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1.告白-私は理系だが、原子力専門家とは言い難い。
ああ、告白しておくべきだろうな。私は「原子力の専門家」ではない。原子力を商売にしているわけではないし、原子力についてまとまって学んだのも随分前だ。だから記憶違いと言う事はありうるし、最新の原子力工学について知らないということはもっとありうる。
それでも原子力、原発、核、核兵器については恐らく人並み以上の関心を抱き続けてきており、原発の原理そのものが相当古くから広く公開された物で変わっていない事もあり、放射能についての基礎知識や根っからの「健全な」猜疑心共々、今回の福島原発事故について煽るだけの報道に流されず、それ相応の情報発信を、当ブログなんぞを通じて行なっている。
とは言え、当ブログ訪問者カウンターが示すとおり、一日あたりのアクセス数が100を超える事は多くなったが200を超えると一寸嬉しいような弱小ブログであり、情報発信とて多寡が知れている。それでも原発事故や放射能パニックなどによる風評被害や2次被害(*1)を些かなりとも防ぐ事が出来るならば、幸いこれにすぐるは稀有であろう。
一方で、福島原発事故にも拘らず私が原発推進論者であることは隠れも無いところであるから、当ブログコメント欄に見るとおり、「原発事業なんて物は経営的に成り立っておらず、税金で養われている無駄なものだ。」と主張されている(*2)当ブログ開設以来の読者たるIBさんに言わせると、「無数の人々の不安を更に煽ってまで「東電をかばう」!」って事になるらしい。先述の通り私は今でも原発推進論者である(*3)し、福島原発事故における、少なくとも水素爆発以降の「冷却最優先」とする東電の方針も再三擁護しているから、「東電をかばっている」のは事実であるし、私の感覚が世間一般の感覚と主張する心算は全くないから、私には判らないメカニズムで当ブログの記事に「不安を煽られる」人も居ないとは限らない。少なくともIBさんの不安は煽られたのだろう。
東電を擁護する事は兎も角、福島原発事故や放射能に対する不安を煽る事は私の本意ではない。ただ、菅直人や彼奴の率いる現・民主党政権に対しては、一昨年夏の忌まわしき「政権交代」以前から大いに非難しており、ある意味「民主党に対する不安を煽っている」と言う事ならば、首肯せざるを得ない。(*4)
今回引用した報道もまた、そんな「民主党に対する不安」を増大させてくれる。
<注釈>
(*1)現状のところ、計測されている放射能によって何らかの「被害」が生じるならば、それは風評被害、パニックなどの2次被害である公算甚大である。一時期店頭から姿を消した、ミネラルウォーター入りペットボトル、カップめん、電池なんてのは、その典型だろう。(*2) 「らしい」。長いコメントの応酬で漸く漸く最近判明したが、なお当人に確認する必要アリ。無論、「発電事業として成り立たない」原発が米、仏、韓などから世界へ輸出されていると言うのは全く信じられない。「電力会社と政府の癒着」が仮に「グローバルスタンダード」であると仮定しても、中にはそいつがバレる政府がありそうなものだ。(*3) それは無論、原発と言う発電事業が経営的にも技術的にも成り立ちうると考えているから。技術的には兎も角、経営的評価を、当ブログの記事にしていない事は、認めないといけないが。(*4) そもそも、民主党を筆頭とする連立政権を成立させて安心と言うその神経からして、私の想像を絶しているのである。
2.原子力専門家ならずとも-理系人間が見た原子力報道への疑義
何しろ、放射線や放射能、放射性物質に関する知識と言う物は、ことに報道関係者には乏しい物らしく(*1)、これが時に頓珍漢な表現となって現れる。例えば震災直後の水素爆発があった頃と思うが、「放射能は距離が離れるほど減衰するから、福島原発から離れたところは大丈夫」と言う報道が流れ、私なんぞは相当違和感を覚えた記憶がある。喩えて言うならば、放射性物質は光源で、人体健康への影響は照度に当たる「シーベルト」で計られるから、放射性物質からの距離の2乗に反比例するのは事実だが、少なくとも水素爆発以降、その放射性物質が福島原発に止まっておらず、拡散しているから問題なのであり、福島原発への距離は、直接的には関係ない。ただ、福島原発が放射性物質拡散の基点であるから、其処から遠いほど放射性物質の密度が低いと期待出来るのであって「福島原発からの距離で放射能が減衰する」訳ではない。
同様に違和感を覚えたのが、上掲記事の元になった「福島原発海水冷却中断」の理由として報じられた「海水による冷却で再臨界する恐れがあるとされた」である。
