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【追記】


 その後の報道によると、このビンラディン襲撃については、種々の報道が飛び交っている。主なところでは、以下の通り。

(1) ビンラディンは襲撃の際女性を盾に取ったが、射殺された。女性は無事。
(2) ビンラディンは生け捕りにされた後に、射殺された。
(3) 本襲撃に際し、ビンラディン側は発砲していない。
(4) 米国はビンラディンばかりではなく、その家族全員を抹殺すべく作戦中。
 
 何れも真贋を判定する材料は持たない。タダ、上記の情報がどの様な効果を持つか,それによってその情報が「流された」意図を推察するのみだ。

 言うまでも無かろうが上記(1)は「ビンラディンの死の殉教死化阻止」に役立つ情報であり、残りはその逆だ。だから米国としては上記(1)を喧伝したいだろうし、テロリストや反米側としては上記(2)~(4)を流布したいだろう。

 「ビンラディンの死の殉教死化阻止」は、裏を返せば「アメリカの正義の確認」なのだから。
 私は皮肉屋なので、「正義」というのは相当恣意的な基準だと思っている。戦争で掲げられる「正義」ならばなおさらだ。だから本ビンラディン襲撃作戦にしても「正義に基づくか否か」とは別に( クラシックな西部劇ファンとしては、それはそれで気にはなる。)、「我が国にとって利となるか不利となるか」を考える。
 テロリストが跳梁跋扈する世界は我が国にとって不利である。我が国が貿易立国である以上、安全に貿易=商売できる世界が欲しい。
 故に我が国が本件で採るべき立場も、基本的に「親米的」であるべきだ、と考える。