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何度も書いている通り、私は社説と言うの「新聞の顔」だと思っている。何度も書くとおり、ニュースの即時性や臨場感でテレビや動画やラジオなどに全く太刀打ちできないテキストベースかつDaylyの情報媒体である新聞が、その活路を切り開けるのは、調査報道や論説であり、そのいずれも週刊誌や月刊誌・専門誌の追求が厳しい。それ故にDailyの定期的な論説である社説こそ、新聞がその特徴を発揮できる「新聞の庭」であり、キルゾーンなのだ。であるならば、其処に各紙が掲げる社説こそは、各紙選りすぐりの且つ各紙の主張のこもった論説である、筈である。
と言う事は、当ブログ「社説を斬る!」シリーズや、「社説比較」シリーズとしては、大いに斬り甲斐も在れば、批評のし甲斐もあるのが、各紙の社説である・・・筈だ。
最近富みにその社説の中に「是が社説かぁ?」と疑問に思えるようなのが散見され、新聞業界のレベル低下が如実に現れているのだが、今回取り上げる朝日の社説もそんな新聞業界レベル低下を表す一本。
先ずは、例によって、ご一読願おうか。
と言う事は、当ブログ「社説を斬る!」シリーズや、「社説比較」シリーズとしては、大いに斬り甲斐も在れば、批評のし甲斐もあるのが、各紙の社説である・・・筈だ。
最近富みにその社説の中に「是が社説かぁ?」と疑問に思えるようなのが散見され、新聞業界のレベル低下が如実に現れているのだが、今回取り上げる朝日の社説もそんな新聞業界レベル低下を表す一本。
先ずは、例によって、ご一読願おうか。
転載開始====================================================================================
参院議長発言―危機の中で「倒閣」の愚
政治家が気に入らない相手に辞めてしまえ、という。それはご勝手にどうぞ、である。だが、三権の長の一人が、もう一人の長に退陣を迫るというのであれば話は違う。乱暴すぎる異様な光景と言うしかない。西岡武夫参院議長が菅直人首相に「即刻、辞任すべきだ」とする書簡を送った。記者会見や読売新聞への寄稿でも同じ趣旨の主張を繰り返している。理由は東日本大震災や、原発事故での対応のまずさだという。辞めないなら、26日からの主要国首脳会議(G8サミット)の前に「野党が衆院に内閣不信任決議案を出す以外に道はない」とまで言い切っている。確かに、菅政権の震災対応の遅れや原発事故の情報公開の不十分さに、人々は日に日に不信感を募らせている。国会でも批判が高まるのは無理からぬところもある。しかし、立法府の代表が院としての決定もないのに、行政府の長である首相の進退を口にするのは看過できない。議長は公正中立を旨とし、わざわざ会派を離脱する慣例がある。そんな議長ののりを越えている。しかも、西岡氏は参院の議長である。首相指名は衆院の決定が優越し、内閣不信任決議も衆院だけに許されている。参院は権力争いから距離を置く、「良識の府」としての役割を求められているのだ。なのに、議長が公然と首相退陣を唱えるのでは、まるで「権力の府」そのものではないか。それに、そもそもいま首相の進退を論じている場合なのか。危機のさなかには、足を引っ張るのではなく、力を合わせる。そんな当たり前のことができない政治のありさまには、うんざりしてしまう。西岡氏は「急流で馬を乗り換えるな」という言葉を引いたうえで、首相には激流に立ち向かう決意もすべもないとし、「乗り換える危険よりも、現状の危険が大きい」と切り捨てる。こんな物言いに、民主党内の「反菅」勢力が呼応する構えも見せている。野党が不信任案を出したとき、小沢一郎元代表のグループなどが賛成に回り、可決される展開もありうるかもしれない。だが子ども手当などの施策を撤回せよという自民党と、固守を唱える小沢氏らが倒閣だけで一致した先に、政権の展望は開けない。あるのは、さらなる混迷に違いない。急流を乗り切るまでは、馬を叱咤(しった)し、激励し、前に進ませるしかない。進退を論じるのは、そのあとでいい。
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その馬は進んでいない。馬肉にしても不味そうだが。
さて、如何であろうか。
先ず最初に、何故私がこの社説を、「是が社説かぁ?」と社説である事自体を疑うような批判をしているかを明確にしよう。この1000字余り、原稿用紙にすると2枚半ほどの「朝日社説」の中で、「朝日新聞の主張」は一体どれぐらい入っているだろうか?
