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 「デワノカミ」と呼ばれる人達が居るそうだ。漢字で書けば「出羽之守」だろうが、「米国では・・・」「EUでは・・・」「中国では・・・」「韓国では・・・」などなど、外国を引き合いに出しては「だから日本はダメなんだ。」と結論付ける人たちの事を指すそうだから、平仮名で書くなら「"では”のかみ」であろうし、一種の悪口だろう。
 
 無論、「他山の石、以って玉を攻む」と言うし、「人の振り見て我が振り直せ」とも言う。己を知るのも他と引き比べてなのであるから、諸外国を見て我が国の現状を反省するのは大事なことであるし、謙虚謙譲は我が国の、他国には余り見られないほどの美徳の一つではある。
 だが一方で、外国の賞賛と我が国悪口ばかりと言うのは精神衛生上も宜しくないし、お国自慢は人間の原初的感情でもある(*1)から、常に「出羽之守」であるような人は精神状態が疑われるし、私ならば信用しない。
 
 そうは言っても世の中この「出羽之守」には事欠かず、「戦時賠償はドイツの対ユダヤ賠償を見習え」(*2)等と臆面も無く抜かしてしまえる人も数多ある。凡そドイツはじめとする欧米先進国、なかんづく西欧列強諸国がこの「出羽之守」達の崇拝対象であることが多いから、「この「出羽之守」達は、実は帝国主義者、なしいその手先じゃなかろうか。」と疑えるところではある。
 それは兎も角、その欧米先進国・西欧列強諸国の一つドイツが「脱原発」なんて事を打ち出した、となれば、「出羽之守」たちが騒ぐのも大いにありそうなことである。今回はの社説比較は「ドイツ、「脱原発」を決定」を受けての各紙社説。その社説とURLは以下の通りである。
 
(1)産経 ドイツの脱原発 実態知らずの礼賛は禁物  http://sankei.jp.msn.com/world/news/110608/erp11060803170000-n1.htm
(2)日経 (該当なし)
(3)読売 ドイツ「脱原発」 競争力揺るがす政策再転換  
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110606-OYT1T01283.htm?from=any
(4)毎日 (該当なし)
(5)朝日 ドイツの決断―脱原発への果敢な挑戦  
http://www.asahi.com/paper/editorial20110608.html?ref=any
(6)東京 どうする「脱原発」 ドイツの重い問いかけ  http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011060802000071.html
(*3)
 
 比較表のほうは、例によって朝日の方の主張を赤字で、産経の方の主張を青字で、両紙にはない主張で各紙独自の物は太字下線で示した。(四マイナス二)大紙+二紙だから、合計四紙の比較。いつもよりも大分狭いな表になっているが、「日本の新聞の社説を比較するには、産経と朝日を比べれば良い。」と言う社説比較シリーズ始まって以来の当ブログの主張であるから、まあ、比較対象として不足は無かろう。
 
 評価項目は以下のように設定した。例によって、朝日社説と産経社説を両にらみにした上で、だ。
 
 (1) ドイツ「脱原発」政策の評価
 (2) ドイツの日本の類似点・相違点
 (3) 日本の取るべき行動
 (4) 留意すべき事項
 
 
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 さて、赤字で現された朝日はと言うと・・・一言で言えば
「ドイツの脱原発万歳!」なのである。当該社説は以前記事(*4)にもしたものであるが、その「脱原発」を決断したメルケル首相その人が半年前に「原発再開」を決断した過去には触れるが咎めはせず(*5)、外国からの電力輸入は「その割合はごくわずか」と問題視せず、その輸入電力の相当部分が原発による事も触れさえしない。「電力買取制度や送電線開放によって風力や太陽光発電の産業化を進め」と誉めそやし、その「電力買取制度」が紛れも無い政府補助である事も何の問題にもしない。「21世紀の新しい文明と生活のモデルを示すことが出来よう」とドイツを持ち上げ、「事情が大きく異なる」事は認めつつ「ドイツの果敢な挑戦」に注目し、翻って日本の原発は国策として思考停止に陥っていると非難する。正しく「ドイツでは・・・・」の「出羽之守」だ、
 
 朝日と類似なのが東京新聞である。何しろタイトルからして「どうする「脱原発」」と銘打った連装社説の片割れで、タイトルは「ドイツの重い問いかけ」と続く。
 ドイツ産業界が示す「脱原発」に対する懸念は紹介するが、それは「払拭すべき懸念」で一蹴した形。「きっと払拭されるに違いない懸念」と言う扱いでしかない。
 ドイツが外国から電力輸入できる立場にあること、その輸入電力がフランスなどの原発に頼っていて非難がある事に触れている点は、朝日よりはマシだ。だが、その「外国の原発からの電力輸入」にメルケル首相の言葉を引用し、「原発事故による惨禍を、少なくとも自国から招く道を閉ざすドイツ固有の意思表明だろう。」と・・・これは肯定的評価、誉めているのであろう。
 だが、これを誉める神経は私には判らない。成程ドイツの「脱原発」決定は、メルケル首相の言葉通り「将来ドイツから起こり得る原発の危険性をなくす」であろうが、逆に言えば「ドイツ以外の国、例えばフランスの原発が事故を起こす分には構わない。」と言っているのに等しい。原発を開発し、運転し、安全を保つ責任は隣国フランスをはじめとする諸外国に押し付けて、ドイツはその上がりの電力だけを、金だけ払って買おうというのであるから、取り様によっては途轍もなく無責任な発言だ。少なくとも、誉めそやすような発言ではなかろう。
 で、東京新聞の結論もやっぱり「ドイツの脱原発万歳」なのである。ドイツの「脱原発」を「自然エネルギー社会型モデル」と呼び、「理念を先に提示して現実性を探るドイツ流」に「(日本も)学ぶべきことが多い」と絶賛するが・・・・一寸待て。「理念を先に提示して現実性を探る」と言う手法は、普通は「ドイツ流」等とは言わない。普通の呼び名は、良くて「理想主義」平たく言えば「原理主義」だ。
 現実から乖離した理念を政策にした所で碌な事にならないのは、一昨年夏の衆院選挙で民主党が掲げたマニュフェストが如何なる仕儀になっているかを考えれば、余りに明らかなことではないか。ドイツが掲げる理念ならばそんな酷いことになら無いと言うのは、正しく「ドイツでは・・・」の「出羽之守」の所業であろう。
 
