では、外食業者が通勤できず、
4> マイクロバスで送迎した。
5> 二十四時間の給食提供も望めない。
と報じられている。
以上を受けて毎日記事は、災害派遣のために炊事兵・コックの復権を訴えて次のように当該記事を締める。
6> 新「防衛計画の大綱」は「本格侵攻の可能性は低い」とし、
7> 戦車や大砲の削減を打ち出した。
8> 大震災を通じて自衛隊を災害にいっそう活用する道筋がみえた。
9> 食事づくりも大事な支援活動である。
だが、一寸考えればわかる事だが、東日本大震災の被災地にすら通勤できないような給食業者が、戦地戦場に通勤できる訳が無い。さらには、マイクロバスの送迎がついたからと戦地戦場に馳せ参じる事を給食業者に期待する可きでも無い。一方で野外炊事車の本来目的は、正しくその戦地戦場にある将兵への給食なのであるから、「腹が減って戦にならぬ」事を避けるために、炊事兵・コックは不可欠である。
言い換えれば、炊事兵・コックの復権は災害派遣のみならず、我が国煮の抑止力向上=戦備向上の上でも重要だ。従って「炊事兵・コックの復権」と言う点で私は当該毎日記事に同意する。
だが、上記6>~7>に当該毎日記事が新「防衛計画の大綱」を引用するような「正面装備の削減」にも上記8>~9>が示唆するような「国防から災害派遣へ」と言わんばかりの方針にも、全く同意できない。
自衛隊の本来任務は国防であり、その国防の重要性は、近年富に増大こそすれ、低減の見込みは全くない。
6> 新「防衛計画の大綱」は「本格侵攻の可能性は低い」とし、
7> 戦車や大砲の削減を打ち出した。
8> 大震災を通じて自衛隊を災害にいっそう活用する道筋がみえた。
9> 食事づくりも大事な支援活動である。
だが、一寸考えればわかる事だが、東日本大震災の被災地にすら通勤できないような給食業者が、戦地戦場に通勤できる訳が無い。さらには、マイクロバスの送迎がついたからと戦地戦場に馳せ参じる事を給食業者に期待する可きでも無い。一方で野外炊事車の本来目的は、正しくその戦地戦場にある将兵への給食なのであるから、「腹が減って戦にならぬ」事を避けるために、炊事兵・コックは不可欠である。
言い換えれば、炊事兵・コックの復権は災害派遣のみならず、我が国煮の抑止力向上=戦備向上の上でも重要だ。従って「炊事兵・コックの復権」と言う点で私は当該毎日記事に同意する。
だが、上記6>~7>に当該毎日記事が新「防衛計画の大綱」を引用するような「正面装備の削減」にも上記8>~9>が示唆するような「国防から災害派遣へ」と言わんばかりの方針にも、全く同意できない。
自衛隊の本来任務は国防であり、その国防の重要性は、近年富に増大こそすれ、低減の見込みは全くない。
<注釈>
(*1) 田中芳樹の銀河英雄伝説で銀河帝国皇帝が似たような台詞を似たような状況で吐いているのは、多分、パロディだ。(*2) 日本軍の伝統としては握り飯だが、レトルト食品などの技術が発達して、第二次大戦とは比べようも無いほど戦闘配色は充実してはいる。が、それでもなお・・・