> 急流を乗り切るまでは、馬を叱咤(しった)し、激励し、前に進ませるしかない。
>進退を論じるのは、そのあとでいい。
この、社説最後の2行だけである。社説タイトルからして「参院議長発言―危機の中で「倒閣」の愚」であるから、(西岡)参院議長の名が上がっている分だけ、タイトルのほうが情報量としては多いぐらいだ。
残りの大半は、タイトルにも在る西岡参院議長が表明した菅直人に対する不信への批判が占め、残りの1/4程で反菅勢力の同床異夢は未来につながらないと断じる、「正解現状解説」であって、朝日流の政界解釈ではあるが、主張ではない。上記の2行に付け加えられる「朝日新聞の主張」は、せいぜい中ほどの次の3行ぐらいである。
> それに、そもそもいま首相の進退を論じている場合なのか。
> 危機のさなかには、足を引っ張るのではなく、力を合わせる。
> そんな当たり前のことができない政治のありさまには、うんざりしてしまう。
趣旨としてはタイトルと、上述した最後の2行と、全く変わるところがない。また、以前に斬った朝日社説「1次補正成立―政争はやめるにしかず」とも同工異曲である。
したり顔だが何も言っていない朝日社説-「1次補正成立―政争はやめるにしかず」を斬る! http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35204365.html
否、それどころか、以前の社説「1次補正成立―政争はやめるにしかず」では、まだ「政党政治の成熟」と言う大義名分を明示していた。今回の社説ではそんな大義名分さえなく、「危機のさなかには、足を引っ張るのではなく、力を合わせる。それは当たり前の事」と言う、よく言えば常識論。悪く言えば浪花節に頼っている。浪花節も結構だが、浪花節だけで書いてしまったような論説を、朝日新聞は、かつては絶大な権力を誇り、未だに「4大紙」の一つに数えられ、「入試問題に良く出るから受験生は朝日新聞を読め」と宣伝し、一部には「日本のクオリティペーパー(*1)」と呼ぶ人も少なくともかつては居た朝日新聞は、社説として掲げているのである。私に言わせるならば、「朝日新聞の顔」として。
ま、朝日新聞がどんな間抜け面を曝そうが私の知った事ではない。むしろ私と朝日新聞は敵対関係がデフォルトだから、社説として曝された間抜け面には、大いに笑わせてもらうのみだ。それにしてもこの間抜け面は酷いな。
「危機にあっては足を引っ張らず協力し合おう。」確かに常識論だ。今回の東日本大震災において、被災した各地で見られた日本の、日本人の美質でもある。「危機を煽って売り上げ増進」ばかり図って来て今でも図っている朝日新聞に言われるのは片腹痛いが、常識論だけに一般論としては正しい論理だ。
「菅直人も頑張っている。頑張っている人は応援しよう。」と言う人も中には居る。だが、私に言わせるならば、菅直人が頑張っているのは己の保身のみであって、日本のためでも日本人のためでもない。それを言うなら現・民主党政権発足=あの忌まわしき「政権交代」以来、現・民主党政権が日本や日本人のために何か努力なり達成なりをしたかと言うと、トンと覚えがないのであるが。
東日本大震災とそれに伴う津波、さらには福島原発事故を受けて、我が国が少なくとも戦後最大の危機にあることもまぎれもない事実だ。そうであればこそ、平時ならばただのお飾りでも勤まりそうな「日本国首相」と言う地位に在る菅直人の存在がクローズアップされるのである。で、そのクローズアップされた菅直人が震災発生以来何をしているかと言うと、人気取りと外国人献金を全額こっそり返金するというスキャンダル隠し以外に、何かあったかね。
言い換えよう。菅直人と言う馬は、震災発生以前から叱咤激励されていたにも拘らず、ちっとも、全く、進んでいないのである。否、進む気配すら見せていないし、恐らくは当人も、進む気なんか全くないのである。
朝日新聞社説の唱える常識論も、菅直人には通じない。なぜならば、「危機に当たって力を合わせる」のは、お互いに力を出し合うのが前提であるのに、菅直人は、力なんか出していないし、今の日本の危機を脱するためには、力を出そうともしないだろうと充分予想されるからである。
菅直人の胸中にあるは、ただ、保身の一事のみ。
その保身のために東日本大震災からの復興が遅れようが、或いは新たな犠牲者が出ようが、彼奴が気にするとは全く思えない。
世上の7割もが支持しているという、浜岡原発停止「要請」も、保身のためのパフォーマンスに過ぎない。第一、その「要請」で浜岡原発は美事停止してしまったから、今日本が迎えている危機克服のためにはただの半歩前進していない。むしろ、後退しているのである。
そんな進まない馬を、幾ら叱咤激励しても無駄であるし、幾ら協力しても危機は乗り切れないのである。私が菅直人を、「歩く政治空白」と呼ぶ所以だ。
菅、斬るべし。
先ず最初に、何故私がこの社説を、「是が社説かぁ?」と社説である事自体を疑うような批判をしているかを明確にしよう。この1000字余り、原稿用紙にすると2枚半ほどの「朝日社説」の中で、「朝日新聞の主張」は一体どれぐらい入っているだろうか?