「再臨界」の「臨界」と言うのは極大雑把に言ってしまえば「原爆の点火」である。そんな剣呑な状態を引き起こすには、放射性物質を一定量、「臨界量」と呼ばれる質量まで集めて一塊にするのが通常である(*2)。但し、臨界量は放射性物質の種類もさることながら、形状や濃縮度や周囲の状況によっても異なって来るから少々ややこしい。
これはどういうことかと言うと、私の、原子力の専門家ならざるも理系であり科学マニアである知識からすると、以下のようになる。
(1) 核分裂と言うのは、核物質に中性子が当たる事で引き起こされ、原子核が分裂して別の元素に変わると共に、新たに中性子を発生する現象である。
同様に違和感を覚えたのが、上掲記事の元になった「福島原発海水冷却中断」の理由として報じられた「海水による冷却で再臨界する恐れがあるとされた」である。
「再臨界」の「臨界」と言うのは極大雑把に言ってしまえば「原爆の点火」である。そんな剣呑な状態を引き起こすには、放射性物質を一定量、「臨界量」と呼ばれる質量まで集めて一塊にするのが通常である(*2)。但し、臨界量は放射性物質の種類もさることながら、形状や濃縮度や周囲の状況によっても異なって来るから少々ややこしい。
これはどういうことかと言うと、私の、原子力の専門家ならざるも理系であり科学マニアである知識からすると、以下のようになる。
(1) 核分裂と言うのは、核物質に中性子が当たる事で引き起こされ、原子核が分裂して別の元素に変わると共に、新たに中性子を発生する現象である。
(2) 臨界とは、原発や原爆のような核分裂物質について言うならば、上記(1)の核分裂が、連続的に連鎖反応として発生するか否かの境界である。臨界量以下の質量であればその放射性物質内の核分裂は連鎖反応とならず、核反応はやがて終息する。「核の火が消える」状態に至る。逆に臨界量以上の質量では、核分裂が連鎖反応となり、核反応はいよいよ盛んになる。
(3) 臨界には核分裂により発生した中性子が、次の放射性物質原子に命中して新たな核反応を起こさせるか否かが大いに関わるから、放射性物質が板状や細い棒状では、発生した中性子が新たな核分裂を起こすことなく放射性物質の外に出てしまいやすいから、核分裂の連鎖反応は起こりにくく、臨界量は大きな物となる。逆に球状の塊などは、核分裂の連鎖反応を起こしやすく、臨界量は小さな物となる。
(4) 同じ中性子(*3)でもエネルギーが比較的低い熱中性子の方が、原子核に命中した際に核分裂を引き起こしやすい。このため原子炉では、高速中性子を減速させて熱中性子にする、減速材と呼ばれる物が使われる。多くの原子炉ではこれは水であり、チェルノブイリで事故を起こした原子炉では黒鉛を使っていた(*4)。
(5) 原子炉の炉心に差し込まれた制御棒や、ホウ酸は、中性子を吸収しやすい材料である。原発ではこの制御棒を核燃料の間に抜き差しすることで、核分裂の連鎖を制御し、原子炉の「火力」を調整している。
さて、以上の認識の下で、先述の報道を聞くと、「原子炉内に海水を入れることで、再臨界が起こると言う理屈が分からない。」のである。
原発の中で最も再臨界を起こしそうな状態にあるのは、溶融して格納容器なり圧力容器なりの底に貯まった核燃料である。多少の損傷はあろうが細長い棒状をなし、間に制御棒も入れられている燃料棒の方ではない。燃料棒がどれほど溶融・メルトダウンしていたかは当時把握できていなかっただろうし、格納容器内の水位も1号機については不明であったろうが、可能な限り真水を注水した後なのだから、格納容器の底に貯まった核燃料は水の底にあると言うのは一寸疑いようがない。底に海水を注入し、核燃料を覆う水に塩分はじめとする不純物が混じったところで、再臨界にいたる理由がない。水は一般的な減速材で、ある程度の中性子反射もあるらしいが、核燃料は既に水の底にあるのだから。
「注入した海水が再臨界を引き起こす可能性がある」想定としては、格納容器内から液体としての水が完全に無くなり、剥き出しの核燃料を注入された海水が覆って、主として水による中性子の減速効果と反射効果で条件が変わり「臨界量が小さくなって現状の質量を下廻ってしまった。」場合のみ。それにしても其処に至るまでに剥き出しの核燃料に注がれる海水は蒸発して格納容器の圧力をさらに高め、下手すると水蒸気爆発になりかねないから、心配するならそっちの方が先になる筈だ。
つまり、「海水の注入により再臨界が起こる可能性がある」と言うのは、原子力専門家ならざる理系人間たる私が考えてもトンデモ学説である。
へ続く
<注釈>
(*1) 軍事に関する知識と、どっちが乏しいか、良い勝負だ。「専門家」の裾野は原子力の方が広そうではあるが。(*2) そのための仕掛けが原爆には作りこんである。(*3) 中性子自身は電気的に中性子であるから、中性子線と言うのは非常に透過性の高い線である。(*4) だから、事故によって火災が発生した。