 朝日&東京と対照的なのは読売新聞社説だ。タイトルからして「ドイツ「脱原発」 競争力揺るがす政策転換」と、朝日が殆ど触れず、東京が「きっと払拭される」と希望的観測したドイツ産業界の懸念をタイトルに持ってきている。
 中電浜岡原発が管直人の思いつきで止められて、火力発電で埋め合わせようと言うのでさえ、中電の経営を悪化させるというのに、ドイツの「脱原発」宣言は、火力発電で当面埋め合わせつつ風力や太陽光と言う自然エネルギーの拡充を目指しており、特に後者は原発に比べて格段に高コストだ。ドイツ産業界の懸念はもっともだろう。
 さらに読売社説では、ドイツの国内政治にメスを入れ、今回のメルケル首相「脱原発」への「政策再転換」をその国内政治に原因があり、つまりは選挙対策、人気取りである事を示唆している。
 勿論、ドイツが電力を輸入していることにも触れ、朝日のような矮小化・軽視などせず、「原発廃棄は決めても、原子力に由来する電力に頼る構図は変わらない。自国の原発技術の売り込みも続けるという。ご都合主義の側面も否めない。」と、かなり手厳しい。が、これは手厳しくて当然であろう。大体、国は脱原発を標榜し、国内の原発は止めると宣言しつつ「原発技術を売り込む」なんてのは、その神経が判らない。そんな原発技術を買う奴も買う奴だ、とは思うが。
 
読1> 島国の日本も、ドイツとは事情が異なる。電力を隣国から買うことはできない。
と、我が国とドイツの違いも明確に断じ、
読2> 産業競争力を維持するうえで、安全性を高めて原発を活用していくことが、
読3> 当面の現実的な選択である。
  
と、安全性を高めた原発を推進する。「どうする脱原発」などと言う迷いもない。
 
 最後に産経新聞は・・・・実は余り言う事がなく、つまらない。
 つまらないのは凡そ私と同意見で真新しい事が無いから(*6)。私が私の意見を何らかの形で言語化する以前ならば、この産経社説に「我が意を得たり」と膝を打つことも出来たろうが、我が意見は当ブログそのほかで既に言語化されており(*7)、それを今更産経社説がなぞってくれても、悪い気こそしないものの、つまらない。ドイツの「脱原発」の正体を暴露し、我が国が島国で電力輸入もままならない、どころか先ず不可能である事を示し、「原発堅持が不可欠」と断言する産経新聞社説は、「我が意を得ている」のだが、得て居過ぎて、つまらない。
 
 以上から、例によって今回の社説比較を数式化すると・・・・
 
 産経+α = 読売 >> 東京 ≒ 朝日 ≒ 出羽之守
 
と、言うところだろうか。
 

<注釈>

(*1) この辺の主張は、「私の歴史観」シリーズ第1弾「『私の歴史観』観」 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/21076216.html  にも縷々述べたところ。
 
(*2) と同時に「第1次大戦に対する戦時賠償はドイツを見習うな。」なのである。何故ならば、ドイツの第1次大戦に対する戦時賠償は、日本の大東亜戦争(太平洋戦争)に対する戦時賠償と同じ手順で完済されているのだから。
 
(*3) 参考として、先行した沖縄2紙の以下の社説がある。
(7)琉球新報 エネルギー戦略 「原発なき社会」の追求を  http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-177896-storytopic-11.html
(8)沖縄タイムス [エネルギー政策]本気で原発推進なのか  http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-06-06_18835/ 
 
(*4) 朝日社説 「ドイツの決断 脱原発への果敢な挑戦」に、短く突っ込め!
 
(*5) ナーンとまあ。70年近く前の我が国の戦前・戦中についてはあれほど執拗に咎め立てする朝日がだ。まあ、メルケル首相の半年前の過去は咎めても売れず、70年前の日本の過去は咎めれば中国様の覚えもめでたいと言う所だろう。
 
(*6) そのこと事態は、産経社説の責任では全くない、とは思うが。
 
(*7) 此処で「言語化」云々言い出すのは、最近読んだ神林長平の「戦闘妖精・雪風 アンブロークンアロー」の影響だな。