> 急流を乗り切るまでは、馬を叱咤(しった)し、激励し、前に進ませるしかない。
>進退を論じるのは、そのあとでいい。
この、社説最後の2行だけである。社説タイトルからして「参院議長発言―危機の中で「倒閣」の愚」であるから、(西岡)参院議長の名が上がっている分だけ、タイトルのほうが情報量としては多いぐらいだ。
残りの大半は、タイトルにも在る西岡参院議長が表明した菅直人に対する不信への批判が占め、残りの1/4程で反菅勢力の同床異夢は未来につながらないと断じる、「正解現状解説」であって、朝日流の政界解釈ではあるが、主張ではない。上記の2行に付け加えられる「朝日新聞の主張」は、せいぜい中ほどの次の3行ぐらいである。
> それに、そもそもいま首相の進退を論じている場合なのか。
> 危機のさなかには、足を引っ張るのではなく、力を合わせる。
> そんな当たり前のことができない政治のありさまには、うんざりしてしまう。
趣旨としてはタイトルと、上述した最後の2行と、全く変わるところがない。また、以前に斬った朝日社説「1次補正成立―政争はやめるにしかず」とも同工異曲である。
したり顔だが何も言っていない朝日社説-「1次補正成立―政争はやめるにしかず」を斬る! http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35204365.html
否、それどころか、以前の社説「1次補正成立―政争はやめるにしかず」では、まだ「政党政治の成熟」と言う大義名分を明示していた。今回の社説ではそんな大義名分さえなく、「危機のさなかには、足を引っ張るのではなく、力を合わせる。それは当たり前の事」と言う、よく言えば常識論。悪く言えば浪花節に頼っている。浪花節も結構だが、浪花節だけで書いてしまったような論説を、朝日新聞は、かつては絶大な権力を誇り、未だに「4大紙」の一つに数えられ、「入試問題に良く出るから受験生は朝日新聞を読め」と宣伝し、一部には「日本のクオリティペーパー(*1)」と呼ぶ人も少なくともかつては居た朝日新聞は、社説として掲げているのである。私に言わせるならば、「朝日新聞の顔」として。
ま、朝日新聞がどんな間抜け面を曝そうが私の知った事ではない。むしろ私と朝日新聞は敵対関係がデフォルトだから、社説として曝された間抜け面には、大いに笑わせてもらうのみだ。それにしてもこの間抜け面は酷いな。
「危機にあっては足を引っ張らず協力し合おう。」確かに常識論だ。今回の東日本大震災において、被災した各地で見られた日本の、日本人の美質でもある。「危機を煽って売り上げ増進」ばかり図って来て今でも図っている朝日新聞に言われるのは片腹痛いが、常識論だけに一般論としては正しい論理だ。
「菅直人も頑張っている。頑張っている人は応援しよう。」と言う人も中には居る。だが、私に言わせるならば、菅直人が頑張っているのは己の保身のみであって、日本のためでも日本人のためでもない。それを言うなら現・民主党政権発足=あの忌まわしき「政権交代」以来、現・民主党政権が日本や日本人のために何か努力なり達成なりをしたかと言うと、トンと覚えがないのであるが。
東日本大震災とそれに伴う津波、さらには福島原発事故を受けて、我が国が少なくとも戦後最大の危機にあることもまぎれもない事実だ。そうであればこそ、平時ならばただのお飾りでも勤まりそうな「日本国首相」と言う地位に在る菅直人の存在がクローズアップされるのである。で、そのクローズアップされた菅直人が震災発生以来何をしているかと言うと、人気取りと外国人献金を全額こっそり返金するというスキャンダル隠し以外に、何かあったかね。
言い換えよう。菅直人と言う馬は、震災発生以前から叱咤激励されていたにも拘らず、ちっとも、全く、進んでいないのである。否、進む気配すら見せていないし、恐らくは当人も、進む気なんか全くないのである。
朝日新聞社説の唱える常識論も、菅直人には通じない。なぜならば、「危機に当たって力を合わせる」のは、お互いに力を出し合うのが前提であるのに、菅直人は、力なんか出していないし、今の日本の危機を脱するためには、力を出そうともしないだろうと充分予想されるからである。
菅直人の胸中にあるは、ただ、保身の一事のみ。
その保身のために東日本大震災からの復興が遅れようが、或いは新たな犠牲者が出ようが、彼奴が気にするとは全く思えない。
世上の7割もが支持しているという、浜岡原発停止「要請」も、保身のためのパフォーマンスに過ぎない。第一、その「要請」で浜岡原発は美事停止してしまったから、今日本が迎えている危機克服のためにはただの半歩前進していない。むしろ、後退しているのである。
そんな進まない馬を、幾ら叱咤激励しても無駄であるし、幾ら協力しても危機は乗り切れないのである。私が菅直人を、「歩く政治空白」と呼ぶ所以だ。
菅、斬るべし。
<注釈>
(*1) ああ、きっと、尻を拭くのには柔らかくて、都合が良い、と言う意味だろう。